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act47. 二人の朝
しおりを挟む「すっごいボリュームですよね、蒔田さん……」
テーブルのうえには、乗り切らないくらいの、皿、皿、皿。夕食のみならず朝食も豪華だ。さすがに、夕食よりは控えめだが。それでも、いつも食べる倍以上の量はある。彼女の普段の朝食は、シリアルかパンか。片親である父親が忙しく、手の込んだ朝食など作れなかった。
「これ、全部食べれるかな……」と口では言いつつも、彼女は目を輝かせる。多忙な蒔田のために骨休みと旅行に来たのに、休むどころかからだを重ねてばかりで、すごくお腹が空いている。「いただきますっ」
「いただきます」
蒔田が食事を前にするとき、いつも彼を注視してしまう。その殊勝な表情。きちんと手を合わせる仕草が魅力的で。食べるものに対して、きちんと感謝をする、蒔田の律儀な性格がかいま見える。
食べものを残す人間に悪いひとはいないと彼女は思う。
「食べれないんならおれが食べてやろうか」
「ううん。大丈夫そう」
ここで蒔田が、声を潜めて笑った。「いっぱい動いたもんな、おれたち……」
「朝から卑猥ですね」と彼女は彼を軽く睨んでみる。
「飯食って、風呂入って、駅の周り見て回ってから、帰るか」
蒔田から『帰り』の話題が出て、彼女は急に寂しくなる。この楽しい時間にも、終わりがあるのだ。二十四時間後には会社で仕事をしている。
会社員の、悲しい性だ。
「おみやげ、買って帰りたいです」彼女は、その気持ちを振り払うように、明るい声を出した。「ミカちゃんに温泉まんじゅう買って帰んないと」
「おれも会社に持ってくかな。しかし、……まずいか。やめておこう」
「どうして」
「きみとおれがつき合っているということを、まだ会社ではおおっぴらにしていないだろう。勤務先が別々でも、同じ時期に箱根に行ったとなれば、勘づくやつがいるかもしれない」
「まあそうですね」ちょっと残念な気持ちを押し隠しつつも、彼女は頷いた。会社は遊ぶ場所でも恋愛の場でもない。
恋愛とは、ごくプライベートなものなのだ。
「あたしミカちゃんに買っていってもいいですか」彼女は蒔田に確認を入れる。
「構わない。おれは、買わない。元々土産買ってくとかガラじゃねえしな」
「蒔田さんて」彼女は、気になったことを聞いてみた。「実家にあまり帰ったりしないんですか」
「あまり帰らないな。だから土産も買わない」
「もうちょっと旅行に行ったり、いろいろしてみましょうよ。蒔田さん、ほかに行ってみたいところとかあります?」
「どこでも行ってみるとその土地の面白さがあると思う。それと――楽しみはとっておきたいな」
仕事が忙しい蒔田は諭すように言う。「時間は、まだまだあるんだ、焦らずに行こう」と。
* * *
泊まったホテルから駅まで送迎バスで一本。歩いたら三十分はかかるだろうやや遠い道のりだった。そして駅からはロマンスカーで成城学園前まで一本。一度各停に乗り換える必要はあるが、それにしても、乗りものに乗ってばかりで、実に快適な旅行だった。
アクティブに動く旅行もいいけれど、二人きりの時間をじっくり楽しめる旅もいい。つき合って間もない二人にとってはなおさらのこと。
「蒔田さん、疲れてません?」彼女は、蒔田の様子を窺った。彼は、乗りものに乗ると寝てばかりいるから。さすがに、乗車時間十分のバスでは寝なかったが、行きのロマンスカーでは熟睡だった。
「いいや」と蒔田は首を振るが、五分内に寝るだろうことは明白だった。
彼女は、蒔田に、笑いかける。
「どうした」と蒔田。
「いいえ。……眠ってるときの蒔田さんの顔、とっても可愛いんです……」
夜暴れまくったつけがこれだ、と蒔田は顔を傾け、こき、と鳴らす。「寝てばかりでおれ、きみに迷惑かけてないか」
「仕方ないですよ。眠いときは寝るのが一番です。繰り返しますけど、あたし、蒔田さんの寝顔好きですから……」
「落書き、……するなよ……」驚いたことに、喋りながら蒔田は、寝た。なかなか彼ほど寝付きのいい人間は、珍しい。彼女は、車窓の景色に目を投じた。至るところに群生する緑が、故郷のことを思い出させる。帰ったら、父に、電話をしてみよう。
彼との繋がりが強くなるほどに、以外の大切な人間とも繋がりを持ちたいとも思う。ひとりきりの世界を飛び出して、あらたな視点を、恋愛は、提示してくれている。友達とも。家族とも……。
四月が終わればゴールデンウィーク。蒔田は一二日出勤するかもしれないとのことだが
おいで、と言って彼女の頭を撫でてくれた。
思い返すだけで頬が緩んでしまう。幸せ過ぎる。五連休は、ずっと蒔田といちゃいちゃべたべたしていられる。ひとりの時間も大切だけど、二人きりの時間をどこまでも愛おしんでいたい。
電車は滑るようになめらかに動き出す。
彼への全身にみなぎる愛情を感じつつ、彼女は、箱根の地に別れを告げた。
*
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