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insider

第三話(4)愛す女 *

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 したことのない淫らな体勢で愛しこまれる。狂気を宿した凶器を宿す男の手腕に酔わされ、幾度とも知れぬ絶頂へと辿り着く。――このとき、多恵子は様々な景色を見る。
 ふるさとの、無人の、畦道。
 蝉の鳴く声。
 顎先から滴る汗。
 帰り道に食べたアイスキャンディーの甘酸っぱい味。
 三百六十度を囲う、緑豊かでのどかな田園風景。
 無性に、故郷が恋しくなった。米を作るしか――サッカーを応援するしか能のない民だと思っていたのに。
 ぐるぐると自分のなかを探られ、弄ぶ男の手つきがやけにリアルだった。感じるように気持ちよくなるように、確固たる意志を持って男は動いている。
 それにしても、友哉はよく持つほうだ。多恵子の知る限りでは、即イキの男も珍しくないというのに。
 カウントしてはいないが、友哉はおそらく一時間以上多恵子のなかで持続している。それは――体質なのか。それとも商売を通して会得した技術なのか。友哉と出会って一年近くが経過したいまも、多恵子は聞き出せずにいる。
 二時間ほどたっぷりとセックスをするとその後の一時間ほどはピロートークを楽しむ。
 人肌に飢えた多恵子のほうが、基本的には、昔の話を面白おかしく聞かせる側に回る。――四人きょうだいの末っ子で、多恵子は、性に関するあらゆるものを排除して育てられたこと。
 夢を見ることが馬鹿だと教え込まれ、あまりにも現実的な子として育ってきたこと。
 引きこもりの兄がおり、そのことで散々、差別をされてきたこと。
「うちの近くに、『ライオン丸』って呼ばれてる主婦がいてね。
 用もないのに、自分ちの前の掃除をずっとしてて。ほうきとちりとり持ってね。でね。
 誰かが実家を出入りするとすーぐ気づくの。いつもうちのことを見張っていて、不気味で。
 うちから車でも出せばすーぐ気づくの。お陰で兄貴、親に連れられて病院行くときも、カーテンに隠れて、生きた心地がしなかったと思うわ。田舎者の差別って、ほんっと、えぐい。
 いまだと、N高とかあるじゃない? 自由よね。仮に、引きこもりになっても、いまの若い子だったら、携帯ですぐに友達が出来るから、まだ救いようがあるわよね。8050問題もまあ、深刻だけれどね。
 あたしの世代であの地元だと、女の子でもビンタとか普通だったから。
 小学校でも、あたし、食が細かったから、給食が食べきれなくって。でね。
 居残りよ。ご丁寧にも、給食を一日の終わりまで取っておいて、放課後に食べさせるの。ここまで来るともう、虐待じゃない?
 姉たちは地元に残ったけれど。あたしと兄貴は東京を選んだの。当然じゃない?
 あれだけ、差別に叩きのめされて。田舎を愛せ、っていうのも、無茶ぶりでしょう?
 でも、どうしてか。……年を取ったのね。故郷が懐かしく思えることもあるの。
 向こうは、やっぱり、お米が美味しい。
 もちもちふっくらとして、精米したてのお米なんかもう、気絶しそうなくらいに美味しいの。
 ほら、うち、酒屋だから、米にはうるさいの。
 日本て昔米不足に悩まされたこともあったけどそうね、友哉が生まれていない頃かしら? 日本で天候が狂って、米不作の時期があったの。で、タイ辺りから米を輸入して凌いだ。『美味しんぼ』辺りは、見事にそれを漫画のネタにしてたけどね。インド風のしゃばしゃばなカレーがタイ米には合うんだ、ってね。
 でも、あたし、やっぱり、もっちもちがいいなあお米は。
 男も、友哉みたいなのがいい。
 あなたって、ビジュアルイメージはしょっちゅう変えるのに、基本、『変えない』のね。
 落ち着いたジェントルマンを維持している……ねえ、それが本性? 本当の友哉は誰?」
 すると鍛えられた男に特有の俊敏な所作で友哉はからだを起こし、
「最初はね。この仕事を始めた頃は、自分が摩耗して、すり切れたたわしみたいに感じられることがあったよ。どんどん、削られていく感じが――。
 それでも、最終的には、削られた『ぼく』が残ったんだ。その『ぼく』で、勝負している感じだね。
 あなたとセックスして、やばいくらいに満たされる自分も本当の自分だし、本を読んだり、映画見たり、好きなことを好きなようにしているのも本当の自分だ。まあ好きなことを仕事にしているから。基本楽しいよ」
「友哉って死ぬまでこの仕事続けるつもり? おじーさんになっても?」
「いまは健康だけど」と片膝を立てた友哉は考え込むように遠くを見、「年取ってガタが来たら、マネジメント側に回るかもしれない。会得した技術を継承したいよね。……ただ、こういうのってセンスとひらめきが必要だから……ある日突然ぽっと出来るようなもんでもないんだ……努力も忍耐力も必要だし……難しいところだよね。本当は、いまのうちからチーム体制で動いてりゃあ楽なんだろうけれど」
 それは、初めて聞いた話だった。友哉の膝に手を添えた多恵子は顎を乗せ、グラマラスなボディを見せつけるように、
「ひとりでやってるの? ……全部、全部?」
「そうだよ」
「はー。すごいのねー。友哉って」ずる、ずる、と友哉の脛に額を滑らせ、やがて多恵子の頭部が友哉の足元へと辿り着く。「あたし、結構うっかりやさんだから、自分で自分のことが出来る人間を尊敬するわ。Webの管理とかも大変でしょう?」
「受注したこともあったんだけどね、でも、結局口を出したくなる。だったらひとりでやったほうが楽だし。速いし」
「仕事を他人に割り振れない人間の典型ね、友哉。……あなた、マネジメント、向いてない。
 加藤鷹みたいに、生涯現役でいたら? そのほうが楽しめるんじゃない?」
「うぅーん。三十五歳くらいになったら、どっちにするか検討するよ。体力的な変化とか、いまの時点じゃ、分かんないし。現役でやれるとか、どうなのか」
「若い子を孕ませて結婚すればいいのに」
 小さく、友哉が、笑った。ないない、と。
「ぼくが、バージンを相手しないのは、基本的には処女は、愛するべきひとに捧げるべきだと考えているからだ。
 男の側は当然、女性に痛みを感じさせないよう努力すべきだけどね。
 ただ、まあ、世の中のAVが『ああ』なのを見て分かる通り、女性の性を曲解したものが蔓延しているよね。
 ぼくと出会って、みんな、口々に言う。
『いままでのセックスはなんだったのかしら!』……って。
 そりゃ、勿論、ぼくは特殊な人間だから我慢強いし努力も出来る。合わせることも読み取ることも出来る……本当は、常識も倫理も欠落した人間なんだけどね。
 実はさほど、セックスの才能には恵まれた人間ではなく、努力と経験でそれを補っている。
 意外に、思われるかもしれないけれどね?」
 多恵子がまっすぐ聞き入るのを見届けたように友哉が、
「いろんな女の子が好きなんだ。個性があってセックスってすごい、個性が出るじゃない? あれ以上に個性の出る世界なんてないよ。
 正直に言うとね。多恵子さん。
 ぴっちぴちの十代なんかよりもぼく、四十代くらいの女性のほうが、割りと、好み」
「バブみがあるってやつ?」
「やーバブバブあまえる感じじゃなくって。率直に。包容力があるじゃない。その世代の女性って。
 自分になにが出来るかを知っていて、世の中の流れを分かっている。
 こういう仕事をしていると、たまに無茶ぶりをされることもあるけれど、でも、それ、年に一回あるかないか程度で……みんな、最初は警戒するけれど、こころを許せばそれ以降は素直に、自分のことをさらけ出してくれる。
 特に、三十代四十代の肌って、しなやかで吸い付きがよくって、きゅって締まっていてたまらないんだ。
 ひとりで部屋にいると決まって恋しくなるのはそのひとたちの肌なんだ。
 ぼくは、ひとりで、どうしようもなくなる……多恵子さん」
 ――多恵子には分かっていた。
 これまで、仕事観を語ることのなかった友哉がそれを語るということが、いったいなにを意味するのかを。
 季節は、冬。巡り巡ってまた、友哉に出会った季節を迎えていた。
 人肌恋しく、関節がちょっと痛くなり、階段を降りるのも怖くなる季節を。
 潮時だと思った。
 もう――したいことはした。後悔は、ない。
 別れのタイミングを読めぬほど自分は子どもではない。立ち上がると多恵子は、「シャワー浴びてくるね」と告げた。続いて、
「……今日で、最後に、するわ」

「送るよ」
「いい。ここで」
 歓楽街を抜け、改札前で多恵子は立ち止まる。――何度となく歩いたこの道。またここに来るときは、友哉のことを想いだしてしまうのだろう――確実に。
 絶対に。
 なにか――言い残したことはないであろうか。
 多恵子は、友哉を、見据える。
 黒髪をパンキッシュに立てて、薄手のコートの下に上質なスーツを合わせて。友哉の無限の変化に、いつも多恵子は驚かされていた。
 でも、これが、最後だ。
「忘れないで欲しいんだけど。友哉。仮に――あなたが今後これを辞めるとしても。どんなことがあっても……」
 神妙な面持ちで多恵子は、最後の告白を切り出した。

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