雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第四章:三人の旅

第百十話:受け継ぐ者

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「大丈夫そうだね、サラ」

 海から上がったクラウスは、多くの人々に囲まれ愛想笑いをしているサラを見かけるとそう話しかけた。
 海の中とはいえそれなりに暴れたのだから、サラが魔法で傾きを維持していなければ船は転覆していた可能性があった。
 もちろん、いくら酔っていたからとはいえサラがいるのだから転覆の危険性は微塵もないと信頼してこその行動だったけれど、思った以上に誰もが元気な様子は予想外。
 勇者らしき女性に預けたマナも、いまだすやすやと眠っている。
 それらを見て、クラウスは自分の状況に気がついた。

「あ、クラウスお疲れ様。今乾かすね」

 そう言いながら寄ってくるサラと共に、群衆の視線はクラウスへと移動していった。
 そんな海から上がったばかりで全身ずぶ濡れになっているクラウスは、サラとは別の意味で目立っていた。

 魔物が蔓延る漆黒の海の中に何一つ恐れず飛び込み、サラの指示通りに魔物達を殲滅したクラウスが手に持っている直剣は未だ抜き身で、赤に銀のダマスカス文様を輝かせている。
 何処かで見たことのある文様のその剣と、クラウスの瑠璃色の瞳、そして鈍い金色の髪の毛。
 随分とアンバランスな組み合わせの風貌のその青年は、勇者から見れば何処か計り知れない恐怖感を持っている。
 そうでなくとも濡れた体に瑠璃色の瞳は吸い込まれそうな光を放っていて、赤い剣から滴る雫は血を連想させる。
 そして肝心なのはその強さだ。
 傍目からもサラが頼っている様はありありと見て取れて、絶対に負けないと確信を持って指示を出している様子は、ある一人の男を思い起こさせるには十分な情報だった。

「もしや、その青年は、……鬼の関係者では……」

 ぽつり、とそんな言葉が漏れ聞こえてくる。
 彼らの中にはサラが聖女の様に見えたことも合わさったのだろう、クラウスに駆け寄り親しそうにしているサラの表情を見て、そして飛び込む直前にクラウスが預けた子どもを見る限り、二人の関係性も簡単に想像が出来る。
 今の民衆にはサラとクラウスの様子は、『聖女の魔法書』に書かれているサニィとレインに重なって見えていた。
 疑惑は徐々に広がっていき、次第に聖女サラを讃える雰囲気から不安の色に変わり始める。

 クラウスにとっては何度か体験した様な、嫌な雰囲気になり始めていた。

 しかしサラはマヤの一件以来、いつクラウスが疑われても良いように、対策を考えていた。

「皆大丈夫だよ。このクラウスは確かに鬼の関係者」

 その瞬間、ざわりと同様が走る。
 クラウスもまた、いきなり何を言い出すのかと驚くが、それでもサラはまるで動じることなく続ける。

「クラウスは三代目なのよ。史上最強の剣術である時雨流の。
 グレーズじゃ今は禁止されている流派だけれど、それは英雄エリーも英雄もオリヴィアも使っていた正真正銘最強の剣。
 実はそれってひっそりとこのクラウスに受け継がれてる。
 だから、鬼の関係者と言えばそうだけど安心して」

 サラの突然のカミングアウトに驚いたのは、民衆だけではなくクラウスも同じだった。
 確かに母を見て学んだ部分も多いその剣術は時雨流なのだろうが、継いでいる自覚はまるでない。
 クラウスが今まで使っていた剣は、エリー叔母さんに鍛えられた我流の剣だ。
 ただクラウスの肉体や精神に最適化されただけの、我流の剣。
 しかしそれが時雨流だと気づくのはまだ少し先の話で、クラウスは一先ずサラの言葉に耳を傾けた。

「ほら。この女の子、マナって言うんだけど、あ、ありがとう」

 女性に預けていた眠るマナを受け取りながら、サラは続ける。

「この子、クラウスに助けられて懐いちゃってね。こうして一緒にいるの」

 頭を優しく撫でれば、マナはサラの首元に頭を押し付ける。
 その様子は、クラウスに少しの不安を感じ始めていた民衆の心を動かすには、十分な要素だった。

「こんな可愛い子がくらうすーって懐いてるんだから、大人達が目の前でクラウスを怖がったりしたらこの子が可哀想じゃない」
「おい」

 思わずツッコミを入れてしまうクラウスだったけれど、その説得力は非常に高かった。
 クラウスは別にそれ以上は怒るわけでもなくサラの話を受け入れ、マナは幼く可愛い。
 確かにマナがくらうすーと懐いている姿を想像してみれば、その前でクラウスを避けることはマナにとって非常に嫌なことは間違いがないだろう。
 それさえ想像出来てしまえば、後は簡単なことだった。

「ほら、私を聖女サニィに重ねるのは良いけどさ、だからってクラウスを魔王と重ねるのは止めなさい。敢えて言うなら、……英雄レインとなら良いけどね」

 そんな一言で、船の中の人々は『聖女の魔法書』を思い出す。
 それの中身に書いてあることは今でこそ聖女様を騙した魔王のことが書いてあるとされているが、日記部分は非常に楽しそうな日々が綴られている。
 中には、「私を絶望の淵から救ってくれたこの人は、何があっても私の英雄だ」なんて一文すら書かれている。

 それを思い出してしまえば、皆の心に浮かぶ考えは、概ね一致することになっていた。

「聖女様とレインも、このサラ様達の様だったら良かったのに……」

 何も知らないが故に、思わず漏れてしまう考え。
 その考えは的外れではあるけれど、反魔王の根強いグレーズから出発した船に乗っている人々がそんなことを考えてくれるというだけで、それだけで。

 クラウスは救われている様な気がして、サラに深く感謝することになった。
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