相対間引力 subliminal gravity

黒遠

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 試験の最終日だった。

 俺は去年の後期、エンマが受験で暇で単位をがっつり上限いっぱいまで取ったおかげで、時間割がスカスカで助かった。
 この日は二コマ目一つだけだった。試験が終わってすぐエンマに行っていいかとメッセージを入れた。昨日の様子だと今日もかなりやばそうだったから。ほっとくと餓死するんじゃないか。

 レスポンスを待ちながら昼飯を学食で食べ、家に帰って一通り荷造りした。エンマのそばにしばらくいたかった。嫌がられるかもしれないけど、それしか思いつかない。

 三時近くなって、「いてほしい」とメッセージが入った。こんなこと言ってきたのは初めてだった。弱ってる。かなり。すぐ行くと、エンマはちょっとだけ人間らしい顔をした。

 エンマの家についてまず、保険証券とかを探さないといけない、と言われた。いきなり会ったこともない人の部屋に入っていいのかと気が引けた。

 よくよく話を聞いてみると、保険証券があるのは母親の部屋だとわかってはいるものの、一人で入りたくない、ということだった。まあそうかも知れない。俺は部屋の入り口のそばに座って、エンマが探すのを見てた。探すまでも無かった。きちんと片付けられた部屋の、文机の横に書類ケースが置いてあって、その中に全部入ってた。そして映画のストラップも。

 エンマと一番最初に見たあの映画。なつかしい気持ちになった。もう二年も前のことだ。これがなかったら、俺とエンマはこんなふうになってなかったかも知れない。

 それからはまあ、一言で言うと黒子みたいな生活をした。何しろエンマは警察だの病院だの保険屋だのに次から次に行かなきゃいけない。手続きがあちこちに腐るほどある。しかも肉親がエンマしかいないから、それができるのはエンマだけ。再試験もバイトも集中講義もある中でそれらのこともやっていく。

 とりあえず俺は掃除洗濯をして、簡単な食うものを用意しておいた。用意してあればエンマは食べたし、たまに自分でも作ってくれた。小学生の時から夕飯を作ってたと言うだけあって、エンマが作った飯はうまかった。一週間ほどでエンマのおふくろさんの遺体が帰ってきた。死体検案書も出たので、いよいよあらゆる手続きが本格化した。

 とにかく手が足りない。葬儀屋に「誰?」って顔をされたけどできるところはやった。カナエが何度かエンマを訪ねてきた。ちょっとイラッとしたが、近くでカナエがエンマに接する態度を見たら、普通に友達なんだなと納得した。バカみたいな邪推だったなと思った。

 告別式の時は帰りにカナエがエンマと俺にハグした。アメリカ人。俺にハグした時、「すぐじゃなくていいんで女の子紹介して下さい」と耳打ちして行った。思わず笑ってしまった。

 エンマの母親は、葬式に呼んで欲しい人リストまでつけていたので、リストにある三十名ほどに電話して半分くらいが来た。そのほかに会社の人と町内会の人たちも来た。結局五十人弱が入れ替わり立ち替わりで訪れた。

 それでもかなり小規模なお葬式だったようだ。何しろ肉親がいないから。エンマは喪主だったので、黒いスーツでずっと頭を下げたり、声をかけられたりしていた。喪主挨拶でも泣かなかった。ものすごく落ち着いて見えた。

 火葬場での出棺の時だけ、つーっと一筋涙を流したけど、自分で拭いてそれだけだった。骨はエンマと俺と町内会長さんと、おふくろさんが勤めていた会社の上司の人と仲良しの人で拾った。俺も何人かに「どういう御関係で?」と聞かれた。これがかなり困った。エンマの友達ですが、生前大変お世話になったので、と言ってごまかした。生前……。

 生前には一度も会ったことがない。会っておいたらよかったなと思った。そりゃ「息子さんの彼氏です」と言って会うわけにはいかなかったかもしれない。ただ俺がエンマと一緒にいるんですっていうことを知っていてほしかったかな。エンマのおふくろさんは、エンマを一人残してしまうと思ったと思うから。余計に心配した可能性もあるけど。

 納骨が済むと、少しエンマはほっとした顔をした。大学が始まるまで一月半あった。少し休んで欲しいと思った。ただ不安もあった。あんなに忙しかったのに、こんなに急に何もなくなって大丈夫なのか?

「疲れた」

 エンマがダイニングテーブルにコトンと水の入ったコップを置きながら言った。

「お疲れ」

 エンマは本当に疲れているんだなと思った。げっそりしていた。

「すごい助かった。色々本当にありがとう」

 少しは力になれたんだろうか。わからない。

「別にぜんぜん」

 エンマはふらっと立ち上がってこっちに歩いてきた。ただでさえ細身の体が余計に細くなった気がする。そのくせ、もうあとは一人でできると思う、と言った。

「そっか」

 そうか?

「おまえ、大丈夫か?」

 まだ青白いほおに触れてみた。ひんやりとしてやわらかい。久しぶりにエンマの肌に触れた気がする。それどころじゃなかったから。エンマが大きな目をふと閉じ、ゆっくりと開いた。やっぱり少し痩せたかな。

「うん、なんか……まだ実感がないのかも。でも大丈夫だと思う。何もやることなくなっちゃったから。うち父親ももとからいないし、ばあちゃんとかも死んじゃってて親戚もわからないし、葬式に来た人たちもみんな会社関係か近所の人だろ。すげーよな俺さ、ほんと母親しかいなかったからもう完全にひ……」

 見る間に、エンマの大きな目から大粒の涙が溢れ出てきた。来たな、と思った。むしろよく耐えたと思った。力任せに抱きしめた。思い切り。エンマが言おうとしたことを絶対に否定したかった。

「一人じゃねえ!」

 よかった。この瞬間に俺がいられて良かったなと思った。エンマを一人で泣かせないで済んで良かった。「一人だ」と完結させずに済んで良かった。

 エンマは肩を震わせてしゃっくり上げながら泣いて、そのあとただ涙をぽろぽろ流して泣いて、涙が止まってからもしばらく俺の肩にひたいをくっつけていた。

 服に染みた涙がすっかり冷えてまた俺の体温で温まったころ、顔を上げて俺の目を見た。まぶたが腫れて目が真っ赤になってた。悲しい顔。でもきれいだ。キスした。エンマの目からまたすっと涙が落ちてきた。手でほおを包んだら、ものすごく冷たかった。手のひらの熱を移しながら、もう一度キスした。
 





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