碧の青春【改訂版】

美凪ましろ

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第二章 それは不幸なことじゃない

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 黒髪の歌舞伎俳優っぽいほうが蒔田(まきた)一臣(かずおみ)で、茶髪の美少年が桜井(さくらい)和貴(かずき)。二人はそう名乗ってくれた。

「え。なーんだあ生物室に用だったの? 僕たちもちょうど行くとこ。んじゃ一緒しよっか?」
 茶髪の彼の笑い方はにっこり、という形容がふさわしい。声も甲高く、丸っこい瞳をもっと丸くする。
 柔らかい印象。
 なのに、見つめられると率直に、固まってしまう。
「……お願い、します」
 ふはっ、と綺麗な顔を崩し笑う。くしゃっと猫みたく。「そーんな緊張しなくていいってば真咲さん。同じクラスなんだからさ。仲良くしよ?」
 いきなり下の名前で呼ばれた。
 ため息をついた黒髪の彼は既に、私たちを置いて歩き始めていた。

 この階段を上がりきって廊下の突き当たり、にあるんだとか。
 茶髪の彼はよく喋る。黒髪の彼、蒔田一臣に対して。あっついねーとか数Aの問題集あんなの終わんないよーとかたわいもない話。話しかけられる彼は、ああ、とかそうだな、とか一言二言返すばかり。一方的と言っても過言ではないやり取り。だが茶髪の彼はなんだか嬉しそうだ。
 階段は日陰で。外よりだいぶ涼しくって、初めてこの町に来た日ほど暑くはないんだけど……身長が違うと足の長さも違うのか。私は遅れた。特に階段。そしてうっかり近寄ると、すこし貼りついたポロシャツ、の奥に控える広いたくましい背中の感じ。ちょっと引くと、半袖から覗く、幾度となく前後する、肘から先の、むだ毛処理されてない素肌の二の腕。縦に筋が入っては盛り上がる男の子の筋肉の動き。細い、ベルトのウエストから腰に続く直線、……と目の行き場に困ってしまうから、階段の半分くらいは空けて。ズックの動きを眺める辺りがちょうどいいのだと分かった。

「ぅおぉーいまさーきさーん。ついてこれてる?」

 茶髪くんは手をかざし窓から射す光を気にしながらに微笑みかける。踊り場にて。素直な光を集め髪の色を乱反射させる、王子様が実在するとしたらきっとこんな感じ。頷きつつ目が眩むのを感じた。
「ってか、言ってくれればよかったのに。人が悪いなあ真咲さんってば」
「……お前がべらべら喋ってたからだろ」
「マキもだよ」
「予想はついてた」
「はっ?」歩きかけた足を止める。習って私も停止。「なに。転入生だって分かってたの? なのにすっとぼけてたってわけ?」
「お前で遊んだ」
「うわあひっどい。僕のことからかったんだ? なーんかマキってば最近性格歪んでない?」
 お前っていうか、私も含めてだと思う。真っ先に中学生認定されたんだし。
「俺もそう思う」
「じっぶんで認めちゃってどーすんだよ。……まーね、そーゆーのがマキのウリだと思うんだけどね。クールで黙りっぱでぶすーっとしてて……」
「売った覚えはない」
「そーゆー意味じゃなくってさ」
 もーどうしようねこのひと? とちらと視線投げて肩をすくめる。……男の子同士の会話に熱中しているようで実はときどき後ろを確かめてる。
 一方、黒髪の彼は、
「あれが、生物室」
 段を上り終えていた。
 ……たぶん、私に言ってくれたのだと思う。茶髪くんは場所を知ってるはずだし。
「やーひっさしぶりだなーみやもっちゃんに会えんのー」何故か茶髪くんはストレッチを始める。内腿の筋、続いてアキレス腱を伸ばす。
 と、
「ほんじゃーおさきっ」
 えっ。
 後ろに晴れやかなスマイルを投げる。
 余韻消えきらぬうちにもう、消えていた。
 もどかしくスリッパぱたぱたいわせながら残りの段を置き去りにする、と。

 桜井和貴の走りを私の目は捕らえた。

 蹴り返しが弧を描く。紺のゴム底が何度だって見える、タイヤみたいな回転速度。腕を細かく振る、ピンと上体の立った、すごく綺麗なフォーム。
 運動神経のいい人特有の。
 猫っぽい可愛らしさが、豹の。すばしっこいしなやかさに変貌する。
 白い、背中があんなにも遠く。
 羽根でも生えてるのだろうか。
 からだを軽くするズックなのだろうか。
 天使みたいに、
 軽やかで。
 私の足元といったら便所スリッパで。……なんだかなおさらみずぼらしく重たく感じる。
 隣は、
 待ってはくれていたみたい。
 けど。
 ずっとこのひとは仏頂面だし、こっちを見ない。喋るときは茶髪くんのほうを向く。
 無視、されてるのかな。
 女の子と直接喋りたがらない男の子はいる。単に照れ屋ってタイプもいるけれどなんとなく、彼は誰に対しても関心を持たない、そんな印象を私は持った。
 一歩二歩。
 スリッパの立てる落ち着きのない響き。
 ズックのついては離れるリズム。
 重なる。ずれる。
 いたたまれない。
 黙ってる空気だけ所有し合うこの感じ。
「……出身は」
 ぼそっと、声。
 聞き違いかと思ったが、唇は薄く開いている。
「えっと。わ。私の?」
 横顔で頷く。
「どうして。……こっちの人じゃないって分かったの?」
 彼は、知らないのだろうか。
 あの老齢の駅員さんは確実に。恰幅のいい先生だってきっと知っている。
 私がどこの出身でどういう事情で飛ばされたかを。
 光る君さながらの都落ち。源氏は再度都に戻り栄華を極めるが、……私が東京に戻り住むことは起こり得ない。片親の郷里に身を寄せるのが金銭的にどういう意味を伴うのか、多少は分かっているつもりだ。
「訛ってねえから」
 舌打ち混じりで、眉だって歪む。
 首がすこし痛くなる角度が必要なのに。
 それでも、この横顔から目を離せない。
「俺も生まれはこっちじゃねえ……和貴もだ」前をきつく睨み据えて彼は言う。「あいつは、無理に標準語を喋ろうとはしてるんだが、じいさんは俺にも分からねえくらいの方言でな。移りたくねえってしょっちゅうぼやいてやがる」
 なんとなく想像できてしまい、口許が自然ほころぶ。
「だが、じいちゃん子でな。たまに真似しやがる」
「どっちなのよ」
「両刀使いなんだ。器用な奴だよ」
 その単語一つで私の脳は湯沸かし器と化した。
「ちょっとそれはあの、あんまり外では言わない方が……」茶髪くんの名誉のためにも。
「何をだ」
「……その」
「あいつには親がいねえんだ」
 流れを無視して黒髪は呟いた。
「仲がいいんだね」
 なにげなく放った一言。コンパスが違いゆえに軽く開いた距離。それが。
 縮まる。
 ガン見、される。
「何故。そう、来る」
「だ。だって」このひと白眼が大きくなる。小学生だったら泣いてる。なんでこんな不機嫌なのか。「寡黙そうなのに彼の話になると饒舌だから。き。きっと」
 片眉だけがひょいとあがる。やっと、眼光が緩んだ。
「優しい人なんだろうね」
「俺がか?」
 今度は目を丸くするものだから。
 口許を押さえて笑ってしまった。
「違う。彼のほう」
「……高校からの付き合いなんだが」
「昔っからの友達に見える。なんとなくだけど」
 すでに向こうの生物室のドアにタッチする彼は、こちらに気づくとおーい! と両手を大きく振る。
 見ているだけで、見る者のこころを明るくするキャラクター。
 彼は、生来かもしれない。
 私だってそんな風を演じたい時期がちょっとだけあった。家庭の事情に話が及ぶと全然平気! って言える自分を作ったりする。暗くなられるのは重たいから、明るい世界を作るんだ。
「……私も父親はいないから。人前で明るく振る舞う気持ちはよく分かる」
「お前は母親と住んでんのか」
「母と、母方の祖父母と」
 このひとは。
 かわいそうって顔をしない。
 気まずいって表情もしない。
 聞いてなかったかのように、違う話を振る。
 踏み込んだ話だというのに、眉ひとつ動かさない。
 真っ直ぐで曇りのない、けど沼の底を思わせる深い色の瞳に。なんだか、私は言い知れない、安心感のようなものを覚えた。
「なんか。事情話すたびに人から可哀想って言われるの、私は苦手で……」言葉がオルゴールの回転のようにするすると流れていく。「彼も同じかもしれないと思って。だから私、そういう話されたときは人と違う反応するようにしてる」
 相槌打たず。
 それでも足は止まっている。
 確かに聞いてもらっている、それだけでこころのどこかが弾む、不思議な感覚を与えられている。
「確かに、聞いた人からすれば不幸な話かもしれないけれど。なにか彼のいい性格(ところ)を形どってるとしたら、それは不幸なことじゃない」
 環境は性格に影響は与えど決定打ではない――そんなことは心理学説でとっくに証明されている。
 言い終えるのを待ってか、再び動き始める彼はつまんなさそうに、「理屈くせえやつだな。本ばっか読んでそうだ」
「うん。図書館大好きだし」図星だ。「最近読んだのは、エリクソンの『アイデンティティ』。でもね。正直、……こっちの図書館にはあんまり期待していない」
 田舎だもん。
 恋しい町田の図書館。天井の高い白い要塞。なかでDVDだって見れるし漫画もなんだって揃っている。本ばかり読んでて何日入り浸っても飽きない。
「そう言うなよサイコ野郎が」
 野郎って。
 軽く睨もうとしたのが。
 眉をあげて喉の奥で笑う。
 このひと。

 笑うとこんな顔、するんだ。

 ずっとしかめっ面だったくせに。薄い赤い唇緩ませて。目尻にしわだって寄せて、すごく。

 無防備な。

 うぉおーい! もー二人ともおーそいって! 三往復しちゃうよ僕ぅ!

 茶髪くんのBGMが遠く聞こえた。
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