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第一章 復興
11話
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「ザークーロー! 持つの手伝ってよぉ!」
「何でおれが」
「か弱い女子の荷物を持とうって気概はないの? いいから来てってば」
「…………か弱いとは」
「俺が行くよニーナ。ちょっと待ってくれ」
《止まり木亭》と書かれた看板を下げた食堂のカウンターからイオスたちが掛ける席までは少し距離があったため、ニーナは声を張って呼びかけた。すでに料理は出来上がっているらしい。流石に早すぎではと思案したが、あの気さくな料理長のことだから、決まったものを頼みがちな三人が来ることを予想して作っていたのかもしれない。新料理が出たらすぐに試す好奇心旺盛なニーナはともかく、偏食気味なザクロと悩んだ末に同じものを注文するイオスの分はもう作っておけば楽だろうと思ってのことだと、すぐに思いついた。いつも決まった料理を決まった時間に頼むのならば、それも納得だ。
重量のある大剣を壁側に立て掛け、ザクロに見ていてもらうように言い残すとイオスはニーナが待つカウンターまで、人の群れを掻き分けて進んでいく。
到着する頃には、ニーナが食べる料理も間もなくでき上るところだった。
「ありがとうイオス。……ザクロ、また妙な顔して唸ってたの?」
「今回は唸ってないぞ。眉間に皺寄せて黙り込んでたよ。言ってくれれば相談に乗るのにな」
「イオスはザクロに甘いのよ。保護者なのはわかるけど、少しは自分のことは自分でやらせなきゃダメじゃないの? あいつのためにならないじゃない」
「はは、姉は相も変わらず弟想いだな」
「茶化さないでったら、もー!」
イオスが赤褐色の短髪の後頭部を掻いて、頭二つ分下の少女を見下ろす。
耳をほんのり赤くして反対側をむくニーナは、イオスよりもずっとザクロを心配していた。
強い言葉でザクロにちょっかいをかけているのは、彼女なりの気配りなのだろう。日々眉間に皺を増やす弟に、束の間の気分転換をさせようとしているのだ。果たしてザクロがその意図に気づいているのかは定かではないが、効果はあると確信している。
迷い子のような視線が遠くから近くの自分たちに戻る時、ザクロは少しだけ安心したような目するから、こちらも彼と同じくらいに安堵するのだ。
もはやこれは、ザクロのためにやっているだけのものではなくなっていた。
「相変わらず仲がいいですねー。さすがは勇者御一行様!」
「勇者は関係ないったら! ところでエリス、最近何か変わったことはない?」
「ああ、2か月ぶりの帰還ですものね。えーと、変わったこと変わったこと……」
ニーナが話しかけている茶髪の少女エリスは、《止まり木亭》で働く、シャマーレでは名の知れた看板娘だ。冒険者たちの手に汗握る戦いを聞くのが楽しみで、いつも依頼を達成して帰ってきた者たちと話しているのをイオスは見かけていた。後ろで一つに纏めた髪に乱れはなく、皺のない橙色のエプロンからは彼女の真面目さが伺える。
物知りな上に知りたがりな少女に聞けばシャマーレのことならば大体わかる。ある種の情報屋でもあった。
「うーん……そうね、東門近くに住み着く犬が母になったことしか出てこないわ」
「それもビックニュースじゃない! 後で見に行こうかしら」
「私も行ってもいい? 丁度様子を見に行こうと思ってたのよ」
「ええ、ええ! じゃあ仕事が終わったら待ち合わせしましょうか!」
年頃が近い同性であったためか、ニーナとエリスはとても仲がいいようだ。親友同士と言っても過言ではない。甘いお菓子を食べながら雑談を楽しむ、というのを習慣にしていて、この瞬間だけは冒険者ニーナと食堂の給仕エリスではなく、ただの少女二人にしか見えなくなる。
イオスは微笑ましく、けれどもどかしくも感じた。
何の柵もなければ、彼女たちは平和で他愛もない戯れを続けられるというのに、と。
女の子同士の話が盛り上がろうとした時、キッチンの奥から現れた料理長が不思議そうに声をかける。
「ニーナ。帰ってきたミーシャのことは言わないのか?」
「え……」
「なぁに、それ?」
「昼過ぎにゴミ捨てに言ったんだがな、そしたら――」
「お父さんっそういえば今日の仕込みまだ終わってなかったよねっ? わたしも手伝ってあげるから、行きましょうか!」
遮るように声を張り、ニーナは父と呼んだ料理長の腕を掴む。
驚きながらも「ああ? まあ、そうだな」と答えたところで、精一杯の力で引っ張られながらキッチンの中へ戻った。
去り際に手をひらひらと振ったエリスに、あのような張り付いた笑顔は見たことないと怪しんだニーナが耳に手を当てる。所謂、盗み聞きというものだが、イオスは彼女に倣うように目を閉じた。
酒場に入り浸る有象無象の声は、彼らの聴力を遮るに値しなかった。
「お父さんったらミーシャさんに頼まれたじゃないの! 忘れたの!?」
「あー……そうだったな。悪い悪い」
「まったく、あの人がわざわざ頭を下げてきたんだから守らなきゃ。『この三人のことは誰にも話さないで』って! あの〈歩く魔法爆弾〉が、よ! わかってるのお父さん!」
「はいはいわかってるって。……しかしフードを被っていて顔は見れなかったが、あいつら只者じゃないな。数々の冒険者たちを見送ってきて十余年の俺が言うんだから間違いない。特に中くらいのやつ、多分男だな。あのミーシャが親身になるやつなんて早々いたもんじゃないし、何より雰囲気が凡人と全然違った。恐らく奴は王族か貴族で……」
「おーとーうーさーんー?」
「すまん。つい癖が」
息がぴったりな親子が口にするミーシャとは、最上級の冒険者の一人にして、行使する魔法の破壊力からついた貳名〈歩く魔法爆弾〉を戴く有名な魔法使いの名前だった。
魔王討伐後、単身でザクロに殴り込みしていたのを思い出す。小さな拳に自身をも焼く炎の魔法を纏わせて、震えてさえいた渾身の攻撃を、破魔の剣の力で相殺したことは言うまでもない。嘆きのようにも聞こえた叫びは、もはや言葉になっていなかった。小馬鹿にするような飄々とした振る舞いをする愛らしいミーシャからは想像がつかないほどに雄々しい様は、彼が魔族であることを思い出させた。
騒ぎを起こしたミーシャは、暫くの間冒険者の資格を剝奪されることとなった。その罰は長くても二ヶ月で解放される軽い方でもあったが、彼は返された資格を受け取ることはなく、部屋にこもる生活をしていたらしい。魔族の故郷を失ったのだから当然だった。
彼が外の世界へ戻ってきたのには、会話にあった三人に何か秘密があるはずだとイオスは予想したが、ふと思い返してみて、気づいてしまった。
……そうだ。ザクロが塞ぎ込むようになったのは、それがあってからだった。
「ふんふん、なるほど。ミーシャが何か、他の人に言えないようなことをしてるってことね」
「ニーナ。あまり余計なことに首をつっこむのはよくないぞ」
イオスは本能的に、この件に関わってはならないと察する。
ミーシャは魔族なのだ。ザクロは彼にとって天敵以上の何物でもない。触れないに越したことはないとニーナに伝える。
「でもイオス……」
「いつまでかかってるんだ。二人して」
待つことに疲れたらしいザクロが、いつの間にかニーナの背後に立っていた。
音もなく現れた彼にニーナは「きゃっ」と小さく飛び上がった。
「きゅ、急に声をかけないでったら! びっくりするじゃない!」
「……昼食はまだか」
「できてる、できてたわよ。はい自分の分は自分で持ってね!」
薄切りにした豚肉とキャベツを煮込んだスープと成人男性の拳三つ分ぐらいのパンを乗せたトレイがニーナから渡され、ザクロは文句を言うこともなく黙って受け取る。
じっと見つめてくる瞳に、どうしたものかとイオスとニーナが目配せをした。
幾ばくかの沈黙の後、堪えきれなかったザクロが訊ねる。
「何があったんだ?」
「……うーん」
不安に目を細めてから、イオスは口を開く。
彼と自分たちを傷つけることにならないように祈りながら、多少の推測も交えて先ほどまでのことを簡潔に話す。
「実はな…………」
瞠目するザクロはほんの少し狼狽えて、すぐに息を一つ吐いて落ち着きを取り戻した。
両の目蓋をとじて、そっと呟く。
「……きっと裁かれる時が来たんだ」
口から自然と零れるような言葉に、目の前の二人はザクロを凝視する。
(ああ、お前がそんなに思い詰めていたなんて、知りもしなかった)
元いたテーブルに戻るように促すが、果たして食事が喉を通るのかイオスには測りかねていた。
「何でおれが」
「か弱い女子の荷物を持とうって気概はないの? いいから来てってば」
「…………か弱いとは」
「俺が行くよニーナ。ちょっと待ってくれ」
《止まり木亭》と書かれた看板を下げた食堂のカウンターからイオスたちが掛ける席までは少し距離があったため、ニーナは声を張って呼びかけた。すでに料理は出来上がっているらしい。流石に早すぎではと思案したが、あの気さくな料理長のことだから、決まったものを頼みがちな三人が来ることを予想して作っていたのかもしれない。新料理が出たらすぐに試す好奇心旺盛なニーナはともかく、偏食気味なザクロと悩んだ末に同じものを注文するイオスの分はもう作っておけば楽だろうと思ってのことだと、すぐに思いついた。いつも決まった料理を決まった時間に頼むのならば、それも納得だ。
重量のある大剣を壁側に立て掛け、ザクロに見ていてもらうように言い残すとイオスはニーナが待つカウンターまで、人の群れを掻き分けて進んでいく。
到着する頃には、ニーナが食べる料理も間もなくでき上るところだった。
「ありがとうイオス。……ザクロ、また妙な顔して唸ってたの?」
「今回は唸ってないぞ。眉間に皺寄せて黙り込んでたよ。言ってくれれば相談に乗るのにな」
「イオスはザクロに甘いのよ。保護者なのはわかるけど、少しは自分のことは自分でやらせなきゃダメじゃないの? あいつのためにならないじゃない」
「はは、姉は相も変わらず弟想いだな」
「茶化さないでったら、もー!」
イオスが赤褐色の短髪の後頭部を掻いて、頭二つ分下の少女を見下ろす。
耳をほんのり赤くして反対側をむくニーナは、イオスよりもずっとザクロを心配していた。
強い言葉でザクロにちょっかいをかけているのは、彼女なりの気配りなのだろう。日々眉間に皺を増やす弟に、束の間の気分転換をさせようとしているのだ。果たしてザクロがその意図に気づいているのかは定かではないが、効果はあると確信している。
迷い子のような視線が遠くから近くの自分たちに戻る時、ザクロは少しだけ安心したような目するから、こちらも彼と同じくらいに安堵するのだ。
もはやこれは、ザクロのためにやっているだけのものではなくなっていた。
「相変わらず仲がいいですねー。さすがは勇者御一行様!」
「勇者は関係ないったら! ところでエリス、最近何か変わったことはない?」
「ああ、2か月ぶりの帰還ですものね。えーと、変わったこと変わったこと……」
ニーナが話しかけている茶髪の少女エリスは、《止まり木亭》で働く、シャマーレでは名の知れた看板娘だ。冒険者たちの手に汗握る戦いを聞くのが楽しみで、いつも依頼を達成して帰ってきた者たちと話しているのをイオスは見かけていた。後ろで一つに纏めた髪に乱れはなく、皺のない橙色のエプロンからは彼女の真面目さが伺える。
物知りな上に知りたがりな少女に聞けばシャマーレのことならば大体わかる。ある種の情報屋でもあった。
「うーん……そうね、東門近くに住み着く犬が母になったことしか出てこないわ」
「それもビックニュースじゃない! 後で見に行こうかしら」
「私も行ってもいい? 丁度様子を見に行こうと思ってたのよ」
「ええ、ええ! じゃあ仕事が終わったら待ち合わせしましょうか!」
年頃が近い同性であったためか、ニーナとエリスはとても仲がいいようだ。親友同士と言っても過言ではない。甘いお菓子を食べながら雑談を楽しむ、というのを習慣にしていて、この瞬間だけは冒険者ニーナと食堂の給仕エリスではなく、ただの少女二人にしか見えなくなる。
イオスは微笑ましく、けれどもどかしくも感じた。
何の柵もなければ、彼女たちは平和で他愛もない戯れを続けられるというのに、と。
女の子同士の話が盛り上がろうとした時、キッチンの奥から現れた料理長が不思議そうに声をかける。
「ニーナ。帰ってきたミーシャのことは言わないのか?」
「え……」
「なぁに、それ?」
「昼過ぎにゴミ捨てに言ったんだがな、そしたら――」
「お父さんっそういえば今日の仕込みまだ終わってなかったよねっ? わたしも手伝ってあげるから、行きましょうか!」
遮るように声を張り、ニーナは父と呼んだ料理長の腕を掴む。
驚きながらも「ああ? まあ、そうだな」と答えたところで、精一杯の力で引っ張られながらキッチンの中へ戻った。
去り際に手をひらひらと振ったエリスに、あのような張り付いた笑顔は見たことないと怪しんだニーナが耳に手を当てる。所謂、盗み聞きというものだが、イオスは彼女に倣うように目を閉じた。
酒場に入り浸る有象無象の声は、彼らの聴力を遮るに値しなかった。
「お父さんったらミーシャさんに頼まれたじゃないの! 忘れたの!?」
「あー……そうだったな。悪い悪い」
「まったく、あの人がわざわざ頭を下げてきたんだから守らなきゃ。『この三人のことは誰にも話さないで』って! あの〈歩く魔法爆弾〉が、よ! わかってるのお父さん!」
「はいはいわかってるって。……しかしフードを被っていて顔は見れなかったが、あいつら只者じゃないな。数々の冒険者たちを見送ってきて十余年の俺が言うんだから間違いない。特に中くらいのやつ、多分男だな。あのミーシャが親身になるやつなんて早々いたもんじゃないし、何より雰囲気が凡人と全然違った。恐らく奴は王族か貴族で……」
「おーとーうーさーんー?」
「すまん。つい癖が」
息がぴったりな親子が口にするミーシャとは、最上級の冒険者の一人にして、行使する魔法の破壊力からついた貳名〈歩く魔法爆弾〉を戴く有名な魔法使いの名前だった。
魔王討伐後、単身でザクロに殴り込みしていたのを思い出す。小さな拳に自身をも焼く炎の魔法を纏わせて、震えてさえいた渾身の攻撃を、破魔の剣の力で相殺したことは言うまでもない。嘆きのようにも聞こえた叫びは、もはや言葉になっていなかった。小馬鹿にするような飄々とした振る舞いをする愛らしいミーシャからは想像がつかないほどに雄々しい様は、彼が魔族であることを思い出させた。
騒ぎを起こしたミーシャは、暫くの間冒険者の資格を剝奪されることとなった。その罰は長くても二ヶ月で解放される軽い方でもあったが、彼は返された資格を受け取ることはなく、部屋にこもる生活をしていたらしい。魔族の故郷を失ったのだから当然だった。
彼が外の世界へ戻ってきたのには、会話にあった三人に何か秘密があるはずだとイオスは予想したが、ふと思い返してみて、気づいてしまった。
……そうだ。ザクロが塞ぎ込むようになったのは、それがあってからだった。
「ふんふん、なるほど。ミーシャが何か、他の人に言えないようなことをしてるってことね」
「ニーナ。あまり余計なことに首をつっこむのはよくないぞ」
イオスは本能的に、この件に関わってはならないと察する。
ミーシャは魔族なのだ。ザクロは彼にとって天敵以上の何物でもない。触れないに越したことはないとニーナに伝える。
「でもイオス……」
「いつまでかかってるんだ。二人して」
待つことに疲れたらしいザクロが、いつの間にかニーナの背後に立っていた。
音もなく現れた彼にニーナは「きゃっ」と小さく飛び上がった。
「きゅ、急に声をかけないでったら! びっくりするじゃない!」
「……昼食はまだか」
「できてる、できてたわよ。はい自分の分は自分で持ってね!」
薄切りにした豚肉とキャベツを煮込んだスープと成人男性の拳三つ分ぐらいのパンを乗せたトレイがニーナから渡され、ザクロは文句を言うこともなく黙って受け取る。
じっと見つめてくる瞳に、どうしたものかとイオスとニーナが目配せをした。
幾ばくかの沈黙の後、堪えきれなかったザクロが訊ねる。
「何があったんだ?」
「……うーん」
不安に目を細めてから、イオスは口を開く。
彼と自分たちを傷つけることにならないように祈りながら、多少の推測も交えて先ほどまでのことを簡潔に話す。
「実はな…………」
瞠目するザクロはほんの少し狼狽えて、すぐに息を一つ吐いて落ち着きを取り戻した。
両の目蓋をとじて、そっと呟く。
「……きっと裁かれる時が来たんだ」
口から自然と零れるような言葉に、目の前の二人はザクロを凝視する。
(ああ、お前がそんなに思い詰めていたなんて、知りもしなかった)
元いたテーブルに戻るように促すが、果たして食事が喉を通るのかイオスには測りかねていた。
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