罪と罰の天秤

一布

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第四章 この冷たく残酷な世界でも

第二話② 小さすぎる希望(後編)

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「公安だよ」

 藤山の声のトーンは、元通りになっていた。彼は亜紀斗よりも、感情のコントロールが数段上手いようだ。

「そもそも、罪を犯したクロマチン能力者という存在自体が、国家体制に害を与える者だからね。公安の調査対象なんだよ」
「公安に、クロマチン能力者を捕えられる人がいるんですか? 普通の人間じゃあ、到底――」

 亜紀斗は一旦、言葉を止めた。普通の人間では、クロマチン能力者を捕えることは困難極まりない。では、どうやって捕えているのか。答えは単純だ。

「――公安にも、クロマチン能力者がいるんですか?」
「そうだよ。表立った所属部署はないけどね。当然、道警にも、クロマチン能力者で編成された公安の所属があるんだ」

 道警の公安は警備部の所属になっていて、公安一課、二課、三課とある。それらが、表立って公開されている部署。

「クロマチン能力者で編成されてるのは、公安特別課。刑事部の特別課と違って、公安特有の事案を扱う特別課だよ。秘密裏に動く人達だから、色々と秘匿されてるけど」

 そこまで言って、藤山は皮肉げに笑った。

「まあ、公安の特別課っていっても、咲花君や亜紀斗君ほどの戦力がある人はいないよ。秘密裏に動く人達だから、知能とか従順さが重要視されてる人達だしね」

 藤山の言うことは当然と言えた。咲花も亜紀斗も、従順に命令だけで動くタイプの人間ではない。上の命令に従順になれないほど、信念が強すぎる。亜紀斗も咲花も。

「国側としてはね、本当は、秀人君を公安の特別課に所属させたかったらしいんだよねぇ」

 藤山の口調が、いつもの間延びしたものに戻った。とはいえ、普段とは違い、嘲る様子がはっきりと出ていたが。

「考えてもみてよ。公安の特別課に、咲花君や亜紀斗君ほどの戦力がある人はいない。じゃあ、今回みたいに、咲花君クラスのクロマチン能力者が犯罪に走ったらどうなるか? 今までの秀人君と同じように放置するか、もしくは、公安特別課の人達が、犠牲が出ることを覚悟で捕えるしかないだろぉ?」

 確かに。亜紀斗は無言で頷いた。

「でも、公安特別課に秀人君クラスの人がいたら、クロマチン能力がある犯罪者の捕縛が格段に楽になる。秀人君は知能も高かったから、秘密を守る重要性も理解できる――なんて、お偉いさんは考えたんだろうねぇ。だから、秀人君の過去を知りながらも、秀人君のクロマチン能力を発現させたんだ。一定期間SCPT隊員として働かせて、本格的に適正を見極めて、将来的に公安特別課に異動させるつもりだったみたいだねぇ」

 国側は、秀人の過去を知っていた。彼の危険性を想像できたはずだ。それでも彼のクロマチン能力を発現させたのは何故か。罪を犯したクロマチン能力者の捕縛を、より確実に行うため。クロマチン能力者の犯罪の隠蔽を、より徹底するためだ。

「とはいえ、国も、秀人君を舐めてたんだろうねぇ。秀人君の家族の事件は、表向きは五味秀一が関わってないものとされてる。道警にも、事実が記載された資料なんてない。だから、秀人君に事実が知られるなんて、想像してなかったと思うよぉ」

 藤山の声に混じる、痛烈な皮肉。嘲り。それは、彼自身にも向けられているように感じられた。根拠はない。亜紀斗の直感だ。権力のない正義は無力。権力のない自分も無力。だから、復讐に走る秀人を止められなかった。

「国がそんな皮算用をしたせいで、秀人君はクロマチン能力を得た。さらに事実を知って、手に負えない犯罪者――犯罪者どころか、国家の反逆者になった。まあ、そのお陰で、咲花君が助かる道も出てきたわけだけど」

 確かに皮肉だ。権力の暴走が、金井秀人という復讐者を生んだ。国側の皮算用が、秀人に復讐のための力を与えた。司法の思慮の甘さが、咲花を復讐に走らせた。けれど、権力の暴走がなければ、咲花が無罪となる道は開けなかった。

 もっとも、咲花が助かる道があるといっても、その道は困難極まりない。難易度が高過ぎる。

 仮に、公安が秀人の居場所を掴んだとしよう。特定した居場所から秀人が逃亡せず、彼に接触できたとしよう。

 公安の特別課では、秀人を捕えるのは不可能。殺すのも不可能。だからこそ、藤山の取引が成立した。咲花と亜紀斗で秀人を始末できれば、彼女は無罪放免。

 それでもまだ、大きな問題がある。

「隊長」
「何だい?」
「仮に、公安が金井秀人の居場所を特定して、俺と笹島で襲撃したとします」
「うん」
以前まえも言いましたけど、勝てません。生かして捕えるのはもちろん、殺すことも不可能です」

 生かして捕えることと、殺すこと。難易度として高いのは、生かして捕える方だ。殺せば相手は絶対に抵抗しないが、生かしていれば抵抗してくるのだから。

 秀人を相手に、亜紀斗と咲花の二人がかりで、殺すつもりで戦ったとしよう。

 ほぼ確実に、殺されるのは自分達の方だ。

 亜紀斗は、秀人の強さと賢さ、冷静さと冷徹さを正確に理解しているつもりだ。

「道警本部以外から、誰かの手を借りられないんですか?」

 道警本部の中で、秀人と戦ううえで戦力になり得るのは、亜紀斗と咲花だけだ。他の隊員が加わったとしても、足手まといにしかならない。おそらく、盾としてすら使えないだろう。

 だが、全国の都道府県警全体を見れば、数人程度なら戦力になる者がいるかも知れない。

 亜紀斗に聞かれて、藤山は眉をハの字にした。

「らしくないねぇ。ずいぶん弱気じゃない?」
「金井秀人と戦ったことがあるから、ですよ」

 あのとき亜紀斗は、エネルギー消費を度外視して戦った。そんな亜紀斗を、秀人は、片足だけで捌いていた。それも、かなりの余裕を見せて。咲花の近距離砲という奥の手があったからこそ勝てたが、実力的には圧倒的に劣っていた。それこそ、虎と猫というほどに。

「隊長も、金井秀人のことは知ってるんですよね?」
「そりゃあね。一緒に働いてたから」
「それなら、分かるんじゃないですか? 俺と笹島だけでは不可能です。もしかしたら、誰が何人集まっても不可能かも知れない。それこそ、ミサイルでも用意しないと無理な気がします」
「まあ、分かるけどね」

 小さく呟いて、藤山は、椅子の背もたれに寄り掛かった。天井を見上げる。どこか懐かしそうに、口を開く。

「秀人君はね、昔から凄かったんだよ。確かに天才なんだけど、ただの天才じゃない。努力家で、研究熱心で、頭もずば抜けて良かった。国が――五味親子があんな馬鹿なことをしなければ……幸せな家庭で生きて、お父さんに影響を受けて警察官を志してたら……たぶん、こんな地方警察なんかに所属してなかった」
「? どういうことです?」
「ああ、そうか。亜紀斗君は知らなかったんだっけ」

 言って、藤山は、簡単に説明してくれた。クロマチン開花の薬を国連に発注する際に、この国は、秀人のことを外部型クロマチンの素養者だと報告した。そうすることによって、秀人が国連に注目されることを防いだのだ。秀人が、国際レベルの権力者と繋がりを持てないように。秀人の家族の事件が、国際レベルの権力者によって再調査されないように。

 藤山の話を聞いても、亜紀斗は、あまり驚かなかった。散々薄汚いことをしてきた奴等だ。そのくらいのことはするだろう。

「ときどきね、考えるんだ。秀人君の存在が国連に注目されたら、どうなっていたのかな、って。秀人君はね、今でこそ国家の反逆者だけど、当時は、本当に尊敬できる人だったんだ。僕も、あんなに人を尊敬したのは初めてだった。僕、秀人君より先輩なのにね。でも、後輩とか先輩とか関係なく、尊敬できる人だったんだよ」
「……」

 藤山の気持ちも秀人の変貌も、亜紀斗は、なんとなく理解できた。亜紀斗自身が、つい最近、経験したことだから。

 亜紀斗は咲花に対し、尊敬と言っていい感情を持っている。考え方は真逆なのに。そんな咲花も、どうしようもない事実に心が折れ、残酷な現実に魂を傷付けられ、復讐に走ってしまった。

 秀人もきっと、咲花と同じなのだ。信念や志を、怒りが上回ってしまった。もっとも、秀人の怒りの矛先は、咲花よりもはるかに大きいのだが。

「……って、話が逸れたね」

 藤山は苦笑した。視線を亜紀斗に戻し、端的に結論を述べた。

「他の都道府県警からの応援は得られないよ。秀人君の処分は、僕達だけでやらないといけない。理由は、分かるよね?」
「いえ」

 亜紀斗は素直に答えた。秀人を捕えるにしろ殺すにしろ、亜紀斗と咲花だけでは不可能だ。もっと戦力がいる。足手まといにならない、本物の戦力が。

「察して欲しかったんだけどなぁ」

 藤山は少しだけ困った顔をした。

「考えてもみてよ。秀人君のことは、国全体が隠蔽しようとしてる。つまり、秀人君と関わる人を、できるだけ少なくしたいんだ。どこから国の過去が漏れるかわからないし、秀人君に接触する人が増えれば、漏れる可能性が高くなるわけだからね」
「ああ、なるほど」

 秘密を秘密のままにしたいなら、秘密を知っている人を少なくする必要がある。秘密が他者に漏れる可能性を、潰す必要がある。だからこそ、秀人に接触する者を少なくする必要があるのだ。

 余所から応援を得られない理由については、理解した。しかし、それが問題解決に繋がるわけではない。むしろ、絶望的な状況であることを突き付けられただけだ。

「結局、俺と笹島の二人だけで、金井秀人をどうにかしないと駄目なんですね」

 無茶だ、と心底思う。秀人を殺せば、咲花は無罪放免。咲花を生かす希望はある。あまりに小さな、一粒の砂のような希望。

「やだなぁ、亜紀斗君」

 藤山はパタパタと手を動かした。

「いくら何でも、秀人君を相手に、亜紀斗君と咲花君だけで戦わせないよぉ」
「は?」
「まあ、一人増えるだけなんだけどね。三人で、秀人君をどうにかする」
「三人、って。もう一人は誰なんですか?」

 亜紀斗には、まったく心当たりがない。

 藤山はフフンと鼻で笑うと、彼自身を指差した。

「亜紀斗君と、咲花君と、僕。三人で秀人君をどうにかする」
「は?」

 亜紀斗の口から、間の抜けた声が漏れた。目の前の藤山を、まじまじと見つめる。

 藤山は、道警本部特別課の隊長にまでなった人物だ。確かに実力はあったのだろう。とはいえ、今の彼は、一線から退いた四十代の中年だ。彼が訓練をしているところを、見たことすらない。

 昔どれほど強かったとしても、今の藤山が戦力になるとは思えない。

「うん。僕が戦力になるはずがない、って顔してるねぇ、亜紀斗君」
「いや……え、と……隊長は、その……一線を退いて長いでしょうし……」

 できるだけ失礼にならない言葉を選ぼうとするが、頭に浮かばない。亜紀斗は言葉に詰まってしまった。

 亜紀斗の心情に気付いているのだろう。藤山は、自信に満ちた笑顔で宣言してきた。

「じゃあ、次の実戦訓練は、僕も参加するよ。亜紀斗君、相手してね。色々と証明してあげるから」
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