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第四十一話 繋がって、相手に溶け込んでしまいたいほど、離れたくない
しおりを挟む十二月二十二日。
時刻はたぶん、十時半くらい。
外には、雪がチラチラと降っている。
この暗い部屋でも、窓の外に舞う雪ははっきりと見える。雪の白さが、周囲の光を反射するからだろうか。
洋平は、そんなことを思っていた。
裸で、美咲と一緒の布団に入りながら。
枕元には、スイッチを入れていない懐中電灯。
住み着いた、コンビニの住居部分。部屋の窓に、カーテンはかかっていない。
隣の家の窓が見える。向こうも、明かりは点いていなかった。カーテンが掛かっていて、部屋の中は見えない。けれど、窓際付近に人がいることは分かる。
洋平は最近、可能な限り周囲を探るレーダーを使っていた。秀人に「違う」と言われるまで、超能力だと思っていた力。どこに行くときも、美咲とセックスするときでさえも、レーダーで周囲を探っていた。彼女と二人で逃げ延びるために。
レーダーで察知することで、隣の家にいる人物の動きが分かる。カーテンに隠れて、こちらを見ている。覗きだろう。でも、気にすることはない。この暗がりでは、こちらの姿など見えないだろうから。せいぜい、洋平と美咲の影が見える程度のはずだ。
――二時間ほど前に、美咲と銭湯に行ってきた。三日に一回の風呂。徒歩で行って、帰りは手を繋いで帰ってきた。
帰り道で、美咲が、コンビニに寄りたいと言った。見たいものがあるから、と。
一緒にコンビニに入った。美咲が足を運んだのは、雑誌コーナーだった。女性誌のコーナー。彼女は、結婚情報誌を手に取った。
『ちょっとだけ贅沢していい?』
ウェディングドレス姿の女性が写った雑誌を手に、美咲が、上目遣いで訴えてきた。
婆ちゃんから受け取った餞別だって、当たり前だが、無限ではない。経済的には不安がある。飲料水以外の水を確保するのに、金を使わないようにする程度には。
それでも、洋平は駄目とは言わなかった。
ほんの八ヶ月前まで「女」を売り物としていた美咲。そんな彼女が、結婚に興味を持っている。好きな人と添い遂げる行為に、興味を持っている。それが、なんだか嬉しかった。彼女に好かれていることに、幸せを感じた。
住処にしているコンビニに帰ってきて、買った雑誌を近くに置いて、敷きっぱなしの布団に寝転んで、抱き合って、セックスをした。
『せっかくお風呂に入ったのに、汗、かいちゃうね』
クスクスと笑いながら、まるで戯れのように体を重ねた。
『寒いけど、こうしてると暖かいね』
互いの気持ちを手に取りながら、愛で合うような戯れ。互いが、互いの気持ちに触れ合うような戯れ。
事が終わって、今は、体を密着させていた。
「あ」
美咲が声を漏らした。思い出したように動いた。懐中電灯を手に取り、点けた。
洋平は慌てて、窓と美咲の合間に移動した。自分の体で、美咲を隠すように。覗いている隣の住人に、美咲の裸を見せたくない。
美咲は、先ほど買った結婚情報誌を手に取り、懐中電灯で照らしながら広げた。記載されている、ウェディングドレスを着た女性の写真。結婚の記事。結婚指輪の情報。
結婚情報誌を見る美咲は、楽しそうだった。鼻歌でも漏らしそうな表情で、ページをめくっている。その姿は、どこにでもいる十六歳の女の子だった。好きな人と付き合って、将来は結婚すると信じている。二人で過ごす時間が、永久に続くと思っている。
そんな、どこにでもいる、普通の少女。
でも、洋平は分かっていた。自分達の幸せな時間は、それほど永くは続かない。ここからも、近いうちに逃げ出すことになるだろう。
洋平は警察が嫌いだ。だが、彼等を無能だとは思っていない。近いうちに洋平や美咲の居場所を突き止め、乗り込んでくるだろう。
秀人に聞いた話によると、警察は、洋平を超能力者だと断定して捜査しているという。だから、捜査には超隊も加わっている。
このコンビニを住処にすると決めた日に、洋平は、すぐに逃走のルートを確保した。建物の屋根に登り、煙突を見つけると、そこにロープを縛り付けた。部屋の南側の窓際に、ロープを垂らした。警察に突入されたらロープを伝って屋根に登り、近隣の家の屋根伝いに逃げるために。
警察が突入してきたらすぐに気付けるように、常にレーダーを広げていた。気を張っているせいか、空腹になることが多かった。食費には少し悩まされている。
逃げ道は確保している。常にレーダーを使って警戒している。それでも、自分達が逃げ切れる可能性は、決して高くない。
自分達は、いつか捕まる。離れ離れになる。引き離される。
美咲と、一緒にいられなくなる。
――嫌だ!
結婚情報誌を、目を輝かせて見ている美咲。洋平との結婚を夢見ているであろう、美咲。
洋平も、美咲が好きなのだ。今が幸せなのだ。決して離れたくない。失いたくない。一緒にいたい。邪魔されたくない。
逃げ続けるのは――逃げ延びるのは困難を極める。それでも。どうしても。
何があっても、美咲と……。
「ねえ、洋平」
声をかけられて、洋平は、不安の渦から現実に戻った。
美咲は楽しそうだった。懐中電灯の淡い光に照らされた表情は、幸せだと語っている。目を、笑みの形に細めていた。口元が緩むのを、堪え切れないようだった。
手元の結婚情報誌は、指輪の特集ページが開かれていた。
「結婚指輪って、どうして左手の薬指に着けると思う?」
美咲の質問に、洋平は、自分の知識を探った。秀人と同居を始めるまで、知識などまるでなかった自分。でも、秀人の家で多くの本を読んだ。読んだ内容は、ほとんど覚えている。それなりの知識が身についたと自負している。
けれど、自分の記憶の中に、美咲の質問に対する答えはなかった。
「分からない。そういえば、どうしてなんだ?」
ふふ、と小さな笑い声を漏らすと、美咲は、自分の両手で洋平の左手を握った。洋平の左手の薬指を、自分の指で撫でる。
「左手の薬指って、心臓に直結してるからなんだって。結婚して、心臓に直結してるところに指輪を着けて。そうやって、心臓と心臓で繋がるの」
美咲の手は、洋平の左手から腕を通り、心臓の位置に移動した。体の中心より、ほんの少しだけ左側。
美咲の手が、洋平の左胸に触れている。洋平の鼓動を感じているようだ。トクン、トクン。
「互いにね、心臓と心臓で繋がるの。心臓で繋がって、自分が相手の血になって、相手の全身に流れていくの」
自分が、相手の血になる。相手の全身を巡る。
相手が、自分の血になる。自分の全身を巡る。
洋平が、美咲の全身を巡る。
美咲が、洋平の全身を巡る。
「ね。洋平も触ってみて」
美咲は、左手で、洋平の右手を握った。自分の左胸に触れさせる。乳房の下の部分。
「私の心臓の音、分かる?」
「ああ。分かる」
洋平の手の平に、美咲の鼓動が伝わってくる。
トクン。トクン。
脈打つ心臓。全身に血が巡ってゆく。自分が、美咲の血になって、彼女の全身を巡ってゆく。互いが、互いの一部になる。決して離れないように。
互いの左胸に触れ合って。
互いに繋がっているようで。
その感触が、幸せで、幸せで。
だからこそ、強く思った。
――離れたくない!
洋平は美咲を抱き締めた。
突然抱き締められて驚いたのか、美咲は「きゃっ」と声を漏らした。
「どうしたの? 洋平?」
聞きながらも、美咲は洋平を抱き返してきた。強く、でも優しく、抱き合った。
触れ合う肌の感触が、心地いい。美咲の体温を感じられることに、言葉にできない幸福感を覚えた。このまま溶け合って、ひとつになってしまいたい。そんなことさえ思うくらいの、幸せ。
美咲の質問に、洋平は何も答えなかった。ただ、現実に抵抗するように決意していた。
絶対に逃げ切る。絶対に捕まらない。どんなに困難でも。たとえ可能性が低くても。
決して、美咲から離れない。引き離されない。
この幸せを失いたくない。
命が尽きるまで、美咲と一緒にいるんだ。
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