恋愛探偵は堕とされない。

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第3章 あるいは虚堂懸鏡な女神。

第18話 探り合い?それとも……

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 最近になってようやく気付いた。
自分を変えるのは、想像以上に難しい。

やるべきことは分かっている。準備も覚悟もできている。
そのはずなのに、いつも大事なところで怖気づく。
必要な一歩が踏み出せない。
些細な言葉から、表情から、仕草から…ボロが出てしまうんじゃないかないかと怖くなる。
自分の一挙手一投足が試されている。そんな感覚。

(けれど今日こそ、“あの人”に話しかけないと――)

意気込んで臨んだはずのことも、いつの間にか焦りに変わってしまった。
しかし、時間は待ってくれない。気づけばバイトが終わる午後22時。
“あの人”の姿が見えない。どうやら、一足先にホールを出てしまったらしい。

(どうしよう。今日も何もできないまま、1日が過ぎてしまう…)

うなだれ、ため息をつく瑞帆。一方で、ふと恐ろしいことに気づいた。
次に紅亜と会うまで、あと5日間。バイトがあるのは内2日。そのうち“あの人”とシフトが被るのは……

(……もしかして、今日しかなかったんじゃ?)

動揺している場合じゃない。急げば、まだ間に合うかもしれない。
『任せてください』。そう言った以上、「何もできませんでした」なんて報告は絶対にできない。
まだ勤務が続く先輩たちへの挨拶もそこそこに、瑞帆は足早にスタッフ用の休憩スペースに向かった。
大きく息を吐く。半ば祈りを込めて、緊張しながらドアを開いた。
テーブルとロッカーしかない、簡素な部屋。そこには、学校の制服を緩く気崩した女の子が1人。
立ったままスマホをいじっていた彼女は、瑞帆と目が合うとパッと明るい笑顔を見せた。

「あ、お疲れさまでーす。水川さん?だよね」

ポニーテールにした明るい茶髪に、キラキラしたアイシャドウに彩られた大きな目。ほのかなオレンジ色が映える、つやつやな唇。
森梨沙子もりりさこは萌咲から聞いていた以上に、華やかで人目を引く女の子だった。
肩にスクールバッグを担いでいるところを見ると、ちょうど帰るところだったのかもしれない。
間に合ってよかったと、瑞帆はほっと胸をなでおろした。

「はい、お疲れさまです。えっと…」

とはいえ、ここからが本番だ。
名前を知らないふりをして、少しだけ首をかしげる。すると梨沙子はスマホをポケットにしまい、瑞帆のすぐ前に駆け寄ってきた。

「森だよ。どうぞよろしくね。水川さんももう上がりなの?」
「はい。高校生なので」
「ひえぇ、それ本当だったんだ…絶対嘘だと思ってた。だって吉田さん…あ、ほぼ毎日いるフリーターの人ね。その人が一昨日急にDM送ってきたんだけど、内容が『居酒屋バイト未経験で入ったヤバい派手な高校生が、なんか初日からバイトリーダー級に仕事してるw』だよ?あーあ、また暇して変な冗談言い始めたと思って素っ気ない返事しちゃったけど、後で謝んなきゃなぁ。ちなみに何年生なの?」
「2年です」
「うわぁまさかの年下…なんかショック。でもそしたら、“さん”付けじゃなくて“水川くん”でいいよね」

梨沙子はぺらぺらと、マイペースに話し続ける。萌咲の言っていた通り、お喋りなタイプらしい。

「にしてもその髪、めっちゃカッコいいね。ブルーブラックにメッシュいれるとか上級者じゃん。ピアスも一体何個開けてるの?」
「ありがとうございます。でも耳はこれ、ほとんどカフスなんですよ。痛いの苦手で…頑張って何個かは開けたんですけど、軟骨は怖すぎて無理で」

瑞帆はへらっと笑って肩をすくめると、あらかじめ用意しておいた台詞をそのまま喋った。
本当はピアスなんて1つも開けていない。そんな度胸は微塵もない。
梨沙子は目を丸くして吹き出した。

「なにそれ可愛いんだけど。水川くんってもっとクールな感じかと思ってたのに」
「期待外れですみません。それに優柔不断でヘタレでコミュ障でもあるんで…ほんとこれ、見掛け倒しなんです」
「それこそ絶対嘘!」

梨沙子が声を出して笑う。
よし、順調だ。上手くいっている。瑞帆の緊張の糸が少し緩んだ。

「あーあ。水川くんやっぱ良いかも。カッコイイし面白いし…めっちゃモテるでしょ」
「いや、全くそんなことないです」
「本当かなー?あ、そっかあれか。水川くんには萌咲ちゃんがいるから」

梨沙子が上目遣いで瑞帆の顔をのぞき込んできた。その角度はずるい。
普段の自分ならば、絶対に意識してしまう距離。警報を鳴らす心臓に、ひたすら言い聞かせる。

(落ち着け、冷静になれ。絶対顔に出すな……)

「まさか、萌咲とはただの幼馴染ですよ」
「えー、本当にそれだけ?バイト先まで追っかけてきたのに?」
「そういうんじゃないですって。久しぶりに会った時にバイト探してるって言ったら、ここを教えてもらって…気まぐれに萌咲の誘いに乗っかっただけで。ここ、他よりもちょっと時給良かったですし」
「へぇー。でもさ、萌咲ちゃん的にはどうなんだろ。小さい頃仲良かったってだけで、自分と同じバイト先紹介したりするかなあ」
「どういうことですか?」
「別にー?萌咲ちゃんは可愛いし、すごく良い子だけど…案外、意外な一面があったりするかもしれないよ、ってこと。水川くんが知らないだけで」

束の間、梨沙子が表情を曇らせたように見えた。
しかしすぐにまた気さくな笑顔にかわり、ふざけ調子の明るい声で喋りだす。

「なーんてね、ごめんごめん。ま、女の子は男が思ってる以上に強かかもよーってこと!で、ダメ押しの確認なんだけど、水川くんは別に何とも思ってないのね。萌咲ちゃんのこと」
「ただの幼馴染ってだけです」
「OK、わかった。あ、でももう付き合ってる子いるとか?」
「…いないです。残念ですが」
「よし。ちなみに水川くんはどんな子が好きなの?可愛い系?それともキレイ系?」
「え、と…キレイ系?」
「なるほどなるほど。そしたらさ、年上はアリ?それともナシ?」
「え…えぇ?」

なんでそんな…と、ついに瑞帆は動揺が顔に出てしまう。
すると梨沙子がさらに一歩近づいてきて、ぐっと背伸びをした。

ポニーテールが揺れる。
すぐ目の前に、梨沙子の茶色い瞳が迫る。
そしてふわっと漂う、柑橘系の爽やかな、美味しそうな香り――

「それで、答えは?年上は好き?それとも…嫌い?」
「えと、好き、です…」

年上。好き。つい紅亜の姿が浮かんでしまう。顔が熱くなる。
梨沙子は満足そうに頬を緩ませた。そのままあっけなく、瑞帆から離れていく。

「これからよろしくね水川くん。あと私、誰にでもこういうことするわけじゃないから。それくらい水川くんのことが気になってるってこと。じゃ、また今度~」

そして棒立ちで固まっている瑞帆に手を振り、あっさり外に出て行ってしまった。

『たくさん好かれてね――』

紅亜のその言葉を、声を思い出す。
そう、そのために自分は梨沙子に近づいたわけで。
これは上手くいった、ということでいいんじゃないか。よかった、これで紅亜に良い報告ができる。
でも…どうなんだろう。これでいいのか?何かが胸に引っかかるせいで喜べない。
それに、女の子からあんな風に言われたことなんて初めてだ。だから――


どうしよう。次は、どんな顔をして会えばいいんだ。


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