優しき魔王は平和を望む

雪峰桃里

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第一章 復興

10話

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 シリウスたちがミシェルと合流したほぼ同時刻、《梟の館アウル・ハウス》は大いに賑わっていた。
 昼休みをする冒険者たちが腹ごしらえにやってくるため、ギルド会館に入ってすぐにある酒場はすぐにその本領を発揮したのだ。
 日が明るい内の酒は如何に、とぼやく者も少なくないが、逆恨みを買いたい愚か者はいない。酒気に酔いしれる悪漢に暴力は振るわれたくない。
 しかし、その人物が足を踏み入れていた瞬間に、シンと静まり返っていた。
 口を噤んだ者たちに目もくれず、彼らは一番近くにあったテーブルに腰掛ける。ギルドにおいて、酒場の出入口近くに座るのは、最上級の冒険者のみに許された特権だった。
 その人物たちが身につける防具や武器すら、隣のテーブルに居座る者とは格が違う。胸元や肩などに装着した鳶色に輝く豪華な装具に、使い込まれた年月を語る薄い傷がついた各々の武器も、しかし丁寧に手入れされているのが伺える。当然それらの所有者たちも、随分若い外見の者たちであったが、歴戦を勝ち抜いてきた猛者である。顔つきやほんの少しの所作でも、周りの人間は本能でそれを感じることができた。
 彼らに近づいてはならないという暗黙の了解が、徐々に喧騒を取り戻させた。
 元の活気に戻ってみせた酒場に、やれやれというように、赤錆色の髪を三つ編みして背中に下げた少女がわざとらしくため息をついた。鼻の上に散るそばかすが彼女に活発な印象を与える。

「さーてと、お腹空いちゃったから、何か適当に頼んでくるわ。何がいい?」
「じゃあ俺はサンドイッチ定食にしようかな。……あ、もうとっくに昼過ぎか。ステーキ定食で」
「…………おれは何でもいい」
「ちょっとまたなの? 何でもいいが一番困るって言ったじゃない、ザクロ」
「好きなものなんて無いから、特にこだわりもない。ニーナが『適当に』選んだものでいい」
「もうっ、わかったわよ!」

 むくれたまま食堂のカウンターへと向かう少女、ニーナを何気なく見送る青年。
 この青年こそ、十年前の魔王討伐にて悪逆非道な限りを尽くした(とされている)魔族とそのおさを倒した英雄――破魔の勇者ザクロであった。
 連れ立って席についた三人の中で、彼が特に異質な存在感を出していた。勇者で名が通っているが故のものでもあるが、これはほとんどザクロの普段の立ち振る舞いや性格から来るものだ。
 質素で機動性を重視した旅人用の衣服の上に胸当てなどの装備品を身に着けており、見てくれに無頓着なのが第一印象として強く残る。癖毛で整わない赤銅色の髪や数日は磨かれていないだろうブーツもさることながら、ザクロが腰かける椅子の横に立て掛けた片手剣も、それを納めるボロボロな鞘も、歴戦の勇者の証といえば聞こえはいいが、彼が物事に無頓着な性格をしているのが全ての原因であった。
 ニーナへのお使いもそうだ。好き嫌いがないのは良いことだが、なさすぎて『何でもいい』状態になるのが彼女にとって相当厄介な注文のようだ。せめて肉とか魚とか言ってくれとニーナがたのみこんでも、今までそれをザクロが聞いたことなど一度もない。本当に、どうでもいいことのようだ。
 目鼻立ちが整っているだけに勿体ないよな、とは同行者の一人であるイオスの言葉だ。

「……………………」
「どうしたザクロ。また考え事か?」
「……ああ」

 ニーナを見送っているのかと思えば遠い目をしていたザクロにイオスが問いかけるが、虚ろな返事しかしてこない。
 魔王討伐以降、ザクロは一人で考え込むことが増えた。
 ギルドからの依頼中にそのような態度が現れるわけではない。奴もプロの冒険者の誇りはあるようで、きっちりと真面目に仕事をしている。終わった後の食事時や就寝時、朝餉の時にもよく俯いて物思いにふけっている。頭を使うことがいいことだとしても、その時の表情を思い返すと、イオスも何だかたまらない気持ちになる。
 やはり、無抵抗の魔族を屠ったことを、ザクロは後悔しているのだろうか。
 依頼人はさる大国のやんごとない身分のヒューマンの男だったから断るのは憚られた。というのも、自分たちにとってその人物が常連の客で、十数回は指名してギルドへ依頼を出してくれる、とても親切な男だったのだ。初めての護衛依頼時完遂した時も、「次回もお願いします」と言った言葉を反故にしなかった。珍しい客だとザクロにも印象に残ったほどだ。大抵この手の言葉は口約束にすらならない、所謂いわゆるリップサービスというやつだと知っていたからこそ、言葉通りにしてくれたこの男は信頼に値する人間だと思った。目立つ外見や世に回る偽物の噂を気に留めない人格者だと、思っていたのだ。
 あの男は今も、極北の地にあるアルヴィノ神光帝国の貴族の一人として、かの国に忠心を注いでいる。……ここまではよかった。最後までうまくいけば、あの男の印象は最高のままなはずだった。それなのに。
 討伐後の顛末を思えば、元気だったはずのイオスも項垂れてしまう。
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