優しき魔王は平和を望む

雪峰桃里

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第一章 復興

4話

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 至って大真面目なシリウスが後ろを仰ぎ見ている隙を狙い、ラインハルトは短剣を握り直し、強く足を踏みしめた。

「覚悟!」
「――うわっ!?」

 不意打ちを食らいながら、軽々と身体を捻って避けるシリウスに、ラインハルトは驚きながらも切りつけ続ける。シリウスの背後に冷たい石壁が当たると、腹部をめがけて刺そうと短剣が閃く。動きを見切られているとも知らずに、ラインハルトの腕は容易くシリウスに掴まれた。
 逃れようと藻掻いているが、大人と子供の力の差は歴然である。

「くそっくそっ、放せ人族の敵! この俺が成敗して……!」
「刃物をそんなに振り回したら危ないだろう。君の背中には妹君がいるんだから、もっと周りをみて攻撃しないと」
「っ敵に助言をするなど……馬鹿にするな!」
「俺は敵じゃない。少なくとも君たちと争いたいわけじゃない。……そこを通してくれ。俺たちは先を急いでいるんだ」
「信じられるか! いい加減に、放せ、っ!」

 力任せにラインハルトが未熟で細い腕を振るうと、緩めていたシリウスの手を逃れ、勢いのあまり彼のフードの端を切り裂いた。更にそこへ旋風が舞い上がり、マントに仕舞われていたシリウスの長い黒髪が風に攫われる。
 希薄な魔力の流れを追って視線を向けると、ラインハルトの妹によって風の魔法が発動したことがわかった。兄を傷つけない程度に弱められ、しっかりと標的に狙いをすませていた。いい魔法の腕をしている、とシリウスは感心する。
 隠していた顔が晒されると、ラインハルトが攻撃の手を止めて、狼狽えた。

「な……、……ヒューマン、だと!?」
「…………」
「馬鹿な。魔族の残党だという話は嘘か!? あの詐欺師、やはり適当な情報を……」

 瞠目して、開いた口が塞がらない状態のラインハルトだったが、シリウスはただ静かに見つめていた。ここで「そうだ俺はヒューマンだ」と促せば、警戒している彼らには噓くさく聞こえるかもしれない。ラインハルトという少年は自己完結する思考の持ち主のようだから、勝手に頭の中で解決してくれれば道を開けてくれるだろうとシリウスは考えたのだった。
 上手くいってほしい、という願いは、可憐な少女によって破られた。

「兄さま、……兄さま! 惑わされないでください! 間違いなどではありません!」
「エレイン、だが、こいつは」
「わたくしは『視えた』のです。この方々は、魔族に連なる者たち! 逃してはなりません!」

 動揺するラインハルトを𠮟咤して、ぴしゃりと言い放つエレインの言葉に、違和感を覚えたシリウスは観察するように二人を眺めた。
 何故それを断言できるのだろうか。彼女が自身の判断を過信しているだけとは思えなかった。しかし推理して得た結果だとも思えない。
 シリウスとラインハルトの会話だけではわかりえないだろうし、ラインハルトの攻撃を回避する動きも、ヒューマン族にしては機敏だと自負しているが、魔族であるリネアとノイと比べると、残念ながら大きく劣る。魔族だとわかる特徴を生憎シリウスは持っていない。果たして一体どこで、どうやって知ったのか。
 特殊な、という言葉が頭につくものの、シリウスが正真正銘のヒューマン族だからだ。
 探るような金色の視線が、エレインの薄緑色の目とぶつかる。
 その瞬間、エレインは肩を竦め、声にならない小さな悲鳴をあげた。

「ひっ」
「?」
「いやああああ!!!」
「エレイン!」

 前触れもなく膝から崩れ落ちたエレインに、ただシリウスは驚くほかはなかった。
 一体何が起こったのかと従者二人に顔を向けたが、存ぜぬとばかりに揃って首を横に振るのみだ。唯一理解していたのは彼女の兄のみのようで、弾かれたように妹の名前を叫んで駆け寄る。
 細い肩を抱えて怯えるようにしゃがみ込み、すぐ横で庇うようにラインハルトが立っている。その様子はまるで傷を負った草食動物が仲間を守っているようにも見えたが、待て待て、それでは自分たちが何かしたみたいじゃないかとシリウスは考えを改めた。
 少女は、顔を覆うというより、両目を手で隠そうとしているように見える。

「ごめん、なさい、兄さま……わたくしは……こんな時に……!」
「謝るな! それより早く収めろ、くそ、敵前でなんということだ……」

 ふと、頭の中で引っかかっていたものの正体が、シリウスにはわかったような気がした。
 確信を得てはいないが、エレインはシリウスたちと魔族との関係を『視た』と言っていた。恐らくそれは、魔眼と呼称されるものの類ではないだろうか。魔眼は特殊能力を宿した目の総称で、ヒューマン族の中で稀に魔眼を持って産まれる子供がいる。思えば、ラインハルトと比較すると、エレインの双眸には微かに魔力粒子――魔法を使う際に必要な自然の力――が。彼女はきっとその一人だ。能力の種類は数え切れないほどある。炎を放射する能力、物を動かす能力、対象を分析する能力もある。
 彼女がどんな能力の魔眼を所有しているのかは不明だが、今もエレインはシリウスの双眸を視てから怯えだした。がっちり、目と目が合ってしまったのだ。それが魔眼の発動条件なのだとしたら、どんな魔眼なのか想像するのは容易かった。

(もしかしたら、あの女の子は――)

 シリウスは、頑是ない少女には余りにも惨たらしいものを『視て』しまっただろうと推測し、納得した。
 悲痛な叫びを上げる少女に声をかけようとしたところに、双子の背後からバタバタと足音が聞こえてきた。
 一つ二つの数ではない。軽く十人は超える、しかも金属が弾くような音も一緒だ。

「…………冒険者か傭兵か、っスかね」
「もしやこの二人、囮に使われたのでは……?」
「そうかもしれないが、とにかく今はここを離れよう。逆戻りになるが、まずは奴らを撒こう」

 気掛かりをほんの少し残したまま、今きた道へと踵を返した。
 このままリネアとノイに戦闘を任せても、彼らの体力が消耗する一方だろう。平然としているようでもすでに疲労困憊だ。それはシリウスも気づいていた。
 もう少し。もう少しなのに、最後の一歩に辿り着けない。どうする。このままでは堂々巡りだ。どうすればいい。
 思考に耽るシリウスの真横に、カランコロンと転がっていくものを見かけて、確かめるために足を止めた。
 白くて丸いもの。子供の落書きのような王冠のマークが描かれている。シリウスの拳よりも小さなそれに、彼は見覚えがあった。
 かつて魔法の師匠の元で学んでいた時に、親友と一緒に悪戯心で作ったそれと非常に似ている。確か名前は……。

「ボンボン玉……?」
「大正解!」

 頭のずっと上から声が聞こえてきたかと思うと白い玉改め煙玉は、パンと弾けて周囲に白煙をまき散らした。シリウスの隣にいたはずのリネアとノイ、そして追手の二人も姿が見えなくなる。足元すら朧気になった頃、もう一度上から声をかけられる。

「ノイ! 彼を抱えて跳んで!」
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