罪と罰の天秤

一布

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第一章 佐川亜紀斗と笹島咲花

第十八話 今は気の弱いいじめられっ子

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 いつの時代、どんな環境にも、いじめというものは存在する。

 自分より弱い者を見つけると、虐げたがる者がいる。弱者を虐げることで、自分の強さを実感できるから。弱者を虐げることで、自分を大きく見せることができるから。弱者を虐げることに、快感を覚えるから。

 虐げられた弱者は、さらに弱い者を探す。自分より弱い者を探し、叩き、打ちのめし、あるいは虐待し、強者に踏みつけられた鬱憤を晴らす。

 こうして、もっとも弱い者に辿り着くまで、いじめの連鎖は続く。

 十一月上旬。秋も深まり、すっかり寒くなってきた。

 学生の制服も、夏服から冬服に替わっている。

 陽が落ちる時間が、すっかり早くなってきた。まだ午後四時半だが、空は暗くなり始めている。

 市内にある、敷地面積が一キロ平方メートルほどの大きな公園。複数の区画に分かれている。木々が生い茂る区画や遊具などがある区画、休憩スペースになっている区画。

 公園から、男子中学生が二人、駆け出してきた。涙目で走っている。

 公園内の休憩スペースには、他の中学生が九人。公園から駆け出してきた中学生と同じ制服を着ている。

 九人のうち五人は、ベンチに座っていた。ニヤニヤと下品な笑顔を浮かべている。

 他の四人は、引き吊った顔をしながら、必死に芸を披露していた。当然ながら、彼等は、自ら望んでこんなことをしているわけではない。

 ベンチに座っている一人が、芸を披露している一人に蹴りを入れた。

「面白くねぇそオラ! もっと真面目にやれや!」

 蹴られた中学生はその場に倒れた。すぐに立ち上がり、泣きながら「ごめんなさい」と言い、芸を続けた。

 ベンチの五人は、ゲラゲラと笑い声を上げた。

 この中学生達を――彼等が通う中学校を、秀人は、少し前から調査していた。

 彼等は全員、中学三年。ベンチに座っている者達は、クラスカーストと呼ばれる序列の上位者。中学校という狭い世界で自分達の優位性を自覚し、下位の者達を虐げている。

 いじめを受けている者達は、その事実を誰にも話せていない。彼等は成績がいい。おそらく、卒業を待っているのだ。高校へ進学すれば、この境遇は終わる。だから、誰にもいじめられていることを言わず、耐えていた。影で発散する手段を持っていたから、なんとかいじめに耐えられていた。

 公園から駆け出していった二人は、今、近くのコンビニに向っている。食べ物や飲み物を買うために。もちろん、いじめる者達の命令によって。

 秀人はゆっくりと歩き、彼等が向ったコンビニへ足を進めた。公園自体が広いから、コンビニへの距離はそれなりに遠い。彼等が買い物を終え、戻る途中で遭遇できるだろう。

 しばらく歩いていると、中学生二人がこちらに向ってきた。食べ物や飲み物が入った買い物袋を、両手に持っている。息を切らして、懸命に走っていた。

 すれ違い様に、秀人は彼等に声をかけた。普段の地声で。

「ちょっと。君達」

 彼等は足を止めた。少なくない驚きを顔に出して。

 彼等は、じっと秀人を凝視している。服装は男物の秀人。濃いカーキの、大きなポケットが複数ついたマウンテンパーカー。ゆったりとした、黒い厚手のTシャツ。黒いカーゴパンツ。

 だが、秀人の顔立ちは、誰が見ても美女である。そんな秀人に男の声で呼び止められたのだから、驚くのも無理はない。

「ちょっといいかな?」

 走っていたせいか、中学生二人は少し汗をかいていた。驚いた顔を互いに見合わせた後、再び秀人の方を向いた。

「何ですか?」

 焦りを感じる、中学生の表情。早く戻らなければ、さらにいじめられる。不安と恐怖の焦り。

 秀人は優しく、彼等に微笑みかけた。

 先日事件を起こさせたアメフト部員達は、恐怖で従わせた。でも、今回は手法を変える。いじめられている中学生に、いじめられた鬱憤を晴らさせてやる。

 そのためには、まず、この中学生達の信頼を得る必要がある。

「そんなに時間は取らせないから、少しだけ付き合って欲しいんだ」

 中学生達は、また顔を見合わせた。困った顔をしている。

「あの……俺達、急いでるんです。早く行かないと……」

 ソワソワと体を動かす彼等は、涙目だった。恐怖に縛られた者の顔。まるで、秀人が脅したアメフト部員達のようだった。

 秀人はいきなり確信を突いた。

「君達、いじめられてるんだろ?」
「!?」

 二人は目を見開いた。少しだけ口が動いている。声は出ていない。知られたくないことを知られて、どう答えていいか分からない――そんな表情。

 秀人は、優しい笑みを崩さなかった。

「君達を助けたいんだ」

 そっと、二人の肩に手を置いた。

「俺に頼ってくれれば、悪いようにはしないよ。必ず、君達を助けられる。君達の仲間も助けられる」

 中学生二人は、呆気に取られていた。知らない人に、知られたくないことを知られていて、さらに助けると言われた。混乱するのも無理はない。

 構わず、秀人は続けた。突然の交渉は、相手に熟考させないことがポイントだ。熟考する暇もなく、信用させる。

「君達を助けられる証拠を、これから見せてあげる」
「証拠、ですか?」
「うん。そう」
「そもそも、あなたは誰なんですか?」

 当然の質問が、中学生の口から出た。

 嘘偽りなく、秀人は答えた。

「ごめんね。自己紹介が遅れたね。俺は、金井秀人。今は違うけど、元警察官なんだ。元刑事、って言った方が具体的かな」
「刑事さん、なんですか?」
「元、だけどね。警察組織に嫌気が差して、辞めちゃったんだ。あいつら、最終的には、自分達より強い権力の言いなりだから」

 これも嘘ではない。

 目の前の二人は、戸惑いと迷いを露わにしていた。秀人の言うことを、簡単には信じられないのだろう。反面、助けて欲しいとも思っている。だから迷っている。

「とりあえず着いてきて。すぐに証明して見せるから」

 クイッと顎を動かし、秀人は、中学生二人に指示した。気の弱い者を従わせるには、強引さが有効だ。

 秀人が歩き出すと、二人は素直に着いてきた。

 公園内に入る。他の中学生が待っている、休憩区画ではない。木々が生い茂る区画。

 冬が近付いていて、木々の葉は、ほとんど散っていた。

 手頃な太さの木を見つけた。直径は、概ね五十センチほどだろうか。秀人は、木の前で立ち止まった。

 中学生二人も立ち止まった。手荷物が重そうだ。持ってあげればよかったかも知れない。

「この木、結構太いよね?」
「ええ、まあ」

 秀人の質問の意味が分からないのだろう。中学生は、どこか呆けた返答をした。

「君達をいじめてる奴等がこの木を叩き折るなんて、まず無理だろ?」
「そりゃあ……」

 中学生の返答を聞きながら、秀人は、内部型クロマチンを発動させた。エネルギーを、左拳に集中。左腕の筋力と耐久力を急上昇させる。左胸付近から拳の先端まで、エネルギーが伝わっている感触。

 秀人は軽く、左拳を振った。裏拳。

 秀人の拳は、木の中心部に当たった。グシャッという、固い物が潰れる音。

 周辺に、木屑きくずが飛び散った。秀人の殴った部分が、大きくえぐれた。

 幹が抉れて自重を支えられなくなった木は、メキメキと音を立てた。バランスを失い、ゆっくりと倒れてくる。

 秀人は、全身を内部型クロマチンで強化した。倒れてきた木が地面に到達する前に受け止めた。

 受け止めた木を、そっと地面に下ろす。

 中学生二人は呆然としていた。目の前の出来事が信じられない。現実とは思えない。そんな顔。

「どう?」

 手についた木屑を払い落とし、聞いてみた。

「とりあえず、俺なら君達を守れるってことは、証明できただろ?」

 中学生二人に反応はない。目を見開いたまま、固まっている。

 構わずに、秀人は話を続けた。

「それに、君達を守るだけじゃない。いじめてる奴等が、二度といじめなんてできないようにしてあげる」

 驚きの顔のまま、中学生の一人が聞いてきた。

「どうやって、ですか?」

 口の動きが緩慢だった。言葉に詰まっている。どうやら彼等は、秀人の力に驚いているだけではなく、恐怖も感じているようだ。

 再度、秀人は、彼等の肩に手を置いた。ポンッと、優しく。

 彼等は体を震わせた。

「大丈夫」

 優しい微笑みとは裏腹の、力強い声を掛けた。

「俺は、君達の味方だ。君達は賢い。しっかりと勉強もしてる、努力家だ。あんな頭の悪い奴等にいじめられていい子達じゃない。だから助けたいんだ」
「……!」

 二人の表情が変わった。目を見開く。先ほどとは違った意味で、体を震わせている。見開いた目には涙が浮かび、やがて、頬を伝ってきた。

「助けて下さい……」

 しゃくり上げながら、二人は必死に訴えてきた。

「あいつらに、使い走りにされて……でも、お金もくれなくて……俺達も、もう、お金もなくて……」
「中学を……卒業するまでの……我慢だと思ってたけど……もう嫌で……」

 今まで誰にも、いじめられていることを言えなかった。いじめられていることが、恥ずかしかったのだろう。先生にも、親にも言えなかった。

 けれど今、彼等は、確実に助けてくれる人に出会えた。いじめている奴等なんて比較にならないほどの力を持った人物。しかも、見ず知らずの人。だから、素直に「助けて」と言えた。知らない人だから、恥ずかしさもあまり感じない。

「そうか。辛かったな」

 共感の言葉を述べて、秀人は、二人の頭を撫でた。

 秀人の身長は一六一センチ。この二人と同じくらいだ。けれど、彼等の目には、秀人がとてつもなく大きく見えているだろう。

「大丈夫。助ける。あいつらが、二度と君達をいじめられないようにするから」

 二人は、涙が流れる目を擦っていた。しゃくり上げながら、何度も「お願いします」「助けて下さい」と繰り返していた。

 二人が救いを求める度に、秀人は「大丈夫だよ」「俺に任せておきな」と繰り返した。

 秀人の言葉は、嘘ではない。彼等をいじめている奴等は、二度といじめなどできない。

 この後に、拷問の末に殺すのだから。
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