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Luna

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その晩俺は奇妙な夢を見た。
凄まじい混沌が俺を襲った。
坊主頭が地面いっぱいに敷き詰められている広大な薄暗い闇の空間で俺は直立していた。
体は硬直していなかったが何故か動けずにいた。俺は遠くを眺めた。
 ふと、辺りを見渡すと俺はいつの間にか暗闇の中にいた。
俺の意識は、先程の空間にいたときまでははっきりしていたが今になって思い返すと曖昧で、記憶は殆どなかった。それでも、とてつもない空間にいたということだけは覚えていた。

俺の体は硬直していた。言葉を発することも呼吸することも出来なかった。
どれほどの時間を暗闇の中で過ごしたかはわからないが、1時間ほどの時間経過を体感したと思った瞬間辺りが明るくなった。
視界に入る風景から、高校の受験面接、企業面接のような独特の雰囲気を連想させる部屋で俺は直立していた。

俺の体は硬直していた。言葉を発することも呼吸することも出来なかった。
俺の目の前には学校や企業が面接や会議の際に使用する長い机があり、奇抜な見た目の四人がパイプ椅子に腰を掛けていた。
俺から見て一番左の人は、発光していた。性別は不明だった。左から二番目の人は、モザイクで覆われていた。
性別は不明だった。左から三番目の人は宇宙のティーシャツを着た男性だった。
一番右の人は女性の姿をしており、透過していた。彼らは何かを話し合っていたが、彼らの声の音は聞こえなかった。

彼らは人ではないと思ったが人の形をしていたのが俺にとっては救いだと思った。
高校生の俺が人ならざる者をどのように形容すれば良いのかなんて知る由もない。
見たままを率直に言い表せば良いのだろうが、言い表せない場合はどのように表せば良いのだろう。
こんな感じで、こんな感じで、と言いながら記憶と相談し、絵で表現すれば良いのだろうか? 俺はそんなことはごめんだ。何故なら絵がへたくそだからだ。
しばらくすると突然会話が止み、彼らと俺の目と目が合った。
その状態がしばらく続いた。
「さて、いくつか質問しよう」
宇宙のティーシャツを着た人は言った。

その瞬間俺の意識と体は、椅子に座っている俺と、部屋の外から部屋の中の様子をうかがう俺とに分離した。
部屋の外の俺は部屋の中の俺の意識を共有出来たが、部屋の中の俺は部屋の外の俺の意識を共有出来なかった。

「君は楓に会う前、すでに起こってしまっている現象や、社会そのものが嫌いだったね? 彼女と一日過ごしてみてどう? 考え方に変わりはないかな」
宇宙のティーシャツを着た人は言った。
「俺は確かに、普通や当たり前というような何かを心底嫌っていたのかもしれません。でも彼女と会って恥ずかしくなりました。そのようなことを考えていた自分が。彼女と過ごしているとき気づいたんです。俺は目の前の愛など求めていないと」
部屋の中の俺は言った。
   
部屋の外の俺は体が硬直し言葉を発することが出来ないままだった。
「うん」
「いや、正確には、求めてはいるんですけど求められないというか。説明が難しいのですが、何かもっと根本的な・・・・・・」
俺は言葉に詰まった。
「続けて」
「単純な愛なんです。俺が求めているものは。勿論好きな女性を愛することも愛に違いはないですけど、本質のようなものが違うというか」
「うん。君が求めているものは単純な愛。単純な愛とはどういう愛なんだろう。愛の対象は?」
「普通や当たり前というような何かを普通や当たり前だと思わない愛。愛の対象は彼女は勿論、地球上の誰しもが・・・・・・」
「タバコの吸い殻を拾うような?」
宇宙のティーシャツを着た人は俺の話の途中で言った。
「はい、無償の。普通や当たり前という何かに対しての否定や反発ではなくて。ごく当たり前の単純な優しさみたいなものです」
「うん。それを求められないのはどうしてなんだろう。君一人でも出来ることはあるだろう?」
「先程あなたが言っていた、すでに起こってしまっている現象や社会の概念ですが、それらが人間のエゴに介在する限り愛の成立はあり得ないと思います」
「うん」
「何故なら俺や他者のエゴとエゴは一致しないからです」 
「そうだね。でも欠陥というか人間に備わっている機能の一つに過ぎないから」
「それはそうですが、意識が違えども3年も4年も一緒にいれば表面的ではありますが誰とでも愛は成立し得ますし、表面的ではありますが俺と他者のエゴとエゴは一致し得ます」
「うん」
「それが人間を堕落させるのです」
「求められないのはどうしてなんだろう」
「俺達が人間だからです」
「表面的、あるいは偽善的だとしても愛に違いはないと思うし、堕落する人間はそう多くないだろう」
「確かにそうですが、所詮見せかけです。愛を必要としている人間は少なくないと思います。堕落した人間が多い分、愛を必要とする人間も多くなるのです」
俺がそう言うと宇宙のティーシャツを着た人は沈黙した。
「俺が誰かに愛を持って接しても、すでに起こってしまっている現象や、社会の概念や、互いのエゴによって俺の愛は打ち消されます。見返りを求めないというような当たり前の話ではありません。それ以前の問題です。地球の環境や人間の構造の」
俺は言った。
「ドウスルコトモデキナイ」
モザイクで覆われた人は低い声で言った。
「はい、だから俺は何も求めないのと同時に、人間らしく生きるということを求めたいです。人間に生まれた以上人間らしく生きたい。矛盾していますけど。彼女と過ごしてそう思ったんです」
俺は言った。
「じゃあすでに起こってしまっている現象や、社会はもう嫌いじゃない?」
宇宙のティーシャツを着た人は言った。
「それを嫌うと人間らしく生きられないので、彼女と一緒にいるときは嫌わないように意識しようと思います。なんというか、無心ではないですけど変に意識し過ぎないというか」
俺は言った。
「ありがとう」
宇宙のティーシャツを着た人は言った。
「君はパラレルワールドについてどれくらい知っている?」
透過した人は言った。
「何も知らないです」
俺は言った。
「じゃあ、世界が何度も変化していることは?」
「知っています」
「はっきり言うとね、君のいた世界はパラレルワールドなんだよ」
「現実の世界ではないということですか?」
「うん。パラレルワールドは現実と同一の世界だ。だから現実の世界とも言える。それでも現実の世界ではない」
透過した人は言った。
「毛呂山フフフ」
発光している人はチカチカと点滅し、笑いながら言った。
俺は何故か発光している人の笑いにつられそうになったが、宇宙のティーシャツを着た人と透過した人の真剣な表情を見るとなんとか堪えられた。
「地球は消えたんですか?」
俺は言った。
「うん。消えたことに違いはないが、地球が消えたと表現するよりも、現実そのものがなくなったと表現するのが正しいな。人間がパラレルワールドを破壊し続けた結果、君達のいた世界は消滅した。君達のいる世界は言わば、現実の残滓(ざんし)。燃え殻。記憶。そのような現実とかけ離れた存在になった。すぐに消えるということはないがいずれ消える運命にある。地球の科学者でダークエネルギーは存在しないという人間がいるけど、ダークエネルギーは存在する。パラレルワールドを破壊するエネルギーがそうだ。
 現実が消滅した後パラレルワールドは別の次元に飲み込まれたんだ。今、君達のいる次元のパラレルワールドはブラックホールの中の次元に存在するパラレルワールドで、粒子というか暗黒みたいなものなんだ。無限に存在する地球のパラレルワールドの中の一つに過ぎない」
「いつ頃そうなったんですか?」
「2030年6月15日」
俺と四人はしばらく沈黙した。
「これから君は選択しなければならない。あの消滅した世界に戻るか、新しく誕生した現実の世界で暮らすかを。新しく誕生した世界には君も存在する。その世界の君の中に君が入り、世界の様子を少しだけ見学してもらう」
宇宙のティーシャツを着た人は言った
「目的はなんですか?」
俺は言った。
「私達は君の望んでいることを呈示してあげているんだよ、君は君のいる世界に満足していない。いや、満足したくても出来ないと思っている。だから見せてあげたいんだよ」
「俺は満足している。彼女と一緒にいたいし、いると満足出来るんです」
「君は確かめられるのなら確かめたいと思っている。他の世界を覗いて見たいと思っている」
「・・・・・・」
俺は沈黙した。
「君のためでもあるし私達のためでもあるんだ。ここに集まっている連中は皆人間が好きなんだ。というか、君の人間性が好きなんだ」
宇宙のティーシャツを着た人は言った。
「良いですけど、先程現実が消滅した後パラレルワールドは別の次元に飲み込まれたと言いましたよね?」
「うん。現実は消えた後すぐに、別の次元に次元を生成したんだ」
「宇宙や惑星も生まれたんですか?」
「そう、宇宙空間や宇宙や生命体や物質等々ありとあらゆるものが一瞬で生まれた。君達の世界とさほど変わらないが、大きく違う世界だ。3・4次元の世界と言うべきか?」
宇宙のティーシャツを着た人は透過した人の方を向いて言った。
「あんたの管轄(かんかつ)よ。いちいち聞かないでくれる?」
透過した人は言った。
「とにかく、そういうこと」
宇宙のティーシャツを着た人は咳払いをして言った。
「何か面白いものが見られるとは思えないですけど」
俺は言った。
「それは問題ない。興味があるのは他の世界を見た後の君の感想と選択だ」
「そうですか」
「準備はいいか?」

「はい」
部屋の中の俺はそう言うと消えた。

その瞬間から部屋の外の俺は部屋の中の俺の意識を共有することが出来なくなった。
部屋の外の俺は分離をしてから今までの一連の出来事に納得が出来なかった。
何故なら、中の俺の意識は外の俺の意識と全く異なっているからだ。
外の俺はこの妙な状況を受け入れていないが、中の俺は妙に受け入れている。外の俺は動揺しているが、中の俺は動揺をしていない。
あの四人は何者で、ここは一体どこなのだろう。
なんで俺はこの状況を受け入れられるのだろう。
部屋の外の俺の体の硬直は解けず、言葉を発することも呼吸することも出来なかった。
部屋の外の俺は心の中で憤怒した。

数年前の今日、とある惑星出身のティジナーニーアという魔法物理学者は言った「明日が来ることを恐れたことがあるか? 私はある。あの惑星では自分から明日へ向かって行動をしなければ明日が来ないということよりももっと恐ろしい現実が待ち受けているのだ」そう言い残した後ティジナーニーアは消息不明となった。
3・4次元惑星ダーノ・グァーレ。ダーノ・グァーレは様々な惑星の文化を一緒くたにしたような不吉でとてつもなくカオスが飽和したような惑星だ。
ロボットが支配している国があり、恐竜が支配している国があり、宇宙人が支配している国があり、おばけ、ゆうれい、魔術が一堂に会したようなファンタジックな国がある。
文化とカオスと同じくらいどの国も人口が飽和状態だった。

そんなカオスとしか言いようがない混沌としたダーノ・グァーレに日本とほぼ同じ大きさの国で、日本と同じような街並みで、日本と同じ人口密度の地味な国がある。
その名もメジェイ。
メジェイは何も特徴がないところが多くの者に好まれている国で、ロボットがいなければ宇宙人もいない。あるのは近代都市と古代都市だけだ。
近代都市と古代都市に住む住民の多くは移民者、指名手配者、殺害者、テロリストなどのならず者や最下層民が多くを占めていた。
しかし、平和や安寧(あんねい)の祈り手や嘆願者(たんがんしゃ)も多く両者は微妙なバランス、均衡を保ちながら日々厳しい法と罰が支配する国で馬車馬のように、奴隷のように暮らしていた。
低所得者だろうが高所得者だろうが関係なく平等にこき使われるのもメジェイの魅力の一つだ。
メジェイに住む多くの者は国や富豪どもの餌食となった。

スリーページの母トゥーページは苛立っていた。
「起きなさい。何時だと思っているの? 求人広告が届いたわよ。求人サイトも見なさい。ハローグッバイワークにも行きなさい」
トゥーページは早口で言った。
スリーページも苛立っていた。
「ノックを忘れているぞ。昨日サニーと行く約束をした」
スリーページは言った。
「あの子一昨日銃器メーカーのコールセンターの内定が決まったじゃない。どういうことなの?」
「あいつは銃器メーカーの内定を蹴った。何故なら面接の後に性行為や売春を強要されたからだ。良くある話だ。仕方なかった」
「チッ、呆れた」
トゥーページは舌打ちしながら言った。
「今日1時にヴァーチータウンで待ち合わせしているんだ。飯でもおごりながら仕事を探すよ」
スリーページは言った。
「スラムを待ち合わせ場所にするのはやめなさいっていつも言っているでしょう? 殺されても文句は言えないのよ? あなただけならまだしも彼女を連れて行くならトゥーキータウンにしなさい。安全とはいえないけど、あそこよりはましよ」
「武装して行くし、もしものときは命がけで守る。大丈夫。めったに殺しなんて起きない」
「重武装にしな。ちなみにもう1時30分よ」
「従妹だから多少遅れても問題ない」
「スリー、あなたもう20歳なのよ? しっかりして頂戴。これ以上私を困らせないで」
「ごめん」

トゥーページは静かに部屋の扉を閉めた。
さて、とスリーページは思った。とにかく仕事はどうにかする。
とりあえずシャワーに入った後、ぬるくて甘いコーヒーを飲もうと思った。その前にタバコを吸って気持ちを落ち着かせた。

部屋の中の俺はスリーページとトゥーページのやり取りをスリーページの意識とは別の意識でスリーページの中から覗いていた。
このときスリーページは部屋の中の俺の意識を共有出来なかったが、部屋の中の俺はスリーページの意識を共有することが可能だった。
部屋の中の俺は余計なことを考えずに黙って、観察に意識を集中させた。

部屋の窓から見える遠くの工場地帯はスリーページを不安にさせた。
今日も誰かがあそこで精神崩壊をきたし命を落としているんだ。放射能を生む水銀の土地、硫酸と塩酸のプール、吠え猛る高炉、強姦殺人、人身売買、想像をしたくはないのだがスリーページは工場地帯を見るたびに良くないことを想像してしまう癖があった。
悪い癖だと思いつつも何故か不安が心地よく、不安を感じることが日課のようになっていた。

窓の外を覗くと近くの公園の方から違法に密輸品を売買する古物商が拡声器で騒いでいるのが見えた。
「スカラベ、スカラベ、スカラベ、一個で千円、一個で千円、千年前のお値段です。運が良ければあなたはハッピー。買ってくれたら私もハッピー。スカラベ、スカラベ、千年ぶりのスカラベはいかがでしょうか」
スリーページはスカラベの意味を理解しつつも、スカラベってなんだよと思った。
そして急いで支度をした。
支度が終わってコーヒーを飲み終え外に出ようとすると門の横からスリーサニーが現れた。

「遅い。ヴァーチータウンからわざわざ迎えに来たわ。何故いつも時間通りに来ることが出来ないのかしら」
サニーは銃の安全装置を外しスリーページに銃を突きつけて言った。   
スリーページは昔からスラム育ちの女性特有のジョークが大嫌いだった。
「悪かった。ただあれがどうも気になってね」
スリーページは言った。
スリーページは公園の方を指さした。
「あのならず者がなんだって言うの?」
サニーは銃を下して言った。
「スラム生まれの僕らはあまり大きい口を叩けないが、ここで生まれてからあんな馬鹿は今まで見たことがない。閑静な住宅が並ぶスラム公園の前で意味のわからない密輸品を売買しているんだ。白昼堂々」
「だから? アイス屋や宇宙人肉ドッグ屋の様な違法移動販売業者とやっていることは変わらないじゃない何が気になるって言うの?」
「なんていうか、あんなに目立つ違法行為をしているのに、だいぶ時間が経っているんだ。いくらなんでもおかしいと思わないか? ここにいる連中だって馬鹿じゃない。通報の一つだってするはずだ。アイス屋や宇宙人肉ドッグ屋も摘発されるのにここまで時間はかからなかっただろ? でもあの馬鹿はまだスカラベとやらを拡声器を使って売っている。なんでだ? 悪質な違法移動販売業者よりもたちが悪いと思う」
「スカラベ?」
「ああ、あいつがそう言っていた。運が良ければハッピーになれるらしい。狂っているよ」
「ドラッグのやりすぎで頭がいかれているのよ」
「あるいはそうかもしれない。とにかく行けばわかるよ。悪いけど付き合ってもらうからな」

サニーは何も言わずにうなずいた。
サニーはまだ14歳だが、トゥーページと雰囲気がよく似ている。それには理由があり、14歳から大人と認められ飲酒が可能ということも理由の一つだが、この町で暮らす者はマナーや礼儀にとてもうるさく、普通、正常、というようなクリーンな意識イメージを非常に強く好む傾向があった。
それはこの町に限ったことではなく世界的、惑星的に言える傾向だが、特にこの町のスラム出身者、過去に犯罪歴のある者、低所得者、最下層民は必要以上に異常を嫌った。
無意味に排他的なうえ何をもって異常、異常じゃない、というような馬鹿げた個人的ルールをもっともらしいルールーや言い訳で定めるのか定義が曖昧で、いつ頃からこのようになったのか知る者はいない。
理由も定かではない。そのおかげでここに暮らす住民の顔から笑顔は消えたし、よそ者は寄り付かなくなったし、厄介事も少なくなった。
ただでさえ法と罰が支配しているこの国で更に地方独特のルールやら規制やら個人的な暗黙の了解やらマナーでめちゃくちゃにこんがらがって、逆に住民の首を絞めつけていた。
それでも犯罪や自殺はなくならなかった。

「スカラベはいらんかねー」
公園に着くと同時に拡声器は大音量で吠えた。
「おじさんこれ違法な売買じゃない? それに明らかに近所迷惑。許可は取ってあるの?」
スリーページは迷惑そうに怒鳴った。
「失礼な! 違法じゃないし、この辺りの連中にはちゃんと許可を取ってある。市長も了承済みだ。何ら問題はない。もうすぐで引き上げるから我慢してくれ」
「スリー兄貴、なんか胡散臭いわよ」
サニーは言った。
「ああ、証明出来る物は?」
「君達になんの権限があるのかは知らんが、良いだろう。ほれ、市長のサインだ。わかったらとっとと消えてくれ商売の邪魔だ」
古物商は迷惑そうに言った。
「待ってくれ、確かに胡散臭いと思ったが、胡散臭いと思いつつも買いたいと思ってここに来たんだ。何しろ千年ぶりだからな。次買おうと思ったら僕は死んでいる」
古物商はスリーページを一瞥した。
「ふん、ジョークのつもりだろうがまあ良い。特別に売ってやるとしよう。一つだけ選べ。この箱の中から。一人一つまでだぞ! 二つ取ったら命の保証はないからな」
箱の中には沢山のスカラベが入っていた。30個以上はありそうだった。
「なるほどね。サニー、レディーファーストだ。選べ」
スリーページはそう言い、古物商に二千円現金で支払った。
「レディーファーストねえ。まあ良いわ、面白そうだし」
サニーはそう言うとすぐにレッドダイヤのようなスカラベを手にした。
それに続きスリーページもすぐさまタマムシ色のスカラベを手にした。
「よし、選んだな。そのエムジェイのスカラベは、それを割った者に特別な力を与えるという言い伝えがある。ただし確率はかなり低い。偽物も多く出回っているが、間違いなくこれは本物だ。鑑定書もあるし、機械で測定出来ない程とにかく古いのがその証拠だ。本来このような貴重な品をここまで安くして売ることはまずない。が、千年に一度それが特別に許されている。古代からのルールなんだ。君らは大変貴重な経験を今まさにしているわけだ。わかる?」
古物商は得意げに言った。
「とにかく割って良いのよね? どうやって割れば良いの?」
サニーはもうすでにハッピーを手に入れたかのようなハッピーな笑顔で言った。
サニーに呆れた古物商は下に叩きつけろというようなジェスチャーをした。
サニーは地面にスカラベを思い切り叩きつけた。
それに続きスリーページもスカラベを地面に叩きつけた。
スリーページはその瞬間脳が高炉になったと錯覚した。
これまで体験したことのない凄まじい熱を感じた。
「さ、サニー大丈夫か?」
スリーページは声を振り絞り必死に呼びかけた。
「なんだか私酔っぱらったみたい」
サニーの顔面はレッドダイヤのように紅潮していた。
それを見た古物商は腰を抜かした。
「たまげた。まさか二人同時に力を手に入れるなんて・・・・・・」
スリーページは古物商の声を聞いた瞬間気を失った。それに続きサニーも気を失った。
古物商は急いで公園のベンチに二人を運び、横にした。
その後古物商は姿を消した。
スリーページとサニーは日が暮れるまで気を失っていた。
先にスリーページが起き、スリーページはサニーを背負ってここから5キロ先のサニーの家を目指した。
辺りはすっかり暗くなっていて、良く二人とも無事だったなとスリーページは思った。
「スリー兄貴、私どうなったの?」
サニーは言った。
「僕達はあの後気を失ったんだよ。どういうわけか」
スリーページは言った。
「あのおやじ今度会ったら絶対ハチの巣にしてやるんだから。絶対。人をあんな目に合わせておいて逃げ出すなんてならず者や人さらいのすることよ」
「あの人にはもう永遠に会えない気がする。なんとなくだけど。でも、もし次会ったらハチの巣にして良い。許可する」
「何それ。でも、私達何か特別な力を手に入れたのよね? 実感ないけど」
「あの人が言うにはね。嘘かもしれないが、嘘をつく理由がない。市長のサインも鑑定書も本物だったし。それにこの世界に生きている以上どんなことだって起こりうる」
「でも私達の住むこの国でそんな奇妙な話聞いたことある? それに力って具体的にどんな力? ハッピーって何よ。普通じゃないわ」
「確かに普通じゃない。この国で今日体験した話を誰かに話した日には強制的に精神病院に収容されることになるね。間違いなく」
「それで済めば良いけど。人体実験や地下の労働施設で働かされる事案に発展するわ。冗談抜きで」
「そんなことより、気を失っているとき奇妙な夢を見たんだ。燃え盛る巨大な炎の壁が僕の前に立ち塞がっていて、僕は何故だか身動きが取れなかった。体が石のように硬直していたんだ。すると突然炎の壁が僕の方へ倒れ始めた。僕は炎の壁の下敷きになった。でも僕は直立したままだった。そして僕はただ茫然と立ち尽くしていた。そんな夢だ」

サニーはスリーページの背中から離れ、自分の足で歩き始めた。
「私も不思議な夢を見たわ。藁(わら)のような質感の床なんだけど、その床は凄く固いの。そんな奇妙な床の上に私は何故か正座していたの。それでね、私の前には大きくて真っ白な甕(かめ)が置いてあって私はただその甕を見つめていたの。神々しかったわ。でも怖かった」
「確かに不思議だな。夢が僕らに何かを伝えようとしているのかな?」
すると突然サニーの目の前に白い大きな甕が現れた。
「これ! これこれ。夢と一緒だわ。私なんだか怖くなってきた」
「落ち着け。まず何をどうしたのか説明してくれ。なんでいきなりこの甕が現れたんだ?」
「私だってわからないわよ。でも普段夢を見て、朝目が覚めたときに思い出すのよりももっともっと思い出そうとしたわ」

それを聞いたスリーページはサニーと同じように自分が見た夢をもう一度振り返った。
天まで届きそうな巨大な炎の壁、すさまじい熱風、僕という存在の無力さ、ちっぽけさ、恐怖、感動、とにかく思い出せるだけ思い出した。しかしスリーページの周りで特に不思議な現象は起こらなかった。
「スリー兄貴! 見て。中に何か水のような液体が入っているわ」
スリーページは夢を思い出すのに必死でそれどころではなかったが、あきらめて甕の中を覗いた。
甕の中を覗くとそこには確かに水のような液体が入っており、酒のようなにおいがした。
そのにおいは今まで嗅いだことのないような、とても神秘的なにおいがした。あまりの誘惑にスリーページは無意識のうちに中の液体を手ですくい、口にしていた。

「お前の大好きな酒だぞ! この液体は。凄い! 羨ましいよ」
スリーページがそう言うとサニーは甕に顔を突っ込んで中の液体を飲んだ。
「神様」
腰が抜けてしまったサニーは地面にひざまずき、つぶやいた。
「ブフッ」
それを見たスリーページはなんだか面白く感じ、こみ上げてくる笑いを必死に抑えようと努力したが、それがかえってあだとなり盛大に吹き出してしまった。
その瞬間、どうせまた例の銃を使ったジョークでいつものように謝罪を要求するのだろうとスリーページは思ったが、違っていた。
「ブフッ、あはははははは」
スリーページの笑いにつられてサニーも笑った。
「ふふふっ、神に願いたくなる気持ちもわかる。だけどサニー、面白すぎるよその反応は」
「4年くらい前にさ、1312スレイグが強盗して何週間か強制労働させられて、ガリガリに痩せて帰って来たときにパーティーしたじゃない? あのとき以来かも笑ったの」
「フフ、スレイグな。あの野郎今どうしているんだろう。ろくなことしていないんだろうな」
スリーページは薄い笑みを浮かべて言った。
「万引きとか、公然わいせつとか、無銭飲食よ。どうせ」
「それはどうだろう。あいつ楽器の演奏がうまいから案外有名になっているかもしれないな。あるいは違法薬物の密売だろう。中毒者だし。大体そういう業者は中毒者と相場は決まっているんだ」
「昔は楽しかったな。まともだった頃のスレイグにまた会いたい」
「ああ、そうだな。それよりその甕、出しっぱなしというわけにはいかないだろう?」
「ちょっと待って、消してみせるわ」
そう言うとサニーは瞑想した。するとみるみる甕は姿を消した。
「自由自在だな」
「スリー兄貴、帰ったら一緒に飲むわよ」
「悪いけどまた今度にしておくよ。今日は疲れた」
「そうね。今日はゆっくり休んだほうが良いわね」
「ああ」
スリーページがそう一言つぶやくと二人は沈黙した。
サニーの家に着くまで二人は無言で歩いた。
街灯が一つもない幹線道路はスラムの暗黒の時代を象徴するかのようだった。
スリーページはこの暗黒が嫌いだった。主要都市以外は見放され人々は家畜同然の扱いを強いられ、生きているのか死んでいるのかわからない日々を過ごしている。
スリーページはこの暗黒の中にいると地獄の淵をさまよっている錯覚に陥り気が狂ってしまいそうだったが、あと少しのところでサニーの家にたどり着いた。
サニーの家は幹線道路の暗黒とすっかり同化していた。家でも道路でもスラムでも貧困で苦しくても、政府や富豪の者には一切関係がないのだ。
スリーページにとってそんなことは今更どうでもよかったが、今日に限ってはどうでもよくなかった。
「スリー兄貴? スリー兄貴は私に何か変なことが起こってもさ、あまり心配しないでしょ? 変に同情したり、変に気をかけたり、説教もしない。そこが好きなの」サニーはサニーの家の前に着くと照れながらそう言った。
「なんだよ、突然。まだ酔っぱらっているのか?」
スリーページは少し動揺した。
「違うわよ、なんとなくよ」
何故かサニーも動揺した様子だった。腰に装着している銃のグリップエンドを爪先でトントンと叩いていた。

スリーページはそれを見かねてかタバコを取り出し、火をつけ、思い切り吸った。
「コールセンターの件は残念だったな。それこそハチの巣にしてやりたいよ。お前は僕の従妹だから一応それなりに気をかけているけど、家族であると同時に親友のような感情も抱いているんだ。尊敬や敬意や愛や、そういう特別な、親友や家族に抱くような感情を抱いているんだ。リスペクトしている。ほら、親友に対して教師や親のようには接しないだろ? 僕が言いたいことわかるかな? とにかく、普段こんなことあまり言わないが、今日はなんとなく言いたかったんだ。気味悪がるなよ?」
スリーページは照れながら言った。

「・・・・・・」
サニーは沈黙した。
「色々ある。人生は長いからね」
スリーページは言った。
「ありがとう。私の家の前の道路みたいよね」
サニーは寂しそうに言った。
「そうだな。凄く似ている」
「私達これからどうしようか? なんだかどうでもよくなってきちゃった。仕事とか、人生とか、色々」
サニーは泣いていた。
「どうでも良い! 人生なんて。こんなアホみたいな国に住んでいてどうでもよくならない方がおかしい。本来人生なんていうものはもっと自由であるべきなんだ。僕達は異常じゃない。この異常な国が僕達の首を絞めつけるんだ。異常にさせようとしてくるんだ。貶めようとしてくるんだ」
「それはそうだけど、この国にいる以上は死ぬまでこの国に尽くさないといけないのよ? 逃れることは出来ないの。万が一この国から逃れることが出来ても待っているのはこの国以上の異常と、死よ。私達は死ぬ運命にあって、死ぬために生きているの。わかる?」
「勿論わかるよ。けど、今日僕達に起こった異常は何か特別な意味があると思うんだ。うまく説明出来ないけど、なんとなくそんな予感がするんだ。とりあえず明日エムジェイについて詳しく調べる。何かヒントがあるかもしれない」
「そういえばあのならず者エムジェイのスカラベとかなんとか言っていたわね」
サニーは手で涙を拭った。
「どうも気になってね。トゥーキータウンの図書館に行くよ。サニーも来るか? どうせ暇だろ?」
「就職活動で忙しいのよ! って言い返したいけど私も気になるから行くわ。就職活動なんていつでも出来るし」
「ああ、その通りだ。明日の12時にヴァーチータウンで。遅刻はしない。僕あのジョーク嫌いなんだ」
「女性を待たせるという行為はそれだけ罪深いのよ。殺されても文句は言えないわ。勿論ジョークだけど。殺されたくなかったら時間通りに来てね。約束よ? 12時にヴァーチータウンで」
「ああ、それじゃあお休み。また明日」
「また明日。今日はありがとう。楽しかった! 凄くお腹すいたけど」
「あ、今日はおごる予定だったんだ。すっかり忘れていた。明日絶対おごるよ」

それを聞いてサニーは嬉しそうに手を振り、幹線道路の暗黒と同化した家の中の暗黒へと消えた。
スリーページは時間の確認をするため通信機能が搭載された多機能ゴーグルを装着した。
ゴーグルのモニターは午後6時を表示していた。
スリーページの家からサニーの家までは徒歩で約、1時間ほどかかった。
たいした時間ではないのだが、ときとしてスラムの暗黒は人々の時間間隔や未来を惑わせるのだ。
早歩きをしても、走っても振り払えない暗黒の執拗な纏(まと)わりが体と心に重大なストレスを与え、疲労や嘔吐間やめまいや幻聴の沼地に引きずり込む。
最終的に精神も擦り切れ魂も悲鳴を上げる。そうなると、拉致、殺害、強盗などの犯罪を自らが引き寄せてしまう。あくまでも迷信や言い伝えの域を超えないのだが、ここの住人は決して下を向いて歩いたり、後ろを振り返ったり、立ち止まったりはしなかった。
何も考えずに一定のペースを保って歩くことがスラムの暗黒やストレスから逃れる唯一の方法であった。

しかしスリーページは無意識のうちに歩くペースを乱していた。
何故ならサニーは特別な力を獲得したのに自分は手にしていないからだ。
あるいは手にしているのかもしれないが何も不思議な現象が起きていない事実がスリーページの体と心に、少しずつストレスを与え始めた。
ストレスから寒気や震え、発汗、などの症状が出始めたが、たいして気にならなかった。

サニーと僕とで何が違うんだろう。夢に対する姿勢、鮮明さ、具体性、強い意志、恐らくそういう問題ではないと思う。
もっと何か特別な感情がカギになっていると思う。
なんだろう? あの夢を見て抱く特別な感情。怒り? 殺意? いや、そんなに極端なわけがない。
誰しもが抱くような普通の感情だ。敬意かな? わからない。
考えれば考えるほど答えから遠のいている気がする。
もしも特別な力を手に入れられなかったら僕はどうなってしまうんだろう。
いや、本来こんなことありえないんだ。特別な力なんて・・・・・・

「止まれ」
思考のし過ぎで脳がパンクしかけ、精神が擦り切れそうになったところでスリーページは思考するのをやめた。すると突然スリーページの目の前に武装した男が現れた。恐らく身ぐるみを剥いで殺すのを生業としている、身ぐるみ剥ぎ殺しのプロだ。
スリーページはゴーグルの録音ボタンを押した。
「売ったって一銭にもならないのに」
「黙れ。殺すぞ! 装備品を全て外して跪け」 

スリーページは言われた通り装備品を外した。
防弾仕様のつなぎ、ジャケット、ヘルメット、爆弾セット、拳銃も、機関銃も。しかし多機能ゴーグルはこっそりジーンズのポケットの中に入れた。
「さて、俺もお前も丸腰だが、お前は銃を所持してくれて構わない。今から俺と戦え。拒否権はない」
男はそう言うとスリーページの装備品を自分の後方に追いやった。そして拳銃だけ手に持ち、スリーページの方に拳銃を放り投げた。
「正気か? 薬でもやっているのか?」
「いたって正気だ。いいからさっさと構えろ」
スリーページは地面に落ちた拳銃を取り銃口を男の方に向けた。男の頭に狙いを定め、スリーページは戦闘態勢に入った。

男はしびれを切らしたのか早歩きで向ってきた。
スリーページはまだ頭に狙いを定めていた。
男との間合いが徐々に詰まってきたところでスリーページは男の顔面に向けて数発発砲した。
同時に、男を回り込むような素早い走りで男の後方にある装備品の方へ走った。スリーページは走りながら後ろにいる男へ何発も何発も、弾が尽きるまで発砲した。
男の動きは妙に鈍かった。

スリーページは装備品のあるところへたどり着き、爆弾セットの中で一番殺傷能力のあるグレネードを男の方に放り投げた。スリーページはそれでも不安だった。それは暗黒のせいではなく、単純にあの男に対しての恐怖からくる不安だった。
「あの男に対して、もの凄く恐怖を感じている。銃が効かないこともなんとなくわかっていたんだ」
「アハハハハハハ!」
燃え盛る炎の中から男の不気味な笑い声が聞こえ、男は言った。
「俺はお前らのようなゴミを処理するため、政府から直接依頼を受けて活動しているんだ。人間処理業者と考えてくれて構わない。燃えるゴミやプラスチックを分別するのと一緒。生活ゴミに人間という項目というか、種類が増えただけだ。ただ、簡単に処理してもつまらないだろう? だから時々こうして遊ぶのが俺の生き甲斐なんだ」
スリーページは不意に残りの爆弾を爆弾セットごと男のいる方へ放り投げた。
爆弾セットはアタッシュケースのような形状のケースで、中には何種類かの爆弾が入っている。ケースのふたの裏側には小さいモニターが付いていて、コマンド入力すると爆発の種類や、威力、爆風の向きを変更出来た。
スリーページはあらかじめケースが縦に落ちると粒子タイプの最大火力で左右横の側面が爆発し、縦に長い爆風になるよう設定していた。
万が一、側面から横に落ちた場合はケース全体が爆発し、半径10メートルほどの殺傷能力を有するグレネードになる。
しかし、その場合前者より数段威力は劣る。この設定は縦に投げることだけを想定した単純な高威力設定だった。

「無意味」
男は呆れたように言った。
スリーページは正確に男の横にケースを投げた。
ケース全体の爆発より範囲は狭まるものの男に逃げる術はなかった。
というより最初から逃げる気はさらさらなかった。
爆弾はさく裂し、男は再び爆風の中へ消えた。
爆発とほぼ同時に、スリーページはあの男がこちらに向かってくる前にその場から素早く立ち去った。男が特別な力を有していることは火を見るよりも明らかだった。
「勝てない。政府と関わりのある人間に勝てるわけがない。あいつらは、あいつらは人間じゃないんだ」
スリーページは家の方へ向かって全力で逃げた。

逃げた方向がたまたま家の方向だったというだけで、逃げる先がどこであろうと構わなかった。
特に目的や策があったわけではなかった。はたから見たら、スリーページは無意識のうちに現実から逃れたかったのかもしれない! あるいは早いところ家に帰り明日が来るのを楽しみに、眠りにつきたかったのかもしれない! と決めつける人間もいるだろう。
しかし、それはあくまで憶測に過ぎない。実際は無意識も何もなかった。
暗黒による影響で思考能力の殆どは崩壊していた。
スリーページの精神と魂はとっくに崩壊していた。しかし、脳や心とはもっと別の、深い根のような部分からじわじわと湧き上がる怒りや憎しみの思考、感情だけは崩壊せず、どんどん別次元にある思考の貯蔵庫に蓄積された。

あの男の無機質な笑い声が耳鳴りのようにスリーページの耳の奥でこだました。
耳の奥で執拗に絡みついた。スラムの暗黒がまさに地獄のように思えた。あの男の趣味で一体何人犠牲になったのだろう? 罪のない人間が今まで一体どれだけ死んだのだろう? 殺されてきたのだろう? 考えただけで憎しみが込み上げた。
過剰労働で死ぬ者、嫌がらせやいじめで自殺する者、ネグレクトや虐待者の拷問で死ぬ子供や飢え死にする子供も大勢いる。ただでさえ、ただでさえ身近な日常に死の恐怖が潜んでいるというのに、それなのに政府の連中は人体実験や人間処理で一方的に弱者を徹底して排除しようとする。
この残酷な追い打ちを地獄と言わずなんと言おうか。
スリーページは嘔吐した。

このスラムの暗黒、地獄はいつまで僕や沢山の人間を苦しめるのだろう? 終わりは来るのだろうか? 一部の人間はこの先も永遠に政府の悪戯で少しずつ消され、利用され続けるのだろうか? 人口増加の問題を殺しで帳尻を合わせるというのは悪趣味も良いところだ。
法とは何なのだろう? 罰とは何なのだろう? 罪のない人間を裁く政府が憎い。
弱者に対して冷酷で無慈悲な政府が憎い。僕に明日が訪れるのかはわからない。
でももし訪れたら家の近くの公園で跪いて泣こう。意味もなく誰かのために泣きたい。
死んでいく者のために泣きたい。
謝りたい。そのわけのわからない、意味不明の謝罪行為に深い意味はない。
あるいは深い意味があるのかもしれないが、どちらにせよ僕の自己満足であることに変わりはない。
とにかく自己満足だろうがなんだろうが無意味に泣いて無意味に謝りたい。
この国の者全員に。全世界の人間に。

スリーページの肉体に限界が訪れた。
脳も、心も、臓器も、魂も、生きる気力も、希望も何もかも。
スリーページは体調が良いときで2時間くらい走り続けることが可能だったが、20分ほどで全身の疲労が限界に達した。
スリーページは立ち止まり辺りを見渡した。
目を凝らし近くをよく見ると、古物商がスカラベを売っていた例の公園が見えた。
スリーページの家まではそこから数分もかからなかった。スリーページは家のある方に向かって歩いた。
歩く途中で、すでに何者かの気配を感じ取っていたが、目を凝らさなくとも誰であるか察しがついていた。

「ずいぶん遅かったな。待ちくたびれたぜ」
男は無傷だった。
「まいった。とりあえず公園で話そう。ここだと落ち着かない」
「今度妙な真似をしたら両親の命もないと思え」
「ああ」
二人は公園まで無言で歩いた。
「さて、もう銃はない。素手で来い。ここからは一方的な処理業務だ」
男がそう言うと同時にスリーページは男の顔面を本気で殴った。
男の顔面は鋼鉄より硬かった。
湯煎したトマトの皮を剥ぐよりも簡単にスリーページの拳の皮膚はあっという間にずる剥けになった。
「お察しの通り俺は人間じゃない。マンドナ製のロボットだ。戦闘用ではないがね。それでもここでは十分戦闘が可能」
「マンドナ? ロボットの国か! なんでこんなくだらない国でわざわざこんなくだらないことをしているんだ? 一思いにこの国を滅ぼしてくれれば良いのに」
「そうしたいのはやまやまだが色々事情があるらしい。俺にも詳しいことはわからないが。とにかく、今日お前はここで死ぬ」
「噂で政府の人間は全員ロボットだと聞いたことがあるがあながち間違いではないのかもしれないな」
「俺が言うのもなんだが、少なくとも人間ではないな」
「面白い」
スリーページは言った。
「もう良いだろう。死んでくれ」
そう言うと男はスリーページの首を少しずつ絞めた。
スリーページはサニーのことを思い出した。
サニーごめん。僕は死ぬ。今まで楽しかった。神様どうかサニーには幸せな人生を与えて下さい。
お願いします。 
そういえばサニーは自分の見た夢を僕に説明するとき神々しいと言っていた。
それにあいつ、酒を飲んだときも神様と言っていた。今ではなんとなくわかる気がする。
神様もし僕に特別な力があったら・・・・・・僕に。
スリーページは死ぬ寸前、上半身が黒く輝き高温になり着ていた服が消えた。
「熱いっ」
男は思わずスリーページの首から手を放した。
「熱? 私の体が熱を感じるなんてありえない。お前もロボットなのか? いや、あの拳の血は・・・・・・」
スリーページは目を閉じて、夢に出てきた大きな炎の壁を思い出した。そして、その巨大な炎の壁を一つの小さい球に凝縮するイメージを頭の中で思い描いた。
頭の中で思い描いたイメージは現実でも起こった。
極小の光の玉がスリーページの頭上に突如出現した。
「神様」
スリーページはそう一言つぶやき、瞼を開けた。
「ありえない。これほどの」
男は何かしゃべろうとしたがスリーページは聞く耳を持たなかった。
スリーページは頭上の光の玉を男にぶつけた。
「と、溶け出している。俺のボディが! 高出力の熱線や、粒子グレネードにも耐えうるボディが」
男は高温のフライパンに乗せたバターのようにみるみる溶けた。
「&、:“600000&&&&&&・・・・・・」

男の断末魔は意味のない数式の悲鳴だった。
それを聞いたスリーページの足は震えていた。
この男の生き甲斐は罪のない人間を殺すことだった。
それにこの男は機械だったんだ。政府に関わりのある人間だったんだ。
そう自分に言い聞かせても足の震えは止まらない。足の震えが疲労から来るものなのか男を殺した不安から来るものなのかはわからないが、スリーページは立っているのがやっとだった。
スリーページは疲労と、不安と、悲しみ、憎しみが複雑に介在した思考の海で静かに歓喜した。
この絶望のスラムの町で希望を手にする者はいない。仕事すら人々は手にすることが出来ないのだ。
しかし、スリーページは特別な力を手に入れた。
当然力の使い方なんて知る由もなかったが、神に祈ることで不思議と自然に力を使うことが出来た。
「力を手に入れた。それにコントロール出来た。神様ありがとうございます」
スリーページは明日が訪れる前に跪いて号泣した。
誰かのために、死にゆく者のために泣いた。そして謝った。無意味に。この国の全員に、全世界の人間に。

ひとしきり泣いた後スリーページは地面を這いながら家に向かった。
力を全て使い果たした上に、疲労、精神的ストレスが与える肉体的苦痛はとっくに許容オーバーだった。
しかし、地面のぬくもりがとても心地よく、スリーページの心の不安を拭った。這いながらスリーページは神に祈り、無意味な謝罪を幾度となく繰り返した。
本来数分かからない自宅までの距離を、祈りと謝罪を繰り返しながら地面を這うことで相当に長く感じさせた。
家の前に着くとスリーページは門につかまり、殆ど腕の力だけで立ち上がった。何かにもたれかからないと歩くことが出来なかった。
門を開け玄関までたどり着くのもやっとだったが、なんとか玄関のカギを開け家の中に入ることが出来た。

「ただいま」
スリーページは声を発するのがやっとだった。
「ただいまじゃないわよ。7時を過ぎているじゃない! 何があったって言うの?」
トゥーページは慌てて玄関に駆け寄った。
「サニーを家に送って、帰る途中身ぐるみ剥ぎ殺しと戦闘になった」
「呆れた。だからあんな町はやめなさいって言ったのよ。装備品だけで済んでよかったわ」
「就活の帰りに身ぐるみを剥がされて殺されそうになった。笑えるだろ? それより今日はもう寝る。明日も早いからね」
「自業自得。まさか明日もヴァーチータウンに行くんじゃないでしょうね?」
「いや、明日はトゥーキータウン。(サニーとの待ち合わせ場所はヴァーチータウン)」
「ふん、ヴァーチータウンって言ったら私が身ぐるみを剥いで殺してやるところだったわ」
「面白い」
「明日は夕方までいないから」
そう冷たく言い残しトゥーページは自分の部屋へ向かった。
スリーページは壁にもたれかかりながら自分の部屋へ向かった。

部屋に着くとスリーページはベッドに倒れ、すぐさま眠りについた。すると今日起こった全ての出来事が混ざり合い、その後自分の意識が高速で降下する夢を何度も見た。
スラムの暗黒、ヴァーチータウン、家、炎の壁、マンドナ製のロボット人間、スカラベ売り、サニー、1312スレイグ、トゥーページ。
ありとあらゆる事象、物質、人間が自分の意識に溶け込んでは消え、溶け込んでは消え、一瞬で通過した。
そして意識が高速で降下した。
その後スリーページは深い眠りにつき、意識を失った。

深夜の3時、多機能ゴーグルは充電が切れる知らせを持ち主に伝えるため必死に鳴った。
音量が小さい効果音ではあったが、スリーページは起きてゴーグルを充電した。その時録音を停止し、目覚ましを10時にセットし、再び眠りについた。
「これって本当に現実なんですか?」
部屋の中の俺は宇宙のティーシャツを着た人が近くで見ているような気になりなんとなく言った。
宇宙のティーシャツを着た人の姿はなかったが声だけが聞こえた。
「うん。現実だよ」
「地球に似ているのはどうしてですか?」
「どの惑星にも知的生物がいる。無限に。でも人間ほど優れた知能を有する生物は数百種類しかいない。しかもその殆どが君達人間と同じ進化を遂げた同一の生物なんだ。地球とは別の現実の世界であっても類似性を感じたり、地球のパラレルワールドにいるような錯覚に陥るだろうが、完全に別の世界なんだ。理屈はわからないが住む惑星が違えど人間という種族が惑星を支配すると地球と似た環境になるんだ。地球に似た環境がどういう環境なのか説明することが難しいが、何となくはわかるだろう」

「はい。なんで俺はもう一人いるというか、存在しているのですか?」
俺はうなずきながら言った。
「現実の世界から君の存在そのものが消えると他の惑星の誰かが君になるんだ。普通肉体が消滅すると魂はどこかへ行ってしまうが、肉体と魂が同時に消えると番号のようなものが宇宙のどこかにいる他人に自動的に割り振られる。割り振られた者に何かが影響することはない。ただ、割り振られた者の魂が肉体から離れたとき、その番号のようなものがあると、肉体と魂が消えてしまった者の存在の証明になるんだ。証明の詳しい意味や、肉体から離れた魂が向かう先は私にも他の三人にもわからない」
「ありがとうございます。それともう一ついいですか? 他の大勢の人間もこのような僕と同じ選択を迫られるのですか」
「消滅する者もいれば選択出来ない者もいるし選択肢が多い者もいる。それぞれ自動で振り分けられるんだ。そして人々の前に私達は現れる。自動的にね」
「ありがとうございます」
部屋の中の俺は静かに言った。
部屋の中の俺は人間の愚かさや欠陥というものを改めて認識した。
認識した後、人間としてのプライドのようなものは一切なかった。
あるのは思考の停滞だった。
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