セリフじゃなくて

藍栖 萌菜香

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11 降ろすわけがないだろう。役得だしな。

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「わ、ちょ、お、おろしてっ」
 咄嗟に口から飛び出したその声は、動揺のあまり演技とはまったく程遠いものだった。

(しまった、女装がバレるっ)
 ロビーに響いた俺の上擦ったような素の声に、冷汗がさあっと肌を撫で、胃がぎゅうっと縮こまる。
 けれど、どうしようと焦る俺とは裏腹に、その不自然な声の残響は呆気なく掻き消された。「いやあああっ」だの「うそおぉっ」だのという悲鳴の大合唱が、突如として沸きあがったからだ。
 それらは嘆き悲しむ声ばかりで、俺のことを不審者だ変質者だと騒ぎ立てる様子はどこにもない。


 よかった。セーフだったみたいだ。
 もう二度と地声で騒ぐだなんて痛恨のミスはしないようにしよう。
 そう誓ったものの、自信はまるでなかった。

 だって、フェロモン対策のために離れようとしたところを逆に密着させられるだなんて、まったくの想定外だった。動じないわけがないじゃないか。もともとこんな展開、シナリオにはまったくなかったんだから。

 これは、いわゆる『お姫様抱っこ』というやつだ。漫画や映画、たまに結婚式とかで見ることがある例のアレだ。世の乙女たちが憧れてやまない、非日常世界の特殊なシチュエーションだ。
 王子然とした神坂さんがそれをしてみせたのだから、彼に想いを寄せる女子社員たちが大騒ぎするのも無理はない。ロビーに反響するそれらは耳を塞ぎたくなるほどうるさいが、おかげで本当に助かった。


 騒がしい外野には露ほども関知せず、神坂さんがエレベーターへと向かう。細身とはいえ男ひとり分の重さを抱えていながら、その足取りには危なげがない。
 初めて体験する高さと心許なさにゆらゆらと揺れる足先を見遣れば、俺の膝には、さっき神坂さんが脱いでいたジャケットが掛けてあった。

 大きな体躯がより強調されるベスト姿で、怪我した女性(俺)を悠々と運ぶ神坂さんの勇姿は、さぞかし見映えがいいことだろう。制服スカ-トの裾から女性(俺)の脚が露にならないようにと、汚れるのも厭わず怪我した膝にジャケットをかける心遣いがまた憎い。きっとフェロモンなどなくても、このスマートな振る舞いだけで女性社員たちのハートを鷲掴みにできたに違いない。


 ……もう、だからなんだっていうんだ。
 神坂さんがカッコいいのは元々だし、女性に騒がれるのなんて当たり前のことじゃないか。
 本当に、このムカムカはいったいなんなんだ? 己の失敗を助けてもらっておきながら、神坂さんのフェロモンから醒めたような彼女たちの泣き声にムカつくなんて間違ってる。

 第一、いまはそんなことを考えてる場合じゃない。神坂さんの機転で、これ以上はない出会い編になったんだ。お姫様抱っこされるシンデレラを早く退場させなくては。

 とはいえ、このあとどうしたらいいんだろう。
 このままエレベーターに乗ってしまえば、『できる男』だという雨宮さんに至近距離で対峙することになる。脚を隠してもらえたのはよかったが、俺が男だとバレたりはしないだろうか。
 かといって、ここで降ろしてもらうのもどうなんだろう。遠慮深い『夕陽さん』を演出することはできても、せっかくのお姫様抱っこという派手な演出が台無しにはならないか?
 それに、だ。ここで降りたそのあとは? 騒々しいあの場所に戻るのか?


 いまだ悲鳴のやまないほうへと視線を遣ると、神坂さんの肩口越しに《グリーン》の出入り口の様子が見て取れた。そこには、その場に力なくへたり込む人、隣の人に抱きつき泣き崩れる人、天を仰いで慄き叫ぶ人までいて、さながら地獄絵図のようだった。
 カリスマ次期社長の人気の高さが知れるその様子に、思わず怖じ気づく。

 これは、このあとどうしようかだなんて、悠長なことを考えている場合じゃないんじゃないだろうか?
 このお姫様抱っこのせいで、もう二度と《グリーン》には戻れない気さえしてきた。たとえ戻れたとしても、働きやすかったあの職場ではなくなっているだろう。

 みんな気のいい人たちばかりだから面と向かってどうこう言われることは、たぶんない。でも、なかには本気で神坂さんに恋をしていて、俺のことを陰で悪く言うような女子がいても不思議じゃないだろ。もしそうだとしたら……。
 ちらりと、ドラマでよく見るおどろおどろしい女たちの世界を想像してしまって、背中にぞくりと悪寒が走った。

 やっぱりダメだ。考えすぎかもしれないけど、女性スタッフたちを敵に回せば、シナリオの遂行以前に《グリーン》を追われかねない。一秒でも早くこのお姫様抱っこはやめるべきだ。


 焦る気持ちを堪えながら、今度は神坂さんにだけ聞こえるように、
「あの、ほんと、おろしてください」
 と、小さな声でお願いした。
 本当はお願いなんかすっ飛ばして、すぐにでも飛び降りたかった。
 だってこんな、お姫様抱っこだなんて至近距離……。

 ああ、ほら。いつまでも息を潜めてなんていられない。呼吸をするごとにどきどきが激しくなっていく。さっき神坂さんに抱き留められたときにも感じた控えめなウッド系の香りに、気持ちが落ち着くどころか、どんどんと浮足立っていくのが自分でもわかった。
 きっとこのままじゃ、またとんでもないミスをしでかしてしまう。その前になんとしてでも降ろしてもらわないと。

 でも、飛び降りてしまえばヒロイン像を壊すことになる。やっぱりここは、王子にやさしく降ろしてもらうのが理想だ。それから、一緒にエレベーターへ向かうのがいい。この流れで、あの嘆き集団のなかへと戻る自信は、さすがになかった。医務室に用があるというわけではないけど、ほとぼりが冷めるのを待たせてもらおう。


 俺がひとりでそんな算段をつけていると、
「脚を怪我してるのに、降ろすわけがないだろう」
 立ちどまった神坂さんが俺を見おろしながら、そっと囁く。ついで、「役得だしな」と言って微笑んだ。

 ああもう、だから。なんなんだ、その笑顔は。
 おそらく、たいした怪我じゃないことは神坂さんだって承知なんだろう。その上で、『降ろすわけがない』と言い張っているんだ。何が役得なのかはわからないが、この状況を愉しんでいることだけは間違いない。

 俺にはイタズラ成功とでも言いたげに見えたその笑顔は、きっとギャラリーには、ただやさしく微笑みかけただけに見えただろう。神坂さんがお姫様抱っこをしたままで俺に微笑みかけ、何事かを囁いたせいで、背後の気配が一段と激しいものとなった。
 ついでに俺の胸までが、ばくばくと大騒動だ。


 もはや一刻の猶予も許さない事態だ。
 フェロモンに酔っ払ってしまう前に、少しでも神坂さんから離れたい。そんな一心で、神坂さんの腕のなかから逞しい胸板を押し遣った。
 ……のは、失敗だった。

「危ないな。暴れてると落ちるぞ」
 落ち着き払った声で俺を窘めた神坂さんが、当然とばかりに俺の身体を大きく揺すりあげ、しっかりと抱き寄せ直してしまったからだ。
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