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アルコール
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槿が酒を片手に訪ねて来るのは、ヒカルにとって珍しい事ではなくなった。ヒカルが酒に強くない(おつまみの類は好き)為に少量をちびちび飲むのがほとんどで、それよりも話す時間の方が長い。今はまだ、無言で酒を交わす事は無いだろうなとは思う。数年、それこそ十数年かかっても難しいかもしれない。今夜、槿が持ってきたのは細長いボトル。シャンパングラスに注がれる白は、微かに音を立てて気泡をあげた。
「珍しいですね、槿さんがシャンパンを持ってこられるなんて」
「嗚呼、たまにはいいだろ?」
窓際に置いたテーブルを挟み、向かい合うようにして置かれたグラスを取る。嗅いでみれば華やかな香りがした。
「お高いでしょ、これ」
「流石。ヒカルちゃんにかかれば名探偵の出番もないな。終章には警察犬だけで充分ってか」
「犬は好きだけど今更なるのは遠慮したいですね」
煙草を灰皿に押し付けて槿も同じようにグラスを持った。桜はすっかり散り、梅雨も明けてそろそろ蛍の季節だ。槿とヒカルが勤務する学校には池があるが、蛍が出るかどうかは判らない。年々、蛍の住処も減っている。もし蛍を見られたら主題として詩歌同好会の部員達が動き出すだろう。ふわりふわりと小さな灯りが動く光景は、創作意欲を掻き立てるにもってこいだ。イベント好きの部長が蛍祭りとでも称して作品でも募るかもしれない。グラスを差し出して乾杯でもしようとしたが、槿の指が触れかけたグラスの縁を抑えた。
「何ですか?」
「忘れるとこだった。今夜は、シャンパンを持ってきただけじゃないんだ」
懐から小さな箱を取り出す。その箱は掌に収まる程度の大きさだ。まるで指輪でも入っていそうな大きさ。ぱかりと開けた箱の中、青いビロード生地の真ん中に真っ白な真珠が収まっていた。意図が読めずに自然と眉間に皺がよる。
この流れで指輪を出される理由はない。例え恋人同士であっても、真珠の指輪を贈られるような理由は決してない。そもそも、彼だって気障ったらしい物を贈るような殿方じゃないだろう。綺麗に切り揃えられた指先が摘みあげた真珠には、装飾品としての加工がされてないようだった。だが猶更、真珠が出て来る意味が解らない。少々天然な面があるとは思っていたが、ここまで訳の解らない事をするようなタイプだっただろうか。槿は真珠を掴んだ指先を伸ばし、そのままヒカルの持つグラスへと、入れた。
「あっ」
ぽん。
炭酸が弾ける音がして、ゆったりと底へ到達した真珠が溶けるように泡を帯びている。その光景に、思い当たるのは一つ。
「えーっと……私にクレオパトラになれと仰るおつもりで?」
「察しが良いな、俺の楽しみを奪わんでくれよ」
「でも、真珠は溶け……あれ?」
シャンパンに入れたのは溶けたように見せかけるにはいいけれど、泡が落ち着けば直ぐにバレる。クレオパトラが飲んだのは、ワインビネガーに溶けた真珠だ。シャンパンには溶けない。そう思ったのだが、明らかにシャンパンに沈んだ真珠が小さくなっていた。信じられずに持ち上げたグラスに顔を寄せ、まじまじ見つめていたら槿が吹き出し、くつくつと笑い出した。
「ヒカルちゃんのその顔が見たかったんだ。吃驚したろ?」
「……これ、何かタネがありますよね」
「怒らせたいわけじゃないんだ、揶揄うつもりもな」
槿はもう一つ真珠を出し、自分のグラスへ落としてようやく差し出してきた。小さくグラスの触れ合う音がして、ようやくグラスに口を付けられた。一口飲み、また目を丸くする。
「これ、苺ですか」
「大正解。シャンパンに溶ける人工の真珠なんだとさ。面白いもんがあるなぁ」
味はフランボワーズ。色はさほど変わらず、透明なまま。また口を付けてみたがとても真珠が溶けたように思えず、味は木苺のカクテルでも飲んでいるようだ。
「ずいぶん手の込んだ事されましたねえ」
「普通に指輪を贈ってもヒカルちゃん困らせるだけになりそうだし、それなら肉になる指輪を贈ろうかってな」
何でもない顔をして、男はそんな事をぬけぬけと仰る。とんでもない思い違いをしている。
「槿さん、明日非番ですよね?」
「うん。そうだよ」
「指輪を買いに行きましょう」
「ん?」
今度は槿が目を丸くする。贈られっ放しなのは申し訳ないのが理由でもいいけれど、真っ直ぐヒカルの事を考えてこんな事をする恋人に贈って差し上げたくなったから。
「必要になったんですよ、さっき、食べてしまったから」
アスフォデルの花言葉は「私は君のもの」
「珍しいですね、槿さんがシャンパンを持ってこられるなんて」
「嗚呼、たまにはいいだろ?」
窓際に置いたテーブルを挟み、向かい合うようにして置かれたグラスを取る。嗅いでみれば華やかな香りがした。
「お高いでしょ、これ」
「流石。ヒカルちゃんにかかれば名探偵の出番もないな。終章には警察犬だけで充分ってか」
「犬は好きだけど今更なるのは遠慮したいですね」
煙草を灰皿に押し付けて槿も同じようにグラスを持った。桜はすっかり散り、梅雨も明けてそろそろ蛍の季節だ。槿とヒカルが勤務する学校には池があるが、蛍が出るかどうかは判らない。年々、蛍の住処も減っている。もし蛍を見られたら主題として詩歌同好会の部員達が動き出すだろう。ふわりふわりと小さな灯りが動く光景は、創作意欲を掻き立てるにもってこいだ。イベント好きの部長が蛍祭りとでも称して作品でも募るかもしれない。グラスを差し出して乾杯でもしようとしたが、槿の指が触れかけたグラスの縁を抑えた。
「何ですか?」
「忘れるとこだった。今夜は、シャンパンを持ってきただけじゃないんだ」
懐から小さな箱を取り出す。その箱は掌に収まる程度の大きさだ。まるで指輪でも入っていそうな大きさ。ぱかりと開けた箱の中、青いビロード生地の真ん中に真っ白な真珠が収まっていた。意図が読めずに自然と眉間に皺がよる。
この流れで指輪を出される理由はない。例え恋人同士であっても、真珠の指輪を贈られるような理由は決してない。そもそも、彼だって気障ったらしい物を贈るような殿方じゃないだろう。綺麗に切り揃えられた指先が摘みあげた真珠には、装飾品としての加工がされてないようだった。だが猶更、真珠が出て来る意味が解らない。少々天然な面があるとは思っていたが、ここまで訳の解らない事をするようなタイプだっただろうか。槿は真珠を掴んだ指先を伸ばし、そのままヒカルの持つグラスへと、入れた。
「あっ」
ぽん。
炭酸が弾ける音がして、ゆったりと底へ到達した真珠が溶けるように泡を帯びている。その光景に、思い当たるのは一つ。
「えーっと……私にクレオパトラになれと仰るおつもりで?」
「察しが良いな、俺の楽しみを奪わんでくれよ」
「でも、真珠は溶け……あれ?」
シャンパンに入れたのは溶けたように見せかけるにはいいけれど、泡が落ち着けば直ぐにバレる。クレオパトラが飲んだのは、ワインビネガーに溶けた真珠だ。シャンパンには溶けない。そう思ったのだが、明らかにシャンパンに沈んだ真珠が小さくなっていた。信じられずに持ち上げたグラスに顔を寄せ、まじまじ見つめていたら槿が吹き出し、くつくつと笑い出した。
「ヒカルちゃんのその顔が見たかったんだ。吃驚したろ?」
「……これ、何かタネがありますよね」
「怒らせたいわけじゃないんだ、揶揄うつもりもな」
槿はもう一つ真珠を出し、自分のグラスへ落としてようやく差し出してきた。小さくグラスの触れ合う音がして、ようやくグラスに口を付けられた。一口飲み、また目を丸くする。
「これ、苺ですか」
「大正解。シャンパンに溶ける人工の真珠なんだとさ。面白いもんがあるなぁ」
味はフランボワーズ。色はさほど変わらず、透明なまま。また口を付けてみたがとても真珠が溶けたように思えず、味は木苺のカクテルでも飲んでいるようだ。
「ずいぶん手の込んだ事されましたねえ」
「普通に指輪を贈ってもヒカルちゃん困らせるだけになりそうだし、それなら肉になる指輪を贈ろうかってな」
何でもない顔をして、男はそんな事をぬけぬけと仰る。とんでもない思い違いをしている。
「槿さん、明日非番ですよね?」
「うん。そうだよ」
「指輪を買いに行きましょう」
「ん?」
今度は槿が目を丸くする。贈られっ放しなのは申し訳ないのが理由でもいいけれど、真っ直ぐヒカルの事を考えてこんな事をする恋人に贈って差し上げたくなったから。
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