魔導師ミアの憂鬱

砂月美乃

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90・秘薬精製 3

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 大鍋の半分以下まで煮詰め、さらに濾して固形物をほぼ取り除いた液体は、それでもワイン1本分くらいはあった。筒型のガラスの器に、それをそっと注ぐ。
 そしてそこへ、昨日は入れなかった3種類の材料を入れていく。陛下からいただいた、貴重な黒真珠と、フェンリルの牙、王宮の奥で日々魔導師たちの祈りと魔力を浴びている、樹齢千年を超えるといわれる古木の樹液を固めたもの。それぞれ丁寧に、ごく細かく挽いて粉末にしてある。

 もともとほとんど溶けるものではないけれど、ゆっくりかき混ぜていくと、濃い液体と絡み合うように混ざっていくので、そこで一旦匙を置く。

「これをしばらく置いておくと、だんだん沈んでくるの。そうしたらその上澄みだけを使う」
エリスは触れないように注意しながら、器を覗き込む。
「それまでは休めるの?」
「その間に、この前採ってきた吸血カズラを搾って、汁を取るの」

 吸血カズラは、絡みつくものから養分や体液を吸いとる性質がある。そのため壺に活けたものを、そのまま封の術を施した布で包みこんであった。
「エリス、少しだけ離れててね」
何も置いてない作業台の上に布ごと壺を置き、注意深く布を解いていく。すると、わさっと吸血カズラが広がった。魔物ではないので自ら獲物を求めてさまようことはないけれど、他のものに触れないうちに、手袋をした手で手早く刻んでいく。
 刻むはしから大きな鉢に移して、叩くようにして潰していき、最後に麻布で搾る。作業台いっぱいの吸血カズラの汁は、水差しをやっと満たす程度の量になった。


 ガラスの容器のほうは、もう少しかかりそうだった。私はこの作業中は食事を摂らないことにしているので、エリスが水を汲んで手渡してくれた。すすめられて、少しの間だけ休憩をとることにする。
「今のところ、大丈夫そうで良かった」
エリスがほっとしたように言う。確かに、昨日のような幻覚や恐怖は、今日はまだ感じていない。もっとも、不安なのはこれからの工程なのだけれど……。
 それで思い出し、私はそれをエリスに説明することにした。

「まだ言ってなかったけど、実はこの後が問題なの」
「うん、説明して?」
 掬いとった上澄みに月光草の粉末を加え、少しずつ魔力を込めていく。すると魔力に月光草が反応して、液体が輝きだすのだという。そうしたらそこへ、吸血カズラの汁を加える。原型をとどめていないにも関わらず、吸血カズラは月光草を魔力ごと吸収し、液体はまた輝きを失って濁る。

「これを繰り返すの。月光草が光らなくなるまで」
「魔力のことは想像しかできないけど、聞くだけで大変そうだね。……やっぱり時間がかかるのかな?」
「時間は分からない。それより魔力を込めるっていうのは、すごく集中が必要で。だから……」
その間こそ、また幻覚に呑まれてしまいそうで、それが怖い。
「わかった。―――もしもの時、魔力を込めている途中で、声をかけたり、触れたりするのは?」
「ええと……、できれば、月光草が光り始めたら、完全に光りきるまでは待ってほしいけど……」
あとはエリスに判断を任せるしかない。
 見れば、秘薬はきれいに二層に分かれ、上には薄紫の透き通った部分ができていた。


 下層の澱(おり)を揺らさないよう、そっと上澄みだけを別の器に移す。そして時間をかけてきめ細かく挽いた、淡雪のような月光草の粉末を慎重に量って加える。
 それから両手を器にかざし、少しずつ少しずつ、そっと魔力を送っていく。
 僅かに表面が波だった。あまりに小さな動きで、じっと見つめていなくては分からなかっただろう。
 それを合図とみて、私はさらに細く魔力を送る。
 薄紫の液体に、小さな光がきらめきだした。広間のシャンデリアの反射のような光の粒が、器の中でいくつも踊る。横で見ているエリスが息をのんだ気配がした。
 次第に増えた光で、器全体がぽうっと発光しているような状態になったと同時に、これ以上魔力が入っていかないのが分かった。

 次に吸血カズラの汁を、小さな匙で少しずつ加えていく。滴ったところから、まさに吸いとるように輝きが消えて、元の薄紫の色に戻っていった。3度加えたところで、完全に光が消えた。私は知らずに力が入っていた肩を緩め、ひとつ息を吐く。
「これを、繰り返すのね……」
「どのくらいかかるんだろうね? 今みたいに、途中で息を抜くのも忘れないでね」
「うん……」
頷いて、私は再び月光草の粉末を手に取った。


 3度目に魔力を浴びた月光草が輝ききり、吸血カズラの汁をひと匙加えたときに異変は起きた。汁が広がり、輝きがすうっと引くように消えていく。途端に薄紫の筈の液体が、真っ赤な血の色に変じた。
「えっ!?」
「ミア?」
咄嗟に匙を置き、エリスにしがみつく。
「ミア、大丈夫だよ。ほら、ゆっくり息をして」
昨日の様子を聞いているエリスは、驚きもせずに私の背中を撫でてくれる。そっと振り返ると、秘薬はもとの薄紫に戻っていた。
「大丈夫?」
「……ありがとう、大丈夫みたい」
そう言ってもう一度吸血カズラを手に取ったのだけれど……。


 突然、恐怖におそわれた。
 怖い。ただただ秘薬が怖い。幻覚も何もないのに、恐怖で動けない。
 もう1匙を掬うことすら出来なかった。
「ミア? どうしたの、また何か見えた?」
エリスの声が聞こえるけれど、返事も出来ない。歯の根が合わないほど震えていることに、その時の私は気づいていなかった。
 なぜ、どうしていきなり……? そんな考えも途中で消えてしまう。とにかく、怖い、怖い怖い怖い……!

「ミア!」
エリスが、私と秘薬の間に入り込んだ。そして私の顔を自分の胸に抱いて包み込む。まるで私の視界を塞ぐかのように。そしてそのままじりじりと私を移動させ、扉の近くまで離れる。
 距離を置き、目にも入らなくなったことで、不思議に恐怖も薄らいだ。
 見上げると、エリスの体からも力が抜けた。
「ああ、良かった……ミア……」
エリスの額が、ことん、と私の額に押し当てられ、銀の髪がさらりとかかる。
「エリス……?」
「僕も、怖かった……ミアが、どうにかなっちゃいそうで」
 額が離れると次は唇が押し当てられ、その唇はいつしか私の唇を探し当てる。ぴったりと触れ合わせるだけの長い口づけに、それぞれの恐怖が少しずつ溶かされていくのを感じていた。


 最初のパニックのような恐怖感はいったん落ち着いたものの、秘薬そのものへの恐怖はそのまま消えることはなかった。とりあえず、残りの吸血カズラは入れることができた。ところが、その次の、4度目の魔力を込めることが、どうにも難しい。恐怖で、魔力を細く保つのが難しいのだ。
「どうしよう……、エリス、怖くて集中できない……」
エリスは両手をかざす私の様子をみて、後ろへきて肩に手を当ててくれた。

「これでどうかな? もう一度やってみて」
エリスが触れているおかげで、怖いことは変わりないけれど、さっきよりは確かにやりやすい。でも、
「あっ……」
僅かに水面が揺れる程度のはずが、ぴしゃんと跳ねてしまった。加減しようとすると、今度は鏡のように動かない。やはり恐怖のせいで、繊細なコントロールができないのだ。

 すると、エリスがいったん両手を離した。そして、
「きゃ……!?」
そのまま後ろから、片手を腰に、もう片方を肩に巻き付けるようにして抱きしめた。
「エリス!?」
「大丈夫、このままやってごらん?」
 耳許に唇をつけるようにして囁かれ、くすぐったさに一瞬身を捩る。すると、怖くない訳ではないが、強張っていた身体から力が抜けた。
「そう、その調子。さあ、やってみて」





 今日は、気絶しなかった。
 あの後、どうにか無事に魔力を込めては吸血カズラに吸いとらせることを繰り返した。―――エリスにずっと後ろから、抱きしめられた体勢のままで。しかもエリスは、時折首筋や耳に唇を這わせたり、腰を抱く手をさわさわと動かしたりして……、それが恐怖から気をそらすのに効果てきめんだった。いったい魔導師としてどうなのかと思うと、ちょっと複雑な気持ちだけど……。

 ううん、そんな事を言っては罰があたる。そのおかげで、とうとう魔力を込めても秘薬は光らないところまでいき、無事にまた濾し器にかけることができたのだから。今日はここまでで終わり。残りは明日、無事に終わらせられれば、それで完成になる予定だ。


 昨日も一昨日も、私は気を失ってしまったので知らなかったのだけれど、残りの3人は必要最低限しか外出せず、訓練にも参加せずにサロンに詰めて待っていてくれていたそうだ。今日は初めて自分でサロンに下りていき、報告することができた。
 グリフがスープを運んできてくれた。アンナさんに「特に滋養と消化の良いものを」と頼んでくれていたそうで、特製スープは体に沁みこむようだった。

 明日は最後の工程を残すだけ。もうあんな怖い思いはしたくないし、すでに作業部屋自体が怖いのだけれど、4人にこんなに心配してもらって、助けてもらって。それに王妃様やアンナさんにも応援してもらっているのだ。今日のエリスの言葉で分かった。怖いのは、私だけではないのだ。怯えて苦しむ私を見ているのも苦しいのだ。

 ―――絶対に、完成させなくちゃ。
 微笑みかけてくれる皆を見ながら、私は心に誓った。


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