心の落とし物

緋色刹那

文字の大きさ
288 / 314
最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』

ある男の日記②

しおりを挟む
 由良は祖父の日記を開いた。



 1985年 7月××日
 美麗が入院した。過労で倒れたらしい。
 私は妻の美緑と見舞いに行った。美麗とは友人で、仕事でもプライベートでも世話になっている。名前が似ている縁から、美緑も彼女とは親しかった。
 美麗が好きな黄色と橙色の薔薇の花と、懐虫電燈でも出しているメロンゼリーを差し入れた。さすがにベラドンナは連れては行けず、店の留守番を任せた。
 美麗は顔色こそ悪かったものの、思いのほか元気だった。ベッドから起き上がり、お気に入りの日本画家の画集を眺めていた。息子の秀麗君が届けてくれたらしい。
 ところどころページが破れ、テープで雑に補修してある。破ったのは幼い頃の秀麗君、直したのは美麗だ。画集をおもちゃ代わりにして破ってしまい、美麗が自力で直したのだ。自分にもそんな時代があったと、秀麗君は知るよしもない。
「蛍太郎、私はこの病院に本を寄贈しようと思う。ここの図書室にはろくな本がない。秀麗がこれを届けてくれなければ、退屈で死ぬところだった」
 美麗は個室なのをいいことに、堂々と嘆いていた。テーブルには画集の他に、仕事で使う書類も置いてあった。画集といっしょに、秀麗君が持ってきたそうだ。
 彼は美麗漆器の役員だった。今回の見舞いも、美麗の「息子」としてではなく、美麗の「部下」として、上司の様子を見に来たのだろう。会話の内容も、仕事のことばかりだった。
 「退屈で死ぬところだった」と言う美麗に、私達は「死ぬなんて縁起でもない」と慌てた。
 当の美麗は、
「冗談を真に受けるんじゃない。会社と秀麗を残して死ねるもんか」
 と、笑っていた。



 1985年 10月××日
 美麗が……器楽堂社長が亡くなった。
 原因は三ヶ月に倒れたときと同じく、過労だ。どうやら入院していた間に溜まった仕事を消化しようと、周りの目を欺き、徹夜で働いていたらしい。発見されたときも、デスクに突っ伏し、眠るように意識を失っていたそうだ。
 告別式は昨日だったが、とても日記を書く気にはなれなかった。美緑も、すっかり塞ぎ込んでしまっている。美麗を知る誰もが、彼女の死を受け入れきれず、悲しみに暮れているはずだ。
 いくらなんでも、早すぎる。病室で「会社と秀麗を残して死ねるもんか」と意気込んでいたのは、嘘だったのか? 知りたくとも、本人はもういない。美麗の〈探し人〉か〈分け御霊〉でも見つかれば別だが、彼女はこの世に未練を残すタイプではない。
 美麗漆器は秀麗君が継いだ。会社を大幅に改革し、黒字経営を目指すつもりらしい。何を企んでいるかは知らないが、なんだか嫌な予感がする。
 明日から店を開けようと思う。美緑はしばらく休むだろう。



 1986年 8月××日
 美緑が「〈未練溜まり〉へ行く」と言って出て行ったきり、帰ってこない。無駄だろうが、今日中に帰ってこなければ、警察に捜索願いを出しに行くつもりだ。
 美麗が亡くなって、じきに一年。あれから、いろんなものが失われた。
 路面電車の廃線工事が始まり、大通りから線路が消えた。蚤の市は「オータムフェス」と名を変え、毎年秋にだけ開催するようになった。その開催地である商店街も、駅前の再開発に伴い、店が相次いで移転しつつある。
 秀麗が社長になってから、美麗漆器も変わってしまった。彼は赤字だった経営を黒字にするため、美麗が今まで大事にしてきた「こだわり」を全て捨てた。
 職人を大勢解雇し、工場で大量生産する方針に変えてしまったのだ。デザインも唯一の個性をもつ一点ものではなく、万人受けするありふれたデザインを採用するようになった。方針に従わない社員は、皆辞めていった。
 おかげで、美麗漆器の経営は黒字に回復した。だが、かつて多くの人々に愛された「美麗漆器」は失われてしまった。蚤の市ではまだ見かけるが、それもいつまで続くかは分からない。
 そして……ベラドンナ。あの猫が、美緑の最後の心のよりどころだった。ベラドンナも、自分が美緑にとってどんな存在か分かっていたはずだ。
 なのに、ベラドンナはある夜を境に、姿をくらました。ベラドンナを最後に見た美緑によれば、「商店街が黄緑色に染まって、路面電車がやってきた」「ベラドンナはその路面電車に乗って、どこかへ行ってしまった」らしい。
 商店街に路面電車は走っていない。何かの見間違いだと思っていたが、たまたま店に来た〈探し人〉が「あの電車は〈未練溜まり〉へ通じている」と話していたそうだ。
 その〈探し人〉は、路面電車の乗り方も知っていた。
「洋燈商店街の明かりが黄緑色に変わったら、〈未練溜まり〉行きの路面電車が来る。あとは電車が止まるまで、その場で手を挙げて待っていればいい」
 と。
 いなくなる直前、美緑は泣きながら言った。
「私はもうこれ以上、何かを失うことに耐えられない。貴方や子供達、懐虫電燈や洋燈商店街まで失ってしまったら、今度こそどうにかなってしまう」
 私は薄々、彼女が〈未練溜まり〉へ行ってしまうと気づいていた。だが、あんな彼女を見て、引き留められるはずがない。
 〈未練溜まり〉は〈心の落とし物〉の終着点だときく。この目で実際に見たことはないが、そこに美緑が失った思い出が集まっているのなら、今頃幸せに生きているのかもしれない。
 私は共に行くわけにはいかない。いつか美緑が帰ってくるまで、懐虫電燈を守らなくては。



 由良は祖父の日記を閉じた。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

余命僅かな大富豪を看取って、円満に未亡人になるはずでした

ぜんだ 夕里
恋愛
傾きかけた家を救うため、私が結んだのはあまりにも不謹慎な契約――余命いくばくもない大富豪の辺境伯様と結婚し、彼の最期を穏やかに看取ることで莫大な遺産を相続する、というものだった。 しかし、人の死を利用して富を得るなど不正義! そう考えた私が立てたのは、前代未聞の計画。 「そうだ、遺産が残らないくらい贅沢の限りを尽くしてもらえば、すべて丸く収まるじゃない!」

うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)
恋愛
まだ十歳で結婚したセシリア。 すぐに戦場へ行ってしまった夫のニールスは優しい人だった。 戦場から帰るまでは。 三年ぶりにあったニールスは、なぜかセシリアを遠ざける。 ニールスの素っ気ない態度に傷つき疲弊していくセシリアは謂れのない酷い噂に追い詰められて行く。

スキルハンター~ぼっち&ひきこもり生活を配信し続けたら、【開眼】してスキルの覚え方を習得しちゃった件~

名無し
ファンタジー
 主人公の時田カケルは、いつも同じダンジョンに一人でこもっていたため、《ひきこうもりハンター》と呼ばれていた。そんなカケルが動画の配信をしても当たり前のように登録者はほとんど集まらなかったが、彼は現状が楽だからと引きこもり続けていた。そんなある日、唯一見に来てくれていた視聴者がいなくなり、とうとう無の境地に達したカケル。そこで【開眼】という、スキルの覚え方がわかるというスキルを習得し、人生を大きく変えていくことになるのだった……。

✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

あなたへの愛を捨てた日

柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。 しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。 レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。 「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」 エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。

虐殺者の称号を持つ戦士が元公爵令嬢に雇われました

オオノギ
ファンタジー
【虐殺者《スレイヤー》】の汚名を着せられた王国戦士エリクと、 【才姫《プリンセス》】と帝国内で謳われる公爵令嬢アリア。 互いに理由は違いながらも国から追われた先で出会い、 戦士エリクはアリアの護衛として雇われる事となった。 そして安寧の地を求めて二人で旅を繰り広げる。 暴走気味の前向き美少女アリアに振り回される戦士エリクと、 不器用で愚直なエリクに呆れながらも付き合う元公爵令嬢アリア。 凸凹コンビが織り成し紡ぐ異世界を巡るファンタジー作品です。

処理中です...