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第三十九話 大魔王 その五
しおりを挟むルナとエレナは泣きながら扉に向かって走りだす。
「逃がさないよ」
ケロンデウスは漆黒の翼で羽ばたき、ふたりを追う。
「お前の相手はこの俺だっ!」
オリバはケロンデウスの尻尾を掴み、ケロンデウスを床に叩きつけた。
オリバは左腕でケロンデウスの尻尾を抱え、右手で頭を防御する。
「離せっ! 下等な人間がっ!!」
ケロンデウスのパンチがオリバの顔めがけて飛んでくる。
オリバは右腕で防御に専念する。
ケロンデウスの拳がオリバに当たる。
防御していてもケロンデウスの攻撃は完全には防げない。
オリバの頭から血が流れ、額を真っ赤に染める。
ケロンデウスは両腕で交互にパンチを繰り出す。
オリバは右腕で頭を守り、一方的に殴られる。
それでもケロンデウスの尻尾は離さない。
「早く行けっーーー!!! 絶対に生き延びるんだ!! あとは頼んだぞっ!」
オリバは殴られながらも力の限り叫ぶ。
ルナとエレナは泣きながら魔王城の扉に向かって走る。
オリバはふたりが扉から出てゆくのを横目に眺める。
ふたりのために一秒でも長くケロンデウスの邪魔をする――
オリバは殴られながらも左腕に力を入れてケロンデウスの尻尾を強く抱え込む。
もう何発殴られたか分からない。
視界がぼやけてくる。
「この死にぞこないがぁぁ! ボクの邪魔をするなぁぁぁあ!!」
ケロンデウスは怒鳴りながら何度も何度もオリバを殴りつける。
殴られる衝撃は伝わってくるが痛みはもう感じない。
あたり一面真っ白に見える。
これが死ぬときの感覚なんだろうか。
それでもこの尻尾だけは絶対に離さない。
オリバの頭の中に過去の思い出が走馬灯のように流れる。
病弱な子どもだったころから筋肉魔人王を倒すまでの記憶、すべてだ。
人生で嫌なことも辛いこともあった。
冒険はいつも命懸けだった。
それでも今思い出すと、良いことばかりが思いだされ、何故だか美しいことのように感じる。
いい仲間に会えた。
冒険は楽しかった。
毎日生きているって実感していた。
不意にかあさんの顔が頭に浮かんだ。
冒険者の職業がボディビルダーって言ったとき、かあさんは少し嬉しそうな、ほっとしたような表情をした。
俺はその顔が憎らしかった。
国王の命令で大魔王討伐に行くって伝えたとき、母さんは悲しそうな顔をしてこう言った。
「そう……頑張ってね……。……なんであんたなの……」
そしてすぐに自分の部屋に戻って行った。
かあさん、ごめん……。
今まで女手ひとつで俺を育ててくれてありがとう……。
ヤンとアレックスが目に浮かぶ。
病弱だった俺はクラスの人気者じゃなかった。
でもあのふたりがいたから、『自分はひとりじゃない』っていつも感じることができた。
あれが青春だったのかもしれない。
ヤン、アレックス、今までありがとう……。
コールマンさんが目に浮かぶ。
コールマンさんがいなかったら筋トレの楽しさに出会えなかった。
ここまで自分に自信が持てることもなかった。
コールマンさん、今までありがとうございました……。
エレナにボサとノバ、そしてルナ。
一人ひとりのエピソードが心に浮かんでくる。
オリバは一人ひとりに『ありがとう』と別れの挨拶を告げる。
「……今まで俺と一緒に戦ってくれてありがとう、俺の筋肉たち……」
薄れゆく意識の中で筋肉への感謝の言葉が自然と口から出てきた。
「ありがとう、大胸筋。ありがとう、広背筋。ありがとう、上腕三頭筋。ありがとう、腹直筋……」
オリバの体に異変が起こる。
名前を呼ばれた部位が青白く光り始めた。
「ありがとう、大腿四頭筋」
オリバの太もも前側が光りだす。
オリバは次々と筋肉の名前を呼び、光に包まれていく。
しかし人間の筋肉は数百以上の名前がある。
すべての筋肉へ感謝の思いを伝えるには時間がかかる。
青白く光っているオリバを目の当たりにし、ケロンデウスは本能的に危険を察知する。
すべての魔王を統べる真の王と謳われる大魔王でさえも恐怖を感じる。
「今すぐその呪文をやめろぉぉぉおお!!!」
ケロンデウスはオリバの腹だけを一点集中で絶え間なく攻める。
オリバは呼吸ができない。
言葉が発せられない。
だんだんと意識が薄れてゆく。
◇◆◇◆◇◆◇
「この穴を抜ければ『最果ての地』に戻ることができよう! この穴を通過する程度の魔法なら少し休めば使えるようになるじゃろう」
天空にぽっかりと空いた黒い穴を見つめながらエレナは言った。
ルナは目に涙を浮かべ唇を噛みながらその穴をじっと見つめている。
…………。
「さあ、行くぞよ! オリバのためにも大魔王の秘密を世界に公開するのじゃ! わらわが魔法を使う。わらわの手を握れ」
エレナはルナに手を差し伸べる。
…………。
「……どうした!? 時間がないのじゃ! あやつがすぐに追ってくるかもしれぬっ!」
エレナが怒鳴る。
「……私、行かない。魔王城に戻るわ」
ルナは顔をあげ、エレナを真っ直ぐ見つめる。
その瞳に迷いはない。
「何を言うておるっ! オリバの最期の意志を踏みにじるつもりかっ! そなたにはエルフの村人を守る義務があろう!!」
「わかってるわ。でも犠牲になるのはオリバじゃない。この私よっ! 私がケロンデウスを足止めする! だから、あなたとオリバは逃げて」
ルナは答える。
「そなたは魔力切れじゃろう! 魔法を使えない魔法使いなんぞ何の役にも立たぬわっ!」
「いいえ、魔法を使えるわ! 魔力の代わりに生命力を使うとっておきの魔法がね」
「ま……まさか、禁忌魔法を使おうとしておるのか!? 自殺行為じゃ! それに見たろう!? わらわの攻撃魔法をまともにくらってもケロンデウスは無傷じゃった……。そなたの命をもってしても、あやつを封印することなぞ不可能じゃ!!」
「いいのよ、それで。あいつを数十秒だけ足止めできればいいの。それであんたとオリバが逃げられるなら、それでいいのよ」
ルナは続けてこう言った。
「それに私が生き残るより、オリバが生き残ったほうがあいつを倒せる可能性は高い。オリバは私より遥かに強いわ。……この指輪をあなたに預ける。エルフの村の長の証よ。地上に戻ったらオリバに渡してちょうだい」
ルナは左手に着けていた指輪を外しエレナに渡す。
「……ルナよ、本当に良いのじゃな? 禁忌魔法を使った術者は生命力がゼロになりそのまま眠り続ける。そしてあるとき突然、帰らぬ人となる。……本当にそれで良いのじゃな?」
「ええ、いいわ。これでいいの。私がこうしたいの。だって……」
ルナは清々しい顔でこう言った。
「私はもう……自分のこと嫌いになりたくないから」
◇◆◇◆◇◆◇
ルナとエレナは引き返し、魔王城の扉を開ける。
「な、なんじゃあれはっ!? オリバの体が光っておる。あやつは魔法が使えぬ。あれは魔法ではない……。あれがボディビルダーの特殊スキルなのかっ!?」
エレナはオリバを見て目を丸くする。
「それに見て! あのケロンデウスが我を忘れて力任せにオリバを殴ってる! 世界最強の大魔王がオリバのスキルを恐れてる! あのスキルが発動できれば勝てるかもしれないっ!」
ルナは杖を前に掲げる。
「まったくもう、ヤレヤレだよ。神様って意地悪だな……。本当は人生で今が一番、この魔法使いたくないんだけどね。運命のひとに出会えて、親のかたきを打てて、やっと自分を好きになれそうな気がしてたのにな……。私ってつくづく運ないわ。でも……私は逃げない! もうこれ以上、大切な人を見殺しにしたくない! 自分のことをこれ以上嫌いになりたくないのっ!!」
ルナは自分に聞かせるように喋る。
ルナは目を閉じた。
心の中で両親に語りかける。
◇◆◇◆◇◆◇
お父さん、お母さん、今からそっちにいくね
命がけで助けてくれたのに、こんな結果になっちゃってごめんね
でも……きっと褒めてくれるよね
やっとエルフの樹みたいな運命のひとを見つけたんだよ
お父さんとお母さんを奪った筋肉魔人を倒したんだよ
やっと自分のことを好きになれそうなんだよ
私の最期がこの魔法なのは残念だけど
お父さんとお母さんも同じ状況だったら同じことすると思うの
私は自分の好きなひとを守りたいしエルフの村人を守りたい
私にとってかけがえのない人たちだから
それに……今逃げたら私は一生自分のこと好きになれないの
どうせいつかお父さんとお母さんに会えるなら
自分のことが好きな私で会いたいよ
お父さん、お母さん
生んでくれてありがとう
育ててくれてありがとう
十年前、命を救ってくれてありがとう
愛してくれてありがとう
今、そっちにいくね
◇◆◇◆◇◆◇
ルナは目を開ける。
「エレナ! その胸は嫌いだけど魔法使いとしては一目置いていたわ。あんたは最高の魔法使いのひとりよ。筋肉魔人王のときは助けてくれてありがとう。生き延びなさい! じゃあね!」
「そんな最期のセリフみたいなのは止めてくれい! わらわがここから生きて帰れたら、地位や富をすべて投げうってでもそなたの目を覚ますぞ! 絶対にそなたは死なせぬ!」
エレナの瞳から大粒の涙がこぼれる。
「オリバァァァァア!! 私が時間を稼ぐ! 絶対にそのボケガエル倒しなさいよっ!」
ルナはオリバに向かって叫んだ。
ケロンデウスの腕が止まる。
ルナのほうを振り向く。
ルナとエレナの存在にやっと気づいたようだ。
「禁忌魔法! ガイアの牢獄!!」
ルナの体が緑色に輝きだす。
エルフの生命力だ。
生命力はルナの体から離れ、ケロンデウスのもとへ飛んで行く。
ケロンデウスの周りに緑色に光る無数の魔法陣を作り出した。
ルナの髪は真っ白になり、杖が砂となって砕け散った。
オリバは腫れて視界の狭くなったその目でルナの姿を捉える。
ルナはオリバをまっすぐ見つめている。
薄れゆく意識の中でルナは最期の力を振り絞る。
「オリバ!! 幸せになってよねっ!!」
そう怒鳴ったあと、ルナはほっとしたような少し寂しそうな表情をして、誰にも聞こえない声でこう付け加えた。
大好きだよ、オリバ――
私のエルフの樹――
ルナはゆっくりと目を閉じ、床に崩れ落ちた。
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