実践的擬態 Practical disguise

黒遠

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 エンマの家は相変わらずだった。少し古びた感じはする。息子の手を引いてインターフォンを鳴らすと、すぐカナエが出てきた。

「どうぞどうぞ! おっ、息子さん? 似てる~!」

 まだ家の造りを覚えている。玄関を入ると廊下、右手が和室で左側がリビングとダイニングキッチン。エンマの部屋は右手の奥の部屋……。
 食べ物のいいにおいがした。ソーマが靴を脱ぐなり上がり込んでキッチンに走り出した。

「こら! ソーマ」
「ママ? ばーば?」

 キッチンでエンマが振り向いた。

「ママじゃなくてごめんな。ソーマくんかな?」

 エンマは足元に寄って行ったソーマの頭を撫でた。パパにそっくりだね。はじめまして、俺はパパのともだちだよ。今日はたくさん食べてね。

 テーブルの上に、大皿でミートボールがあった。ゆでとうもろこし。ブロッコリーとエビのサラダ。ミニトマト。サンドイッチ。

「三歳の子って何食べるのかわかんなくて」
「すごい。ごめん、ありがとう」
「サンドイッチは出来合いだよ」

 エンマが目の前で普通に動いて喋ってるのが信じられなかった。夢?

「飲み物こっちっすよ。お! 獺祭!」

 カナエが俺が持ってきた酒を受け取る。お腹を空かせたソーマがテーブルに手を伸ばす。

「ソーマ! ちゃんと座って食べなさい」
「いいよー、食べな」

 エンマが笑ってソーマのために小皿とフォークを出してくれる。ソーマはきょろきょろしながらサンドイッチにかぶりつく。ミートボールやサラダも皿に盛っておいてやると、家で食べるよりずっと食べた。エンマがすごくソーマに構ってくれて、ソーマとの二人暮らしになって初めてゆっくりものを食べることができた。

 ソーマはしばらくかなりハイテンションだったが、9時前には力尽きたのか眠がったので、用意してもらった布団に入るとすぐ眠ってしまった。すごく楽だった。

「さて、大人の時間ってことで」

 カナエが日本酒を開けはじめた。

「よくこういうのやってんの?」
「よくはやってないかな。やっぱり居酒屋とかですよ。たまに朝まで飲みたいけどそのあと家に帰るのが面倒って時だけすかね」
「そっか。いいね戸建てだと。広くて」
「そう言えば先輩、家さがしてるんですね。いい家見つかりました?」
「それがなかなか。二人暮らしで子ども小さいとうまいサイズのところなくて。狭くてもかわいそうだし、でかい部屋借りたらとも思うけど、目が届かなくなるのが怖くてな」
「エンマに設計させて建てたら? こいつそういうのが得意だから」

 黙って飲んでいたエンマがちょっと顔を上げた。

「そうなの?」

 そうだった。エンマが卒論の時、俺も修論で全然エンマと会えなくて、どんなのだったのかぼんやりとしか知らない。

「卒論が、個人の事情に合わせた自宅の設計だったから。ペットと暮らすならペット用のスペースを付けるとか、小さい子供がいるなら見守り用の窓をつけるとか」
「あー。まさにそれやってほしい。見守り窓ほしい。何をやらかすかわかんないから」
「台所や階段に外すこともできるゲート付けるとかね」
「すごい、なんで? 子どもいないだろ?」
「アンケートで子供がいる家って苦労してるんだってわかって、面白いと思ってテーマにしたんだ」
「だからこいつ、ファミリー向け強いんだよ。この家もリノベすんだろ? ファミリー向けにして先輩とシェアしたら? エンマの家族ができたら解散てことで」
「俺家族なんかできないよ」
「そんなことないだろ! 去年から学生の子と付き合ってるじゃん! だいたいどうなるかなんて誰にもわからないんだから、今はファミリー向けにしといたっていいと思うけど。結婚しない年齢になったらバリアフリーの設計でリノベする」

 え。

 思わずエンマを見ると、エンマはすっと目を逸らした。だれかと付き合ってるのか。頭では分かっていても、酔いが覚める程度にはずっしり来た。

「まあ考えとくけど。く…苫渕先輩はすぐ引っ越したいんでしょ? うちのリノベなんて間に合わないんじゃね」
「いや別に……今まで通りなだけだから。四月からソーマが保育園入れるくらいまでに決まればいいと思ってるけど」
「んじゃ、すぐやればよゆーじゃん」

 すっかり出来上がった顔のカナエが調子を合わせる。エンマが眉根を寄せてカナエを睨む。

「本気?」
「だって、俺だってうちの設計でほんとにいー感じなのかわかんねーもん。ソーマくんと先輩に正直なとこ聞きたいね」
「……まあ、本音は聞いてみたいな……」

 エンマとソーマと暮らすなんて考えたこともなかった。ずいぶん幸せな夢だ。叶わない夢。もうすっかり二人とも世界が変わってしまったんだな。俺は子持ちになったし、エンマには他に恋人がいる。

「ほらあ! 今年で補助金も終わりだから早くした方がいいよ! てか、眠いわ。寝る」

 カナエは言うだけ言って慣れた足取りでエンマの部屋に行ってしまった。エンマとふたり。

 エンマがすっと立ち上がって、だいたい空になった皿を流しに運び出した。

「俺洗うよ、作ってもらったんだから」
「いいよ、俺んちだし」
「いやほんとに」
「いやほんとに。いいから」

 手を出したら怒られそうな雰囲気だったので諦めた。こちらに背を向けて皿を洗うエンマを見ていた。懐かしい。もう六年も経った。二人でここで会えなくなってから。

「この家、リフォームすんだ?」
「うん、リフォームてかリノベ。もう築年数も経ってきたから」
「少し寂しいかな。随分通ったから」
「……」

 キュッと水栓を閉める音が響く。

「本気にしないだろ? 俺と住むとか」

 エンマが流しにもたれてこっちに体を向ける。顔は見えない。俯いている。

「本気にはできないけど」

 遠くでかすかに貨物列車が通過する音が聞こえる。そうだった。この音も懐かしい。

「いい夢見させてもらった感じかなあ」
「何?」
「自分の子と好きな人と暮らすって夢みたいじゃね」
「……」

 エンマはぷいと部屋を出て、自分の部屋に入ってしまった。 
 







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