【完結】今更愛を告げられましても契約結婚は終わりでしょう?

SKYTRICK

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第四章

45 敵はこの血

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 父の言ったとおり、停戦から一年以内で国境付近で争いが勃発した。その後ルーストランドに侵攻したベルマニアの部隊が、非戦闘員の村人を襲ったことで、本格的な戦争へ変化していく。
 国同士の総力戦にならないよう、国境付近で戦を留める必要がある。ロドリックが出陣してから更に戦況は悪化していったが、幸いにも公爵邸付近までは侵攻されなかった。
 軍人同士の戦争とはいえ、市街地戦ではすでに非戦闘地へ避難した住民の生活していた痕跡が見られて胸が痛かった。まだ、その痕跡を気にしてられるなら良かったと後から思う。
 人を殺した時、ロドリックは十四歳だった。
 数ヶ月に及ぶ戦闘から、公爵邸に帰還した夜。
 テオバルトは九歳になっていた。弟とは元々話す方ではない。けれどその夜、なぜか彼がロドリックに語りかけた。
「兄さん」
 しかし、ロドリックは無視をした。
 テオバルトだけでなく、邸宅の者に『おかえりなさいませ』と告げられるのでさえ苦痛だったのだ。
 その日帰還したロドリックは、今までの自分が、この血に潜んでいる黒い男に塗り替えられた気がしていた。もう以前までのロドリックではない。何だか、狂っているような気もする。同時にとにかく、疲れていた。しかしとても疲弊しているのに夜に眠るのも難しくなり、悪夢を見るようになる。
 どれだけ眠れなくても戦は続いていた。国境警備部隊から情報が入ればすぐに出兵する。昼も夜も悪夢の繰り返しだった。どちらの方がマシかは、ロドリックにはよく分からなかった。
 たまに戦場で、あぁ今死ぬんだなと気づく時があった。するとロドリックは、決まって、遠い昔に見た幾つかの景色を思い出す。
 例えば、子供の頃に父や母と共に傍系貴族の邸宅へ向かった日の記憶だ。その邸宅は海辺にあり、嵐がやってくると海は巨大な化物のように荒れ狂う。一方で風のない晴れた空の下では、海は青い宝石の絨毯が広がっているかのように煌めいていた。
 だがロドリックは、その嵐の恐ろしさも海の美しい煌めきも、一人で眺めていて、父と共有することはなかった。
 父はいつも遠くにいて、彼と海を眺めたことは一度もなかったから。
 嵐の海を思い出しながらも、ロドリックは、吹き荒れる嵐のような戦場にいる。
 結局いつも生き残っていた。仲間の誰かが救出してくれるが、それは常に父ではない。
 いつも父はロドリックの傍にいない。共に海を眺めたことがなかったように、この嵐をすぐ近くで突き進むこともない。
 不意に、考えた。
 ――もしここで俺が死ねば、父は馬を止めてくれるのだろうか。
 考えてもすぐに答えを知る。
 きっと父は振り向かないだろう。
 ロドリックの死体を横目にして突き進んでいく。
 ……しかし、先に死んだのは父だった。
 父の死体の傍を通り過ぎていったのはロドリックの方だったのだ。









「俺は父が死んでから、公爵家を継ぎ、騎士団の団長となった」
 訥々と語るロドリックに、ユリアンが頷く。
「十五歳で公爵となったとはお聞きしていました。随分、お若いなと」
「若いと言っても十五だ。父は俺を軍人にするという役目を果たした」
 ユリアンの瞳は紫の目をしている。魔法の夜のような、綺麗な色だった。
 本当に、魔法のようだった。彼の穏やかな目を見つめていると、勝手に言葉が紡がれる。
「母が死んだのは、父が戦死してから二年後だった」
 そのせいだろう。ロドリックはどこか安心した心地で、彼らの死を語ることができた。
 ――父が死んでからは母の行動がより大胆になっていった。
 我が国ルーストランド王国の侵略を推進しているのは、ベルマニア王国の王と強硬派の貴族たちだ。穏健派の王弟とその他の貴族たちと終戦の話を進めようと、母はルーストランド王室と貴族達に働きかけ、実際にベルマニアの王弟と会談を果たすことに成功した。
 そうして、父が亡くなってから二年後に母は殺された。
 公爵を継いだロドリックは十七歳で、テオバルトはまだ十二歳だった。
 ロドリックはその夜、『知らせ』を受け取った。王都へ向かった母を護衛していた騎士の生き残りからの手紙だ。彼はロドリックに手紙を渡すと、何か語る前に息絶えた。
 手紙を読んだロドリックは、馬に跨った。
 その知らせを胸ポケットにしまって、騎士らと共に母の元へ駆けていく。
 母を信じたことが間違いだったのか、正しかったのか。
 その答えを知るために、ロドリックは残虐を尽くされた森へと向かった。
 







 父も母もいなくなった公爵邸は、テオバルトに預けることにした。母の代わりに領地経営や王室とのやり取りを、今後テオバルトに任せるのだ。そのために執事長や他の使用人達、親戚の貴族の主も協力してくれた。
 ロドリックからテオバルトに教育することは何一つない。ロドリックが知ってるのは戦いだけだ。
 しかし、ただ一つだけテオバルトに言いつけた。
 とにかく、「何もするな」と。
 母の行いを禁じたのだ。この戦争を止めるために働きかけるな。
 大人しくしていろ。何かを知ろうとしてはいけない。知ってはいけない。ベルマニアに目を付けられるような目立つ行いは絶対にするな。
 頼むから、何もしないでくれ。
 幼いテオバルトは頷いた。そうして二人は、完璧に生き方を分けた。
 ロドリックは戦地へ向かい、テオバルトは公爵邸で人々を生かすために教育を受ける。たまにロドリックも邸宅へ帰還したが、弟とは仕事や必要不可欠な会話以外の言葉は交わさなくなっていた。
 テオバルトは忠実に言いつけを守っていたし、騎士団へ関わろうとは一切しなかった。テオバルトの非干渉はロドリックに安堵を齎したが、その一方で、睡眠障害は深刻となっていった。
 不思議とロドリックが夢に見るのは、特定の三つの記憶が殆どだ。
 一つは戦地での記憶。ロドリックは夢の中で、仲間の遺体をどうやって持ち帰るべきかを考えている。耳元ではいろいろな声がする。それが生者の声なのか、死者の声なのか、ロドリックには判別できない。現実に起きたことと妄想がごった返しになった夢だった。
 二つ目は、母を護衛していた騎士からの手紙を受け取った瞬間からの再生だ。
 それはとても精巧な記憶を再現した夢で、あの手紙を手にした時の息遣いまでもが正しい。
 母が死の間際に残した手紙を、ロドリックは開く。懺悔ばかり綴られた手紙を読んだロドリックは、戦闘用の軍服に着替え始める。夜明け前に出発した。愛馬に跨る時、テオバルトが使用人と共にこちらを眺めていた。ロドリックは彼を横目にした後、薄暗い空を見上げて、
「寒いなぁ」
 と呟いた。
 馬を走らせた時点で目が覚める。不思議といつも、血に濡れた森へ辿り着く前に夢は終わる。
 三つ目は、晴れた午後の思い出だ。
 それはロドリックの思い出ではない。幼いテオバルトと父が庭を散歩していた光景で、昔から何度も夢に現れる。
 十八で成人を迎え、二十歳になってもずっと。
 そうやって、大人になればなるほど、ロドリックは父と似通っていく。同じ黒髪に鋭い目つき。人より高い背丈に、屈強な体。
 それは祖父に近付いていくのと同義だった。
 ……きっと父も、幼い頃に知ったのだろう。
 己は『その男』に近付いていくのだと。
 遠い昔に、幼い父の絵を見たことがある。少年の父は祖父の隣に立っていて、小さな軍服に身を包んでいる。こちらを睨みつけるような、縋るような幼い少年の目は黄金だった。その隣に立つ黒髪の男は公爵騎士団の最高司令としての軍服を着ている。ただひたすら鋭い視線を向けていて、隣の子供には一切関心を払わない。
 その二人の姿はまるで、ロドリックと父そのものだった。
 絵の中に残る二人の視線が合わさることはないし、きっと現実でもそうだったのだろう。父は子供の頃、恐怖と諦念を抱いていたはずだ。
 その感情は大人になり、ロドリックが生まれると、再び蘇った。父を虐める負の感情はロドリックの前でだけ繰り返される。黒髪は呪いの色。血を色濃く継いだ厳しい顔は何もかも、父に覚えのあるもの。
 ロドリックと共にいる時の父はきっと、あの絵に映る少年に戻っていたのだ。
 その父が親になれるのは、祖父とも父自身とも似ていないテオバルトの前だけだった。
 夢の中で、あの人は、ロドリックが見たこともない笑顔をテオバルトに向ける。その笑みは安堵に満ち溢れていて、穏やかだった。
 黒髪の男は、小柄な茶髪の少年を抱き上げる。少年はふんわりとした笑顔を浮かべ、柔らかそうな手のひらで男の頬を触る。男は少年の茶髪を撫でて、花の道を歩いていく。
 取り残されたロドリックは夢の中で、大人になっていた。その姿はたった今過ぎ去っていったその男や、祖父にそっくりだった。
 こんなにも似ている。ロドリックは硬い手のひらを見つめてみる。子供の頃には考えていた。
 ――どうして父上は俺を見てくれないのだろう?
 いつか、弟へ向けるような笑顔を、同じ目線で浮かべてくれることはあるのだろうか。
 俺と一緒に眠ることはあるのだろうか。
 今ならその答えを知っている。
 ……分かるよ。
 貴方が俺に触れるわけがない。
 なぜなら貴方は俺に、恐怖していたから。
 恐怖していたし、憎んでいたし、許せなかった。
 心からロドリックを恐れていたのだから、目線を合わせることはできないし、共に眠れるわけがなかった。
 彼にとって本当の悪魔はロドリックだった。敵はこの血。黒い小さな悪魔に見つめられて、あの人はどれだけ恐ろしかっただろう。愛せるはずがなかった。触れられるはずがなかった。
 きっと父という子は、ロドリックという父に復讐をしたかったのだ。
 ただ、それだけだった。
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