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夏
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芍薬亭の近くの東屋で、シロとシュトロウとネリはぼんやりとカラスたちを待っていた。眠らないのかよ、ネネリオは。シーシーとそこら中から虫の声がする。
「あれは、何の虫の声」
「蝉」
蝉。そうか……。
太陽が土を暖め、湿気を含んだ空気が立ち上がってくる。もうひたいを撫でていく風も、涼しいばかりではない。
「シュトロウ、俺たちが会った日って何日だったか覚えてるか?」
「それがさ、覚えてないんだ!俺もあの頃必死だったからさ。でも……」
シュトロウはちょっと口をつぐんだ。でも、そろそろだ。そうなんだろ。あと一週間もしないうちに、7の月に入ってしまう。もう夏だ。パトの実も膨らんできている。
覚悟を決めないといけないのかもしれない。ネネリオの気持ちが伴わなければ、トランが歌ってくれたところで成立しないんだろう。強制送還の歌ではないんだから。
「あーあ……」
テーブルに突っ伏した。木の匂いがする。
「この世界にいたかったな……」
「おい!諦めんなよ」
「だってさ……」
どうして俺なんだ、という思いは拭えない。聞いてみようかな?アーガの木に。言葉を覚えたから。なあ、アーガの木の言葉を覚えたやつなんて俺しかいないだろ。すごいだろ、一年かからずにだいたいもう話せるんだ。すごいと思わねえ?才能あったんだな……。
なんで俺なんだ。
涙が少し滲んだ。顔は伏せたまま。顔を上げて、覚えておかなくちゃいけないのにな。シュトロウのことも、ネリのことも、この世界のもっと他のことも。元の世界に戻っても、少しくらい思い出せるように……。
顔を上げる。ベンチに腰掛けている。カナカナカナと虫の声が聞こえる。夕日。駅のホームだ。2番線ホーム。古いアパートの背中がレールとフェンスの向こうに見える。なんだっけ。あの虫は。ひぐらし?反吐のしみついたアスファルト。黄色い誘導ブロック。ピンポーン。間もなく電車が参ります。白い線の内側に……。
俺はどこに行こうとしているんだっけ。電車に乗るのか?記憶が抜けている。帰ろうとしていたのかな。ベンチで眠ってしまったのかもしれない。カラスが電線に止まっている。カラス……。もういい時間だ。帰ろう。家に……。二人の家。ふたりの……
「?」
ぱらぱらといきなり涙が溢れた。どうして?目が乾燥していたかな。
「……う」
違うな。悲しい。絶望的に悲しい。
喉に何かがつかえる。涙が止まらない。子どもみたいに泣くことしかできない。
ただ悲しい………。
「おい!シロ‼︎」
はっとした。頬がひりひりと痛む。目の前でシュトロウが頬をもう一発ひっぱたこうと手を振りかざしていた。
「大丈夫か?」
「……俺、どうなってた」
「なんていうか、薄くなってた」
「透けたとか?」
「いや、そういうんじゃない……存在感が」
ひやっとした。そうか。たぶん俺が元の世界に溶け込むように戻るのと一緒に、この世界の俺も存在感がどんどん薄くなって、溶けるように消えるんだろう。シュトロウたちの記憶からすら消えてしまうのかな……。
「諦めるなよ!なんとかしよう!」
「うん」
まだ、もう少しはここにいられる。諦めない。カラスが飛んで来て、テーブルの上でトントンと跳ねた。
「アアーッ!トランが出てきたヨォーッ」
「覚えてないんだ」
トランは青い顔で言った。とりあえずぱっと見は無事そうだった。アーガの葉もある。
「何か呪歌を教えてしまってないか心配」
「そんな簡単に歌えるもんなの?」
「覚えるだけなら、少し音楽をかじっていればなんとかなるんじゃないか。ただバードの印がない人が歌っても効力はない。でも、その歌を覚えて、他のバードに教えて歌わせたら……」
「そうされるとやばい歌ってあるの?」
「……結構ある」
苦笑いするしかない。ネネリオなら耳コピくらいできるだろう。
「だから呪歌は全て口伝で伝えられる。教えたくないやつに絶対に教えないように」
口伝。すごい。忘れたり間違ったまま覚えたりしないんだろうか。
「多少のブレはあるのかも。でも何百年も前から大きくは変わってないと思う。これなんかは最古の歌の一つじゃないかな……」
トランの指が、優しく柔らかく弦を撫でた。甘い音色。
あなたが好き
この気持ちはいつも本物
木陰であなたを待つ
川べりであなたを待つ
愛しています 言葉はいらない
私の手を取っておくれ
心が柔らかくなるような。シンプルな恋の歌。
「短いね」
「そうだね。昔の曲はあまり複雑なのはないんだ。難しくない曲だけ残ったのかな……」
「それも呪歌?」
「これは雅歌だと言われている。まあ、何曲か歌う時に最初に歌って衆目を引くための歌。前菜みたいなもの」
前菜。でもきれいだ。
「もう一回」
「はは」
トランはもう一度、ゆっくりと演奏してくれた。
ネネリオ、を、もう一度説得する?
ざまあみろ。か。笑っていた。そうだよな。城でいい生活してたのに、俺とシュトロウでそれを壊した。ソウルイーターのエイダンの印も、二度と使えなくなった。それで元の世界に未練がなければ、俺の願いなど叶えるわけがない。恨みこそすれ。
「帰ろう」
「シロ……」
もう残された時間は長くない。
「俺は村で過ごしたいんだ。デュトワイユで。ネリとさ。シュトロウと……」
ダイゴンに行ってトランの歌を聞いて。モルト師匠にぶつぶつ言われて。
「村で過ごしたい……お願いだ」
隠すことはもうできなかった。さっきの白昼夢みたいにぼろぼろと涙がこぼれた。この世界にどうしても残れないのなら。明日がもうないのかも知れないなら。一番幸せなところで終わりたい。
異世界から来た男は、悪者を倒して、幸せに暮らしました。めでたしめでたし。
「………っ」
ネリが抱きついてきた。シュトロウも反対側からぐいと抱きしめてくれた。俺は、こいつらのことを……忘れてしまうのが一番嫌だ。こいつらから忘れられてしまうことが、悲しくてしょうがない。
「あれは、何の虫の声」
「蝉」
蝉。そうか……。
太陽が土を暖め、湿気を含んだ空気が立ち上がってくる。もうひたいを撫でていく風も、涼しいばかりではない。
「シュトロウ、俺たちが会った日って何日だったか覚えてるか?」
「それがさ、覚えてないんだ!俺もあの頃必死だったからさ。でも……」
シュトロウはちょっと口をつぐんだ。でも、そろそろだ。そうなんだろ。あと一週間もしないうちに、7の月に入ってしまう。もう夏だ。パトの実も膨らんできている。
覚悟を決めないといけないのかもしれない。ネネリオの気持ちが伴わなければ、トランが歌ってくれたところで成立しないんだろう。強制送還の歌ではないんだから。
「あーあ……」
テーブルに突っ伏した。木の匂いがする。
「この世界にいたかったな……」
「おい!諦めんなよ」
「だってさ……」
どうして俺なんだ、という思いは拭えない。聞いてみようかな?アーガの木に。言葉を覚えたから。なあ、アーガの木の言葉を覚えたやつなんて俺しかいないだろ。すごいだろ、一年かからずにだいたいもう話せるんだ。すごいと思わねえ?才能あったんだな……。
なんで俺なんだ。
涙が少し滲んだ。顔は伏せたまま。顔を上げて、覚えておかなくちゃいけないのにな。シュトロウのことも、ネリのことも、この世界のもっと他のことも。元の世界に戻っても、少しくらい思い出せるように……。
顔を上げる。ベンチに腰掛けている。カナカナカナと虫の声が聞こえる。夕日。駅のホームだ。2番線ホーム。古いアパートの背中がレールとフェンスの向こうに見える。なんだっけ。あの虫は。ひぐらし?反吐のしみついたアスファルト。黄色い誘導ブロック。ピンポーン。間もなく電車が参ります。白い線の内側に……。
俺はどこに行こうとしているんだっけ。電車に乗るのか?記憶が抜けている。帰ろうとしていたのかな。ベンチで眠ってしまったのかもしれない。カラスが電線に止まっている。カラス……。もういい時間だ。帰ろう。家に……。二人の家。ふたりの……
「?」
ぱらぱらといきなり涙が溢れた。どうして?目が乾燥していたかな。
「……う」
違うな。悲しい。絶望的に悲しい。
喉に何かがつかえる。涙が止まらない。子どもみたいに泣くことしかできない。
ただ悲しい………。
「おい!シロ‼︎」
はっとした。頬がひりひりと痛む。目の前でシュトロウが頬をもう一発ひっぱたこうと手を振りかざしていた。
「大丈夫か?」
「……俺、どうなってた」
「なんていうか、薄くなってた」
「透けたとか?」
「いや、そういうんじゃない……存在感が」
ひやっとした。そうか。たぶん俺が元の世界に溶け込むように戻るのと一緒に、この世界の俺も存在感がどんどん薄くなって、溶けるように消えるんだろう。シュトロウたちの記憶からすら消えてしまうのかな……。
「諦めるなよ!なんとかしよう!」
「うん」
まだ、もう少しはここにいられる。諦めない。カラスが飛んで来て、テーブルの上でトントンと跳ねた。
「アアーッ!トランが出てきたヨォーッ」
「覚えてないんだ」
トランは青い顔で言った。とりあえずぱっと見は無事そうだった。アーガの葉もある。
「何か呪歌を教えてしまってないか心配」
「そんな簡単に歌えるもんなの?」
「覚えるだけなら、少し音楽をかじっていればなんとかなるんじゃないか。ただバードの印がない人が歌っても効力はない。でも、その歌を覚えて、他のバードに教えて歌わせたら……」
「そうされるとやばい歌ってあるの?」
「……結構ある」
苦笑いするしかない。ネネリオなら耳コピくらいできるだろう。
「だから呪歌は全て口伝で伝えられる。教えたくないやつに絶対に教えないように」
口伝。すごい。忘れたり間違ったまま覚えたりしないんだろうか。
「多少のブレはあるのかも。でも何百年も前から大きくは変わってないと思う。これなんかは最古の歌の一つじゃないかな……」
トランの指が、優しく柔らかく弦を撫でた。甘い音色。
あなたが好き
この気持ちはいつも本物
木陰であなたを待つ
川べりであなたを待つ
愛しています 言葉はいらない
私の手を取っておくれ
心が柔らかくなるような。シンプルな恋の歌。
「短いね」
「そうだね。昔の曲はあまり複雑なのはないんだ。難しくない曲だけ残ったのかな……」
「それも呪歌?」
「これは雅歌だと言われている。まあ、何曲か歌う時に最初に歌って衆目を引くための歌。前菜みたいなもの」
前菜。でもきれいだ。
「もう一回」
「はは」
トランはもう一度、ゆっくりと演奏してくれた。
ネネリオ、を、もう一度説得する?
ざまあみろ。か。笑っていた。そうだよな。城でいい生活してたのに、俺とシュトロウでそれを壊した。ソウルイーターのエイダンの印も、二度と使えなくなった。それで元の世界に未練がなければ、俺の願いなど叶えるわけがない。恨みこそすれ。
「帰ろう」
「シロ……」
もう残された時間は長くない。
「俺は村で過ごしたいんだ。デュトワイユで。ネリとさ。シュトロウと……」
ダイゴンに行ってトランの歌を聞いて。モルト師匠にぶつぶつ言われて。
「村で過ごしたい……お願いだ」
隠すことはもうできなかった。さっきの白昼夢みたいにぼろぼろと涙がこぼれた。この世界にどうしても残れないのなら。明日がもうないのかも知れないなら。一番幸せなところで終わりたい。
異世界から来た男は、悪者を倒して、幸せに暮らしました。めでたしめでたし。
「………っ」
ネリが抱きついてきた。シュトロウも反対側からぐいと抱きしめてくれた。俺は、こいつらのことを……忘れてしまうのが一番嫌だ。こいつらから忘れられてしまうことが、悲しくてしょうがない。
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