罪と罰の天秤

一布

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第一章 佐川亜紀斗と笹島咲花

第十二話⑥ 地下遊歩道銃乱射事件(後編②)

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 咲花の目は冷めていた。じっと亜紀斗を見ている。馬鹿を見る目で。

「手元が狂っただけ。やっぱり、六発全部を正確に当てるのは難しいかもね」
「白々しい嘘をつくな!」

 咲花は、命の重さを理解している。そう、亜紀斗は思っていた。だから、今回は犯人を殺さないだろう、と。

「お前は間近で聞いてただろ! さっきの、こいつの話を! 明かに脅されてた! 今回の犯行も、こいつらが望んでやったことじゃないはずだ!」

 冷めた目のまま、咲花は、鼻で笑った。

「で、犯人の擁護をしてる佐川は、私をどうしたいの? 下着を引っ張ったりして。もしかして、私をレイプでもするつもり?」

 咲花は、侮蔑の視線を主犯に向けた。

「こいつらみたいに」
「……は?」

 亜紀斗の口から、間の抜けた声が漏れた。咲花のブラジャーを掴む手から、力が抜けた。

 咲花は、亜紀斗の手をブラジャーから振り払った。ズレたブラジャーの位置を直し、床からYシャツを拾い上げた。袖を通し、ボタンを留める。

「何も知らないなら、そいつのスマホを見てみたら? 過去にレイプした女の子の画像が、山みたいに出てくるはずだから」
「それって……どういう……」
「言葉の通り」

 Yシャツを着た咲花は、今度はスラックスを拾い上げ、履いた。

「こいつらは、市内の大学のアメフト部員。んで、週末の夜とかに街に繰り出して、女の子をナンパしてたの。まあ、ナンパって言っても、数人で囲んで無理矢理呑ませて、酔い潰しての集団レイプ目的なんだけどね」
「……」

 亜紀斗は、蹲る主犯のポケットから、スマートフォンを取り出した。顔認証のロックが掛っていた。主犯の顔の前に差し出し、解除した。

「狐小路付近で女の子を脅すことが多かった。刑事課には、もう何件も被害届が出てる。証拠固めも済んで、逮捕状を請求する直前だったみたいね」

 咲花の言う通りだった。主犯のスマートフォンの画像フォルダには、数え切れないほどの写真が保存されていた。酔い潰れた女性を、集団で暴行する場面。フォルダの中には、動画もあった。とても再生する気になれなかったが。

 主犯のスマートフォンを持つ、亜紀斗の手。かすかに震えた。手だけではなく、肩も震えた。視線を、足元の主犯に向けてみた。

 彼は、怯えた目で亜紀斗達を見上げていた。顔が真っ青になっているのは、右手首を打ち抜かれたからか。それとも、自分の悪行が知られていたからか。

「被害者の中には、酔いが覚めて抵抗して、殴られた女の子もいた。代わる代わるレイプされて、画像とか動画を撮られて、脅されてた」
「……」

 亜紀斗の喉は、カラカラに渇いていた。声が出せない。画像の女の子達は、皆、涙と鼻水で顔がグシャグシャになっている。どれだけ辛かっただろうか。どれだけ悔しかっただろうか。どれだけ屈辱的だっただろうか。どれだけ絶望しただろうか。

 十代の頃、亜紀斗は荒れていた。そこら中で喧嘩ばかりしていた。相手を病院送りにしたことだって、何度もある。

 けれどそれは、言ってしまえばただの喧嘩だ。亜紀斗が相手よりも強かっただけだ。少なくとも亜紀斗は、女性に暴行を加えたことはない。尊厳を踏み躙ったこともない。足元の男達が行っていた悪行とは、根本的な部分で大きく異なる。

 ――でも!

 男達が、そんな悪行に走った理由があるのかも知れない。幼い頃に、女性蔑視の価値観を植え付けられた可能性がある。性的嗜好が歪む出来事に見舞われた可能性だってある。

 亜紀斗は信じたかった。たとえ過去に何があっても、人は変われると。先生が、自分を変えてくれたように。

 乾いた喉に、唾を飲み込ませた。咲花を睨み、亜紀斗は言葉を絞り出した。

「でも、今回人を殺したのは、こいつらの意思じゃないはずだ。それに、仮に。仮に、今回のことがこいつらの意思だとしても。だからこそ、償って生きるべきじゃないのか? 自分達が傷付けた人達よりも……それ以上の人達を救うために」

「薄汚い欲求だけで人を傷付ける奴等が、償いなんてすると思うの?」

「育成環境のせいで歪んだ可能性だってあるだろ。育成環境で歪んだなら、人は変われる。変われば、償える。傷付けた人以上の人達を救うことだってできる」

 咲花は舌打ちをした。苛立ちを露わにしていた。

「じゃあ聞くけど、その償いとやらで、こいつらにレイプされた女の子達が救われるの? 落ち度もなく、欲求まみれの悪意に晒された、被害者が」

 亜紀斗も、苛立ちを隠さなかった。

「やってみなけりゃ分からないだろ!」
「そんな不確実なことを試すくらいなら、とっとと殺せばいいんじゃないの!?」

 咲花が、珍しく声を荒げた。

「こんな奴等に、生きてる価値なんてない! 確かに、今回の事件まで、こいつらは被害者を殺さなかった! でも、いつ殺しても不思議じゃなかった! 酔いが覚めた女の子に、暴力も振るってた! レイプよりも暴力を楽しむようになったら、どうなってた!? 被害者の女の子は、確実に殺されてた!」

「まだ起きてないことを仮定で語るな!」
「あんたの償いだって、ただの仮定でしょ!?」

 咲花と睨み合う。いつの間にか、彼女との距離が必要以上に近くなっていた。互いの瞳に、互いの姿が確認できる距離。

「仮に、あんたの言う通り、こいつらが変われたとしても。じゃあ、こいつらに傷付けられた女の子の人生は、どうなるの? 女の子達の人生は、こいつらが変わるための踏み台なの?」

 咲花の目は、苛立ちと怒りで満ちている。

「踏み台なんかじゃない! 救われるべき被害者だ! 犯人が償って、被害者を救わなければならないんだ!」

 きっと亜紀斗も、咲花と同じような目をしている。

 ふいに、亜紀斗の視界の端で。
 足元にいる主犯が、モゾモゾと動き出した。

 咲花の視線が、亜紀斗から外れた。足元の主犯を見た。
 亜紀斗はつられて、咲花の視線を追った。

 主犯は、打ち抜かれていない左手で、銃を拾い上げた。涙を流しながら、銃口を咲花に向けた。

 咲花の動きは、主犯よりも速かった。腕を上げて主犯との距離をつくり、外部型クロマチンの弾丸を撃ち出した。

 主犯の左手首が、肉片と血を撒き散らして吹っ飛んだ。貫通力よりも破裂する力を重視した弾丸。余波の爆風が、亜紀斗達に吹き付けた。足を踏ん張らなければ転倒しそうなほど、強い爆風。

 弾き飛ばされた銃が、カラカラと音を立てて床を転がった。

「はっ……あっ……ああっ!?」

 主犯が呻いている。涙と鼻水を垂らしながら。

 苛立ちを見せながらも、咲花は鼻で笑った。

「ほら。見たでしょ? 私達が隙を見せたら、すぐに撃とうとした。こんな奴が、反省なんてすると思う? 償いなんてすると思う?」

 咲花はその場でしゃがみ込んだ。主犯の首元を掴み上げ、亜紀斗の方へ顔を向けさせた。

「こいつらにレイプされた被害者にとって、このツラは、恐怖と絶望の象徴なんじゃないの? この面がこの世にあるだけで、被害者は救われない。こいつらがこの世から消えることで、ほんの少し――ほんの少しだけど、被害者の傷が癒されるの」
「……」

 亜紀斗は黙り込んだ。反論できなかった。

 涙と鼻水でグシャグシャになっている、主犯の顔。痛みと恐怖と絶望に包まれている。この男は、何人もの女性に、こんな顔をさせていたのだ。

 亜紀斗の心の中で、何かが割れる音が聞こえた。思い描いてきた目標。理想。憧れ。それらに、亀裂が入る音。ピシリピシリと、鋭い音が響いた。

 咲花の顔から、苛立ちは消えていなかった。亜紀斗を言い負かしたはずなのに。自身の正しさを証明できたはずなのに。

 沈黙の中、亜紀斗は咲花と睨み合っていた。

 突如、ドカドカと複数人の足音が聞こえてきた。
 同時に、パンパンッという手を叩く音。

「はーい。咲花君も亜紀斗君も、そこまでだよぉ」

 見ると、休憩スペースに、他のSCPT隊員が駆け込んできていた。

 亜紀斗と咲花に声を掛けてきたのは、藤山だった。他の隊員は駆け足なのに、彼だけは、普通に歩いて亜紀斗達に近付いてくる。

「ホント、駄目だよぉ、咲花君も亜紀斗君も。こんなところで言い争っちゃ」

 いつもと変わらない、のんびりとした、どこか人を食った口調。藤山は近くまで来ると、額に手をかざして人質の方を見た。他の隊員が、人質達の拘束を解いている。

「あっちにいる犯人、全員死んでるよね? 咲花君がやったの?」
「はい」

 咲花は主犯から手を離し、立ち上がった。

「どうして殺しちゃったの? また狙いが外れちゃった?」
「ええ。やっぱり、六発同時に撃つのは高等技術ですよね。なかなか狙い通りには当てられません」

「そうなんだぁ。僕は内部型だから、よく分からないけど。でも、咲花君、訓練では滅多に的を外さないよねぇ?」
「訓練と実戦は違いますから」
「うーん。そうかもねぇ」

 困ったような口調で、でもまるで困っていなさそうに、藤山は笑顔だった。いつもと同じ表情。

「まあ、それはともかくとして。咲花君に、亜紀斗君」
「なんですか?」
「……なんでしょうか?」

「犯行現場で、仲間内で言い争うなんて、やっちゃいけないことだよ。確かに君達は優秀だけど、優秀だからって、何でも許されるわけじゃない」
「すみません」

 亜紀斗と咲花の声が重なった。声の重みはまるで違っていたが。

「そういうわけで、二人には、それぞれ僕と面談してもらうから。もちろん、今回の事件の後処理が終わった後にね。個別に、色々と、よーく聞かせてもらうからね。残業になるだろうけど、それは、自分達の行いのせいだから。しっかり反省してね」

 いつも通りの、間延びした藤山の口調。いつも通りの、彼の胡散臭い笑顔。

「はい」
「わかりました」

 返事をして、亜紀斗は俯いた。今は、誰とも目を合せたくなかった。

 言葉にできない不安と不快感が、亜紀斗の心を包んでいた。
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