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第十六話 暗黒の魔導士 その五
しおりを挟むオリバは泣きながら天井を仰ぎ見た。そしてこう呟いた。
「コールマン先生……筋トレが……したいです」
オリバは持てる力を振り絞って立ち上がる。
しかし、黒い雨はオリバたちに容赦なく降り注ぐ。
何もかもどうでも良くなる。
体に力が入らず、しゃがみ込んでしまう。
それでもふらつきながら立ち上がる。
……またしゃがみこんでしまう。
そして立ち上がる。
この動作を繰り返した。
――これだ!!
オリバは活路を見いだす。
オリバは近くにあった大きな木製の置時計を持ち上げて両肩に担いだ。
そのまましゃがみ込む。
そして立ち上がる。
「ついに発狂したか? 立ち上がるだけでも精一杯だろう。それなのに自分から重いものを担ぐとはな!」
ウラノスは嘲笑する。
オリバは両肩に置時計と担いだまま、しゃがみ込んだ。
決して立っていられなかったからではない。
意図的にしゃがんだのだ。
そしてまた膝を伸ばして立ち上がる。
しゃがんでは立ち上がり、またしゃがむ。
そう、この動作は『スクワット』だ。
足のトレーニングの定番中の定番。
ベンチプレスが筋トレ界のアイドルならば、もっとも多くの筋肉を酷使し、鍛え上げるスクワットは筋トレ界の王様なのだ。
オリバは置時計を担いだまま、黙々とスクワットを行う。
スクワットは最も疲れる筋トレのひとつ。
向こう側の筋肉を持ったオリバでさえも、額から汗がながれ、息があがる。
黒い雨はオリバに降り注ぎ続いている。
しかし、オリバの目は輝きを取り戻しつつある。
「スゥゥ~……ハァァ~……スゥゥ~……ハァァ~」
部屋に中にはスクワットをしているオリバの呼吸の音と雨の音だけが流れる。
「バカな……。これは神の魔法だぞ! 貴様は創造主たる神をも乗り越えようとしているのか!!」
恐怖の混じった声でウラノスは叫んだ。
オリバはスクワットを続けながら、上下に動きながら答える。
「ハァハァ……ウラノス、お前は筋トレの可能性を甘くみた。ハァハァ……筋トレの効果は体を鍛えるだけではない! 嫌なことを忘れさせてくれたり、ハァハァ……ストレス発散できるのだ」
「『ハァハァ』うるさいぞ! 何が言いたいのだ!」
「重い道具を使って筋トレしているとき、他のことを考える余裕なんて一切ない。全神経を筋トレに集中せざるを得ない。つまり、嫌なことを強制的に忘れられるのだ! しかも、重い道具を持ち上げた達成感で心が満たされる。筋トレ後には心地よい疲労感も得られる。筋トレはストレス発散にもってこいなのだっ!!」
「な、なにー!! 筋トレとはそれほどのものだったのか……。不死の身であり、実体もないワレは筋トレを甘くみておった……。まさか人類にこれほどの秘策があろうとは……」
ウラノスは絶句する。
「俺の勝ちだ、ウラノス! ハァハァ……この魔法はもう俺には効かない。これが貴様の最後の奥義だろう? ハァハァ……」
オリバは『ハァハァ』言いながらも勝ち誇った顔でスクワットを続ける。
「ぐぬぅぅ……。まだだ、まだワレは負けておらぬ! 魔法を使えない貴様にワレを倒す術はないではないか!」
ウラノスの顔に余裕が戻る。
「それはどうかな」
オリバは自信たっぷりに言う。
スクワットをしながらウサギのようにピョコピョコと前に飛び跳ね、ウラノスに向かって前進し始めた。
この動作は『ウサギ跳び』だ。
膝への負担が多く、怪我をしやすいことから今では禁止されているトレーニングだ。
しかし、今は町民全員の筋トレする権利がかかっている。
不本意ながらもピョコピョコとウサギのように飛び跳ね、オリバはウラノスの元まで突き進む。
「く、来るなぁぁあ!!」
ウラノスはあとずさる。
神の魔法にも屈しない筋骨隆々な男が置時計を担ぎ、ウサギのようにピョコピョコと迫ってくるのだ。
ウラノスさえも言い知れぬ恐怖を感じる。
オリバはピョコピョコとスクワットをしながら前進してくる。
ウラノスは壁まで追い詰められた。
目の前でオリバが『ハァハァ』言いながらスクワットし続けている。
「貴様の攻撃は効かぬわ! ワレをどうするつもりだ!」
ウラノスは虚勢を張る。
オリバは担いでいた置時計を降ろした。
「スキル! 強制スクワット!!」
オリバは両手でウラノスの両肩を掴んだ。
オリバ自身がスクワットしながら、ウラノスにも強制的にスクワットをさせる。
黒い大雨に打たれながら、ふたりの大男が向かい合って『ハァハァ』言いながら同時にスクワットをしているシュールなシチュエーションが生まれる。
「貴様、なんの真似だ!? ワレに物理攻撃は効かぬ。こんなバカなことをして何になる!」
「それはどうかな、ウラノスよ。さあ、もっと素直になって自分の心の声を聴いてみろ」
ウラノスは目をつむり自身の内側に意識を集中させる。
たしかに感じる。
筋トレの清々しさ――
筋肉の歓声を――
「どうだ、ウラノス。筋トレにはネガティブ思考をストップさせ、ストレス発散させる効果がある!」
「ふん! そんなもので何百年も積み重なった負の感情は解消できぬわ!」
「自分の体をよく見てみろ」
ウラノスは自分の体に目をやる。
体中から黒い魔力が放出され分解されている。
「な、なに! ワレの力の源が削り取られておる! 一体どういうことだ!?」
「ウラノスよ。素直になれ。お前の体は筋トレに反応し、負の感情が次々と消えていってる。筋トレは気持ちいだろ?」
「ぐぬぅぅ……むしろ不愉快だ! ワレは不死の身! 筋トレなぞ必要ないわ!」
「ハァハァ……そうは言っても体は正直だぞ? ハァハァ……どんどん負の感情が消えていってるぞ?」
「ハァハァ……くそぉぉぉ……ハァハァ……ワレが人間ごときに……ハァハァ……アッーーー!!」
ウラノスの体からは大量の負の感情が放出され、空中で分解した。
はち切れんばかりの巨漢だったウラノスは力の原動力である負の感情を失い、今や細身の体型へと変化していた。
「ウラノス、そこの鏡を見てみろ」
オリバは鏡の方向に首を向けた。
ウラノスは鏡に映った細くなった自分をまじまじと眺めた。
「今のお前は無駄のない引き締まった体だ。顔もすっきりしてなかなかイケメンだぞ」
「ほんとうだっ!! ぐあぁぁぁ! やめろぉぉぉぉお! 力が削がれる!!」
ウラノスの体から一気に負の感情があふれ出し、空中へと消えてゆく。
「今のはお世辞じゃない。俺の本心だ。お前もそう思ったからこそ、負の感情が消えていったんだろ。いいか、ウラノス。身長や容姿は選べない。だが、筋トレすれば体型は選べるっ!!」
オリバはまるで、ジムで筋トレ後に他のトレーニーと雑談するかのように親しげにウラノスに話かける。
一度会ったら友達で毎日筋トレしたら兄弟なのだ。
「やめろ!! やめてくれ! ワレは暗黒の魔導士ウラノス。負の感情より生まれし者。世の中に楽しいこと素晴らしいことがあるなど認められんのだ!!」
ウラノスは虚勢を張る。
だが、魔力はほとんどなく弱りきっているのは明らかだ。
オリバはウラノスと一緒にスクワットを続ける。
ウラノスの体から放出される負の感情も減っている。
負の感情が枯渇しているのだ。
「ウラノスよ、最後のチャンスだぞ。最期に言いたいことをいって成仏しろ」
オリバは優しく語りかける。
「ぐぬぅぅ……」
ウラノスは苦しそうにうなる。
「……ぐあぁぁぁああ! これが暗黒の魔導士ウラノス、最期の言葉だぁ!!」
ウラノスは最期の力を振り絞る。
「筋トレってきもひぃぃぃいい!!」
ウラノスは大声で叫ぶ。
満足そうな顔をして空中に浮かびあがり煙のように散っていった。
オリバはウラノスが散っていった空中をしばらく眺めていた。
手強い相手だった……。
でも、ウラノスと戦えて良かった。
負の感情より生まれ、負の感情しか知らない暗黒の魔導士ウラノス。
そんなあいつに筋トレの素晴らしさを伝えてあげられたのだから。
召喚主がいなくなり、絶望の神ディスペアも消えてゆく。
オリバは両手でウラノスが取りついていた少年の両肩を掴んでいる。
やせ細っていて色白で大きな丸メガネをかけている。
少年は目を閉じていて意識がない。
「ブラウンくん? 大丈夫か?」
オリバはブラウンの肩をゆする。
ブラウンはゆっくりと目を開けた。
「あ、ありがとうございます……。あなたは命の恩人です。ウラノスに取りつかれたあともボクには意識がありこの戦いを見ていました」
ブラウンはゆっくりと小さい声でお礼を言う。
「オリバさんの戦いに感動しました。ボクは子どもの頃から病弱でマイナス思考だったから、ウラノスに取りつかれたんだと思います。オリバさんを見習って筋トレします!」
眼鏡越しに見るブラウンの目は、希望に満ち溢れている。
「ブラウンくん、お前ならできるよ! 俺も子どものころは病弱で筋トレなんて無縁だったんだ」
オリバはそういって力こぶを作った。
「オリバ様! すっごいですー! 魔法耐性もなくて魔法を使えないのに、大魔法使いを倒しちゃうなんて!!」
ノバがオリバの背中に飛びついてきた。
「こら、ノバ! オリバ殿は命の恩人じゃぞ! 失礼なことをするでない!」
ボサがノバをオリバから引きはがす。
「オリバ殿、本当にありがとうございました。魔法使いであるワシらがオリバ殿を助けなくてはならぬのに、逆に命を助けていただいた。この御恩は一生忘れませぬ」
ボサは深々と頭を下げる。
「いいんです。この戦いで筋トレの素晴らしさを再認識できましたから」
オリバはもう一度、ボディビルの規定ポーズ『アブドミナル・アンド・サイ』をとる。
「さすがオリバ殿じゃ! なんと見事な腹筋と脚!! まさか絶望の神の魔法まで克服するとは感服しましたぞ!」
「俺は全然凄くありません。凄いのは筋トレです。筋トレには絶望に打ち勝つパワーがあるんです。筋トレは可能性の宝石箱ですから」
「この戦いを見せつけられたあとでは否定のしようがありませぬな」
ボサが苦笑いする。
「オリバ様って彼女さんとかいるんですかー? 私は彼氏いないですー」
ノバがいきなり質問してきた。
にこにこしながら澄んだ青い瞳でオリバを見つめてくる。
ノバは美少女だ。
金髪ショートヘアが良く似合う。
年齢は聞いていないが、条例違反のニオイがプンプンする。
……いや、違う。
そうじゃない。
そういうことではないのだ。
俺にはやるべきことがある。
ジムに行って筋ト……いや、ちがう……大魔王討伐が最優先なのだ。
今すべきことをするのだ。
オリバは我に返る。
「彼女はいない。今は最優先で大魔王を倒すからな。強いて言えば、筋トレが彼女ってところかな。 あっはっはっはー」
オリバは無理して明るく言った。
「ちぇ~、残念。ノバの運命のひと、見つけたと思ったのになー」
ノバはふてくされる。
「お前に彼氏なんぞ百年早いわ!」
ボサがたしなめる。
「みんな無事でよかった。会えてよかったです。俺は行くところがあるんで先に帰ります」
オリバはみんなに挨拶し、部屋を出ようとする。その時――
「オリバ様!!」
オリバが振り向くとノバが抱きついてきて、オリバの額にキスをした。
ボサが目を丸くする。
「大魔王やっつけてね!!」
ノバは屈託のない笑顔で言った。
「もちろんだ。約束する。筋肉に嘘はつけないからな」
オリバはノバの頭をポンポンする。
ボサが駆けつけてきてノバを引きはがし説教する。
ノバのキスを目撃したブラウンは目を輝かせている。
筋トレしようと固く心に誓ったようだ。
オリバは初めてコールマンさんのジムに行ったときを思い出す。
綺麗なお姉さんたちを見かけて即入会したのだ。
オリバはひとりで苦笑いしながらグレイ邸をあとにした。
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