実践的擬態 Practical disguise

黒遠

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 くおんから電話があった。事務所に。カナエが取って、折り返せと俺に言った。

 なんとなく内容の見当がついたので、家に帰ってから掛け直した。たぶん離婚のこと。
 くおんの番号を着拒リストから外す。発信を押す。コール音が鳴る。頭を真っ白にする。とりあえずくおんが話した事を頭に入れよう。すぐに何かレスポンスをするのは無理だと思う。
 4コール目で繋がる。エンマ? くおんの声。案の定、離婚できたということだった。息子さんはくおんが引き取ったらしい。

「息子さん、なんて名前?」
「ソーマ。草冠に倉のソウに、馬」

 蒼馬。

「それ、くおんが付けた?」
「うん。おまえが炎に馬だから」

 バカだなあ。そんなの、辛いだけじゃねえの? おまえ、奥さんが子ども産んだ時も俺のこと考えたの? でもくおんが後付けでこじつけるなんて面倒な事をしないやつなのは知っている。たぶんほんと。

「あのさ」
「ん?」

 たくさん言いたいことがあった。聞きたいことも。凛みたいに素直に聞けたらいいのに。くおんと出会ってから一度も聞いたことがない。俺のことをあんたはどう思ってんの? 今、どう思ってんの?

「何か、できることがあったら言って」

 言えたのはそれだけだった。長い沈黙の後、くおんは稲生に越したいから、不動産屋を紹介してくれと言った。


 翌日、ブロックを外していくつかの不動産屋で稲生に強いのを選んでメッセージで送った。すぐに「ありがとう」と返事が来た。六文字縛りかってくらいの短いメッセージを思い出す。六、七年付き合って、最長20文字くらいかな……。
 カナエが飄々と聞いてきた。

「ブッチ先輩と話した?」
「話した。メッセージの方もブロック解除した。着拒も解いた」
「おう、いんじゃねーの。じゃあ三人で飲みに行こうよ」
「なんで!」
「だって聞きたいじゃん。顛末をよ。離婚したんだべ?」
「そんな野次馬根性ねえよ」
「俺はある。てか、先輩は大学時代から謎の人だったからなあ。興味あんのよ。や、別に、二人で飲んでもいいのよ。でもお前がいた方がさあ、口を滑らせそうって言うか」
「……わかった。飲もう」

 本当にくおんが口を滑らせたら困る。そもそも、俺が着拒してるのをカナエに言ってしまった時点で結構滑らせてる。これ以上何か漏らされたらたまらない。
 カナエが早速くおんに電話をかけた。するとなぜかうちで宅飲みすることになった。カナエはそのまま寝られるからうちで飲むの好きなんだよな。うちにくおんを来させるのはちょっと抵抗があったが、カナエとソーマ君もいるならなんとかなるかと思った。

 金曜日にまずカナエが来た。ビールを1ダースとカシスリキュールの瓶を持って。俺はミートボールを揚げていた。三歳児がどれくらい食べるのかわからないので、とりあえず一キロ弱。あと子どもが好きそうなもの。

「うおー! 今日はツマミがお子様仕様……」
「仕方ないだろ! おまえがソーマくんも連れて宅飲みにするって言い出したんだろが!」
「そうなんだけどー、もっと体に悪いもの食べたい」

 カナエは持ってきたセミダブルのエアマットを膨らませ、今は空き部屋になっている母の部屋だったところにポンと敷いた。ここに先輩と息子さんで寝てもらおう! 今日は俺とエンマでエンマの部屋で寝よ。

「おまえのベッドダブル?」
「シングル。床で寝ろ」

 七時少し前にくおんがソーマくんとやって来た。ソーマくんはキッチンにママ? ばーば? と言いながら駆け込んできた。あんまりにもくおんに似ているので笑ってしまった。頭の隅で、奥さんは次の男の人がいて、こんなに前の夫に似てる子を連れて行くわけにいかなかったんだろうなと思った。かわいそうだった。

 くおんは見てるといいお父さんだった。俺、父親ってものがわからないけど。頭ごなしに叱るでもなく、ほったらかすわけでもなく、適度にごはんをよそってやり、マナーを注意する。毎日こんな感じなのかな。
 ソーマくんに話しかけてみると、一生懸命に自分の好きなものや見ているテレビのことを教えてくれた。結構脈絡なく話が飛ぶのでさっぱりわからないけど、聞いているだけで楽しそうにしている。うーん、宇宙人。

 その間にくおんは適当に食べ物をつまみ、カナエと他愛無い話をしていた。それでも横目でソーマくんを見守る。お父さん大変だなと思った。ソーマくんはとてもたくさん食べてくれた。作りがいがある。やがて眠がったので、くおんが母の部屋に連れて行った。カナエがおもむろにくおんが持ってきた獺祭を開けた。

「離婚したんですか?」

 カナエはたいていド直球にぶっこむ。

「うん。かなり押せ押せで進めたんだけどそれでも半年かかったな。もうやりたくない」
「離婚を? 結婚を?」
「離婚はもう嫌だな。結婚は相手によるんじゃないかな」
「どんな人ならいいんすかね。好きな人より二番目の人なんて聞きますけど」
「難しいね。ずっと好きでも別れなきゃいけなくなることもあるし」
「そんなことあります? 現代で」
「ありますよ。バカなことするとね」

 くおんがうちのダイニングに座ってカナエと話している。不思議な風景。
 ふと母の死んだ時のことを思い出した。あの時もくおんが家にいて、カナエが訪ねてきて、ばったりくおんに会ってびっくりしていた。

 カナエとくおんは今度は家の話をしていた。またまたカナエはこの家をファミリー向けにリノベしてくおんとソーマくんと暮らしたらと、無責任で余計なことを言い出した。確かに改築はそろそろしなきゃいけない。そして言うだけ言って寝た。絶対カナエはベッドの方で寝る。まず間違いない。

 くおんと二人になってしまって、気づまりで皿を洗うことにした。くおんがやると言ったけど固辞した。早く寝てくれ。

 くおんはこの家が改築されたら少し寂しい、と言った。そうかな。まあ、結構いたよね。水曜日はどっちかの家に泊まってたから。
 どっちの家にも二人分歯ブラシがあって、服もお互いのがちょっとずつ置いてあった。昔の話。

 そういえばあの頃もそんな話したな。一緒に住むかってくおんが言って、俺が無理だろって。さすがに一緒に住んでたらバレるだろ。結局、長期休みに一緒にいたくらいで同棲はしなかった。

 洗い終わって無音になる。本当に好きだったな。くおんが。
 あの時も一緒に住めたらいいけどって思った。夢。口に出せなかった方の夢。どこかで俺はくおんにとってただの気の迷いだってわかってたのかな。

「本気にしないだろ? 俺と住むとか」

 くおんに確かめてみる。こんがらがった気持ちが少し解けるかと思ったのに、くおんが離婚して余計に難しくなった。

「本気にはできないけど、いい夢見させてもらった感じかなあ」
「何?」
「自分の子と好きな人と暮らすって夢みたいじゃね」

 急に泣きたくなった。そんなこと言うなよ。まるでまだおまえが俺を好きみたいだろ。

 なんでくおんは俺が言えないことをさらっと口に出せるのかな。








 
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