【完結】好きじゃないけど、付き合ってみる?

海野雫

文字の大きさ
24 / 34
第六章 それぞれの気づき

映里の考察

しおりを挟む
 翌日、直人はアルバイトに向かった。その日は買取をした古本が山のように積んであり、選別や値付けに追われていた。本と向き合っていると、少しだけ健のことを忘れることができる。それが今の直人には救いだった。

「直人くん、おはよう」

 声をかけられ振り向くと、長年この古書店で働いている遠藤映里えんどうえりがエプロンの紐を結びながら立っていた。彼女は直人より三つ年上で、今は大学院で中国文学の研究をしている。

 映里の落ち着いた雰囲気が、今の直人の心を少し和ませてくれる。

「おはようございます、遠藤さん」

 丁寧に挨拶をすると、映里はふっと優しく微笑んだ。

「直人くんっていつも礼儀正しいよね」

 そう言ったかと思うと、映里は眉間に皺を寄せて明らかに嫌な顔をした。

「って、それ、今日一日でその量?」

「……みたいです」

 直人は目の前に高く積み上がった古本を見つめてため息をこぼした。直人の働く古書店は、全国チェーンだ。店で買取をすることもあれば、在庫を均一にするため、センターから古書が送り込まれてくることもある。今、目の前に高く積まれている古書は、今日、自店で買取したものだった。

「私も手伝うから。さっさと終わらせちゃお」

「すみません、ありがとうございます」

 バイトが忙しければ、健のことが一瞬頭から離れる。それは今の直人にとって、寂しさを紛らわすことができる唯一の方法だった。

 映里が手伝ってくれたこともあり、山積みになっていた本は全て売り場の本棚に収めることができた。作業の間、映里は時々直人の様子を気にかけるような視線を送っていた。

「遠藤さん、ありがとうございました」

 直人が丁寧に礼を言うと、映里はポカンとした。

「何言ってるの。当たり前のことやっただけじゃない」

 さっぱりとした性格の映里は朗らかに笑った。けれど、その目は直人の心の内を見透かすように鋭い。

 その日のバイト終わり、直人は思い切って映里に声をかけた。

「あの、遠藤さん。今日この後、お時間空いてませんか? 相談したいことがあって……」

 映里は恋愛には淡白だと自分で言っていたが、今まで色々と相談した時、的確なアドバイスをくれた。だから、恋愛関連ではあるが、健のことを聞いてみたいと思ったのだ。

「いいわよ。居酒屋でもいく?」

「あ、僕、あまりお酒得意じゃなくて……」

「そっか。じゃあカフェでも行こ」

 映里は直人と二人きりでご飯に行くことに、すんなりと承諾した。まるで直人の悩みを察知していたかのように。
 直人は映里をご飯に誘ったものの、まだ考えがうまくまとまっていない。どこから話せばいいのか、どう説明すれば伝わるのか。

 カフェに到着して、注文を済ませると、映里が頬杖をついて直人に聞いた。

「で、相談って?」

 銀縁メガネから覗く視線が鋭く光る。まるで獲物を見つけた獣のようだった。

「えっと、実は……」

 直人は健とのルームシェアに始まり、今までの経緯をかいつまんで話した。話しているうちに、自分でも整理がついてくる。

「ふ~ん。で、その彼は今、どこにいるの?」

「同じ大学の友達の家にお世話になっているみたいで……」

 すると、映里はメガネのブリッジを中指で押し上げ、目を細めた。

「ふっ。逃げたのね」

「……逃げた?」

 健がそんなことをするはずはない。直人は思わず眉間に皺を寄せた。

「自分の気持ちから逃げたのよ。あなたもね、直人くん」

 ビシッと人差し指を向けられて、直人は思わずのけぞった。

「えっ? 僕も?」

 映里はふふんと鼻を鳴らし、腕組みをして椅子の背もたれに体を預けた。

「そりゃそうよ。だって、彼が『関係を終わりにしたい』って言った時、一ミリも引き留めなかったんでしょ?」

 痛いところをつかれて、直人はぐうの音も出ない。確かにその通りだった。

「そ、それは……」

「直人くんも怖かったのよ。自分の気持ちを伝えるのが。だから、気持ちを伝えると決意したのに、だらだらいつまでも言えなかったんでしょ?」

 映里に自分の気持ちを見透かされたようで、直人は恥ずかしくなった。

「そ、そうかも……しれません」

 直人が消え入るような声で答えると同時に、「お待たせしましたー」と料理が運ばれてきた。テーブルに置かれたプレートにはハンバーグ、スパゲッティ、エビフライが所狭しと盛り付けられていて、大人のお子様ランチといった様相だった。

 ハンバーグを一口頬張る。ジュワッと肉汁が口いっぱいに広がった。

 美味しい。だけど――。

 直人にはカフェで提供されるハンバーグより健の作ったものの方が、格段に美味しく感じられた。健の作ってくれたハンバーグの味を思い出すと、目頭が熱くなる。きっと一生、健の料理の味を忘れることはないだろう。

「人を好きになるって、勇気のいることなのよね」

 ハンバーグを頬張りながら映里が言った。その口調は軽やかだが、どこか遠くを見つめるような表情をしている。

「……勇気」

「そっ。気持ちを伝えたら、断られるかもしれない。今の関係が壊れるかもしれない。そう考えるだけで、ゾッとするでしょう? でもね、人って、他人の心の中を見ることができないから、勇気を持って行動しないと何も始まらないの。終わるかもしれない、と思っていても」

 映里は無表情で言ってのけるが、きっと過去に辛い思いをしたことがあるのだろう。確か、過去の恋愛で疲れたと同僚と話しているのを小耳に挟んだことがある。

「そう……ですよね。でも、健は『約束と違う』と言って……」

 すると映里は「はっ!」と鼻で笑った。

「約束? そんなもの、状況が変われば、変わるものよ。大切なのは、今の、あなたたちの気持ち」

「僕たちの、今の、気持ち……」

 映里の言葉をゆっくりと反芻する。

 確かに、最初の約束はただの『恋人役』だった。だけど、直人は健のことが好きだとはっきりとわかったのだ。

「その彼も、きっと、直人くんと同じ気持ちを抱えていると思う。だから逃げたのよ」

 映里はアイスティーをストローでずずっと啜った。第三者だからこそ、他人の様子がよくわかるのかもしれない。直人は映里のアドバイスを心に刻んだ。

「でも、どうすれば……」

「簡単よ。会いに行って、素直に気持ちを伝えればいい。『好きになった』って」

 映里の言葉は単純だが、それが一番難しいことでもあった。

「もしかしたら、彼もあなたを待ってるかもしれないわよ」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

唇を隠して,それでも君に恋したい。

初恋
BL
同性で親友の敦に恋をする主人公は,性別だけでなく,生まれながらの特殊な体質にも悩まされ,けれどその恋心はなくならない。 大きな弊害に様々な苦難を強いられながらも,たった1人に恋し続ける男の子のお話。

【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話

日向汐
BL
「好きです」 「…手離せよ」 「いやだ、」 じっと見つめてくる眼力に気圧される。 ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26) 閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、 一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨ 短期でサクッと読める完結作です♡ ぜひぜひ ゆるりとお楽しみください☻* ・───────────・ 🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧 ❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21 ・───────────・ 応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪) なにとぞ、よしなに♡ ・───────────・

ジャスミン茶は、君のかおり

霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。 大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。 裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。 困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。 その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

雪を溶かすように

春野ひつじ
BL
人間と獣人の争いが終わった。 和平の条件で人間の国へ人質としていった獣人国の第八王子、薫(ゆき)。そして、薫を助けた人間国の第一王子、悠(はる)。二人の距離は次第に近づいていくが、実は薫が人間国に行くことになったのには理由があった……。 溺愛・甘々です。 *物語の進み方がゆっくりです。エブリスタにも掲載しています

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

処理中です...