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第一章
第20話
しおりを挟む機嫌よく戻ってきたカイゼルを見たイリエントは、一先ずホッと息を吐いた。
どうやら、上手くいったらしい。
「湯浴みをすると言ってくれた」
「それは良かったです。医者は?」
「……まだ伝えてない。まずは、湯浴みからでいいかと思って」
「まあ、そうですね。順を追って、ひとつずつゆっくりと進めていく方がよろしいでしょう」
読んでいた書冊から顔を上げる。
「ところで陛下」
「なんだ」
「……本当にノアリス様とご結婚されるおつもりで?」
「唐突だな」
カイゼルは呆れた様子でイリエントを見るが、彼は至って真剣だった。
「陛下はご自身のご年齢を記憶しておいでですか」
「当たり前だろうが」
「では、いくつだと?」
「三、十……?」
カイゼルは軽く首を傾げ、悩みながら答えた。
すると、イリエントは顔を変にゆがめる。
「三十二です。ああもう、これだから自分に頓着のない人は……」
「……いつも思うが、お前はよく俺にそんな口をきけるな」
「そうでないとやっていられない時があります。まさに今です」
「……」
立ち上がったイリエントは、カイゼルに近づき「いいですか?」と真剣な眼差しで見つめた。
「貴方様は国王陛下です。そして、今、この国に貴方様の後を継ぐ王子はいますか? いいえ、いません。これが、どれだけ重大なことか、お分かりで?」
「……」
カイゼルは思わず、視線を逸らす。
「妾妃様はいらっしゃいますが、いつも時間を持て余している。王子も姫も、一人もおりません。これは、王としての責務を放棄されているのと同意では?」
「……」
「世継ぎを残す、その努力をしてください」
「……だが、妾妃にはときめかん」
「そのような物差しで話してはおりません」
イリエントの叱責は、正しかった。
王は、次の王を残す努力をしなければならない。
そして、カイゼルには姉と妹がいたのだが、彼女らは他国の王に嫁いでおり、この国には実質世継ぎがいない。
「ノアリス様に夢中になるのは結構。あのお方の御心を癒すのも、貴方様の仕事です。妻として、わが国に連れ帰ったのですから。──しかしながら、ノアリス様は、男。子は宿せません」
「……」
「必要あらば、国一番の美女を城に迎えましょう」
「……」
「……黙っておられては分かりませんので、私は必要な事だと判断し、迎えることとします」
イリエントは優秀だ。
なので、数日すれば、本当に美女を連れてくるのだろう。
しかし、カイゼルの中で最も優先するべき事項はそれでは無かった。
何よりも、ノアリスの事を想いたいのだ。
「好きにしろ。俺も、好きにする」
「っ、陛下!」
「今日は終いだ」
イリエントの小言をこれ以上聞くと頭が痛くなりそうだ。
カイゼルは執務室から出ると、ググッと体を伸ばし、再びノアリスの元へ向かう。
部屋に入ると、ロルフと遊んで疲れたのか、丸まったロルフを枕のようにしてもたれて眠るノアリスがいて、愛おしさに頬が緩んだ。
そっと掛布を掛けてやる。
ロルフが小さな声で「わふ」と言い、カイゼルの手に顎を乗せる。
傍に居てノアリスを守ってくれているロルフには、何か褒美をやらなければ。
「ん……ロルフ……どうしたの……?」
鳴き声に反応し薄く目を開けたノアリスは、そこにカイゼルが居ることに気がつくと驚いて飛び起きた。
「か、カイゼル、様」
「ああ、すまない。驚かせた」
「いえ……」
「……」
沈黙が走る。
カイゼルはイリエントに言われたことを思い出して、考えているのだ。
ノアリスは卵を生むことができる。
しかし、一般的に卵には命が宿っているはずだ。
しかもその卵は、精を注がれることでできる。
ならば──
そこまで考えて、吐き気がした。
もしも、……もしも。
その卵に命が宿っていたとしたら……?
これまで、ノアリスが産んだ卵が、そうだったら?
あまりの残酷な仕打ちに、カイゼルは一人心を痛める。
「あの、カイゼル様……?」
「……」
「……?」
万能薬は卵から作られている。
その万能薬の為に、命の宿る卵が破壊されているとしたのなら。
「カイゼル様、顔色が……」
「──っ、ああ、大丈夫だ」
そんなことはあってはならない。
しかし、王子に非道なことをしてきた人間たちだ。可能性が完全にないわけではない。
「……明日にでも、ロルフの散歩に出かけてみるか?」
「!」
「一緒に、庭に出よう」
カイゼルは一度考えることをやめ、ノアリスのほんのり嬉しそうに頬を赤らめている姿を見て、心のざわめきを鎮めた。
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