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52-言葉を駆使しましょう。

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「あ、そうだ。教えてくれたらお礼に食事をご馳走するわ。さっそくだけど、このあと時間空いてる?」
 講義の記憶が薄れる前に教えてほしいの、とニッコリしながら女が大悟へと身を乗り出す。

 何が、『あ、そうだ』だ。いま思いついたわけじゃないだろ、それ。
 女の見え透いたセリフに、昨日の怒りまでがぶり返す。いっそ、昨日耳にした彼女たちの会話を、大悟本人の前で再現してやりたい。
 いやダメだ。感情にまかせてそんな暴挙に出れば、大悟を巻き込むはめになる。彼女たちを怒らせて注目を集めるのは得策じゃない。これから四年も続く大学生活のためにも、自分たちがマイノリティだということは極力隠しておきたかった。

 だけど……もし大悟が押されて流されるようなら、俺も手段を選んではいられない。大悟を死守するためならなんだってしてやる。


 でもたぶん、大丈夫だよな。だって、大悟だ。
 高校のときだって、告白してきた女子たちに大悟は首を振るばかりで、ついにひと言も返さなかった。今回も、きっと無口な変人で通すだろう。そのほうが今後も面倒がないんだから。
 そうは思いつつも、俺が緊張に身を強張らせていると、大悟が俺の予想を裏切って口をひらいた。

「あんた、誰?」
 大悟が女子に口を利いた。その事実に一瞬だけ気をとられる。けど、次の瞬間には笑いを堪えるのに必死だった。
 だって、ぽかんと口をひらいた女の、まぬけ顔がっ。
 まあ、世間基準で言えば美人の部類に入るんだとは思う。男なら誰だって、ましてや同じ講義を受けてるならなおさら自分を意識していて当然だ、とでも信じていたに違いない。例外が二人もいて、残念だったな。

「俺はあんたを知らないし、知らないやつに勉強を教えてやる義理もない。一応断っておくが、興味をもてない人間との食事は報酬にはならないぞ」
 むしろ罰ゲームだと、見慣れたポーカーフェイスをした大悟が、聞いたこともない辛辣な言葉を吐いた。

 大悟のひややかな声に、胸の奥がちくりと痛む。もしこの言葉を投げられたのが俺だったら、きっと世界の果てまで走って逃げて、干からびるまで泣き通すだろう。
 少しだけ湧いてしまった同情心に、彼女は大丈夫だろうかと見遣れば、ショックに次ぐショックだったんだろう、フリーズしたように固まったまま動けずにいる。
 その向こうには、たまたま大悟の言葉を耳にしてしまったらしい男子学生がホットコーヒーを片手に唖然としていた。美女(の類)をここまで痛烈に振った瞬間を目の当たりにしたんじゃ無理もないか。


「そろそろ帰ろう。立てるか?」
 ひやりと静まった空気のなか、そんな空気の製造者本人が、俺に向けて殊更やさしい声音で話しかけてきた。
 帰ろうと言うわりに、大悟自身は立ちあがる様子もない。ただうっとりとした笑みを浮かべて、俺の頬へと手を伸ばした。そのままふにっと頬を抓り、抓ったあとの頬を懐かしい感触ですいっと撫でる。さらには耳元にかかる髪の下にするりと指先を忍ばせて、悪戯な仕草で耳朶をくすぐった。

 な、なんだっ? いきなりこんな、あからさまに甘い雰囲気を醸し出してっ。人前なのにっ。
 じわりと頬に熱がのぼってくるのを感じながら、早く大悟の手を退けなきゃと思う。でも、周囲の反応が怖すぎて、もはや身動きもできない。
 それでも、チラリと視線だけを走らせると、真っ赤になって俺を凝視する女と目があった。

 ……なんであんたが真っ赤になってるんだ?
 そんな疑問に気を取られていたときだった。耳から離れた大悟の指先が、触れるか触れないかぎりぎりのラインで、俺の首筋をさわっとひと撫でしていった。
 瞬間、淡くせつない快感の波が首筋を中心に背中や頭、毛先にまで、ぶわっと広がる。その波を追うようにして俺の頬がくくんっと傾き、大悟の手のなかへと収まった。かろうじて発音を免れた喘ぎ声は、喉奥にひっかかって籠ったままだ。


 ああいやだ。大悟の指が肌に触れるだけで、あっという間にベッドの上へと感覚が舞い戻ってしまう。痛む腰の奥がぼんやりと熱をあげ、甘い余韻を思い出し、続きを寄越せと訴える。こんなのは、本当に困るのに。

 反射で瞑ってしまった目をそっとあけ、なんてことをしてくれるんだと大悟を睨んだら、「ぅアッチっ」と小さな声が聞こえてきた。見れば男子学生がコーヒーを取り落としたらしく、茶色く濡れてしまったボトムを懸命に払っていた。
 ついで、ハッと息を飲んだ女が突然立ちあがって、自分の頬をぱんぱんっと両手で叩きだす。

 いったい何がどうしたのか。
 俺に視線を固定したまま驚いた様子で停止している大悟も含め、あたり一帯が一気に挙動不審になってしまった。


「も、もういいわよッ。ほかを当たるからっ」
 大悟に向かってそう喚き散らした女の声に、いまだ頬を預けたままだったことを思い出し、大きな手を慌てて振り払った。
 相手は大悟を狙っている女だ。大悟を譲る気なんてさらさらないけど、目の前でいちゃついて下手に刺激するのもいただけない。ことをややこしくして、もし刃傷沙汰になんかになったら目も当てられないからな。

 凶行に出るのではと俺に疑われたその女は相変わらず真っ赤なままで、ちらっと横目で俺を見るなりキツく口元を引き結んだ。
 大悟に相手にされなかったのがよほど悔しかったんだろう。と、一度は思ったんだけど、なぜだか瞳だけが爛々と輝いていているから、よくわからない。


 ふんっと鼻息も荒く出口へ急ぐ女を見送っていると、大悟が小さくつぶやいた。
「失敗だったか……」
「なんのことだ?」
 と大悟に問いかけていたら、カフェテリアの出入り口から女たちの騒ぐ声が聞こえてきた。

「ねぇねぇ、どうだったぁ?」
「もー眼福……っ、じゃなくて。だめだめ、ここじゃ言えないわ」
「なにがなにがぁ?」
「ひとまず場所を移しましょう。お願い、急いでっ。顔が笑み崩れるっ」

 笑み崩れる? なんでだ?
 切迫したようなその言葉に首を傾げているあいだに、彼女たちの姿は見えなくなった。
 間を置かず、外から「やっぱりそうだったッ!」とか、「応援よ! 秘密裏にねっ!」とか、興奮した叫び声が聞こえて遠のいていく。先ほどの女と声質が似てる気がしたけど、たぶん別人だろう。振られた直後の言葉とは思えないし。


「あー、セーフ、かな?」
 大悟がまた意味不明の言葉をつぶやいた。失敗だの、セーフだの、まったくなんのことだか。ちゃんと俺にもわかるように説明しろよな。
 そう思って、問い質してやるつもりで口を開いたのに、
「大悟が女子と会話するの、初めて見た」
 その口が、まったく別のことを言いだした。しかも、明らかに拗ねてる口調だ。

 そこまで気にしてたのかと自分でも驚くやら。嫉妬丸出しで恥ずかしいやら。とにもかくにも居たたまれない。
 対して大悟は、俺のやきもちなんか毛ほども気にしていない様子だった。ひどくやわらかな表情で微笑んで、これまでしたことのなかった女子との会話の理由を教えてくれた。
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