Evil Revenger 復讐の女魔導士 ─兄妹はすれ違い、憎み合い、やがて殺し合う─

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兄妹

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   兄妹

 子供の頃の兄との想い出。
 それはまだ兄も幼く、私達の関係が歪んでしまう前の話。
 私は森の中を泣きながら走った。
 家の扉を開けて、テーブルの前に腰かけている母の姿を見つけると、しがみ付いて泣きつく。

「あらあら、どうしたの?」

 母は心配そうに私に尋ねる。
 兄さんがぶったよう、と私は泣き喚く。
 そこに足音とともに追いかけてきた兄が、扉の前に姿を現した。

「ヴィレント! なんでそんなことしたの?」

 母に問い詰められて、兄は罰の悪そうな顔をして視線をそらした。

「だってチェントが、母さんに買ってもらった人形を壊したから……」

 兄の右手には、腕の取れた騎士の人形が握られていた。
 街に出た時に、母に買ってもらった木の人形、玩具である。

「チェント、兄さんにはちゃんと謝ったの?」

 母に聞かれて、私は首を横に振った。

「駄目じゃないの。悪いことをしたら、謝りなさい」

 叱りながら、しかし母の声は優しい。
 だってぇ……、と言い訳する私。

「ヴィレントも、妹を叩いちゃ駄目でしょう? あなたもちゃんと謝りなさい」

 兄は不服そうに目を逸らしながら黙っていたが、母にじっと見つめられてやがて、ごめんなさい母さん、と小声で謝った。

「私に謝っても仕方ないでしょう。ほら!」

 なおも目を逸らしたままの兄を、こっちにいらっしゃい、と母は手招きした。
 兄が寄ってくると、母は私達を正面から向き合わせる。

「ほら、相手の目を見て謝るの」

 兄は罰の悪そうな顔をして、私を見ていた。
 それでも兄はしばらく黙っていたが、母に促され、

「……チェント、ごめん」

 俯きながら、上目遣いでそう謝った。
 兄さん、私も……ごめんなさい、とつられて私も返していた。
 母の手が私達2人の頭を撫でる。

「よしよし。私がいなくても、こうやってちゃんと謝って仲直りするのよ?」

 母にそう言われて私は、はい、と返事し、兄は黙って頷いた。

「母さんとの約束だからね」

 言って、母は私達を抱きしめた。
 母がいなくても、謝って仲直りする、とあの日約束した私達。
 でも、結局その約束は2人とも守れないでいたことになる。



 今の私が1人で兄と戦って勝ち目があるか?
 冷静に分析すれば、勝ち目はほぼないというのが結論になるだろう。
 ネモの助けを借りて挑んだあの戦い。途中まで肉薄したと見せかけて、終わってみればかすり傷1つ負わせられなかったというのが、実際の結果だった。
 それでもまだ戦いに挑むのは、私の中に生きている理由、生きることへの執着が殆ど残っていないからだった。
 だが、死ぬのがまったく怖くないと言えば嘘になる。
 復讐に我を忘れて戦いに挑めれば、その方が気持ちは楽だったのかもしれない。
 これは最後の抵抗。命がけで戦い、せめて傷1つ刻むことができればそれでいい。もうこの世に未練などない。
 そして、もし万が一でも兄の命を刈り取るチャンスがあるのなら、その時は容赦なく道連れにしてやるつもりだった。
 やれるだけやってみせる。私を鍛えてくれたネモのためにも。
 その気持ちが、私を突き動かしていた。



 戦場で兄と対峙した私は1本の魔力剣を構え、慎重に間合いを測った。
 距離をとって対峙していても、その殺気がビリビリと伝わってくるようだった。

「チェント、もうお前に用はない。今すぐ降参するなら見逃してやる」

 先に斬りつけておきながら、この言い草。以前に2対1で勝利したことからくる余裕だろうか?

「私を無視してどこへ行くつもりなの?」
「魔王を殺す。それ以外に目的などない」

 だから早く道をあけろ、と言いたげだった。兄は何かに取り付かれたように、血走った眼をしていた。
 以前のような冷静で鋭い眼光とは明らかに違う。兄がこうなる理由には心当たりがあった。

「いいのかな? 兄さんの大切な人を殺した相手を野放しにしても」

 私の言葉に、兄は目を見開いた。

「お前がシルフィを殺ったのか……!?」

 兄は完全に初めて知ったという顔をしていた。スキルドから聞かなかったのだろうか?
 あの後でシルフィの死体を見たであろうスキルドが、犯人と私を結び付けられないわけがない。
 スキルドは言わなかったのね……。
 彼は何なのだろう? 実の妹を殺されてなお、私を庇った? 彼はどこまで甘い人なのだろうか。
 いや、今まさに兄妹で殺し合っている私が、兄妹を殺された気持ちを語るほうがよっぽどおかしい。私はそれ以上考えないようにした。

「シルフィは私が殺したの。弱くて、脆くて、あっけなかった」

 兄の目を見ながら、私はその時の様子を語った。
 兄の驚きの表情がみるみる怒りへと変わっていく。

「少し腕を斬られただけでぎゃあぎゃあ喚くから、次に左足を刺したの。そしたら悲鳴を上げてのた打ち回って。可哀想に、兄さんが近くにいれば死なずに済んだかもしれないのにね」

 次の瞬間、寒気を覚えるような殺気と共に、神速の斬撃が私のいた場所を襲った。
 私は大きく後ろに飛びのく。兄の剛剣が地面に叩きつけられて、土煙を巻き上げた。
 僅かに冷汗が流れたが、私は挑発をやめなかった。

「怒ったの? 兄さんが悪いんだよ。前の戦いの時に私を殺しておけば、シルフィは死なずに済んだのに」

 兄は激しい雄叫びを上げた。さらに2度、3度と激しい斬撃が襲い掛かる。私はそのたびに大きく後退した。こんな攻撃を相手の間合いの内側で避けていては身がもたない。
 だが、これで兄は魔王より先に私を片付ける気になってくれたようだった。
 ……行くよ!
 覚悟を決めて、この戦いで初めて私の方から前に出た。右手に1本の魔力剣を握りしめて。
 横に2度薙ぎ払い、3度突いた。兄はそれを的確にかわす。激昂したように見えても、見切りの鋭さは全く衰えない。
 しかも、以前の戦いで剣が壊されたことがあったためか、今度はこちらの攻撃を1度も受けも払いもしない。体を逸らすだけで、全て完全にかわし切っている。
 そして、脇をすり抜けるようにして懐に入ってきた兄の会心の斬り上げがこちらを襲う。これは避けられない。
 しかし──
 ガチンッ、という金属音がして、絶対に決まるはずだったタイミングの一撃は、私の背中から滑りこむようにして現れた赤い盾によって阻まれた。

「!!」

 ネモが残してくれた浮遊石の盾、最後の1枚である。
 たった1枚だが、1枚であることが私1人での制御をギリギリ可能にしていた。
 左掌に魔力を込め、盾制御に回す。そのため、剣は1本しか使えない。
 その上、戦いながらともなれば、今の私では例え盾1枚でもネモほどの制御精度は望めない。それでも、盾無しで挑むよりは遥かに希望があった。
 なにより、以前は3枚に分散していた盾強化の魔力を1枚に集中している。3倍の魔力を込めれば堅さも3倍になる……というほど単純なものではなかったが、それでも強度は遥かに増しているのは間違いない。
 むしろ、兄との1対1の戦いにおいては、防ぐ攻撃は1つでいいはずだった。これなら以前のように簡単には壊されない。

「また、こいつか!」

 兄は斬撃を上方向に受け流され、胴体ががら空きになっていた。
 すかさず、私は踏み込んで突く。だがやはり当たらない。
 なんて反応……!
 頭を狙えば首を傾けるだけでかわし、胴体を狙っても最小限の動作だけで全て避ける。
 切り札としての盾をわざわざ背中側に隠して挑んだというのに、攻撃を不意に防がれても何の動揺も誘えていない。あるいは動揺してもなお、かわしきれるだけの余裕があるということか?
 なんというしたたかさ。
 以前の戦いの時には、届かない強さではないなどと感じていたが、もうそれはまるで勘違いだったというほかない。
 それでも諦めない!
 私は右手の剣を下げ、左掌を前に突き出して進んだ。
 完全に無防備な体勢。兄の攻撃が私に向かって容赦なく繰り出される。
 しかし、そのことごとくを赤い盾が完全に弾き返す。私はあえて避けることをせず、攻撃もやめて、全神経を盾の制御に集中させた。
 そして、そのまま前に出る。

「どうしたの兄さん? 剣が届いてないよ?」

 兄は攻撃を弾かれるたびに後ろに押し返された。その度に私はさらに前に出る。

「ちっ……」

 兄の表情に、僅かに動揺が見えた。こちらの意図を図りかねているようだ。
 攻撃を繰り出していない私の方が、兄を後退させている。それは不思議な光景だった。
 やがて私は、兄の攻撃が弾かれた隙をついて、体が密着するほどに接近してから剣を繰り出した。この距離からなら、こちらの刃は完全に死角となるはずである。
 この攻撃ならばっ!
 だがやはり、赤色の剣閃は空を斬ってしまった。体を一瞬で腰ほどの高さまで低く屈めて、横斬りをかわす。兄の反応が、感覚がどうなっているのか、もう理解を越えていた。
 それでも、まだこれは予想の範囲内。さらに踏み込んで、ありったけの斬撃を浴びせかける。今までよりも遥かに近い間合いで繰り出される連撃に、兄の回避動作も大きくなる。やはり当たらない。掠りもしない。
 くそっ……なんで……!
 そして何故か反撃も来ないまま、兄は距離を離した。
 私の方は肩で息をしていた。

「……お前、死ぬ気か?」

 先程まで血走った眼で激昂していた兄は、冷静な声に戻っていた。まるで自分を見ているようだった。自暴自棄になって飛び出しても、戦いでいざ命の危険が迫ると冷静になってしまう今の私自身を。

「気付いてたの? 兄さん」

 今の異様に踏み込んだ斬撃は、わざと隙を作っていた。兄が反撃しやすいように。そして、そこに合わせて避けようのないカウンターを叩き込めるように。
 完全な相打ち狙い。私が狙ったそれを、兄は見抜いていたようだった。だから、反撃もなく仕切りなおした。

「怒ったフリをしても実は冷静なんだね。シルフィが死んだことも本当は、どうでもいいんじゃないの?」

 私の挑発に兄の表情が再び歪む。だが、今度はすぐに斬りつけては来なかった。

「あいつが死んだのは……俺のせいだ。俺が母さんとの約束を守れなかったから、あいつが死んだんだ。
 ……俺があいつを巻き込んだ」

 兄は最後には顔を伏せて、そんなことを言いだした。
 母との約束。スキルドが言っていたことだろう。母に私を守ると約束して、それを守れなかった。

「ふぅん。よくわかってるじゃない、兄さん。じゃ、責任を取って早く死んでくれない? 私に殺されてくれない?」

 言いながら、私は攻撃を打ち込んだ。全力を込めた一撃。本気で殺すつもりで振るう。
 だが、ガキン、と激しい音を立てて、私の赤い剣は兄の振るう剣に弾かれた。今回の戦いで初めて兄は、私の剣を自分の剣で受けたのだ。
 兄の方は踏み込むことなくその場で剣を振るっただけだが、そのただならぬ気迫を感じて私は後退した。

「……まだ俺は死ぬわけにはいかない! 俺の人生を滅茶苦茶にしたあいつを……魔王を殺すまでは!」

 言いながら兄は、ゆらり、と剣を構えなおした。

「俺は魔王を殺す。だから……だから邪魔をしないでくれ、母さん!!」
「!?」

 兄が一気に踏み込んできた。動揺する私に構わず、何度も剣を叩きつける。
 私は後退しながら必死に、赤い剣で、盾で、それらを受けた。
 母さん……?
 私を通して兄が見ているのは、その行いを咎める母の姿だというのか?

──あいつは、お前を見るたびに母親の幻影が重なるようになってしまったんだ──

 スキルドの言葉を思い出す。
 攻め続けているはずの兄の表情には、急に余裕がなくなっていた。剣が折れる危険も考えず、私の赤い剣に力いっぱい斬撃を叩きつけてくる。
 しかし、今度は攻撃の苛烈さが半端ではない。私は剣を下げ、盾の制御に集中した。
 兄の全ての攻撃を弾き返す。3倍の魔力を込めた盾は壊れない。だが、その激しい打ち込みに何度も火花が散った。

「シルフィは……あいつは俺を受け止めてくれたんだ! 俺に寄り添うと言ってくれたんだ! ……なのになんで、どうして、母さんはそんなものまで奪うんだよ!!」

 剣をぶつけながら、兄は叫んでいた。初めて聞く兄の生の感情だった。
 その悲痛の叫びはどこまでも痛々しい。
 私が制御する盾は、連撃を尽く弾き受け流していたが、やがてこちらにも疲労がたまってくる。
 兄の方は、まるで攻撃の勢いが衰える様子はない。
 ……まずい!

「おおおぉぉぉぉぉーっ!!」

 兄の全霊を込めた斬り上げは、受け流しを誤った盾を引っ掛けたまま、私の鳩尾を直撃した。

「がふっ……!?」

 鈍器となった盾が私の下腹にめり込む。盾は壊れない。私は数メートル仰け反り、膝をついた。
 息が詰まる。

「……っ!? は……げほっ……」

 地面に手をついて、何度もせき込む。うまく息ができない。
 苦しくて立ち上がれない。兄が荒い息遣いで、ゆっくりと寄ってくるのがわかった。
 ごめんなさい、ネモ。私やっぱり勝てなかった……。
 駄目だった。相打ちすらさせてもらえない。自分の不甲斐なさに涙が溢れた。
 泣き顔のまま見上げると、ゆっくりと剣を振り上げている兄のシルエットがあった。
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 この涙は恐怖の涙か、それとも……?
 振り下ろされる剣を直前まで見届け、私は目を閉じた。直後に訪れるであろう、意識の消滅を待ちながら。
 首筋に痛みが走った。だが少しチクリとしただけで、それ以上の痛みはない。首を撥ねられるというのは、こうもすぐに楽になれるものなのかと思った。
 …………。
 いや、おかしい……。
 意識があまりにもはっきりしている。体もまだ疲労を訴えてくる。戦場で戦う兵士達の怒号と悲鳴が、まだ私がこの世にいることを自覚させる。首筋の痛みも継続して、はっきりと主張してくる。私はゆっくりと目を開けた。

「!?」

 兄が剣を振り下ろした姿勢のまま固まっていた。剣は私の首の側面に僅かに食い込み、だがそこで止まっていた。
 血が首を伝う。私はその姿勢のまま動けなかった。
 兄の手が震えている。剣をあと数センチ押し込めば、私の意識は途切れるはずだ。だが兄の剣はそれ以上動かない。
 どうして……?
 その剣はそれ以上押し込まれることはなく、やがてそれは兄の手を滑り落ち、重力に引かれて地面に落ちた。
 私が兄の顔を見上げると、

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ────っ!!」

 兄は右手で片目を抑え叫んだ。ゆっくりと後退りながら。私は呆然とその姿を見送るだけだった。

「なんで……なんで邪魔をするんだよ母さん。なんでそんな目で俺を見るんだよ!? やめてくれよ」

 兄は泣きそうな声で、呻いていた。

「……仕方なかったんだよ。俺だって生きるために……毎日必死だったんだ! 仕方ないだろ! これ以上俺を追い詰めないでくれよ……母さん!!」

 剣を落とし、眼を抑えて子供のように泣き叫ぶ兄。
 兄さん……。
 私は初めて兄を憐れんだ。

──ヴィレントはな、あいつはあいつで……気の毒なやつなんだよ──

 スキルドはそう言っていた。
 そうなのかもしれない。兄は、この人は……。
 私は右手を伸ばし、ゆっくりと兄に歩み寄った。

「来るなぁぁぁっ!!!」

 兄が裏返った声で叫び、左手を振り回して私を拒絶した。私の足が止まる。

「なんでだよ、チェント。どうしてお前は……どんどん母さんに似てくる。母さんと同じ目で、同じ顔で、俺を責めるんだ!!」

 自覚したこともなかった。
 兄の見ていた母の幻影は、幻影だったものは、時と共にどんどん幻影ではないものに近づいていたのだ。
 私の容姿が母に近づくにつれて、私の拒絶は母からの拒絶に、私の怒りは母からの怒りに、私の泣き顔は母の泣き顔に見えていたのだろう。兄の中で、大好きだったはずの母の姿に。
 だから、何度もチャンスはあったはずなのに、私を斬れなかったのだ。
 強かった、恐ろしかった兄の姿が、まったく別の生き物に見えた。
 何かの間違いで人生が狂ってしまった、とても可哀想な、ただの青年に。
 私は赤い剣を──兄の苦しみを終わらせる2本の剣を呼び出した。
 狙ったのは兄の首。もっとも苦しむことなく逝ける場所。
 だが、もがき苦しんでいたはずの兄は、その攻撃をも寸前で伏せてかわし、脇をすり抜けて再び落ちていた剣を拾っていた。
 兄は振り返り、右手で剣を構えている。頭を左手で抑えて、苦しそうな表情はそのままだった。
 どうして、そんなになってまで戦うの? 兄さん。
 大好きだった母は死んだ。寄り添って生きるはずのシルフィは私が殺してしまった。
 この人は何に縋って戦いを続けるのか?
 同じなのかもしれない。大切な人を──ネモを失って、自暴自棄のまま兄を討とうとした私と、変わらないのかもしれない。そう思った。
 魔王を殺した先にこの人に救いはあるのだろうか? きっとない。全てを失った兄がただ1人残されるだけだ。
 それでも兄は、苦痛に歪む表情のまま、肩で息をしながら、剣を構えて私を睨んでいた。

「もういいよ、兄さん。終わりにしよう。私も一緒に逝くから。母さんに謝りに行こう」

 そこには父さんがいる、母さんがいる。きっとネモにも会える。
 だから寂しくはない。
 むしろ、ここでどちらかが倒れるなら、残された方は本当に1人ぼっちになってしまう。
 それはとても寂しい気がした。
 私は剣を振るった。兄は避けた。だが、その動きに以前のような切れはなかった。
 足を縺れさせながら、必死に赤い剣を避ける兄。2撃目は左腕に掠った。
 今まで1度も攻撃を受けなかった兄に初めて傷を刻んだ。だが喜びはない。もう兄も限界なのだろうと思った。
 そのまま攻撃を続ける。私の剣は兄の肩に、足に、次々と傷を作った。
 まだ兄は倒れない。ふらつきながら剣を握っていても、反撃を繰り出す余裕はないようだった。
 もういいでしょう、兄さん。
 次に踏み込んで斬り上げたその一撃は、遂に兄の持っていた鉄の剣を遠くに弾き飛ばした。
 丸腰になった兄は驚いた顔で、飛んでいく剣を目で追っていた。すぐに拾いに行ける距離ではない。
 私達は不幸な兄妹だったね、兄さん。
 私は迷うことなく両手の剣を振り上げ、最後の一撃を──振り下ろした。
 私もすぐ逝くから……少しだけ……少しだけ先に待っていて……。

「チェント……」

 振り下ろしながら聞こえた、兄の最後の言葉に耳を傾ける。

「──すまない」

 何が起こったのか──
 終わったと思った瞬間、斬られていたのは何故か私の方だった。
 兄の手には、懐に忍ばせていたのだろう──短剣が握られていた。
 胸元をバッサリと斬られたのがわかった。鮮血が舞う。
 苦痛に歪んでいたはずの兄の顔には、再び鋭い光が宿っていた。
 なんで……?
 どうして……?
 兄さん、あなたはまだ戦い続けるの? そんなぼろぼろになりながら。
 ゆっくりと、自分の体が倒れていくのがわかった。
 苦しいだけじゃないの? あなたは何を求めて戦うの? 兄さん!
 意識を失う直前に私が見たのは、背を向けて走り去る兄の姿だった。
 そして、私の意識は闇へと消えていった。



 ネモがいた。後ろ姿しか見えないが間違えるはずがない。
 私は、ずっと会いたかったその背を追いかけて、後ろから抱きしめた。

「ネモっ!」

 会いたかった、やっと会えた。
 抱きつき喜ぶ私と対照的に、ネモは何故か戸惑った顔をしていた。
 チェント、何でここにいるんだ? と彼は問いかけてくる。

「会いたかったからに決まってるじゃない」

 もう放さない、ずっと一緒だよ、ネモ。
 だが、彼はやんわりと私の手を解くと、目線を合わせて語った。
 お前はまだここに来ちゃいけない。お前を連れて行くわけにはいかないんだ。
 優しい声でそう語りかける。

「どうして? なんでそんな酷いこと言うの? 私はあなた無しじゃ生きていけないよ」

 泣きそうな私の頭を撫でて、彼は笑顔で言った。
 しっかりしろ、チェント。お前にはまだやることが残っているんだ、と。
 俺はお前に生き方を教えた。もう兄に頼らずとも生きていけるように。だから、頑張れ。お前なら……大丈夫だ!
 彼は私を抱きしめた。そして、後ろを振り向き歩き始めた。

「待って、ネモ!」

 私は彼の背を全力で追った。だが、ゆっくり歩いているだけのはずの彼の背に追いつけない。
 どんどん遠ざかっていく。まだ言いたいことが山ほどあるのに。
 やがて、その背は見えなくなっていく。
 ネモ──!!



 目が覚める。石の天井があった。
 首を動かすと、周囲にいた兵士達の酷く驚いた声が聞こえてきた。
 上半身を起こす。そこで自分が魔王城内の兵士の詰め所に寝かされていたということが分かった。
 私以外にも、何人もの兵士が床に敷かれた布の上に寝かされていた。
 誰が寝ていて、誰が死んでいるのかわからないような状態だった。
 私は……生きてるの?
 私は上半身の服を脱がされ、肌に何重もの包帯が巻き付けてあった。
 包帯の下に、確かにあの時兄に付けられた傷の感触がある。あれは夢などではなかった。

「どうやらお前も死に損なったようだな」

 その声に振り向くと、そこには包帯塗れになったガイアスがいた。
 私以上に満身創痍であちこちに血が滲み、左手には杖をついていたが、声はしっかりしていた。
 ガイアスから話を聞く。私を見つけて運び込んだ兵士の話によると、私の怪我はもういつ死んでもおかしくないような状況だったらしい。
 駄目で元々のつもりで、できる限りの手当てをして寝かせていた。それから数日経った今日、私は奇跡的に目を覚ましたのだった。
 はっきりしていることは、兄はあの後、止めを刺さなかったということだ。この傷で助かったのは偶然かもしれないが、兄は結局最後まで私を殺し切れなかったのだ。

「戦いは……どうなったの?」

 私が倒れたのは開戦直後、意識を失っている間、戦いの行方はどうなったのだろうか?
 ガイアスは、自嘲気味な笑みを浮かべながら答えた。

「魔王軍は……我々は負けた」

 その報告には現実感がなかった。まるで遥か遠くの国の知らせを聞いているかのように、その話に耳を傾けていた。

「俺も目を覚ましてから聞いたことだがな」

 ガイアスは語る。
 私が倒れた後、ガイアスもまた戦場に倒れ、数日生死の狭間を彷徨っていたのだという。生き残った兵士からの報告で、敗北を知ったのだと彼は言った。

「こちらの名立たる将は、全てヴィレントに討たれてしまった。そして……魔王様が討たれた」

 祖父が死んだ。この事実を私は複雑な感情を浮かべて聞いていた。結局、最後まで大したことは話せなかった、多くを語らなかった祖父。だがあの人が私に目をかけてくれていたことは事実なのだ。
 そして、兄はあのぼろぼろの状態から立て直し、祖父を討つまでに至ったという事実は私を驚かせた。

「最後の最後まで、軍勢では我が軍はベスフルを圧倒していた。だがその全てをまともに指揮できる将がいなくなり、降伏せざるをえなくなったのだ」

 せめて俺が最後まで動けていれば、と無念そうにガイアスが言った。

「我々は結局、最後までヴィレント・クローティスを侮っていたということだろう。どれほど高く評価したつもりでも、奴が魔王様より強いはずがないと。だから我が軍が負けるはずがないと、誰もが思っていた」

 最初から奴の強さを正確に捉えていれば、やりようはあったはずだ、と右手を握りしめ悔しそうに、ガイアスは言った。

「明日にはベスフル軍との講和会議が行われる。魔王領は今まで以上に厳しい立場に立たされるだろう」

 衰退していく魔王領。祖父が目指した魔王軍の再興の希望は潰えたようだった。

「それでも俺は魔王領を立て直さねばならん。お前はどうする?」

 聞かれて私は考える。
 ガイアスと共に魔王領を立て直す?
 いや、もうネモもいない、祖父もいない。私がこの場所に残る理由はもうない。

「魔王領を出るよ。私がここに残る理由がないから」
「ではどうするのだ? ベスフルに戻るのか?」

 ベスフルに戻る?
 いや、それこそあり得ない。1度裏切った私を、あの国が迎え入れるとは思えない。私も戻りたいとも思わない。
 私は首を横に振った。

「あの国にはもう戻れない。あそこに私の居場所はないから」

 では、どこへ行くのだ? と問われる。
 どうすればいいのだろう?

──お前にはまだやることが残っているんだ──

 ネモが夢の中で言ってくれたことを思い出す。
 私は──
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