Occupied レプリカント人権保護局

黒遠

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05 追跡

16 Vesta (トレース)

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 あれからの一週間は平和だった。結婚の話さえなければ、俺にとってはとろけるような毎日。でもバルは朝食後に「ちょっと」と言って出て行ってしまった。せっかくの土曜日だったのに。

 想像はつくんだけど。

 たぶん、ゴーシェ・ノッディングハムの追跡。

 ゴーシェの件は保護局としては完全にクローズしている。だってレプリカントは関係ないもん。
 こっちが出した報告としては、レプリカントが事件に関与している可能性があるから調べていたら真犯人を見つけてしまったので逮捕しました。というもの。

 バルが濡れ衣を着せられて腹が立ったのでレプリカントにこじつけて真犯人を探して捕まえましたとは書けないから。後のことは全部連邦捜査局に引き渡した。ザムザに聞いたけど、あっちの捜査官のコンビはお咎めこそなかったものの、かなり恥をかいたからかんかんだったらしい。

 どうしてそんなにバルがこの事件に拘るのかはちょっとわからない。でも、不思議だなと思うことはあった。ゴーシェの調書を取るとき、いつもなら俺と二人で入って取るのに、この時に限ってバルは俺を廊下で待たせた。ゴーシェはバルの子供時代の知り合いだったみたい。
 それに、同じハイブリッドだ。やっぱり気になるのかな。幼なじみだから? ハイブリッドだから?

「ねえレッダ、ハイブリッドの人と俺とどっちが珍しいのかな」
「それはもちろん」
「ハイブリッド?」
「あなたですよ、ヴェスタ。年間6000人弱が誕生する人権を有するレプリカントの中で、AIチップが入っていないものは私の知る七年間であなた一人です。あなたは実に42000分の一ですよ」
「ふふっ。じゃあ、バルも42000人に一人だね。そんなのを注文するのはバルしかいないんだ」
「ヴェスタ、人は誰しも全人口のうち一人しかおりません」
「………そうか。そうだね」

 他の人と比べて数が少ないかどうかなんて小さなことなんだ。俺だって、例えばザムザだって、この世に一人しかいない。

「なんだか寂しいね」
「だからこそ寂しくないとも考えられます。みな一様であれば共に過ごす意味はありません」
「レッダ」
「はい」
「俺はレッダが大好きだよ」
「私には感情はありませんが、あなたに受け入れられていることを認識しました」

 昼を回ってもバルが帰って来ないから、思いついて局に行くことにした。裏口から入って自分のデスクの端末を立ち上げる。ヤンマとハウイのコンビが休日出勤の日だった。

「やあ、ヴェスタ。どうした? 間違った? 今日は休日!」
「ううん、ちょっと調べ物を思い出してさ。気になっちゃって。終わったらすぐに帰るよ」

 何を調べに来たのかと言うと、バルがいたら逆に調べられないことだ。キーを打つ。

 ゴーシェ・ノッディングハム。

 戸籍を広げる。どきっと心臓が鳴った。

 逮捕した時、バルが俺の前に立ったので彼のことがよく見えなかった。でも背丈はバルとあまり変わらない。だからこそ、バルが疑われていた。ゴーシェの左目が転げ落ちそうなくらい飛び出ているのはわかった。病気をする前の顔が想像もできない状態。

 今、目の前に彼の、通常の時の顔の画像がある。一瞬で目を奪われた。

 なんだろう。バルに雰囲気が似ている………。

 目はグレイだ。青みがかっても緑がかってもいない、本当の無彩色のグレイ。まゆの感じは違う。困ったように眉尻が下がっている。バルより尖った鼻。唇もバルより薄い。でも、輪郭の感じと、目元が。

 十一年前の写真のバルに似ている。誰も信用してないと言うような、冷ややかな、なんとなく人を小馬鹿にしているような目つき。

 たまたま? どこかで血が繋がってる? いや、パーツはそれぞれ違うんだ。空気感が似ている。

 親の欄は空欄になっている。これは現代では普通ならあり得ない。申請が出て、親になれる人にしか子どもは配分されないんだから。婚姻歴はない。不思議な、今までに見たことがない空欄だらけの戸籍。

 これがバルが追いかけてる人?

 なんだか嫌な感じだ。あの人の部屋も、まるで人なんか住んでないみたいだった。がらんとして。仕事を辞めたから片付けたんじゃなくて、もともと体一つしか持たないようにしてるみたいな。

『ヴェスタ、まだいる?』

 ハウイからのコールだった。

「いるよ。どうしたの」
『無人応答がコールを回して来たんだけど、A492090rp宛だって言うんだ。これってバルのIDじゃないかなと思って』
「そうだよ。いいよ、出るよ」
『悪いね、非番なのに』

 コールが回って来た。

「A492090rpの副官のC571098rpです。どのようなご用件でしょうか」
『先週、お問い合わせ頂いた件で。こちらはアルビオン孤児院の事務のネリカ・ミノリです』
「アルビオン孤児院」
『ええ。トックセナの』

 トックセナの孤児院。バルが入っていた施設? でもそうなら、たぶんバルは仕事用のIDを使わない。

「ゴーシェ・ノッディングハムの件で宜しいですか?」

『はい。当時の報告書を見つけたので、お急ぎだったようでしたので、なるべく早くと思いまして。お送りして宜しいですか?』
「……はい」

 ピンとファイルが来る。作成日が二十年前だ。よく残っていたものだ。

「ありがとうございます」
『いえいえ。誰も当時の人が残っていないもので……そんなものしかなくて申し訳ないのですが』

 これ。勝手に見たらすごい怒られるやつ。たぶん。だって俺を連れてく気ないもんね。この件に関しては。

 とはいえ、受け取ってしまった。もう中身を見ても見なくても、いずれ怒られるんだから。

 ファイルを開く。子供の顔の画像が何枚も付いているのが目に付く。頭から読んでいく。


 児童による事件報告書 78年6月28日 報告者 ムツカリ・オユマテク
 発生場所 一階遊戯室
 被害児童 ゴーシェ・ノッディングハム
 加害児童 ミョルガ・モーム、サッシュベル・トルヒ 外4名
 事件概要 鋭利な刃物により、加害児童が被害児童を複数回突き刺したもの。被害児童はハイブリッドのため、現在は回復している。

 備考 昨年度も二度の同様の案件の報告があり、加害児童及びその他児童に指導を行ってきたところであるが、改善が見られない。
 また、報告はないが被害児童の着衣はしばしば刃物により切り裂かれていることが確認されている。
 さらに、嗅覚過敏である被害児童に対し、汚物や排泄物を投げつけるといったいたずらも報告されている。
 また、院内の児童の多くは、被害児童を呼ぶ際に蔑称を用いる等、日常的に差別的行為を行なっている状態である。
 しかしながら、当院において被害児童に対する加害行為を完全に止めるには人的・物的両面において困難である。
 したがって、再発防止のため、被害児童の転院を検討中。転院先として、当院と同様にハイブリッドの児童を受け入れているエッシャー児童養護施設に問い合わせを行なっている。

                   以上

 たぶんこの、エッシャー児童養護施設にいるハイブリッドというのがバルのことだろう。読んでいるだけで辛くなる報告書だ。
 バルもこんな目にあった? 言ってたな。面白がって刺してくる奴がいたって。豚の子って面と向かって呼ばれなくなったのは最近だって。

 エッシャー児童養護施設のマップを見る。隣町だ。かなり遠い。辺鄙なところ。

 どうする? バルにこの報告書を転送する? 「お急ぎだったようでしたので」。考えてみよう。ゴーシェが何をしようと思うか。バルがどうしようと思うか。どこに行けば先手を打てる? ねえバル、ボードゲームなんだ。

 先週ゴーシェは身一つで病院から脱走した。たぶん彼はこういうことに慣れてるんじゃないかと思う。ふっととある居場所から消えてしまうことに。なんの未練もない。ただ捕まりたくない。どうして捕まりたくないのか? ほかにやりたいことがあるから。何をしたいの? 殺人の続き?

 いや。もう顔も連邦捜査局に抑えられてるんだ。街中すら歩けない。マリーンと同じで、肉体労働者の街に流れていく。防犯カメラのない街。プリペイドのブリング。日雇いで働く。たぶんここまではバルは考えてると思う。だってバルだもん。問題はその後。

 思い出して。ゴーシェはどんな状態だった? 抗がん剤を打ってた。抗がん剤ってどんなの? そんな急にやめたりできるの?

「州立保安総局病院ですか? レプリカント人権保護局のヴェスタ・エヴァーノーツですが、伺いたいことがあります」
『看護官のロビ・ゲースマートです。どう言ったことでしょうか』
「抗がん剤治療をしていたゴーシェ・ノッディングハムが逃亡したと思いますが、彼はどんな状態だったでしょうか? もう体調は万全?」
『逃げ出した時は、彼はまだ抗がん剤を継続中でしたので、ハイブリッドであることを加味しても、逃亡当時はかなり体調は悪かったと思います。体重も落ちていましたし、白血球数も降下気味でした』
「では、彼は今ごろどんな状態と考えられますか?」
『そうですね、口内炎と嘔吐で食べられなくなっていましたから、体力は落ちているはずです。うーん、でも投与をやめて一週間経っていますから、もう食べられるでしょうね。あの回復力なら、体調自体はもう万全かも。そんなに簡単に体重は戻らないでしょうけどね。ただ……』
「ただ?」
『ポートを入れているんですよ。彼の場合、すぐに詰まったり外れたりしてしまうので点滴が難しくて、ポート……まあ、血管に薬剤注入用の人工の管を通しておいて、その口がわかるようになってるのがポートって言うんですが、彼のはついでに血液検査も随時やるタイプのを入れたので、ポートとしてはすごく大きいのが入っているんです。普通はそんなに生活に不便はないのですが、激しく動けば突っ張ったりしてかなり気になるんじゃないかな』
「それって、自分で取ったりできます?」
『ふふっ、不可能ではないですよ、度胸さえあればね。7×7センチくらいのやつです。だからそのくらい切り開いて、引っ張り出せば……あれ? でも彼は無理か?』
「むり?」
『あの人はすごく回復が早いでしょう。だから逆に、ああいう留置するタイプのはすぐに癒着してしまうんです。体の内側にひっついて離れなくなってしまうんですね。うーん、麻酔なしで自分で取り出すのは難しいかも。多分、中のカテーテルも血管に癒着して動かなくなってるだろうし、無理に取ると大出血ですね』
「ちなみに、そのポートで位置検索できたりは?」
『しないですよ! 基本的に居所がわかる人にしか使わないんで。でもあのごつさだと、そう考える人もいるかも知れませんね。実際、血液のデータがポートから勝手に取られてるのは本人もわかってたんで』
「ポートはどこに付いてたんですか?」
『鎖骨の下あたりですね。ポートをつけるとすれば至って普通の位置ですよ』
「ありがとうございます」

 じゃあ、多分ゴーシェは、自分で抜こうとする。まず最初に。でも抜けない。取らなきゃ落ち着かない。だって大きいし、ポートがデータを飛ばしていたことを知っているから、位置もばれるんじゃないかって不安があるから。だから、少しお金を稼いだら、病院に行くんじゃないかな。

 ゴーシェの顔で照合しても多分顔を隠して逃げてる。身長と体型で絞れないかな? 
 185センチ以上の痩せ型。かなりの量の画像が出てくる。逃亡した日の保安総局病院の付近に絞る。正午から午後2時。見切れないほど多くはない。顔を隠してる奴。次々に見ていく。顔を丸出しにしてるのは違うだろう。
 思ったより早く見つけられる。フードを被ってマスクをしてるのがいる。他の画像もチェックして、フードを被ったり、眼鏡を掛けたり帽子を深く被ったりしているのは四人になった。

 この日の彼らを全身画像で検索する。一人は街中のマンションに入った。もう一人はオートキャリアに乗り込んだ。もう一人は街中の会社の中へ。そして、残る一人は歩いていた。ものすごい長距離。

 この人がゴーシェだ。カメラのなくなる郊外まで、30キロ近くを黙々と歩いている。IDカードがないからオートキャリアに乗れないんだ。彼の行く先にある労働者の街を調べる。二つくらいしかない。一箇所はエッシャー児童保護施設がある場所の近くの街だ。病院は? 個人院も含めれば、結構ある。どうする?

 IDのない怪しいやつの治療をしてくれるような病院……。一応情報提供を願う一斉メールをやってみるけど、そんな病院からレスポンスがあるとは思えない。行ってみるか。仕方がない。バルがいたらな。何か思いついてくれるのに。

 ゴーシェの顔の画像をブリングに移す。なんだか悪い予感のする顔。パルスガンを持ち出したいけど、非番だからな………。








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