164 / 176
第四章 この冷たく残酷な世界でも
第十三話① 死にたがりの狙撃(前編)
しおりを挟むギィッと、蝶番の音が聞こえた。訓練室の扉が開けられたのだろう。
訓練室内にある、待機室。半開きになったドア。そのドアの影に、咲花は隠れていた。秀人を狙撃し、仕留めるために。
藤山が立てた作戦はシンプルで、かつ確実性の高いものだった。
華を人質にして、秀人を誘き寄せる。亜紀斗と藤山の二人で対応するように見せかける。その隙をついて、咲花が、待機室のドアの影から狙撃する。
秀人は、咲花の復讐に加担していた。当然、咲花が復讐に失敗したことも知っている。罪を犯したクロマチン能力者が殺処分されることも知っている。だから彼は、咲花が死んだと思っているはずだ。
秀人は計算高い。道警本部に来た時点で、不意打ちを警戒しているだろう。とはいえ、常に全力の防御膜は張っていないはずだ。そんなことをしていたら、すぐにエネルギーが切れてしまう。
物陰に隠れて、全力ではない秀人の防御膜を突き破る。それができるのは、道警本部の中でも咲花だけだ。
秀人は耳がいい。物音ひとつでも立てたら、隠れていることを悟られてしまう。呼吸音すら立てないように細心の注意を払い、咲花は弾丸を生成した。留置所で訓練した、針状の弾丸。それに、可能な限りのエネルギーを注ぎ込む。薄い防御膜や耐久力強化であれば、貫通できるくらいに。一発で、秀人を確実に仕留められるように。
「秀人!」
公安が誘拐してきた女の子――華が大声を上げた。声を出した直後、彼女は大泣きした。
「秀人! ごめんなさい! ごめんなさい!」
藤山の推測通り、華は、秀人について何も知らない様子だった。彼が多くの人を殺していることも、この国に復讐しようとしていることも。
華は、ただ純粋に秀人を愛している。
「華! 大声出さないで! 赤ちゃんがビックリするから!」
大きな声で華に呼び掛ける、秀人の声。大きな声だが、優しくもあった。九年前に、道警本部にいた頃のように。
秀人は、本当に華を大切にしているのだ。以前の藤山の証言が、咲花の頭に浮かんだ。
『どうやら秀人君は、本当に四谷華さんを大切にしてるみたいなんだ。様子を探ってた公安の人達から見ても、秀人君と四谷華さんは、本当に仲睦まじいそうでね。産婦人科から帰るときも、秀人君は、常に四谷華さんを気遣ってたんだって』
秀人が大切にしている、たった一人の少女。
秀人と藤山の会話が、咲花の耳に届いた。
「藤山さん」
「何?」
「華と、大声を出さずに話せる位置まで近付きたい。いいだろ?」
「じゃあ、僕がストップって言うまで進んで」
「わかった」
訓練室に、二人の足音。藤山と秀人が、訓練室の中に入ってゆく。藤山が、秀人を誘導している。咲花が狙撃しやすい場所まで。
「はい、秀人君。ストップ」
藤山が、秀人の前進を止めた。
咲花は、待機室のドアの影から、秀人の位置を確認した。彼の背中が見える。
止められた位置に、秀人は少し不満そうだった。
「藤山さん。これじゃあ、少し遠いよ。もう少し近付けない?」
「駄目だよ。これ以上近付いたら、秀人君が一瞬で華さんのところまで行けちゃうからね」
今の秀人の位置は、咲花が狙撃するうえで最適な場所だった。
「人質まで取ってるのに、ずいぶん用心深いね」
「秀人君を相手にするんだ。慎重にもなるよ」
「そう」
やはり不満そうに相槌を打った後、秀人は少し大きな声を上げた。
「華、普通に話して大丈夫だから。俺なら、この距離でも華の声が聞こえるから」
華に語りかける秀人の声は、やはり優しい。すぐに藤山と会話をしたが、華と話すときとは、まるで声色が違っていた。
藤山と短い会話を終え、秀人は、また優しい声に戻った。
「華」
「なに?」
「具合悪くない? お腹は張ってない? 吐き気とかはない?」
「だいじょーぶ。でもね、華、また秀人に迷惑かけちゃって……。馬鹿でごめんなさい。駄目なお母さんでごめんなさい」
華の言葉は、咲花の位置では聞き取りにくかった。声が大きくない上に、しゃくり上げながら話している。
公安の報告では、華は、知能に障害があるらしい。
咲花の知る限り、障害がある人の性格は、大きく分けて二種類ある。一つは、純粋に自分を受け入れ、助けてくれる周囲に感謝し、一生懸命生きる人。もう一つは、周囲に助けられることで増長し、助けてもらえるのが当たり前だと錯覚し、傲慢に生きる人。
華は、明らかに前者だった。前者の中でも、より汚れのない純粋さを感じた。
――ごめんね、華さん。
胸中で詫びて、咲花は狙いを定めた。秀人の背後から、彼の心臓に照準を合わせる。
華は、純粋過ぎるほどに秀人を愛している。彼を殺したら、華に恨まれるだろう。たとえ彼女が、秀人の本当の姿を知ったとしても。
愛する者を殺される苦しさは、咲花もよく分かっている。
――あなたが望むなら、復讐させてあげるから。
華が秀人の仇を討つというなら、咲花は無抵抗で殺されてもよかった。どうせ、本来なら死んでいた身だ。
今の咲花は、生きる屍に等しかった。ただ、死に場所を探していた。地獄を見て死んだ姉を差し置いて、幸せになんてなれない。姉に報いる方法もなくした。姉の仇も全員死んだ。
生きる目的なんてない。今回の秀人討伐も、正義感や信念から行っているわけではない。秀人の復讐が成し遂げられたら、この国は終わる――その阻止に、モチベーションがあるわけでもない。
咲花が願っているのは、二つだけだった。生きる気力がなくても、捨て切れない願い。大切な人への思い。
愛する人に生きていてほしい。
競い合った馬鹿には、生涯信念を貫いてほしい。
大切な人が生きることだけを、願いながら。これが終わったら、本当に生きる意味がなくなると自覚しながら。
咲花は、弾丸を放った。秀人の心臓に目掛けて。
貫通力を最大限に発揮できる、針状の弾丸。一発に注ぎ込める最大量のエネルギーを乗せた弾丸。
ミリ単位の誤差もないほど正確に、咲花の弾丸は、秀人の心臓に向かった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる