恋愛探偵は堕とされない。

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第3章 あるいは虚堂懸鏡な女神。

第19話 あやしい距離感

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 ――それからまた、数日。

今日はバイトが始まる20分前から、萌咲と休憩室で待ち合わせ。
ヒロと萌咲のシフトが重なる日はできるだけ一緒にいて、仲の良さそうな姿を周りに見せる。紅亜から命じられた仕事のひとつだ。
おしゃべりしながら適当に笑ったり、時折小声でクスクス話したり。『あの2人、絶対何かありそうだよね』。周りからそう噂されるくらいの距離感がベスト。
だから、できる限り準備した。雑談の話題を集めて、焦っても表情に出ないように練習して、万が一話すことが無くなった時のために、一緒に見る動画なんかを大量にクリップしておいて。
そこまでするか、と思われるかもしれない。けれどそれほどまでに、普段の自分瑞帆には“親し気に話す”ことの難易度が高かった。
すぐに会話が続かなくなって、気まずい空気が流れだすのが目に見えていた。

しかし結論、萌咲相手にその心配は杞憂だった。

「でね、最初は私も買おうと思ったんだよ、この赤いリップ。友達がね、『今この色すごく流行ってるし、しかもこれはプチプラなのに発色良くて最高だから』って教えてくれて。それに見て見て、ケースもすごくかわいいでしょ?」

萌咲と合流して、かれこれもう十数分。
白雪姫がモチーフらしいファンシーなリップの広告をスマホで見せられ、瑞帆は「ほんとだ、かわいいね」と頷いた。
ちなみに、ここ休憩室には未だ瑞帆と萌咲しかいない。

「だよねだよね!でも紅亜さんにはね、『萌咲ちゃんにこういう派手な赤は似合わないから、止めておいた方がいい』って言われちゃって。それに、こういう赤いリップは女の子には人気でも、男の人にはあんまり受けが良くないことが多いんだって。ね、ヒロくんはどう思う?男子的にはやっぱりちょっと微妙?」
「うーん、確かにあんまり真っ赤な唇はちょっと派手かなあって…」
「そうなのか…良かったぁ、買うの止めにして。赤リップに挑戦したらちょっと大人っぽくなれるかなって思ったけど、それで悟くんに引かれたり幻滅されちゃったりしたら最悪だもんね。あ、それでね。『萌咲ちゃんにはこういう色の方が似合うよ』って、紅亜さんが代わりに勧めてくれたのがこれなんだけど…」

そう言って、小さな手でまたスマホをいじりだす萌咲。
大人しそうな見た目からは意外なくらい、彼女はよく喋る子だった。
とはいえ話す内容は大抵、好きな人のこと。そして、萌咲が悟のために努力していること。
あまりに一生懸命で、萌咲がどれだけ本気で悟を想っているかが伝わってくる。
好きな人のために、何だってしたい気持ちはよくわかる。早く萌咲の想いが報われて欲しい。

だから瑞帆は、良かれと思って口走ってしまった。

「そういえばこの前、森さんと話したよ」

少しでもこっちに進捗があったことが分かったら、萌咲は喜ぶんじゃないか。
それくらいの、軽い気持ちだった。
…けれど。

「そうなんですか!?それでどうでした?私のことは何か言ってました?悟くんのことは?」

ガラッと目の色を変え勢いよく立ち上がった萌咲は、机に両手をついて、前のめりで瑞帆に迫ってきた。
“幼馴染”という設定のためのタメ口も、すっかり抜けてしまっている。
その瞬間、瑞帆は先ほどの自分の発言が失敗だったと悟った。
ああ、言うべきではなかったと。

「えっと、特に何も…萌咲ちゃんのことは、可愛くて良い子だって」
「本当ですか?信じられない、梨沙子さんが私のことを褒めるなんて…。きっと水川さんに好かれたくてそんな風に言ったんです」

顔をしかめる萌咲。
そしてガタンと音と立ててまた椅子に座ると、テーブルに両肘をついて、ふくれっ面で口をとがらせた。

「梨沙子さんって、ほんとにすごい。猫被るのが上手っていうか…私にはそんな風にできないです。気に入った男の人には、すぐ『好みのタイプかも』とか『かっこいいね』とか言ったりしてるみたいですし。水川さんも、似たようなこと言われたりしませんでした?」
「えーっと、いや、どうだったかな……」

自分が後ろめたいことをしたわけじゃない…はずなのに、つい言い淀んでしまった。
先日の梨沙子の姿が、香りが、声が…生々しく瑞帆の頭の中に浮かぶ。
萌咲は眉をひそめた。

「…やっぱり。水川さんはに来てるとはいえ、普通だったら引いちゃいますよね、初対面の女子から急にそんなこと言われたら。梨沙子さん、そんなに男の人が好きなのかな。どうしよう、悟くんが実はもう梨沙子さんにとられちゃってたら。だから急に冷たくなったのかもしれない…」
「それは考えすぎだよ。悟くんは真面目な人なんでしょ。それに――」
「でも何度も言い寄られたらわからないじゃないですか。梨沙子さんから私のあることないこと聞かされてるかもしれないし、それに梨沙子さん、見た目は可愛いし積極的で話も上手いから、私なんかよりずっと良いって悟くんも思ったかも」
「そんなこと――」

そんなことない。そう言いかけて、瑞帆は言葉を詰まらせた。
『気にする必要ないよ』 『そんなことあるわけない』 『絶対大丈夫だって』。
そう断言して、励ますこともできたはずなのに。
自分と萌咲が、本当の幼馴染だったなら。

「…、きっと大丈夫だと思う。そんな風にしか言えなくてごめん。でももし萌咲ちゃんが心配してるようなことがあったとしても、その状況を変えるために、僕もできる限りのことをするから」

曖昧で、あまりに頼りなかったかもしれない。紅亜なら何て言っただろう。
けれど萌咲は瑞帆と目を合わせ、申し訳なさそうにと頭を下げた。

「ありがとうございます。私こそごめんなさい、面倒くさいこと言って。でも不安で仕方ないんです。悟くんは私のことなんて何とも思ってないんじゃないかって、いつも考えちゃう。もしかしたら、もう誰か他の人を好きになっちゃったんじゃないかって…」
「……わかるよ。相手を好きだって思うほど、どうすればいいかわからなくて苦しくなる。好きな人が自分以外の人と一緒にいるところなんて、想像するのも辛い。でも萌咲ちゃんと悟くんはまだ付き合ってるわけだし、きっと――」

その時。ガチャリと、乱雑な音を立てて入り口のドアが開いた。

「俺が何だって?」

抑揚の無い無愛想な声が、静かになった部屋に響く。

爽やかな短髪に、筋肉質な体。真面目そうな凛々しい眉――
加住悟かすみさとるは不気味なほど無感情な目で、萌咲を、そして瑞帆を一瞥した。
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