平穏な生活があれば私はもう満足です。

火あぶりメロン

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5 王女の専属メイド

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わたしはアイビー姫殿下の専属メイド、マリアンヌ。23歳。もう姓はない。

男尊女卑の考えが根強いドルー伯爵家の三女として生まれた。

お父様にとって、わたしはただの政治結婚の駒でしかなかった。姫様のメイドになる前、わたしはお母様の顔を見たことすらなかった。貴族社会では、それは珍しいことではなかった。

でも、お父様よりずっと年上の男性と結婚させられるなんて、絶対に嫌だった。だから、色々なことを我慢しながら、学業一筋で努力を続けた。珍しく飛び級で貴族学園を卒業したわたしは、家に何も言わずに隠していた金を回収し、すぐに家を出た。そして王城のメイド募集に応募することにした。

一応、貴族の娘だったこともあり、すんなりと見習いメイドとして受け入れられた。

これで、あの家やあの人ともさよならだ。年齢が近かったこともあり、すぐにアイビー姫様の側に仕えることになった。当然、お父様はわたしを駒として取り戻そうとし、無理やり連れ戻そうとした。けれど、姫様はこんな言葉を――。

「ドルー伯爵、わたくしが選んだ駒を奪うとは、いい度胸ですわね。では、この娘はお返ししますわ。代わりにあなたの首と交換していただきましょうか?」

姫様のおかげで、屋敷に連れ戻されることはなくなり、その後すぐにドルー家から勘当された。

よかった。本当に、よかった。


帝国の黄金姫――アイビー姫は、冷酷なことで知られている。

姫様に関わることで、知らないうちに命を落とす者も少なくない。

当時の教育係から聞いた話によると、まさかわたしが姫様のメイドになったのは、姫様が裏で仕組んだことだったらしい。そんなこと、想像もしていなかった。

確かに、卒業前に突然学園長から呼び出されたことがあった。

わたしの家の事情をいろいろと聞かされたあと、話題が急に変わり、王城でメイドを募集していると言われた。「王城に入れば、君はあの家から逃れられるうえに、さらに上を目指せる」と学園長は保証してくれた。だから、当時のわたしは他国へ逃げる計画を変更し、王城のメイドになる道を選んだ。

しかし、姫様の側に仕えるのは、決して楽なことではなかった。

当時まだ10歳だったアイビー姫は、非常に美しく、何でもできる才女だった。その若さで、ほぼ完璧に物事をこなしていた姫様に仕えるのは、並大抵のことではなかった。

姫様は、自分ができることは他人もすぐにできるはずだと考えているようだった。その厳しさは貴族でも平民でも変わらず、まるで道具を扱うようなものだった。

今年17歳で成人したばかりの姫様は、周囲から「これこそ王の器」「上に立つべき人」と噂されている。

けれど、未来の女帝に反発する者も多い。……まあ、それはわたしには関係ない。今の仕事は毎日命懸けで、すでに精一杯なのだから。

見習いを卒業し、気づけば姫様の専属メイドとなったわたしは、長い年月を姫様に捧げてきた。

わたしは知っている。姫様は、家族以外の人間をただの駒としてしか見ていない。利用価値がなくなれば、すぐに切り捨てる人だ。

幼い頃から7年間、姫様に仕えてきたが、姫様とわたしの間には信頼も感情も一切ない。

わたしはただ、仕事を全うし、次の命令を予想して準備するだけ。それを守れば、わたしは死なずに済むし、捨てられずに済む。

もう、そうすることに慣れてしまった。


------------------------------------------------------


今日はアイビー姫様が朝から陛下との会議があり、珍しくわたしに「部屋で待機しておけ」と命じられた。

 戻ってくるまでの時間を持て余しそうだったので、せっかくのいい天気を活かして姫様の蔵書を読み始めることにした。

午後4時頃、空が急に夜のように暗くなり、雨の気配が漂い始めた。

「降りそうね。」

慌てて窓を閉める。部屋の魔道具に魔力を送り、明かりを灯した。しばらくすると、雷鳴が響き渡り、激しい雨が降り始めた。

その後、皇帝直属の近衛騎士たちが倒れた姫様を部屋へ運び込んできた。 騎士の話によれば、姫様は過労で倒れたとのこと。医者も慌ただしく到着した。 医者の診断は「ただの過労です。ゆっくり休めば自然に目を覚ますでしょう。」 その言葉に少し安心したものの、姫様が目を覚ます気配はまだない。

時間が空いてしまったので、ベッドの傍らに座り、再び本を手に取った。 姫様の寝顔を横目で確認しつつ、静かな時間が流れる。ページをめくる音だけが部屋に響く――そんな雨の夜でした。


------------------------------------------------------


翌日――昨日から続く激しい雨は止むことなく、空は依然として真っ暗なままだった。

そして、姫様はまだ目を覚ましていなかった。


ゴーーーン、ゴーーーン、ゴーーーン。


鐘の音が響く。もう午後3時。 こんな天気だと時間の感覚が狂ってしまう。本当に嫌なものだ。

「うっ…」
「姫様!!」

ようやく、姫様が目を覚ました。 忙しい一日が始まる――そう思った。

後ろで待機していた他のメイドたちに、食べやすい食事と着替えの準備を指示しようとした、その時――


「かぁぁぁーーー!うわああああーーー!!」


驚いた。姫様がこんなに大きな声を出したのは初めてだ。 これは異常だ。姫様は苦しそうにうめき声を上げ、後ろのメイドたちも、この異常事態にただただ慌てている。

「か…かぁぁぁぁーーーー!」
「医者に連絡して、早く!」
「あなたは陛下に姫様の現状を報告して、今すぐ!」
「は、はい!」
「わかりました!」

メイドたちが現状報告のために部屋を出ると、なぜか近衛騎士たちがすぐに現れ、状況を聞いてきた。 その後、近衛騎士が「魔道士団長を連れてくる」と言い残し、急ぎ去っていった。

「あぁぁぁーーーーー!うわああああーーー!!かーーーあーーー!」
「姫様、大丈夫です。医者はすぐに来ます。」

姫様の震える手を見て、思わずその手を取った。 体温が高い……風邪なのだろうか?姫様の上半身を支え、そばに用意された水を飲ませる。 少しでも体温が下がればいいのだが――こちらに向けられた半開きの目には生気がなく、何を求めているのかまったくわからない。

姫様はただ喉が渇いているようで、次々と水を飲み続けた。

(本当に厄介な雇い主……。)

医者を待つ間、わたしたちはただ冷たい水を用意し、姫様の滝のような汗を拭くだけだった。 苦しそうな姫様に対し、わたしたちは何もしてあげられない。 やがて医者が到着し、診察の結果は「ただの過労」とのこと――そんなわけがあるだろうか。

医者が帰った後、今度は近衛騎士が呼んだ魔道士団長、イライジャ様が到着した。 どうやら、医者よりもイライジャ様を呼んだのは正解だったらしい。 イライジャ様の診断では、「魔力暴走」とのことだった。 その後、彼はわたしたちに「姫様をいつも通りに世話するように」と指示し、さらに「姫様を部屋の外へ出すな」と命じた。

わたしの知る限り、魔力暴走は基本的に治ることはなく、暴走した魔力に焼かれて死ぬだけ――お気の毒だ。

(最悪……。ずっとこんなうめき声を聞き続けないといけないなんて、はぁ。)

(でも、魔力暴走ではそう長く生きられないでしょう。姫様の魔法資質は彼女の一番の弱点だし……こうなれば、もうすぐ別の職場に移れるかもしれない。とはいえ、姫様が暴走するほどの魔力量を持っていたなんて……ううん、考えないようにしよう。どうせもうすぐ別の職場に変わるのだから。)

その後、うめき声を約2時間聞き続けたあと、姫様は突然目を閉じ、静かになった。

(気絶したの……?びっくりさせないでよ。)

この日、姫様は目覚めるたびに叫び声やうめき声をあげ、そして気絶を繰り返した。 わたしは言われた通り、姫様を世話するだけ。 汗が怖いくらい流れ続ける姫様に対し、わたしたちは気絶したときに体を拭き、目覚めたら冷たい水を飲ませる――その繰り返しだった。


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姫様が魔力暴走したまま、一週間が経った。

今日も雨。激しい雨が三日間続き、今は少し弱まった程度だ。

もうそろそろ洗濯物を干したいのに……誰がカオル神を怒らせたのかしら?

姫様は昨日と変わらず、ずっと苦しんでいる。彼女に特別な感情を抱いているわけではないけれど、目の前でこんなにも苦しむ姿を見せられると、さすがに気の毒に思えてくる。

「か…かぁぁぁぁーーーー!はぁはぁ!うっ!」

止まることなく続くうめき声。 姫様の顔の汗を拭き取りながら、思わずその手を握った。そこで、妙な違和感を覚えた。すぐに姫様の額に手を当てて熱を測ると……まさか、熱が下がっている? すぐにイライジャ様に連絡を取ることにした。

イライジャ様の診察の結果は、やはり魔力暴走中とのこと。 ただ、彼自身もこんな状況は初めて見るらしい。

「まさか、その魂が……ひひひぃ、興味深い。」

(……?!)

「イライジャ様、申し訳ありませんが、診察が終わりましたらお帰りください。姫様の今の姿は、できれば男性の目には触れさせたくありませんので。」

噂通り、この魔道士団長は狂った魔法研究者のようだ。 彼の独り言を聞いてしまった以上、こちらも警戒せざるを得ない。


------------------------------------------------------


姫様が魔力暴走して十日目。


今日も雨。やや強い雨から普通の雨へと変わったが、帝国の帝都は内陸のはず。それなのに、十日間も降り続いているなんて、妙な話だと思わない?

姫様は依然として苦しんでいるものの、うめき声は明らかに減ってきた。 そして、それ以外にも奇妙な変化が見られるようになった。

部屋で掃除や雑務をしていたメイドたちが、次々とめまいや吐き気を訴えるようになった。 さらに、倒れてから何も食べていないはずの姫様の痩せた顔や肌、髪が徐々に元通りに――いいえ、それ以上に潤いを取り戻している。それどころか、髪は以前よりもさらに美しくなっている。 まるで周囲の人間の命を吸い込んでいるかのように感じられる。不気味で、少し怖い。

仕方なく、また魔道士団長に連絡を取ることにした。

「マリアンヌ様、魔道士団長イライジャと近衛騎士が到着いたしました。あっ!」

メイドの言葉を無視し、魔道士団長はずかずかと部屋に入ってきた。 苛立った様子で口を開く。

「ったく、今度は何だ?」

この黒マントの中年男……何なの、この態度。 意識不明とはいえ、一国の姫様の前でしょう?もう少し礼儀というものを持てないのかしら。

「はい、こちらで説明いたします。」

部屋へ入った途端、彼の足が止まった。

「ちょ……何だこれは?!この魔力は!」
「何のことでしょう?」
「ここ!この部屋の魔力濃度が異常だ!極大魔法を使った後でも、こんなに濃くなることはないぞ!」
「そう言われても、わたしにはわかりませんが。」
「お前、魔法素質は?」
「水と風の適性で、貴族学園を卒業しております。」
「だから感じないのか。魔法をあまり使えないメイドは、めまいや吐き気が出るだろう。」
「はい。そういえば、魔法の得意なメイドには特に異変はないようですが。」
「すぐに窓を開け、風魔法で換気しろ。ったく、これだから中途半端な連中は……。」
「承知いたしました。」

わたしはそのまま部屋にあるベランダ付きの大きな窓を開け、風魔法を使い、室内を換気した。 外では依然として雨が降り続いているため、換気した後すぐに窓を閉める。 そして続けて、この無礼な団長に姫様の現状を説明した。

怒る?あんな黒マントの中年男に腹を立てる理由なんてないわ。 ただの負け犬の遠吠えだもの。そんなことを気にしていたら、王城のメイドなんて務まらない。

彼は姫様を診察した後、驚いた顔をしながら低く囁いた。

「まさかまさか、ありえない。意識不明のままでここまでできるとは……面白い。研究したい。ひひひひぃ……。」
「イライジャ様、姫様のご容態はいかがでしょう?」
「あ~心配ない。体内の魔力が放出されただけだ。それでこの部屋の魔力濃度がこんなに高いんだ。もう少ししたら自然に目を覚ます。」
「しかし、痩せていた体が急に回復しましたが。」
「気にする必要はない。そのまま仕事を続けろ。」
「承知しました。それでは陛下にご報告を――」
「いや、オレが行く。いいか!絶対にこいつを部屋から出すな。これはオレの命令じゃない、陛下からの王命だ!」
「かしこまりました。ただ、王女殿下を“こいつ”呼ばわりするのは、不敬では?」
「フン!こいつはこいつだろう。オレに責任はない。陛下はその血を子孫に残したいから、だからここに置いているだけだ。その血がなければ、とっくにオレの研究材料になっているところだ。」

あまりに無礼だ――思わず一歩踏み出そうとした瞬間、近衛騎士がすでに剣を抜き、彼の首元に赤い線を描きながら静かに告げた。


「はいはいはい!もう何も言いません!」
「騎士様、姫様の代わりにお礼を申し上げます。」
「いいえ、当然のことです。それでは私たちは退室します。私が責任を持って姫様のことを陛下にご報告しますので、引き続き姫様をよろしくお願いします。」

近衛騎士は剣を納め、そのままあの魔道士団長とともに退室した。 

それにしても、最近イライジャ様が来るたびに皇帝直属の近衛騎士が付き添っているのはなぜだろう――そんな疑念を抱きつつも、それよりも騎士様の剣さばきの速さに驚いた。そして、あの姫様が本当に魔力暴走を乗り越える可能性があるなんて。

これで別の職場を探さずに済むわね。

(もし姫様がお亡くなりになり、わたしがあのハゲ男の近くに配属されたら……その時はすぐ辞める。絶対に。)


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魔力暴走から十二日目――ようやく晴れた。

朝、目を覚まして空を見上げたとき、その澄んだ青さにほっとした気持ちになる。でも、連続した十二日の雨のせいか、部屋の空気にはほんのりとカビ臭さが残っている。……はぁ、掃除が大変そう。

昨晩から、姫様のうめき声が聞こえなくなっていた。 そろそろ目を覚ます頃かもしれない。そう思い、新しい着替えを用意し、大きな窓を開けて風魔法で換気する。一晩溜まった姫様から発生した魔力を外へ送り出し、そのままそばで待機した。


ゴーーーン、ゴーーーン、ゴーーーン。


何度も繰り返される鐘の音が部屋に響く。


突然――


「うわーーーーーーーーーーーー!!」

耳をつんざく叫び声に、反射的に身をすくませる。

その声の主は――

「ひぃ!!……ひ、姫様!!……だ、誰が!!」



姫様が……目を覚ました。
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