実践的擬態 Practical disguise

黒遠

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 それからは切り替えたくて仕事に打ち込んだ。俺はいつか自分の事務所を持ちたいと思ってたから、取れる資格は全部取らせてもらった。どんな仕事でもついていかせてもらった。一級建築士も一発で通った。
 所長に言われて何度か業界誌の取材にも応えた。おかげで俺を名指しして設計を依頼してくれる人もたまに来るようになった。

 カナエから連絡が来た。カナエとは卒後も連絡は取り合ってたけど、あまりあらたまった話はしてなかった。カナエも業界誌で俺の記事を読んでいて、一緒に事務所を開かないかと言った。少し早すぎるような気はした。でもこいつとならできると思った。

 カナエとどんな事務所にするか練っていくのは楽しかった。当面はカナエの勤めている建築コンサルから下請けの仕事をもらえそうだった。まずはコンセプト。それから事務所の名前。

 事務所の名前は色々考えた。間宮と宮内だからマミヤウチとかアホなところから始まって、宮が二つだから二宮設計事務所になりそうになり、どっちも二宮じゃないじゃんて気付いてやめた。
 いっそ重なってる「宮」をなくす方向で考えることにして、「間」「内」からspaceとinsideという単語が出て、最終的に「設計事務所space/in」になった。

 コンセプトは俺とカナエなら最初から決まっていた。「実用と創意工夫」。デザイン偏重で不便なものには絶対にしない。建物を使う人をくつろがせ、建物の機能によってそれを損なわないこと。メンテナンスしやすいこと。ただしどんくさいデザインにもしない。この両立は難しい。でも自分たちならそういう建物がいいと思うから、それを求めたい。

 場所はカナエが見つけた。繁華街のはずれ、商業区域のはしっこにあったバーの跡地。バーの内装がそのまま残っていた。黒檀の見事なバーカウンターがあって、これを活かした設計でリフォームすることにした。
 元バーだったってことを強調したい。でもバーみたいに、一見さんが入りづらい外装ではダメ。窓をつけて、カウンターと棚は残す。俺たちの作業スペースと接客スペースを分けるか重ねるか。窓を付ける以上、窓から覗き込んだときに入りたくなる内装でないと。
 一番ワクワクする設計だった。カナエとああでもないこうでもないと一緒に作った。あっという間に工事が終わり、設備を入れて書類も整えた。


 このころになると、くおんのことは相当過去の話になっていた。事務所作りが楽しすぎた。凛とも恋人として付き合っていた。

 ただ時々、くおんの夢を見た。相当リアルな夢。肌の質感や熱さ、指や舌の感触まではっきりと残る夢。この夢を見るたび落ちた。思い出さざるを得なかった。なかったことにはならない、と突きつけられてるみたいだった。

 事務所開きに誰を呼ぶかっていう話になって、俺は俺、カナエはカナエでリストを作って突き合わせをした。カナエのリストと重なる人は俺のリストから抜く。俺はくおんを意識的に除外した。カナエも別に呼ぼうとしてなかった。もう関係ないことにしよう。夢もだんだん見なくなるはずだ。リストアップした人たちに招待状を送った。送り先をあらためて確認していなかった。


 開所の日、いろんな人たちが入れ替わり立ち替わり来た。わざわざ北陸から、俺の前の職場の先輩も来てくれた。みんな応援してるからって言ってもらえてすごく嬉しかった。凛は就活で東京だったから来られなかった。定時は午後6時までだけど、その日は取引先の人で仕事が終わってからの人もいるだろうってことで、8時まで開けることにしていた。7時を回ったころ、くおんが来た。

 俺はその時、パントリーで軽食の準備をしていた。正確にいうと元パントリーで、今は図面の写しや建築模型のパーツの倉庫にしたところ。少し足りないかもしれないと思って、カナエに声を掛けようとカウンターに出たら、カナエが「ブッチ先輩来たから挨拶しなよ」と言った。

「は? なんで? 呼んでないでしょ?」
「俺が呼んだ。リストに入ってなかったから忘れたのかと思って」
「忘れたんじゃねーんだよ」

 事務所の中を見回すと、窓の側からこっちを見ているくおんと目が合った。どきんと心臓が鳴った。慌てて目を逸らした。

「俺、嫌だから」

 取り繕うこともできず、パントリーに引っこんだ。二度と会いたくないと思ったのに。てか、くおんものこのこ来てんじゃねーよ。アホか。最高に気分がよかったのに、一気に落ちた。

 でも今日のホストがいつまでも引きこもっていられないから、少し頭を冷やして事務所に戻ると、もうくおんはいなかった。ほっとした。くおんが持ってきた花だけ他の花に紛れて置いてあった。

「ブッチ先輩となんかあったの?」

 カナエがすっと寄ってきて言った。

「ちょっとな。わざと呼ばなかったんだ。言ってなくてごめん」
「いや、すまん、勝手に呼んでごめん。おまえ仲良かったからさ、うっかりしたのかと思ってさ」
「いいよ」

 仲良かったもんな。カナエはそこまでしか知らないんだから仕方がない。でもものすごく落ちた。夢の比じゃなかった。現物はすごい。ダメージがでかい。平静でいられない。俺の中でせっかく殺して隠して埋めてしまっていたはずのいろんな感情が息を吹き返してしまう。あーあ……。

 さらに追い討ち。何日か経って、カナエがくおんと飲んできたと報告してきた。くおんの話を聞きたくないのに。

「先輩さあ、離婚するらしい。奥さん浮気して浮気相手の子供産むんだと。なんか壮絶だよなー。あと、めっちゃエンマに謝りたがってたよ」
「ふーん」
「ふーんて! 何があったのか知らねーけど冷たくね? おまえ先輩のこと着拒してるだろ。何されたんだよ? 親の仇かって……大人げねーなー」
「別に……謝られてもしょうがねえようなことだよ。もう関わりたくないだけ。先輩だって…」

 今さら俺と関わりたくないだろ。もう普通に戻ったんだから。俺は寄り道なんだよ。人生のおまけ。オプション。

 でも結婚してもまた女の人に浮気されるんだな。不思議だと思ってたけど、なんとなくわかるような気がする。凛と付き合うようになって、女の子がどんなに不安になりやすいのか、どんなにいろんなことを考えてるのかわかるようになった。俺にとってはすごくささいなこと。でも彼女はその機微を繊細にキャッチして揺れる。面倒くさいけど、感心もしてしまう。これが大半の女性に当てはまるなら、くおんはこれに付き合えないんだろう。

「先輩さあ、疲れてたよ。なんてーか……totally exhausted. わかる?」
「疲労困憊?」
「そんな感じ。エンマにとにかく謝りたいって。聞いてやったら? 死にそうな顔してた」
「あの人死ぬような人じゃないでしょ」
「それはそうだけど、とにかく普通じゃなかったよ。開所祝いのお礼もしなきゃいけないから、おまえ電話しなよ。嫌ならお礼だけで切ってもいいよ」
「……」
「大人になれよバディ。てか、ちゃんと話したほうがいいと思うけど。おまえも自分で整理着いてないと思ってんだろ? 顔合わせると逃げたりさ、着拒したり、子どもじゃないんだから。何があったかは知らないよ。そこはどうこう言わない。本当に許せないことだったんだろうと思う。おまえが許すか許さないかは好きにしたらいい。でもさ、一応あっちの言い分も聞いてみたら」

 カナエはすごい。同じ歳とは思えない時がある。だからこそこいつとならなんとかなるなと思ったわけだけど、こういう時ごまかされてくれない。

 仕方なく、カナエが外回りに行ってから勢いでくおんに電話した。事務所の電話から。まだ着拒を解く気にはなれなかった。自分の気持ちによっては本当に事務所の代表代理としてお礼だけ言って終わりにしようと思った。五回目のコールでくおんが出た。

「この間は、来てくれてありがとうございました」
「エンマ?」

 鳥肌が立った。くおんの声。 

「……お花も。ありがとう」
「……どういたしまして。おめでとう。事務所作りたいって言ってたもんな」

 覚えててくれたんだ。意外だった。お礼だけで終わりにしようと思っていたのに、つい話を続けてしまった。

「カナエから聞いたけど、色々大変なんだってね」
「自業自得だからさ」

 これも意外だった。昔のくおんなら、自業自得だなんて絶対言わなかった。もっと他人事みたいに淡々としていたはずだ。次の言葉が見つからないでいると、くおんが続けて言った。

「エンマ、本当に悪かった。ずっと謝りたかった」
「謝られてもな……」
「それはわかってる。謝っても許してもらえることじゃないのはわかってる。それでも謝りたい。何でもする」

 なんでもする? こいつは何に対して謝っているつもりなんだろうか。結婚したこと? それはいいんだ。くおんが普通の男だったってだけだ。俺はただの寄り道。もうこれは納得した。

 だとすると俺は何に対してくおんを許せないでいるんだろうか。どんどんわからなくなる。感情が絡まりすぎていて、自分でも何に対してどう思ってるからくおんから逃げたくなるのかわからない。

「子どもいくつ?」
「三歳」
「離婚すんの?」

 する、とくおんは言う。

「する」

 ほらね。でもまだしてない。たぶん成り行きに任せようとする。俺とちゃんと別れないうちに今の奥さんと子どもを作っちゃったみたいに。向き合うのをめんどくさがる。変に手を引くのがうまいから余計に。

 俺の整理しきれないぐしゃぐしゃの中に、確実にこのくおんの性質への憎しみと言ってもいい感情がある。

 どこにでもすぐに馴染んでだれからも一目置かれるくおん。昔は本当に羨ましくて愛しかった。でもね、だからって人をないがしろにしていいってことにはならない。そうやって「向き合わない」って言うのは、相手を馬鹿にしてるってことだ。結婚した人のことも、俺のことも。

「じゃさ、ちゃんとしなよ。お前のことは信じられない。子供のことも奥さんのこともきちんとけりをつけろ。それで離婚しないことになりましたでもいいよ。めんどくさいって投げ出さないで。ほったらかさないで。自分の望む結果に自分で舵を取って決着させて」

 もしくおんにそうできたら、この糸玉のようにこんがらがった俺の気持ちも少しは分解できるようになるかもしれない。

「わかった」
「逃げんなよ」

 電話を切った。俺の気持ちがどこへ向かおうとしているのかはわからなかった。でもくおんが俺に謝りたいって思ってたことだけはわかった。

「昨日お礼の電話はしたよ」
「おう。謝られた?」
「すごく」
「着拒解いた?」
「まだ」
「頑固だねえ~」
「許すか許さないかは俺次第って言ったじゃん」
「あのさあ、許さなくていいんだよ。でもそれは腹ん中だけにしたら。表向きはニコニコしてさ。腹ん中でならどんな暴言吐こうが八つ裂きにしようが犬に食わそうが自由だけど、他の人にまでそれを見せる必要はないわけじゃん。俺の言いたいことわかる?」
「わかる」
「まして、先輩は一応謝って来てんだから。おまえの方が悪者になってしまう」
「言いたいことはわかる。でもちょっと考えさせて。まだ自分でも整理できてないんだ」
「OK, buddy.」




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