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第一章
第21話
しおりを挟む夜になり、いよいよ湯あみの時間が訪れ、ノアリスは緊張していた。
カイゼルの配慮で、衣の下には薄い紺色の肌衣を着ているが、やはりどこか落ち着かない。
部屋で待っていてくれとカイゼルに言われたので、ロルフと待っていると、普段と何ら変わらない様子のカイゼルがやってきた。
「ロルフは留守番だ」
「……また、あとでね」
部屋を去ろうとする二人の後をついてくるロルフに、カイゼルは苦笑する。
ノアリスは少し寂しげにそう言って、ロルフの頭を撫でた。
「もう歩くのは辛くないか?」
「っは、はい。辛くは、ないです」
「それはよかった。今夜の食事はどうだった」
「ぁ……美味しく、いただきました」
「……味覚はどうだ」
「……まだ」
「そうか」
ポンと背中を撫でられる。
責めることもなく、こうして励ましてくれるカイゼルに、胸の奥があたたかくなる。
湯殿に着くと、カイゼルは恥ずかしげもなくバサバサと衣を脱いだ。
一身纏わぬ姿となり、ノアリスは顔を赤くして俯き床に視線を落とす。
「……あ、つい、いつもの癖で……すまない……」
「い、いえ……私が、変、なのです」
「変ではない。少し待ってくれ」
せめてもの気持ちで一枚の布を腰に巻いたカイゼル。
ノアリスはようやく顔を上げると、彼の体に刻まれた多くの傷を目にしてヒュっと喉を鳴らした。
「そ、その、傷は……」
「? これは戦でついた傷だな」
「痛くは、ないのですか……?」
「もう塞がってる。痛くないよ」
無意識に足が動き、カイゼルのすぐそばまで来ていたノアリスは、彼の左肩に走る大きな傷跡に、指先でそっと触れた。
「……はは、擽ったいぞ」
「っ!」
「気になるか」
「……王様でも、戦に……?」
「そうだな」
躊躇いなく答える彼が、不思議でたまらない。
「……なぜ、」
「形だけの王にはなりたくなかった」
「……」
「民と同じ痛みを知ってこそ、苦しみを分かちあってこそ、国を統べることができる」
その言葉はノアリスが思うよりも、ずっと重たいものだとわかる。
「俺は王ではあるが、云わば、ただの国の代表だ。民の気持ちを知らずして、国を語れない。ただ、それだけのこと」
「……」
ノアリスは静かに目を伏せる。
彼は、確かに、初めから一国の王とは思えぬほど、距離が近かった。
想像する王の姿とは、少しばかり外れている気がする。
楽に話をさせてくれる、同じ目線で考えてくれる人だ。
彼の根本には、人を思う気持ちがあって、だからこそ、こんなにも優しくて、あたたかい。
ノアリスはゆっくりと自身の手で衣を脱ぎ、肌衣一枚になった。
まだ、緊張はするし、不安もあるが、彼と共になら耐えられると思った。
「おいで。足元に気をつけて。滑りやすい」
「は、い」
彼に導かれるままついて行き、用意されていた湯船に浸かる。
湯船に浸かるという行為すら、久々で、ノアリスはそれだけでホッと息を吐く。
「どうだ。気持ちがいいだろ」
「ん……はい。とても」
「寝てしまわないように気をつけるんだぞ。髪を洗うから、ここに凭れてくれ」
彼の言うとおり、浴槽の縁にもたれ掛かる。
ちょうどいい温度のお湯が、顔に掛からないように髪に掛けられ、花の香りがする泡で包まれる。
「ん……」
「痛くないか?」
「はい……」
「寝てはいけないぞ」
「……はい」
うつらうつらとしてしまう。
人に髪を洗って貰うのは、こんなにも気持ちよかったのか。
「ノアリス、起きてるか」
「……ん」
「あ、ダメだぞ、寝るなよ」
「……寝ません」
「目を閉じているではないか……」
「それは、気持ちよくて……」
カイゼルの声に、少し焦りが混ざっているのが面白い。
髪がお湯で流されて、スッキリとする。
そのころにはもう緊張が解け、体から力が抜けた。
あ、と思った時には遅く、ずるりと体が滑って、湯船の中に沈みそうになって──
「っ!」
「──おお、よかった。間に合った……」
体を、逞しい腕に抱きとめられる。
慌ててその腕に掴まった。心臓がバクバクと激しく動いている。
「だから、寝てはいけないと言っただろ」
「……申し訳ありません」
「……はは、いい。それだけ安らいでいたと言うことだろう。だがしかし、俺と一緒にいる時だけにしろよ」
「はい……」
ノアリスはハッとして、掴んでいた腕から手を離す。
「あ……」
「ん?」
「ひ、ひっかいて、しまい、ました……」
咄嗟のことで、カイゼルの腕を引っ掻いてしまっていたようだ。
細い赤い線が走っていて、ノアリスは顔を青くする。
「ああ、これくらいどうってことない。気にするな」
「ぁ……で、ですが、」
「それよりも、俺が咄嗟に抱きとめたせいで、どこか痛めたのではないか?」
「いえ、それは大丈夫です」
「なら、よかった」
ノアリスはカイゼルを見上げる。
全く怒りの色がない表情は、心を安らげるには充分だった。
「体は、自分で洗えるな?」
「はい」
「俺は見ないでいるから、終わったら声をかけてくれ」
「……はい」
どこまでも心をくばってくれる彼に、ノアリスは胸がきゅうっと苦しくなるのを感じた。
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