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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
第八話「ワスレナ診療所」⑷
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由良とナナコが待合室へ戻ってくると、看護師は安堵した様子を見せた。
「おかえりなさい。ずいぶん戻ってこないので、心配していたんですよ。崩落に巻き込まれたんじゃないかって」
「平気です。病室は廃墟みたいになっちゃいましたけど」
「では、封鎖しておかないといけませんね」
看護師は掃除へ向かおうとしていたおばさんを呼び止め、夏彦の病室のことを伝えた。
一方、由良は別の心配をしていた。
「ワスレナ診療所って、夏彦さんしか入院していなかったんですよね。ってことは、ここもじきに崩落するんじゃないですか?」
「通院患者さんがいるので、しばらくは大丈夫ですよ。患者さんがひとりもいなくなったとしても、ワスレナ診療所を求める〈探し人〉がひとりでもいれば存在し続けられます。もっとも、どの患者様の主人もご高齢ですから、近いうちに崩落するのは確かですが」
「貴方はワスレナ診療所で働いていたんですか?」
看護師は「いいえ」と否定した。
「私が勤めているのは未練病院群です。ここでは病院ごとにスタッフが配属され、その病院が崩落するまで勤めることになっています」
「縁もゆかりもない病院のために、ですか?」
「私にとっては、その方が都合が良かったのです。私の〈心の落とし物〉は『患者さんひとりひとりに向き合える看護師になりたい』という夢でした。本物の私はその夢を叶えるために看護師になりましたが、看護師どうしのいじめに巻き込まれたり、患者とのコミュニケーションに悩んだりと、理想と現実のギャップに苦しめられました。やがて本物の私は夢を諦め、悶々とした気持ちを抱えたまま仕事を続けると決めたのです」
「……」
「だから、私だけは彼女の夢を叶えなくちゃならないんです。彼女の叶わなかった想いから生み出された、〈探し人〉である私だけは諦めてはいけないんです」
看護師は強い意志のこもった眼差しで、語る。彼女のように強い想いを持った〈探し人〉がいるからこそ、電車が患者で満員になるのかもしれない。
「病院群の社風はどうですか?」
「素晴らしい職場ですよ。私と似た境遇の同僚が多いので、話や価値観が合いますし。腕は確かだけど、人間関係がうまく行かなくて辞めさせられた人の〈探し人〉も多いので、かえって優秀な人材が集まりやすいみたいですよ。ですから、こんなうさんくさい病院でまともな治療が受けられるのかって、不安にならないでくださいね?」
看護師は自嘲気味に笑う。
「ご自分で言っちゃうんですね……」
と、由良とナナコも呆れて笑った。
「実際、受付をしている友人が言われたそうなんです。いつもどおり、笑顔で『当院には優秀なスタッフが揃っておりますから』と答えたみたいですけど」
看護師の友人というのは、由良に病院群の地図を渡した受付の女性のことだろう。二度会ったが、二度とも満面の笑みを浮かべていた。
「その方から病院群の地図をいただきました。あの方が常に笑顔なのも、何か意味があるのでしょうか?」
「彼女の主人も病院の受付をしていたんです。『患者さんを安心させたいから』と、常に笑顔を絶やさずにいたのですが、ある時、ご家族を病気で亡くされた人にも笑顔を向けてしまい、かえって苦しませてしまったそうです。以来、彼女の主人はそのことを悔やみ、〈探し人〉である彼女といっしょに、感情も捨ててしまいました。ですから、どんなにそぐわない反応でも、彼女を責めないであげてください」
由良とナナコはエレベーターで一階まで降り、未練病院群を後にした。
「お大事に」
と、受付の女性が満面の笑みで、由良とナナコを見送る。二人も「ありがとうございました」と笑顔で礼を言った。
無人の停留所に着くと、ナナコは寂しげに目を伏せた。
「これで本当にお別れなんですね」
ナナコは本物の夏彦を看取るため、未練街を出ると決めていた。
商店街へ向かう電車は、由良が乗る電車とは路線が違う。夏彦達を見送ったことで記憶を取り戻し、もはや由良が付き添う必要もない。現実で再会できる可能性は極めて低くく、これが最後の別れになるのは確実だった。
涙ぐむナナコに、由良は残りのキーライムを渡した。
「もういらないかもしれませんが、お土産に持って行ってください」
「ありがとうございます。電車の中で食べます」
ナナコはキーライムをジッと見つめ、つぶやいた。
「私……どうしてキーライムを食べると記憶が戻るのか、ずっと不思議でした」
「ライムライトで長く過ごしていたからではないんですか?」
「それでは納得がいかないくらい、懐かしい気持ちになったんです。でも、夏彦さんの記憶といっしょに思い出しました。夏彦さんはよく、実家から送られてきたすだちを食べていたんです。同封された手紙には、『なかなかお見舞いには行けないけど、これを食べて元気を出して』とありました。私と夏彦さんにとって、思い出の香りだったんです」
ナナコは受け取ったキーライムのうち、ひと玉を由良に返した。
「添野さん、これから魔女様のところへ行かれるんですよね?」
「えぇ、まぁ」
「から手じゃまずいですよ。添野さんこそ、お土産に持って行ってください」
「あ、ありがとうございます」
由良は渡したばかりのキーライムを受け取った。
「どうかお元気で」
「はい。ナナコさんも」
そんな二人の様子を、渡来屋は未練病院群の陰から黙って見つめていた。
(第九話へ続く)
「おかえりなさい。ずいぶん戻ってこないので、心配していたんですよ。崩落に巻き込まれたんじゃないかって」
「平気です。病室は廃墟みたいになっちゃいましたけど」
「では、封鎖しておかないといけませんね」
看護師は掃除へ向かおうとしていたおばさんを呼び止め、夏彦の病室のことを伝えた。
一方、由良は別の心配をしていた。
「ワスレナ診療所って、夏彦さんしか入院していなかったんですよね。ってことは、ここもじきに崩落するんじゃないですか?」
「通院患者さんがいるので、しばらくは大丈夫ですよ。患者さんがひとりもいなくなったとしても、ワスレナ診療所を求める〈探し人〉がひとりでもいれば存在し続けられます。もっとも、どの患者様の主人もご高齢ですから、近いうちに崩落するのは確かですが」
「貴方はワスレナ診療所で働いていたんですか?」
看護師は「いいえ」と否定した。
「私が勤めているのは未練病院群です。ここでは病院ごとにスタッフが配属され、その病院が崩落するまで勤めることになっています」
「縁もゆかりもない病院のために、ですか?」
「私にとっては、その方が都合が良かったのです。私の〈心の落とし物〉は『患者さんひとりひとりに向き合える看護師になりたい』という夢でした。本物の私はその夢を叶えるために看護師になりましたが、看護師どうしのいじめに巻き込まれたり、患者とのコミュニケーションに悩んだりと、理想と現実のギャップに苦しめられました。やがて本物の私は夢を諦め、悶々とした気持ちを抱えたまま仕事を続けると決めたのです」
「……」
「だから、私だけは彼女の夢を叶えなくちゃならないんです。彼女の叶わなかった想いから生み出された、〈探し人〉である私だけは諦めてはいけないんです」
看護師は強い意志のこもった眼差しで、語る。彼女のように強い想いを持った〈探し人〉がいるからこそ、電車が患者で満員になるのかもしれない。
「病院群の社風はどうですか?」
「素晴らしい職場ですよ。私と似た境遇の同僚が多いので、話や価値観が合いますし。腕は確かだけど、人間関係がうまく行かなくて辞めさせられた人の〈探し人〉も多いので、かえって優秀な人材が集まりやすいみたいですよ。ですから、こんなうさんくさい病院でまともな治療が受けられるのかって、不安にならないでくださいね?」
看護師は自嘲気味に笑う。
「ご自分で言っちゃうんですね……」
と、由良とナナコも呆れて笑った。
「実際、受付をしている友人が言われたそうなんです。いつもどおり、笑顔で『当院には優秀なスタッフが揃っておりますから』と答えたみたいですけど」
看護師の友人というのは、由良に病院群の地図を渡した受付の女性のことだろう。二度会ったが、二度とも満面の笑みを浮かべていた。
「その方から病院群の地図をいただきました。あの方が常に笑顔なのも、何か意味があるのでしょうか?」
「彼女の主人も病院の受付をしていたんです。『患者さんを安心させたいから』と、常に笑顔を絶やさずにいたのですが、ある時、ご家族を病気で亡くされた人にも笑顔を向けてしまい、かえって苦しませてしまったそうです。以来、彼女の主人はそのことを悔やみ、〈探し人〉である彼女といっしょに、感情も捨ててしまいました。ですから、どんなにそぐわない反応でも、彼女を責めないであげてください」
由良とナナコはエレベーターで一階まで降り、未練病院群を後にした。
「お大事に」
と、受付の女性が満面の笑みで、由良とナナコを見送る。二人も「ありがとうございました」と笑顔で礼を言った。
無人の停留所に着くと、ナナコは寂しげに目を伏せた。
「これで本当にお別れなんですね」
ナナコは本物の夏彦を看取るため、未練街を出ると決めていた。
商店街へ向かう電車は、由良が乗る電車とは路線が違う。夏彦達を見送ったことで記憶を取り戻し、もはや由良が付き添う必要もない。現実で再会できる可能性は極めて低くく、これが最後の別れになるのは確実だった。
涙ぐむナナコに、由良は残りのキーライムを渡した。
「もういらないかもしれませんが、お土産に持って行ってください」
「ありがとうございます。電車の中で食べます」
ナナコはキーライムをジッと見つめ、つぶやいた。
「私……どうしてキーライムを食べると記憶が戻るのか、ずっと不思議でした」
「ライムライトで長く過ごしていたからではないんですか?」
「それでは納得がいかないくらい、懐かしい気持ちになったんです。でも、夏彦さんの記憶といっしょに思い出しました。夏彦さんはよく、実家から送られてきたすだちを食べていたんです。同封された手紙には、『なかなかお見舞いには行けないけど、これを食べて元気を出して』とありました。私と夏彦さんにとって、思い出の香りだったんです」
ナナコは受け取ったキーライムのうち、ひと玉を由良に返した。
「添野さん、これから魔女様のところへ行かれるんですよね?」
「えぇ、まぁ」
「から手じゃまずいですよ。添野さんこそ、お土産に持って行ってください」
「あ、ありがとうございます」
由良は渡したばかりのキーライムを受け取った。
「どうかお元気で」
「はい。ナナコさんも」
そんな二人の様子を、渡来屋は未練病院群の陰から黙って見つめていた。
(第九話へ続く)
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