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第4章 突き付けられる現実
21. 全部をかなぐり捨ててみて ①
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「お、瀬川……さん、もう大丈夫か?」
早朝に出勤して、昨日まだ処理されていない案件を確認して、自分一人でも回付できるものは一定程度終わったところで、課長がやってきた。
私を見つけてたじろいだ様子なのは、昨日、私があのあとで泣いていたことを聞いたからだろうか。
関本さんとどんな話をしたのだろう。
神経質で、ことなかれ主義の課長は職場を荒らされるのは嫌いだから、きっと内心は私に何してくれてんだ、とか思っているだろう。
「昨日はすみませんでした」
「いいよいいよ。そういうときもある。これ以上騒ぎにしないでくれたらいいから」
席を立って、課長に深々と頭を下げると、席に着いた課長からはそっけない言葉が返ってくる。
全然、悪い人じゃないんだよね。
……すみません、さらにご迷惑おかけします。
「あの、課長」
「まだ、なにか?」
「私、私情で申請者の情報を見たので、懲戒にかけてください。あと、今日も休みください。うまくいかなかったら明日も、その次も。なんなら辞表書いてきたので、これ、受け取ってください」
ぽかん、と課長の顔が見たことのないものになった。
**
八島建設というのは小さな会社で、ホームページの一つもなかったし、いまは廃れたタウンページにも掲載がなかった。
だから、私は、必要な処理以外には使ってはいけないのに、申請ファイルを引っ張り出して、八島建設の住所と電話番号を写しとった。
完全なる目的外使用。公務員が私情でこんなことしたら絶対にいけない。
住民票を興味本位で見て懲戒案件になったものも回ってきた。ストーカー規制にひっかかって逮捕された案件なんて、うちの自治体だけではなくて、国から改めて通達が回ってきたくらいだ。
会社情報だけれど、それだって、自分のために使おうとしているなら一緒だ。
一回腹を決めたら、もうどうでもよくなった。
これが大事としがみついていたいと思っていたもの全部かなぐり捨てて、もういいやって。
いやでも犯罪はよくない、けど。
ストーカー……に該当するだろうか。でも、ちゃんと1回話したらもうきっぱりすっぱりするし。
わめいてしまったので、親が職場に来ることだって懸念しなければならない。
そしたらもう恥の上塗りの上塗り。
なら、仕事ももう変わったっていいんじゃないかなって。
民間への転職活動はどれくらい大変だろうか。
お金は取られなかったんだし、語学留学とかそういうのだってできるかも。
今から思い切りやりたいことやってみたっていいじゃないか。
職場にめちゃくちゃ迷惑をかけるのは、すごく心苦しいけど……。
許してもらえるなら年度末まで働いて、引継ぎだけはきちんとさせてもらおう。
『ちょっと待って瀬川さん!!話し合おう!!早まらないで!!!』
そんな風に引き留める課長に、有給休暇は権利なんで、って言って職場を出てきた。続々と登庁してきた人たちが何事かと目を丸くしていた。
メモを片手にやってきたのは、広いトラックヤードがあるけれど、2階建てのプレハブみたいな小さな建物。看板は確かに八島建設ってなっている。
あまり人気のある雰囲気ではなかった。
そりゃあそうか、日中だから、現場に作業員は行っているだろう。
どうしようかな。
建物の周りをうろうろとしていると、大きなトラックが戻って来て、突然ぬって現れたガタイのいい外国人に話しかけられた。
めちゃくちゃ大きい。ぎょっとしている間に3人くらいに増える。
何を言っているのか全然わからない。英語じゃなくて……えっと、顔的に南米?ポルトガル語?
囲まれてしまった。建物の方を指をさされて、何かをしきりに言ってくるので、もしかしてここに用事があるのかと聞いているのかもしれない。作業員っぽい服装だし。
とりあえずにへら、と笑って頷くと、強引に手を引っ張られた。それで建物とは別の方向に連れて行かれそうになる。
これにはさすがにぞっとした。
え、なに?頷いたら駄目だった?お金を取られるの?まさか襲われるの?ここ昼間の日本だよね…?!
「Basta! No toques!!」
けれど、後ろから息せきって聞こえてきた声にぱっと振り返ると……誠がいた。
彼は眉を吊り上げて、掴まれた私の腕を取り返して、ぎゅっと肩を抱いた。近い。久しぶりの誠の匂いがして固まる。
その後も何を言っているか全然わからないけれど、誠が大声で怒鳴っていて、それを聞いた男性たちがげらげらと笑って誠の肩を叩いて去っていく。
「Cuídala, eh!」
「Sé romántico, hombre!」
「Déjame en paz!!」
流暢に何語が理解できないものを外人さんたちとしゃべっている誠をぽかんと見上げる。
彼らの姿が見えなくなったあとで、誠が深くため息をついた。
「あー、もう、なんでこう無防備なわけ?知らない人に付いていったらダメでしょ。しっかりしてるくせに抜けてるんだから」
「えっ、ついていこうとしてないけど。建物を指さしてたから案内してくれるのかって思っただけで」
「はぁ?言葉が全然わかってないのになんでそんないいふうに解釈するの?今休み時間だから昼でも行かないかって誘われて……いやなんならそういう魂胆だってあっただろうよ。あいつら、根っから悪い奴らじゃないけど、日本人とは違う感覚で生きてるんだからさ、気を付けて」
「……ごめん……」
視線を地面に落とした。
確かに気を抜いてたとしょんぼりとしていると、ようやく誠が強くつかんだままだった手を放してくれる。
「えー、っと、それより、こんなところでどうしたの?この辺、そんなに治安いいわけでもないから一人でうろうろしていると昼でも危ないよ。それにいま仕事の時間でしょ?あ、土木課の仕事?」
固くなった声音に、心が折れそうになる。
今の何語?とかそんな話からもっとはやく言えばよかった。
「………あの……謝ろうと思って……休みを取った……」
「別に、謝ってくれなくていいんだけど」
そうっとすぐに垂れたがる首を持ち上げると、誠は首に手を当ててそっぽを向いていた。視線は下に向いていて、足元の砂利を所在なさげに蹴り上げている。
やっぱりもうぼっきり折れそうだ。
人と感情を拗らせて対立するのは昔から苦手だった。
だからずっといい子は楽だった。自分を殺した方が楽だった。譲ったほうが楽だった。
でも今は、これだけは、譲れないと決めたんだ。
33年分の反抗をしてまで、どうしても。
理性はこんなこと馬鹿だって今も何度も警鐘しているのに、それでも、今、これを無視したらきっと一生後悔するんだろうって思う。
ごくり、と一つ唾をのんだ。
そうして、くっつきたがる唇を動かした。
「あの、私、誠のこと、結婚詐欺だと思ってたの」
早朝に出勤して、昨日まだ処理されていない案件を確認して、自分一人でも回付できるものは一定程度終わったところで、課長がやってきた。
私を見つけてたじろいだ様子なのは、昨日、私があのあとで泣いていたことを聞いたからだろうか。
関本さんとどんな話をしたのだろう。
神経質で、ことなかれ主義の課長は職場を荒らされるのは嫌いだから、きっと内心は私に何してくれてんだ、とか思っているだろう。
「昨日はすみませんでした」
「いいよいいよ。そういうときもある。これ以上騒ぎにしないでくれたらいいから」
席を立って、課長に深々と頭を下げると、席に着いた課長からはそっけない言葉が返ってくる。
全然、悪い人じゃないんだよね。
……すみません、さらにご迷惑おかけします。
「あの、課長」
「まだ、なにか?」
「私、私情で申請者の情報を見たので、懲戒にかけてください。あと、今日も休みください。うまくいかなかったら明日も、その次も。なんなら辞表書いてきたので、これ、受け取ってください」
ぽかん、と課長の顔が見たことのないものになった。
**
八島建設というのは小さな会社で、ホームページの一つもなかったし、いまは廃れたタウンページにも掲載がなかった。
だから、私は、必要な処理以外には使ってはいけないのに、申請ファイルを引っ張り出して、八島建設の住所と電話番号を写しとった。
完全なる目的外使用。公務員が私情でこんなことしたら絶対にいけない。
住民票を興味本位で見て懲戒案件になったものも回ってきた。ストーカー規制にひっかかって逮捕された案件なんて、うちの自治体だけではなくて、国から改めて通達が回ってきたくらいだ。
会社情報だけれど、それだって、自分のために使おうとしているなら一緒だ。
一回腹を決めたら、もうどうでもよくなった。
これが大事としがみついていたいと思っていたもの全部かなぐり捨てて、もういいやって。
いやでも犯罪はよくない、けど。
ストーカー……に該当するだろうか。でも、ちゃんと1回話したらもうきっぱりすっぱりするし。
わめいてしまったので、親が職場に来ることだって懸念しなければならない。
そしたらもう恥の上塗りの上塗り。
なら、仕事ももう変わったっていいんじゃないかなって。
民間への転職活動はどれくらい大変だろうか。
お金は取られなかったんだし、語学留学とかそういうのだってできるかも。
今から思い切りやりたいことやってみたっていいじゃないか。
職場にめちゃくちゃ迷惑をかけるのは、すごく心苦しいけど……。
許してもらえるなら年度末まで働いて、引継ぎだけはきちんとさせてもらおう。
『ちょっと待って瀬川さん!!話し合おう!!早まらないで!!!』
そんな風に引き留める課長に、有給休暇は権利なんで、って言って職場を出てきた。続々と登庁してきた人たちが何事かと目を丸くしていた。
メモを片手にやってきたのは、広いトラックヤードがあるけれど、2階建てのプレハブみたいな小さな建物。看板は確かに八島建設ってなっている。
あまり人気のある雰囲気ではなかった。
そりゃあそうか、日中だから、現場に作業員は行っているだろう。
どうしようかな。
建物の周りをうろうろとしていると、大きなトラックが戻って来て、突然ぬって現れたガタイのいい外国人に話しかけられた。
めちゃくちゃ大きい。ぎょっとしている間に3人くらいに増える。
何を言っているのか全然わからない。英語じゃなくて……えっと、顔的に南米?ポルトガル語?
囲まれてしまった。建物の方を指をさされて、何かをしきりに言ってくるので、もしかしてここに用事があるのかと聞いているのかもしれない。作業員っぽい服装だし。
とりあえずにへら、と笑って頷くと、強引に手を引っ張られた。それで建物とは別の方向に連れて行かれそうになる。
これにはさすがにぞっとした。
え、なに?頷いたら駄目だった?お金を取られるの?まさか襲われるの?ここ昼間の日本だよね…?!
「Basta! No toques!!」
けれど、後ろから息せきって聞こえてきた声にぱっと振り返ると……誠がいた。
彼は眉を吊り上げて、掴まれた私の腕を取り返して、ぎゅっと肩を抱いた。近い。久しぶりの誠の匂いがして固まる。
その後も何を言っているか全然わからないけれど、誠が大声で怒鳴っていて、それを聞いた男性たちがげらげらと笑って誠の肩を叩いて去っていく。
「Cuídala, eh!」
「Sé romántico, hombre!」
「Déjame en paz!!」
流暢に何語が理解できないものを外人さんたちとしゃべっている誠をぽかんと見上げる。
彼らの姿が見えなくなったあとで、誠が深くため息をついた。
「あー、もう、なんでこう無防備なわけ?知らない人に付いていったらダメでしょ。しっかりしてるくせに抜けてるんだから」
「えっ、ついていこうとしてないけど。建物を指さしてたから案内してくれるのかって思っただけで」
「はぁ?言葉が全然わかってないのになんでそんないいふうに解釈するの?今休み時間だから昼でも行かないかって誘われて……いやなんならそういう魂胆だってあっただろうよ。あいつら、根っから悪い奴らじゃないけど、日本人とは違う感覚で生きてるんだからさ、気を付けて」
「……ごめん……」
視線を地面に落とした。
確かに気を抜いてたとしょんぼりとしていると、ようやく誠が強くつかんだままだった手を放してくれる。
「えー、っと、それより、こんなところでどうしたの?この辺、そんなに治安いいわけでもないから一人でうろうろしていると昼でも危ないよ。それにいま仕事の時間でしょ?あ、土木課の仕事?」
固くなった声音に、心が折れそうになる。
今の何語?とかそんな話からもっとはやく言えばよかった。
「………あの……謝ろうと思って……休みを取った……」
「別に、謝ってくれなくていいんだけど」
そうっとすぐに垂れたがる首を持ち上げると、誠は首に手を当ててそっぽを向いていた。視線は下に向いていて、足元の砂利を所在なさげに蹴り上げている。
やっぱりもうぼっきり折れそうだ。
人と感情を拗らせて対立するのは昔から苦手だった。
だからずっといい子は楽だった。自分を殺した方が楽だった。譲ったほうが楽だった。
でも今は、これだけは、譲れないと決めたんだ。
33年分の反抗をしてまで、どうしても。
理性はこんなこと馬鹿だって今も何度も警鐘しているのに、それでも、今、これを無視したらきっと一生後悔するんだろうって思う。
ごくり、と一つ唾をのんだ。
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