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第三章 罪の重さを計るものは
第十五話 亜紀斗対咲花~心残り~
しおりを挟む亜紀斗は強い。心からそう思う。
深夜のプレハブ。姉を殺した最後の一人が、隅っこで震えている。あいつを惨殺すれば、全てが終わる。仇討ちも、自分の未来も。
目的を邪魔する男が、目の前に立ちはだかっている。佐川亜紀斗。自分と同じ、道警本部特別課のSCPT隊員。三年ほど前に異動してきてから、ずっと啀み合っている男。
咲花はもう、亜紀斗のことを認めていた。認めたくないという気持ちすら、今はもうない。強靱な精神力。自身の凶暴性や暴力性を抑える自制心。絶えることのない向上心。頭がいいとは言えないが、実直で誠実だ。本人に伝えることは決してないが、尊敬できる人間だと思える。
この三年で、咲花は、亜紀斗の成長を誰よりも感じていた。単なる戦闘能力の話ではない。視野が広がり、犯罪や犯罪者に対して色んな見方ができるようになった。死者に縛られるのではなく、死者の想いを背負えるようになった。それは、咲花にはできなかったことだ。
そんな亜紀斗が、自分を必要だと言ってくれた。
『駄目だ。殺させない。俺の隣りには、お前が必要だ』
咲花は茶化したが、亜紀斗の言葉が嬉しかった。
亜紀斗は咲花を止めようとしている。彼らしい素直さで、自分の気持ちを口にして。彼らしい実直さで、迷いなど微塵もなく。
亜紀斗に対して、咲花には迷いがあった。
高野を――姉の仇を殺すことに対する迷いではない。あんなクズ野郎を殺すことに、躊躇いなど微塵もない。時間が与えられるなら、彼が失血死するまで、体中に針を刺し続けることもできるだろう。両手足の生爪を剥がしてもいい。体中に煙草の火を押し付けてもいい。彼が苦しむことなら、何だってできる。
咲花の迷いは、自分の心の在処だった。
これからも亜紀斗と競い合いたい自分がいる。実戦訓練で敵意をぶつけ合いながら、殺し合いのような戦いをしたい。犯罪者に対する信念と考え方について、激しく言い争いたい。必死に追いかけてくる彼を、必死に突き放したい。たとえ追い付かれ、追い抜かれても、悔いなどないなだろう。彼にだけは負けたくないのに、彼になら負けてもいい。
婚約破棄をしてから何年も経つのに、未だに川井を愛している自分がいる。咲花の心の中から、姉への罪悪感は一生消えない。姉を差し置いて幸せになるなんて、絶対にできない。だから、彼と結婚することはない。恋人に戻ることもない。でも、恋人や妻という関係でなくとも、温もりを与え合う仲でいたい。もし彼に恋人ができたなら、かつての関係を甘酸っぱく想い合える間柄でいたい。
咲花は、復讐のために全てを捨てたつもりだった。神坂の再犯を知り、秀人に復讐を持ちかけられたときから。
三日前には、全ての未練も断ち切ってきた。
でも、捨て切れていなかった。
咲花を止めに来た亜紀斗は、ひどい顔をしていた。頬はこけ、目の下には隈があった。きっと、寝る間も惜しんで咲花の動向を探っていたのだろう。体調を崩してでも止めようとするほど、彼は、咲花のことを大切に思っているのだ。
そんな亜紀斗を見て、咲花は気付いてしまった。自分には、大切なものが多すぎる。全てを捨てて復讐に走るには、重すぎる心残りたち。
けれど、もう後戻りはできない。自分はクロマチンを使用して犯罪に走った。仕事外で、クロマチンを使用して二人も殺した。間違いなく、秘密裏に殺処分される。
姉を殺した奴等の情報は、秀人から得た。情報提供の交換条件を、彼は提示してきた。
『今度こそ、俺の仲間になってよ』
咲花は、その条件を飲んだ。秀人に話を持ちかけられたときは、もうどうでもよくなっていた。神坂が再び罪を犯した。警察庁長官が逮捕され、自分のすべきことができなくなった。秀人の手によって、神坂が殺された。本当は、自分の手で殺したかったのに。
ほとんど自暴自棄になっていた。
今の咲花には、三つの未来が用意されている。
ここで亜紀斗に負け、捕えられ、殺処分されるか。
ここで亜紀斗に勝ち、高野を殺した後で自首し、殺処分されるか。
ここで亜紀斗に勝ち、高野を惨殺して、秀人の仲間になるか。
どれも、咲花の望む未来ではない。復讐を渇望した結果、用意された未来。
迷いを抱えながら、亜紀斗と戦った。彼の顔面に近距離砲を食らわせ、咲花は大きく彼から離れた。
亜紀斗の動きは、今まで戦ってきた中でも最悪だった。寝不足と疲労の影響が、嫌というほど見て取れた。それでも彼は、決して諦めないだろう。折れることのない、不屈の心。
咲花から離れた位置で、亜紀斗は大きく呼吸をした。彼の目付きが変わり、低く構えた。鋭い目付き。断固たる決意を感じる。
亜紀斗の目を見て、咲花は悟った。彼が何をする気なのか。二年半前と同じだ。かきつばた中学校の屋上で、秀人と戦ったとき。
エネルギー消費を度外視した、全力での全身強化。
あのとき、亜紀斗は二分ほどで酸欠に陥った。以後は訓練を重ねていたから、全力の持続時間は伸びているだろう。
――たぶん、三分くらい。
咲花は冷静に、亜紀斗の力量を推測した。彼が全力で全身強化をできるのは、たぶん三分くらい。
つまり、三分間だけ亜紀斗を捌き切れば、その時点で勝ちが確定する。高野を別の場所に連れ去って、惨殺して、仇討ちを終えられる。
三分間。三分間だけ、捌き切れば……。
再び、亜紀斗が踏み込んできた。
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