推し活のススメ・繁雑

狂言巡

文字の大きさ
2 / 3

朝明の決意

しおりを挟む
 朝起きて目に入ってきた世界は、妙に煌めいて見えた。朝日に照らされた眩しい視界の中で、蓮美は全身に倦怠感を感じながらぼんやりと天井を眺める。

(……やってしまった)

 まるで罪を犯したかのような台詞だが、本来在るべき後悔や自責の念からは切り離されたとても微笑ましい響きを持っていた。蓮美は昨晩、遂に恋人と一線を越える事が出来た。確かに今、妙な達成感とそれを上回る多幸感に酔いしれている。昨晩このベッドの上でたっぷり吸い込んだ甘い空気は今も尚、蓮美の脳に残り香を纏わりつかせたままだった。シーツの中で未だ残る眠気と下肢の疲労感は、あの時間が決して夢ではない事を物語っている。
 高く登った太陽に照らし出された傍らを見やる。ほんの数時間前、まだ幸福な時間を長引かせたいが為に眠りに落ちるのを拒む蓮美の頭を撫でて「いいから寝ろ」といつもとは別人のような柔らかい微笑みをくれた恋人は、既にシーツを空にしていた。今頃シャワーでも浴びているのだろうか。ある意味起きてすぐに顔を合わせずに済んで良かったと蓮美は内心ほっとしていた。目覚めて一番に大好きな人が視界に飛び込んでみろ、きっと自分は今日一日ずっと心臓が暴れ回って恋の病の重篤患者になってしまう。

(……めっちゃカッコよかったな……)

 数時間前の記憶を反芻すると、浮かぶのは夜の闇に濡れた彼の鋭い目と繊細な手付き、羞恥を煽る甘い台詞。普段は重力に逆らっている髪は触れると柔らかな指通りなのだと初めて知った。普段サングラスに隠されている事が多い猛禽類じみた瞳は別に睥睨されているわけではないと最近理解わかってきた。幸福を連れて溶け合った余韻を思い出すと、優しい疼きが腰に走る。脳裏にほんの数時間前までの恋人の顔が行き過ぎるたび、じわりと染みる甘い余韻は幸福と気恥ずしさを連れてくる。思わず身動ぎをして躰に流れる鈍痛と違和感に小さく呻き、それでも興奮は抑えきれずに拳を握って枕を叩いたところで……何故か手の中にひやりとした冷たさを感じた。

「ふぁ?」

 間の抜けた声が輪郭も象れぬまま音として口の中に溶けてゆく。寝ぼけ眼をこじ開けてピントを合わせた先には、宙へ掲げられた己の掌があった。すらりと開いた左手の薬指には、見覚えのないシンプルなシルバーリングがきちんと収まっていた。

「………んえっ?」
「起きたか」

 ふわりと鼻先を擽るコーヒーの香りに顔を上げると、濡れ髪にタオルを被ったバミューダがマグカップを片手に見下ろしていた。

「ほら、牛乳は入れといた」
「あ、どーも……」

 差し出されたカップを受け取ろうと、體を起こして手を伸ばし……また目に入った自身の薬指を、凝視してしまう。突拍子もない行動に慣れてきたバミューダは気にせず、ベットに腰掛けてマグカップを手渡す。見れば彼は普段の遠目からでも断定できるド派手な服装とは異なり、風呂上がりのタンクトップにスウェット、濡れた髪と眼鏡姿という出で立ちだった。初めて見る彼の出で立ちに、蓮美は指輪の事など忘れうっとりと見とれてしまう。

「淹れたてだから、火傷すんなよ」
「あ、はい」
「……」
「あの……ばみゅーださん」
「あん? 水の方が良かったか」
「いや、いえ……あの」
「何だよ」

 意を決して、蓮美は質問をぶつけようと息を吸い込み……こちらを真っ直ぐに見つめる彼は眼鏡をかけていて『眼鏡かけるんだな』と場違いな事を思ってしまう。言葉に詰まる赤面した顔で、彼の目前へと勢いよく左手を掲げた。バミューダは差し出された指に輝く細いシルバーの輝きに、一瞬目を見開いた。
 そして、口端を少し上げてゆっくりと自身の左手を差し出す。彼の薬指にも、同じ銀色の輝きが飾られていた。それは蓮美と指を絡ませ、手繰り寄せて。 引き寄せられた自分の左手の甲に口付けが落とされるのを、蓮美はポカンと見ていた。唇を離したバミューダが、目が合うと同時にニヤリと微笑んだところで、目が覚めて慌てて手を振りほどこうとした。しかし、がっちりと掴まれて離せない。

「バミューダさん、これなに」
「何って……指輪」
「解るけど、解るんだけどこれ、えっと」

 フンと普段通り皮肉っぽく笑ったバミューダは、しどろもどろな蓮美の質問を理解したのかしないのか「前々からいつ渡そうかと思ってた」と飄々と抜かした。

「私こんなの慣れてなくて、なんで昨日の今日で、でも……」
「でもアンタこういうドラマじみたの好きだろ」
「いや、いえ、あの、ハイ」
「ばっかだな」

 バミューダは眉を下げて笑った。多分それは今まで見てきた中で最も優しい顔だ。初めて見る表情だった。 バミューダは、すっぽんぽんのまま狼狽えて左手から目を離さない女が可愛くてたまらないと知っていた。だからだ、こんな性急な贈り物をしてしまったのは。その時のバミューダは自分の顔が優しく幸福そうな面持ちになっている事など知りもしなかった。
 緩む頬にぺたりと張り付いた頬杖の指には、愛する人へ送った物よりもほんの僅かばかり太い幅の銀色が誇らしげに輝いている。ただの愛の確認マーキングだ。目の前の女がいる限り、自分はどこで行けるし何だって出来る気がする。それこそ行く先が地獄でも構わない。なぜなら絶対に彼女の元へ帰ってくるからだ。業火を飛び越えて血の池を泳ぎ切り、必ずしも彼女の元へ戻ってきて、そしてずっと一緒にいよう。好きで好きで仕方がないという気持ちは、悲しいかな、こんな銀の輪っか一つで済みそうにない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

乳首当てゲーム

はこスミレ
恋愛
会社の同僚に、思わず口に出た「乳首当てゲームしたい」という独り言を聞かれた話。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

👨一人用声劇台本「寝落ち通話」

樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
恋愛
彼女のツイートを心配になった彼氏は彼女に電話をする。 続編「遊園地デート」もあり。 ジャンル:恋愛 所要時間:5分以内 男性一人用の声劇台本になります。 ⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠ ・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します) ・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。 その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

身体の繋がりしかない関係

詩織
恋愛
会社の飲み会の帰り、たまたま同じ帰りが方向だった3つ年下の後輩。 その後勢いで身体の関係になった。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...