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第二章 金井秀人と四谷華
第十話 それでも信じたい
しおりを挟む華が婦人科を受診してから、四日経った。
再受診の日。
秀人は華を車に乗せ、婦人科に来院した。
病院に着いたのが、午前九時二十分。
前回と同じように受け付けをし、待合室で待ち、名前を呼ばれて診察室に入った。椅子に座っている女医と、傍らに看護師がいた。
診察室に入ってすぐに、華は、処置室に行くよう指示された。途端に、顔を曇らせた。また注射をするのか。それとも、別の痛い治療をされるのか。不安でいっぱいなのだろう。
華の恐怖が少しでも和らぐように、秀人は彼女の頭を撫でた。
「華、頑張って。帰ったら、俺が、美味しいものをたくさん食べさせてあげるから」
唇を尖らせながら、華は頷いた。
「……うん。華、頑張る」
「いい子だね、華は」
看護師に連れられて、華は診察室から出て行った。
華と看護師が出て行くと、女医に椅子を勧められた。
「寶田さん。どうぞお掛けください」
「はい。失礼します」
座って、女医と向き合う。
「では、まずは結論からお伝えいたします」
女医はパソコンのマウスを操作し、クリックした。画面には、四つの病名が表示された。
「華さんが罹っていた性感染症は、現時点で確認できた範囲では四つです。性器クラミジア感染症、淋病、ウレアプラズマ感染症、トリコモナス感染症。いずれも軽度ですが、淋病に関しては、これから、点滴を受けていただきます」
「それで今、処置室へ?」
「はい」
たぶん華は、今頃泣いているだろう。
秀人の推測では、華の知能は八歳から十歳程度。しかし、それよりも幼い子供のように、よく泣く。ボロボロと涙を流す彼女の顔が、秀人の脳裏に浮かんだ。
女医の机の画面上には、華の病名と、それぞれの細菌の拡大図が表示されている。
「これらの感染症に関しては、今後は薬で治療が可能です。すべての病気が完治するまで、二週間程度と考えておいてください」
「わかりました」
「あと、できれば、二週間後にもう一度検査していただきたいです」
「完治しているかの確認ですか?」
秀人が聞くと、女医は、少しだけ言いにくそうに間を置いた。
「一例として――こういう事例があるので注意喚起をしている、ということを前提に聞いていただきたいのですが」
前置きをして、再検査の理由を口にする。
「最近、売春行為をする女性が増えています。そういった女性の約半数は、避妊具を着用しません。その方がお金になるからです。このことは、寶田さんもご存じかと」
「ええ」
売春をする女性が増えている理由も、秀人には分かっている。国内における経済問題。これは、秀人自身が起こした多くの事件による影響だ。
「売春が原因で性感染症に罹った女性が、治療のために婦人科を受診します。でも、そういった女性の多くが、また性感染症に罹り、再度婦人科を受診します」
「結局のところ、無避妊で性行為をする方が金になるからでしょうね」
「仰る通りです」
困ったように、女医は頷いた。
「特に華さんの場合は、意中の男性に求められて売春をしている。それなら、たとえ病気が治しても、私から注意喚起をしても、その男性の一言で、また避妊具を使わない売春をしてしまう可能性があります」
「その通りだと思います」
この女医は、話した通りの事例をいくつも見てきたのだろう。
「ですが、その点については、徹底的に警戒しています。先日もお伝えした通り、華からも相手のホストからも、連絡が取れないように手を打っています」
「はい、存じております」
秀人が口にした「連絡が取れないようにした」方法について、女医は深く聞いてこなかった。
「それでしたら、一応は安心と言えるのですが。ただ、華さんの相手のことについては、警戒していただきたいです」
「ええ。もし何かありましたら、また相談させていただきます。華は知能に問題があって、当然ながら性のことにも疎いので。性感染症に関することも含めて」
「その際には、また受診いただけたら」
「はい。よろしくお願いいたします」
話を終えて、秀人は診察室を出た。華の点滴が終わるまでまだ時間がかかるので、待合室で待つように指示された。椅子に座り、スマートフォンを手にする。
女医が心配していた、華が再び避妊具なしで売春をする可能性。当然ながら、秀人の頭の中にもあった。だからこそ、華のスマートフォンからテンマの連絡先を消させた。テンマに対して、華に連絡しないよう指示した。
秀人は、テンマの口座に五百万を振り込んだ。さらに、三ヶ月目からは月に二百五十万もの金を振り込むと約束している。そんな大金が入る約束を捨ててまで、テンマが華に連絡をすることがあるだろうか。
可能性としては、限りなく低い。ただし、ゼロではない。
テンマが、秀人から得る金で満足できなくなったら。そのとき彼は、華に指示をして、秀人の金を掠め取ろうとするだろう。
もっとも、テンマの行動については、全て対応できるように用意している。問題はない。
しばらくすると、華が処置室から出てきた。看護師に付き添われて、秀人のところまで歩いてきた。手の甲に、血止めのテープが張られている。点滴の痕。ずいぶん泣いたようで、擦った目が赤くなっていた。
「寶田さん、お待たせしました」
看護師の言葉とほぼ同時に、華が秀人に抱き着いてきた。ふええ、と小さな声で泣き出した。
秀人は、華の背中をポンポンと叩いた。
「よしよし。点滴したんだよね。痛かったね。頑張ったね、華」
「ゔん。華、頑張ったの」
「うん。偉いよ」
背中を叩いていた手で、頭を撫でてやる。そのまま、看護師に顔を向けた。
「病気に関しての注意事項は、先生から華に説明があったんですか?」
「はい。処置室の方で。点滴をしながら」
「感染した理由なども?」
「はい。説明されてました」
つまり華は、知ったのだ。性感染症の原因が、避妊具なしでの売春だと。金になるからとテンマが勧めた、コンドームをしないセックス。
「そうですか。じゃあ、あとは薬ですね」
「はい。もう少しでお呼びしますので、お待ちください」
「はい。ありがとうございました」
「いえ。お大事にしてください」
一礼して、看護師は診察室に戻った。
間もなく、華の名前が呼ばれた。
「ほら、華。薬もらって帰るよ」
「ん」
華は秀人から離れると、目を擦った。唇を尖らせたまま、受付に行く。
薬を受け取り、支払いをして、病院から出た。駐車場まで歩く。
空は晴れているが、華の表情は明らかに曇っていた。
彼女がこんな顔をしている理由に、秀人は気付いてた。気付いていながら、あえて聞いた。
「どうしたんだ、華。もう病院終わったのに、そんな顔して」
「……」
華は足を止めた。
秀人も立ち止った。
「あの、ね。秀人」
「どうした?」
「華が病気になった理由って、ナマでエッチしたからなんだって。色んな人とナマでエッチすると、病気になるんだって」
「うん。知ってた。だから病院に連れてきたんだ」
「でも、ね。でも……」
華の目に、再び涙が浮かんできた。
「ナマでエッチするといっぱいお金貰えるって、テンマが教えてくれたんだよ? だから華ね、テンマのために頑張ったの」
「知ってるよ。華は、テンマの役に立ちたくて、一生懸命だったんだよね」
「そうなの。テンマは華を助けてくれたし、優しくしてくれたから、大好きになって。大好きだから役に立ちたくて。だから華、頑張ったの」
華は、秀人の胸に顔を押し付けてきた。ギュッと、秀人の服を掴んだ。
「きっと、テンマも、知らなかっただけだよね? ナマでエッチすると病気になるって、テンマも知らなかったんだよね? じゃないと、優しいテンマが、華を病気にするはずないもん」
秀人は何も言わなかった。テンマの本心は分かっているが、口にしなかった。
華の流している涙が、全てを物語っている。彼女の心にある不安が、涙となって出てきている。テンマが好き。好きだから信じたい。でも、信じ切ることができない。
『テンマは、金のために華を利用した。華が性感染症になるとわかっていながら』
華の知能でも、その可能性に辿り着いている。辿り着くのに十分な状況証拠が揃っている。
それでも華は、必死に、テンマを信じようとしていた。
華のテンマに対する執着は、なかなか深いようだ。
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