罪と罰の天秤

一布

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第四章 この冷たく残酷な世界でも

第十三話① 死にたがりの狙撃(前編)

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 ギィッと、蝶番の音が聞こえた。訓練室の扉が開けられたのだろう。

 訓練室内にある、待機室。半開きになったドア。そのドアの影に、咲花は隠れていた。秀人を狙撃し、仕留めるために。

 藤山が立てた作戦はシンプルで、かつ確実性の高いものだった。

 華を人質にして、秀人を誘き寄せる。亜紀斗と藤山の二人で対応するように見せかける。その隙をついて、咲花が、待機室のドアの影から狙撃する。

 秀人は、咲花の復讐に加担していた。当然、咲花が復讐に失敗したことも知っている。罪を犯したクロマチン能力者が殺処分されることも知っている。だから彼は、咲花が死んだと思っているはずだ。

 秀人は計算高い。道警本部に来た時点で、不意打ちを警戒しているだろう。とはいえ、常に全力の防御膜は張っていないはずだ。そんなことをしていたら、すぐにエネルギーが切れてしまう。

 物陰に隠れて、全力ではない秀人の防御膜を突き破る。それができるのは、道警本部の中でも咲花だけだ。

 秀人は耳がいい。物音ひとつでも立てたら、隠れていることを悟られてしまう。呼吸音すら立てないように細心の注意を払い、咲花は弾丸を生成した。留置所で訓練した、針状の弾丸。それに、可能な限りのエネルギーを注ぎ込む。薄い防御膜や耐久力強化であれば、貫通できるくらいに。一発で、秀人を確実に仕留められるように。

「秀人!」

 公安が誘拐してきた女の子――華が大声を上げた。声を出した直後、彼女は大泣きした。

「秀人! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 藤山の推測通り、華は、秀人について何も知らない様子だった。彼が多くの人を殺していることも、この国に復讐しようとしていることも。

 華は、ただ純粋に秀人を愛している。

「華! 大声出さないで! 赤ちゃんがビックリするから!」

 大きな声で華に呼び掛ける、秀人の声。大きな声だが、優しくもあった。九年前に、道警本部にいた頃のように。

 秀人は、本当に華を大切にしているのだ。以前の藤山の証言が、咲花の頭に浮かんだ。

『どうやら秀人君は、本当に四谷華さんを大切にしてるみたいなんだ。様子を探ってた公安の人達から見ても、秀人君と四谷華さんは、本当に仲睦まじいそうでね。産婦人科から帰るときも、秀人君は、常に四谷華さんを気遣ってたんだって』

 秀人が大切にしている、たった一人の少女。

 秀人と藤山の会話が、咲花の耳に届いた。

「藤山さん」
「何?」
「華と、大声を出さずに話せる位置まで近付きたい。いいだろ?」
「じゃあ、僕がストップって言うまで進んで」
「わかった」

 訓練室に、二人の足音。藤山と秀人が、訓練室の中に入ってゆく。藤山が、秀人を誘導している。咲花が狙撃しやすい場所まで。

「はい、秀人君。ストップ」

 藤山が、秀人の前進を止めた。

 咲花は、待機室のドアの影から、秀人の位置を確認した。彼の背中が見える。

 止められた位置に、秀人は少し不満そうだった。

「藤山さん。これじゃあ、少し遠いよ。もう少し近付けない?」
「駄目だよ。これ以上近付いたら、秀人君が一瞬で華さんのところまで行けちゃうからね」

 今の秀人の位置は、咲花が狙撃するうえで最適な場所だった。

「人質まで取ってるのに、ずいぶん用心深いね」
「秀人君を相手にするんだ。慎重にもなるよ」
「そう」

 やはり不満そうに相槌を打った後、秀人は少し大きな声を上げた。

「華、普通に話して大丈夫だから。俺なら、この距離でも華の声が聞こえるから」

 華に語りかける秀人の声は、やはり優しい。すぐに藤山と会話をしたが、華と話すときとは、まるで声色が違っていた。

 藤山と短い会話を終え、秀人は、また優しい声に戻った。

「華」
「なに?」
「具合悪くない? お腹は張ってない? 吐き気とかはない?」
「だいじょーぶ。でもね、華、また秀人に迷惑かけちゃって……。馬鹿でごめんなさい。駄目なお母さんでごめんなさい」

 華の言葉は、咲花の位置では聞き取りにくかった。声が大きくない上に、しゃくり上げながら話している。

 公安の報告では、華は、知能に障害があるらしい。

 咲花の知る限り、障害がある人の性格は、大きく分けて二種類ある。一つは、純粋に自分を受け入れ、助けてくれる周囲に感謝し、一生懸命生きる人。もう一つは、周囲に助けられることで増長し、助けてもらえるのが当たり前だと錯覚し、傲慢に生きる人。

 華は、明らかに前者だった。前者の中でも、より汚れのない純粋さを感じた。

 ――ごめんね、華さん。

 胸中で詫びて、咲花は狙いを定めた。秀人の背後から、彼の心臓に照準を合わせる。

 華は、純粋過ぎるほどに秀人を愛している。彼を殺したら、華に恨まれるだろう。たとえ彼女が、秀人の本当の姿を知ったとしても。

 愛する者を殺される苦しさは、咲花もよく分かっている。

 ――あなたが望むなら、復讐させてあげるから。

 華が秀人の仇を討つというなら、咲花は無抵抗で殺されてもよかった。どうせ、本来なら死んでいた身だ。

 今の咲花は、生きる屍に等しかった。ただ、死に場所を探していた。地獄を見て死んだ姉を差し置いて、幸せになんてなれない。姉に報いる方法もなくした。姉の仇も全員死んだ。

 生きる目的なんてない。今回の秀人討伐も、正義感や信念から行っているわけではない。秀人の復讐が成し遂げられたら、この国は終わる――その阻止に、モチベーションがあるわけでもない。

 咲花が願っているのは、二つだけだった。生きる気力がなくても、捨て切れない願い。大切な人への思い。

 愛する人に生きていてほしい。
 競い合った馬鹿には、生涯信念を貫いてほしい。

 大切な人が生きることだけを、願いながら。これが終わったら、本当に生きる意味がなくなると自覚しながら。

 咲花は、弾丸を放った。秀人の心臓に目掛けて。

 貫通力を最大限に発揮できる、針状の弾丸。一発に注ぎ込める最大量のエネルギーを乗せた弾丸。

 ミリ単位の誤差もないほど正確に、咲花の弾丸は、秀人の心臓に向かった。
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