【完結】好きじゃないけど、付き合ってみる?

海野雫

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プロローグ

選択のない日々

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 何が違うんだろう。

 三月末の夕暮れ、河川敷にかかる橋の上で、直人はひとり欄干に肘をついていた。眼下を流れる川面には、散り始めた桜の花びらが浮かんでいる。薄紅とも白ともつかない小さな舟たちは、どこへ向かうでもなく、ただ水の流れに身を委ねていた。

 橋の向こうでは、卒業式を終えたばかりの先輩たちが別れを惜しんで記念撮影をしている。袴姿の女子学生が泣きながら友人と抱き合い、スーツ姿の男子学生たちが肩を叩き合って笑い合っていた。その傍らでは、在校生たちが新歓の準備に追われ、「明日までにポスター貼り終わらせよう」「新入生何人来るかな」と楽しげな声を響かせている。

 直人はその光景をぼんやりと眺めていた。本来なら軽音楽部の新歓準備を手伝うべきなのに、どうしてもその気になれずにいた。

 四月から大学三年生になる。それなのに、なぜ自分がここにいるのか、いまだにわからない。

 高校を卒業するから大学に進学した。文学部を選んだのは、なんとなく小説を読むのが好きだったから。軽音楽部に入ったのも、入学式で一番最初に声をかけられただけで、音楽への情熱があるわけでもない。すべてが「なんとなく」で、気がついたらここにいた。

 みんな、何かを『選んで』生きているんだな。

 目の前を手を繋いで歩くカップルは、数多の人の中からその相手を選んで愛している。新入生たちは自分の未来を思い描いて大学を選んだ。卒業する先輩たちは夢を追いかけて進路を決めた。

 でも自分には、そんな強い意志で何かを選び取った記憶がない。いつも流れに身を任せ、誰かが敷いたレールの上を歩いているだけ。

 ふと、見覚えのある人影が橋を渡ってくるのが目に入った。軽音楽部の後輩、飯島健だ。スマートフォンを耳に当て、誰かと話している。いつもの人懐っこい笑顔はなく、俯き加減のその横顔には、普段見たことのない翳りがあった。

 距離が縮まるにつれ、健の声が聞こえてきた。

「……そう。うん、わかった。ありがとう」

 通話を終えた健は、小さくため息をついた。そして――直人ははっきりと見た――袖で頬を拭う仕草をした。

 声をかけるべきだろうか。

 でも、こんな時どんな言葉をかければいいのかわからない。健は後輩の中でも特に明るく、誰とでもすぐに打ち解ける性格だ。直人のような人付き合いの苦手な先輩にも、いつも気さくに話しかけてくれる。そんな健の涙を見たのは、今日が初めてだった。

 慰めの言葉を探そうとしたが、頭の中は空っぽだった。それに、健とはそれほど親しいわけでもない。中途半端な関係の先輩に慰められても、かえって困らせてしまうかもしれない。

 結局、直人は何もできずに健が通り過ぎるのを見送った。いつものように、ただ見ているだけ。

 直人は再び川面に目を落とした。桜の花びらは相変わらず、ゆらゆらと流れに身を委ねて漂っている。あの花びらのように、自分の意志を持たずに生きてきた。そして今日もまた、何も選ぶことができなかった。

「僕は、いつになったら何かを選べるんだろう……」

 呟きは夕風に運ばれ、桜の花びらと一緒に川へと消えていく。選ぶということ。誰かを、何かを、自分の意志で掴み取るということ。それがどんな感覚なのか、宮内直人にはまだわからなかった。

 翌日からまた、何も選ばない日常が始まる。軽音楽部の新歓準備に参加し、アルバイトをこなす。すべてが決められたスケジュール通りに進む、誰かが敷いたレールの上の人生。

 でも、もしかしたら――直人は薄暗くなった空を見上げた――いつか、自分も何かを選ぶ日が来るのかもしれない。

 川面の桜の花びらは、やがて海へと辿り着くのだろうか。それとも、途中で岸辺に打ち上げられてしまうのだろうか。

 何かを自分の意思で掴み取るという感覚がどんなものなのか、直人にはまだ、わからなかった。
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