Marry Me?

美凪ましろ

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Vol.15.初めてのシャンプー

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 異性を前に、お風呂場で。――しかし、そういう展開にならなかったのは、彼が、初めてかもしれない。

 お風呂でするの、男の子ってやたらと、喜ぶんだよね。何故だろう。やっけに裸も見たがるし――

 てっきり、『そういう展開』を予想していたのに。領域、展開……ッ!

 大樹が選んだのは、こちらが肩透かしを食らうくらいの、紳士的な行動、だった。

「あーこのブラシいいよね。おれ、これの黒、持ってる」

「……ほんとっ?」湯船に浸かるあたしは、背を大樹のほうに向ける格好だ。後ろから頭をわしわしと洗ってくれている。パンツを膝までまくり、例のごとくTシャツを肘までまくりあげて、熱心に、あたしの髪を泡立ててくれる彼が――愛おしい。バスタブに背を預け、……うん。極上の気分。

「あー気持ちいい……。極楽極楽」

 はは、と乾いた木を思わせる、からりとした大樹の笑い声が浴室に響いた。「……お嬢様。おかゆいところは、他に――ございませんか」

 うーん、とあたしは唇に指を添え、言ってみた。「襟足と、髪の毛を中心に、してもらって構わないかしら」

「かしこまりました」片膝を立てて、後ろからあたしの髪をわしわしと洗う、大樹は、まるであたしの王子様兼、執事様みたいだ……。そんな彼の気持ちのいい、指触りを味わいながらあたしは言ってみる。

「ねえ。大樹は、お風呂、まだ?」

「……お姫様の後にございます」

 振り向いてあたしは言った。「……脱がせてあげようか」

 顔を赤らめ、咳払いして、大樹は言った。「おまえ、それ、……誘ってるようなもん。

 頼む。おれが、……おまえのからだ目当てで暮らすんじゃないってこと、今日は、証明させて?

 それから肩……結構凝ってるな。うん。飯終わったらマッサージしてやる」

「え……あ……嬉しいけれど」あたしは目線を彼のほうに固定したまま尋ねた。「大樹。……最初っからそんな飛ばし過ぎて大丈夫? 無理……しないでね。ご飯とかお風呂とかもう、……それだけであたし、充分なのだから」

「……分かってる。美紗」こつん、と大樹は、額をあたしに預け、「きみは、おれの、……お姫様なの。初めて会ったときから、きみは、おれの、シンデレラ……」

 合わさる唇は、やけに、熱かった。胸の奥が焦げるような思いがした。

 唇を離すと、ふ、と唇だけで大樹は笑った。「それじゃあ、シャンプー流すね」

 後ろ向きに、浴槽に頭を預けるこの姿勢。……なんか、幸せ。美容院でシャンプーされてもらってるみたい。
 
 そのままでは痛いだろうとの、大樹の配慮で。あたしの首の後ろには丸めたタオルが間に敷かれている。よって、快適。快適そのもの。

 それからブラシで髪をとく作業を挟み、コンディショナーをつけて、洗い流すまでをしてくれた。

 ほうっ……とするあたしの額に、上から王子様はキスをし、「ごゆっくり」と微笑んだ。

 * * *

 ドレッサーの前で、ドライヤーで髪を乾かしていると、大樹が、「しようか」と言ってミトンを嵌めた手でやってきた。

 ……正直、同棲初日。大樹は、最低限の、一週間分の荷物だけ持ってこちらにやってきた。

 勿論、そういう展開を、期待しないでもない。

 ところが彼は、あたしの背後に回り込むと、まるで美容師のように、ささーっと、ブローをしてくれる。丁寧に。誠実に。

 ……触れる指先から、彼の愛情がしみ込んでくるかのようだった。……こんなにも。異性に尽くされた経験は初めてで……急に、泣けてきた。

「……嬉しい? それとも悲しい」

「前者に決まっているでしょう」あたしの自慢の、透明な石がたくさん飾られた枠のなかの、鏡のなかの自分と、鏡越しに、大樹に笑いかけた。「大樹になんかされると、……なんか。胸の奥が、きゅうっ、って苦しくなる……病気かな」

「恋は盲目って言いますから」存外、軽い口調で言ってのける大樹。「美紗って……存在するだけで、神、っていうか……自分で自分のこと、どんくらい可愛いと思ってる?」

「どうだろ。……まあ、それなりに、メイクやスキンケアには気を遣ってるけどさあ……あ。大樹」

「うん?」美容師のように、やや身を屈め、丁寧にあたしの髪をブローしてくれる彼に、

「メイク落としは正直、……自分でやりたいかも。

 帰宅して即あのふき取りクレンジングするのもいいけど。……化粧水とポイントリムーバーでコットン使う主義だし、お風呂のときにミルククレンジング五分くるくるするから……あれやんないのは、よっぽど疲れたときくらいかなあ……なんか、まだ慣れてないからか、落ちてないか、不安で……」

「オーケー」勿論彼は、腹を立てた様子もなく言ってのける。「思ったことはこれからじゃんじゃん言って。美紗って意外と、遠慮しいなところあるだろ。……これからずっとずっと、ふたりで生活してくんだから。思ったことは、全然ぽんぽん言ってくれて構わないんだぜ」

「『意外と』はなによ」と肘で小突いてみると、流石、大樹さま。岩に触れたみたいな手ごたえが返ってきた。いや、『肘ごたえ』か。

 すると、あたしの肩の位置まで、目線を下ろし、あたしの薄いバングを整えると、大樹は、

「美紗は……一見すると明るい女の子だから。

 そういう子って、割と、我慢するじゃん。

 期待される自分を演じるみたいなこと、誰だってあると思うし、美紗の職業ならなおのこと、なんだよね。

 でもおれは。……おれは。

 美紗が、安心して素をさらけ出せる。どんな自分も受け入れられる、環境を、作ってやりたい」

 やりたい、っておこがましいかな、なんて付け加えるところが、もう、――

「好き。大樹」ドライヤーを止め、置くと、あたしは、彼のお腹にしがみついた。「もう無理。我慢……してたけど。もう、無理。

 大樹が、気を遣ってくれているのはよく分かる。……けども。

 あたしにだって、欲は、……あるんだよ?

 自分だってすごく疲れてるのに。すごく、……せっかくのお休みなんだから、サラリーマンだったらだらだら過ごすのが当たり前……なのに。

 明らかにビーフシチューはいい香りがするし。もう、……無理。

 今夜のメインディッシュはあのお料理かもしれない。……けれど。

 いますぐ、大樹を、食べたい。

 大樹に、……求められたい、よ……」

 ふるえながらそんな真実を吐き出し、ゆっくりと――彼を、見上げてみた。

 静謐なる輝きが、そこには存在した。彼の目が、愛情に――光っていた。餓えていた。

 噛みつくようなキスを交わす。やがて、彼に、ベッドに運ばれ、あたしは――彼を、受け入れた。

 情けないほどに、あたしは、彼を招き入れる準備が整っていた。

 いつまでもいつまでも、繋がっていたい。大樹の織り成す、安定と、快楽の牢獄のなかで、溺れていたい。満たされていたい……。

 行為の最中、しっかりと手を繋ぎ合わせた。鼻の頭から頬にかけてキスをすると、彼は、あたしのなかで動き、そして、あたしを、また、求めた。

 そして、きっかり一時間ほどで行為を終わらせ、一緒に美味しいねといってビーフシチューにつけたフランスパンももぐもぐ食べ……歯磨きをしているうちに寝てしまったらしい。

 シングルのベッドは、ふたりで眠るにはすこし窮屈だけれど。この狭い、七畳のワンルームは、宝物のような愛に、満ちあふれていた。

 *
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