罪と罰の天秤

一布

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第二章 金井秀人と四谷華

第九話① 性病少女(前編)

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 秀人が華を自宅に連れて来てから、五日経った。

 この五日間で彼女を朝型の生活に馴染ませつつ、猫達に慣らしていった。

 初日は警戒していた猫達も、少しずつ、華に心を許すようになった。二日目は、華が寝っ転がると、体中の匂いを嗅いでいた。三日目は、寝っ転がらなくても、手を差し出すと匂いを嗅ぎに来るようになった。四日目は、華が手にしたチューブ状のおやつを食べるようになった。

 猫達におやつをあげたのが、嬉しかったのだろう。華は、秀人に聞いてきた。

『おやつ、もっとあげていい?』

 当然だが、与え過ぎるのも良くない。人間の病気を例にして、秀人は華に言い聞かせた。

『華は、このコ達が、食べ過ぎで病気になってもいいの?』

 華はブンブンと首を横に振った。

『……やだ。元気でいてほしい』
『じゃあ、あげ過ぎちゃ駄目だよ』
『……うん』

 心底残念そうに、でも猫達を気にしながら、華は頷いていた。

 五日目の朝。午前八時。

 生活リズムが変わった華は、七時には起床した。秀人の作った朝食を食べ、秀人が教えた軽いストレッチで体を温め、秀人の許可を得て猫達におやつをあげた。

「じゃあ、華。今日から本格的に、色々やってもらうよ」

 言われて、華は思い出したようだ。秀人のところに来たのは金を稼ぐためだと。

「うん。華、何すればいいの?」
「今日は出かけるから、まずはシャワーを浴びておいで」

 指示すると、華は秀人の手を握ってきた。

「じゃあ、秀人も一緒に入ろう? 体、洗いっこしよ?」

 一緒に生活して、秀人はすぐに気付いた。華は甘ったれだ、と。夜は、秀人と一緒のベッドで寝たがる。風呂は一緒に入りたがる。食事も一緒。とにかく、常に甘えてくるのだ。風俗店で彼女が人気だったのは、甘えられたい男の欲求を満たしていたからだろう。

 愛情を知らずに育った反動だな。華の性格について、秀人はそう分析した。幼い頃に得られなかった愛情を、必死に取り戻しているのだ。まるで、それまでのツケを払うように。

 華に連れられて、秀人は彼女とシャワーを浴びた。互いの体を洗い終え、風呂から出た。

「ね、秀人」

 まだ、互いに何も着ていない。体に付いた水滴を拭いたところで、華が、秀人に向って両腕を広げた。

「ギュッ、ってして」

 まるで、飼い猫が一匹増えたみたいだ。胸中で呟きながら、秀人は華を抱き締めた。

「華ね、ギュッってされるの好き」
「そうだな。寝るときも、俺に抱きついてくるもんな」
「ギュッってされるとね、暖かくて気持ちいいの」

 抱き締めながら、秀人は華の頭を撫でた。

 彼女は、テンマのことを「彼氏」と認識している。それなのに、金のために体を売っている。売春以外のところでも、こんなふうに抱きついてくる。

 恋人同士だから許される愛情表現と、恋人でなくても許される愛情表現の境が、分かっていないのだ。知能が低く、さらに、性的な搾取をされ続けたせいで。

「華」
「何?」

 華の頭を撫でながら、秀人は、今日の予定を口にした。

「今日は、病院に行くよ」
「病院? 秀人、病気なの?」
「俺じゃなく、華の検査をするんだ」
「どうして? 華、元気だよ? 病気じゃないよ?」

 秀人は華の体を離した。彼女の肩に手を置き、じっと目を見る。

「あのね、華。自覚症状がなくても――元気でも、病気になってる場合があるんだ。たぶん華も、病気になってる。だから、治さないといけない」

 少しだけキョトンとした後、華は不安そうな顔になった。

「注射するの?」
「そうだね」

 血液検査もあるはずだ。

「注射、ヤだなぁ」
「うん。でも、頑張らないとね。テンマのために、いっぱい稼ぐんだろ?」

 華は唇を尖らせた。少しの沈黙の後、力強く頷いた。

「うん! 頑張る!」
「じゃあ、着替えて出かけようか」

 事前に、秀人は病院の予約をしていた。予約時間は午前九時半。病院までは、ここから車で三十分程度。

 濡れた髪を乾かし、着替えて準備をした。

 華の服装は簡素だ。Tシャツにカーディガン、ジーンズ、スニーカー。

 秀人は、オフィスカジュアルで通じる服装を選択した。Tシャツに白いシャツ、黒いジーンス、スニーカー。髪の毛を後ろで束ねた。伊達眼鏡をかけ、事前に準備した名刺を持った。

 家を出て車に乗り、病院に向う。

 車内で、華は不安そうだった。恐がっている、と言った方が正しいか。

 華の知能は、おそらく九歳から十歳程度だろう――と、秀人は推測していた。その年頃の子供は概ね病院を嫌うし、嫌いだという感情を隠し切れない。華も、その例に漏れていなかった。

 もっとも、華には、子供らしくない側面もある。子供特有の、純粋故の残酷さが感じられない。彼女からは、それこそ物語の登場人物のような、優しさだけに満ちた純粋さを感じるのだ。

 秀人は知っている。優しさと残酷さは、表裏一体なのだと。情が深く優しい人間ほど、きっかけ一つで悪魔になれる。

 秀人はかつて、誰からも「優しい」と言われる子供だった。両親や姉も、「秀人は優しい子だね」と常々言っていた。

 そんな秀人が、今では、人をゴミのように殺せる。虫けら以下の扱いができる。嘲笑いながら操り、人生を滅茶苦茶にできる。

 秀人に殺された人間が、何人いるか。秀人に操られ、結果として命を落とした人間が、何人いるか。修復不可能なほど人生を壊された人間が、何人いるか。

 地獄に落とした人間の数など、覚えていない。少なくとも、履き潰した靴の数よりは多いだろう。しかし、今まで捨てたゴミ袋の数よりは少ないはずだ。

 不幸にした他人を、その程度に認識している。優しさとはかけ離れている。

 天使は簡単に、悪魔になれる。

 病院についた。婦人科。

 時刻は、九時二十分だった。

 車を降りて、病院内に入った。華に保険証を提出させた。国民健康保険。保険証を出させてすぐ、華を、待合室の椅子に座らせた。

 秀人はそのまま、受付事務の女性に事情を話した。

 今回、性病検査の予約をしたこと。対象者は華であること。彼女はいわゆるボーダーであり、代わりに自分が手続きをしたこと。

 事務の女性に、秀人は名刺を見せた。名刺には、架空の団体名と人物名が記載されている。

『特定非営利活動法人 ウィズアウトボーダ― 代表 寶田たからだ秀人』

 事務の女性は秀人の話をメモに取り、名刺も一緒に預かりたいと言ってきた。

 名刺を渡すと、華と一緒に待っているように指示された。

 事務員の言葉に従い、秀人は、華の隣りに足を運んだ。椅子に腰を下ろす。

 病院内はそれほど混んでいない。すぐに華が呼ばれるだろう。

 秀人の隣りで、華は、不安そうにキョロキョロと院内を見回していた。待合室の、四つ並んだ長椅子。掲示された、院内の注意事項。性病に対する注意喚起のポスター。

『あなたは、あなたの彼氏を信じることができるかも知れない。でも、彼氏の元彼女を信じることができますか? 彼氏の元彼女の、元彼氏を信じることができますか?』

 コンドームの利用を推奨するポスター。

 秀人は、小さく溜め息をついた。大抵の男は、避妊具を着けたがらない。たとえ、性病になるリスクがあっても。性病を感染うつすリスクがあっても。だから売春の際は、避妊具を着けない方が高い金を取れる。

 華の名前が呼ばれた。

 先に秀人が立ち上がり、華に手を差し出した。

「ほら、華。行こう」
「……うん」
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