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夏編③『水平線の彼方、青色蜃気楼』
第二話「乙姫の心臓」⑶
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「乙姫の心臓、ですか?」
「信じられないでしょう? でも、ホントにあったんですよ。乙姫の心臓としか名づけようのない、謎の物体が」
女性はインク壺を爪で小突きながら、乙姫の心臓を見つけた時のことを話した。
先月のことです。私は仕事のアイデアに煮詰まり、気晴らしに浜辺を散歩していました。海水浴客があまり来ない穴場で、穏やかな波の音が静かに聞こえていました。
するとふと、遠目に妙な塊を見つけました。近づいてよく見ると、青くてぶよぶよした塊が打ち上げられているではありませんか!
今まで見てきたどの青よりも鮮やかで、不思議な色合いをした物体でした。そう……まるで、海の底の竜宮城に住む、絶世の美女・乙姫の心臓のような!
……透明な袋に包まれていたので、ゴミかとも思いました。ですが袋の形がいびつで、何のゴミなのかすらも検討がつきませんでした。
なので、持ち帰って調べてみようと思い、手を伸ばしました。次の瞬間、
「そいつに触るな!」
と遠くから怒号が飛んできました。
振り返ると、見知らぬおじさんが鬼のような形相で、こちらに向かって走って来ていました。
私はびっくりし、その場から逃げ出しました。時間を空けて戻りましたが、例の青色の塊は消えていました。その後も何度か浜辺へ足を運んでいますが、あの塊は見つけられていません。
きっと、あのおじさんが持ち去ったに違いありません。私に奪われまいと焦り、怒っていたのでしょう。そう納得出来てしまうほど、あの塊は美しかったのです。
以来、私の頭は青色い塊のことでいっぱいになってしまいました。あれの正体が気になって気になって、夜もまともに眠れません。
まぶたを閉じれば、目の前があの青一色に染まります。一ヶ月経っても忘れられず、ついにはインクまで作ってしまいました。
あの見た目から"乙姫の心臓"と勝手に呼んでいますが、商品として売る以上は本当の名前も知っておきたいです。
「インク、売っちゃうんですか?」
「もちろん」
女性は当然のように頷いた。
「あの青い塊の名前を知っている人が、このインクを見て教えてくれるかもしれませんから。お姉さんに"このインクが何に見えるか?"と尋ねたのは、そういう訳があったからなのです。在庫の方はご心配なく! 暇を見つけては作っていたので、山のようにございますよ! ラベル貼りはこれからですが」
「文具メーカーの方なんですか?」
「自主制作です。オリジナルのインクや文具を作って、ネットとか地域のイベントなどで委託販売しています。洋燈商店街のオータムフェスでも何度か卸したことがありますよ」
「へぇ、どんな商品を売られていたんですか?」
オータムフェスと聞き、由良は興味を惹かれた。ひと通りの店は見ているので、どこかで女性が作った商品を見かけたことがあるかもしれない。
女性は「えーっと」と眉間にシワを寄せ、今まで作った商品を挙げていった。
「桜の小枝ペンでしょ、ひまわり畑のポストイットでしょ、ススキの羽ペンでしょ、朝焼けのダイヤモンドダストのインクでしょ……そうそう、この小瓶も私が作ったんですよ。浅瀬の水差しって言うんですけど、乙姫の心臓を見つけた浜辺で拾った貝殻とシーグラスを再利用したんです」
「シーグラス?」
「波にもまれて、角が丸くなったガラス片のことです。色つきの小石みたいで綺麗でしょう?」
それから、と最後に女性は由良も知っている商品の名前を口にした。
「一番売れた商品だと秋色インクですかね。オータムフェスでも三年前から売ってもらってますよ。私もお気に入りで、秋になるとよくスケッチに使っています。在庫がないので、私が使うのは不良品ですが」
「……え」
「信じられないでしょう? でも、ホントにあったんですよ。乙姫の心臓としか名づけようのない、謎の物体が」
女性はインク壺を爪で小突きながら、乙姫の心臓を見つけた時のことを話した。
先月のことです。私は仕事のアイデアに煮詰まり、気晴らしに浜辺を散歩していました。海水浴客があまり来ない穴場で、穏やかな波の音が静かに聞こえていました。
するとふと、遠目に妙な塊を見つけました。近づいてよく見ると、青くてぶよぶよした塊が打ち上げられているではありませんか!
今まで見てきたどの青よりも鮮やかで、不思議な色合いをした物体でした。そう……まるで、海の底の竜宮城に住む、絶世の美女・乙姫の心臓のような!
……透明な袋に包まれていたので、ゴミかとも思いました。ですが袋の形がいびつで、何のゴミなのかすらも検討がつきませんでした。
なので、持ち帰って調べてみようと思い、手を伸ばしました。次の瞬間、
「そいつに触るな!」
と遠くから怒号が飛んできました。
振り返ると、見知らぬおじさんが鬼のような形相で、こちらに向かって走って来ていました。
私はびっくりし、その場から逃げ出しました。時間を空けて戻りましたが、例の青色の塊は消えていました。その後も何度か浜辺へ足を運んでいますが、あの塊は見つけられていません。
きっと、あのおじさんが持ち去ったに違いありません。私に奪われまいと焦り、怒っていたのでしょう。そう納得出来てしまうほど、あの塊は美しかったのです。
以来、私の頭は青色い塊のことでいっぱいになってしまいました。あれの正体が気になって気になって、夜もまともに眠れません。
まぶたを閉じれば、目の前があの青一色に染まります。一ヶ月経っても忘れられず、ついにはインクまで作ってしまいました。
あの見た目から"乙姫の心臓"と勝手に呼んでいますが、商品として売る以上は本当の名前も知っておきたいです。
「インク、売っちゃうんですか?」
「もちろん」
女性は当然のように頷いた。
「あの青い塊の名前を知っている人が、このインクを見て教えてくれるかもしれませんから。お姉さんに"このインクが何に見えるか?"と尋ねたのは、そういう訳があったからなのです。在庫の方はご心配なく! 暇を見つけては作っていたので、山のようにございますよ! ラベル貼りはこれからですが」
「文具メーカーの方なんですか?」
「自主制作です。オリジナルのインクや文具を作って、ネットとか地域のイベントなどで委託販売しています。洋燈商店街のオータムフェスでも何度か卸したことがありますよ」
「へぇ、どんな商品を売られていたんですか?」
オータムフェスと聞き、由良は興味を惹かれた。ひと通りの店は見ているので、どこかで女性が作った商品を見かけたことがあるかもしれない。
女性は「えーっと」と眉間にシワを寄せ、今まで作った商品を挙げていった。
「桜の小枝ペンでしょ、ひまわり畑のポストイットでしょ、ススキの羽ペンでしょ、朝焼けのダイヤモンドダストのインクでしょ……そうそう、この小瓶も私が作ったんですよ。浅瀬の水差しって言うんですけど、乙姫の心臓を見つけた浜辺で拾った貝殻とシーグラスを再利用したんです」
「シーグラス?」
「波にもまれて、角が丸くなったガラス片のことです。色つきの小石みたいで綺麗でしょう?」
それから、と最後に女性は由良も知っている商品の名前を口にした。
「一番売れた商品だと秋色インクですかね。オータムフェスでも三年前から売ってもらってますよ。私もお気に入りで、秋になるとよくスケッチに使っています。在庫がないので、私が使うのは不良品ですが」
「……え」
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