【完結】藍の日々

しち

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第一章 ごう

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 きっと終わるのはまだずいぶん先だと思うけど、人生でおれが一番口にした言葉は「ごう」になると思う。動詞のGoじゃなくて、唯一無二、固有名詞としてのGo、豪、ごう。
 青田豪、おれの唯一のひと。人生において欠けるなんてことのあり得ない、大前提。いちばん好き――なんて言うと随分軽く、陳腐に響いてちょっと納得いかない。言葉って案外無力で不便だよね――、まあとにかく、自分の存在なんかよりもずっと重要で、大切なひと。
 ごう。
 ひとつ上の、おれの兄。
  
  
 いお。
 初めてごうが俺を呼んだときの記憶があると言うと、大概のひとは「親から聞いた話?」とか言う。後からできた記憶ってあるよね、みたいな。やさしく寛容な、微笑ましさすら感じている、ふうの視線をくれる。ごうと俺が一学年差だということを知っている人はなおさらだ。でもそうじゃない。俺は、ごうが、舌足らずに、まだ頼りないほどちいさな手をのばして、俺の庵という名前をいっしょうけんめい呼ぼうとして、「り」がうまく言えなくて正確にはそれは「いおぃ」みたいな響きになったと思うんだけど、なんどもなんども、まだほんのちいさな子どもならではの辛抱強い反復を繰り返したのち、ぱっとひらめいたように「いお」と呼んだときのことを、はっきりと覚えている。
 俺は春に生まれたばかりの赤ん坊で(一歳十か月早く生まれただけのごうも赤ん坊みたいなもんだったけど)、首も座ってなくて、ごうのきらきら光る目を目だとも認識できずにそこに寝かされていて。
 ただ、聴覚は確実に、そのあまやかでやさしい響きを拾っていた。まだ若かったママの、『おにいちゃんに呼んでもらえてうれしいね、庵』なんて言葉と美しい微笑みは、多分後付けの記憶だと思うんだけど。とにかく俺の最初の記憶――世界とのつながりの感覚――は、まちがいなくごうだった。
  
  

「イオー、帰るよ!」
 ごうが教室に来ると、女子はひそひそ耳うちしながらきらきらした目でごうを見て、いつもおれをからかったりムシしたりする男子はなんとなく気まずそうな顔をする。だれかがどんなわるいことをしただとかほめられることをしただかのくだらないギダイしかない帰りの会がおわり、五時間目が体育だったせいでいつもより重い感じがする体で立ち上がったおれは、ドアのところでおれにピカピカのえがおを向けるごうを見る。
 一つ上の階にある四年のクラスからかけ下りてきたのか、ランドセルをかたっぽのかたにかけて大きく手をふるごうは学校の人気者だ。まだ中学年なのに二年からはじめたミニバスではエースとよばれていて、体のでかい六年相手にもぜんぜんビビらずにむかっていく。うちの学校のミニバスはそこそこ強いらしく、ごうが入ったおかげで高学年になってもベンチから出られないやつもいるのに六年からも好かれていて、ごうが学校で一人でいるのをおれはほとんど見たことがない。しょっちゅう一人でいて毎年通知表にキョーチョーセイにモンダイがあります、と書かれるおれとちがって。そんなことを考えながら立ち上がってごうのいる入り口にむかっていると、「青田くんだ」「やっぱかっこいいね」みたいな女子のわざとらしい声がきこえた。多分おれに「〇〇さんがかっこいいって」ってつないでもらいたいんだろうってのはもちろんムシして、ごうだけにしょうじゅんを合わせる。
「今日練習の日じゃないの?」
「なんか、ママが今日はパパが早いから帰ってきてって」
 ごうがびろんとのびたおれのぼうしのヒモを耳にかけながら、ちょっとだけはずんだ声で言う。バスケを休まないといけないフマンとふだんは仕事でおそいパパが早く帰ってくるよろこびを天びんにかけたら、たぶんまだパパが勝つんだろう。
 クラブに入っていないおれには放課後用事はないけど、パパに会えるのはうれしい。
 でも、週に四回か五回もバスケの練習に行くごうとこうして帰れるのはもっと――。
「帰ろ! イオ!」
 ごうが当たり前みたいにおれの手をとるので、本当ならそのことについてからかいたいクラスのやつらががまんするみたいにぐっとくちびるをかむのが見えた。ごうは先生や上級生からも好かれていて、ごうというよりごうのことを好きなやつらをてきに回すとおっかない。あと多分アイツらの中にもごうとなかよくなりたいという気持ちがあるんだろう。
 おとなしくて、話しかけても反応うすくてつまんなくて、なよなよしててもやしみたいにやけに白い、女みたいな見た目の弟――もちろんおれのことで、ぜんぶ言われたことのあるセリフだ。もうちょっとバカみたいな言葉えらびだっただけど――の兄だなんて信じれないくらい、ごうはシュクフクされた子ども(図書館の本で読んで、あ、これごうのことじゃんと思った言葉。漢字はわすれちゃったけど)だった。みんなに好かれて、弟のワガママにおこったこともほとんどない。おもちゃもゲームもマンガも、だいたいのものを「いいよ」ってかしてくれる。それか「うん、いっしょにやろうイオ」って。
 キョーダイげんかをしないと言うと、大体大人たちは「本当に?」と目を丸くする。「トシゴなのに?」「男の子どうしで?」って。そのたびにママはなぜかちょっとだけ決まりわるそうに、それかシアワセそうに、(それはきっと、その人とのなかのよさによってかわるんだと思う)「ええ」とか「そうなのよ」とかほほえむ。「恵まれてるのねぇ」なんてイヤミったらしく言うひともいるけど、しかたがない。ごうは「シュクフクされた子ども」だから。ウソじゃなくてほんとうに、ごうのまわりの人は〝恵まれてる〟んだ。
  
「今日ばんごはん何だと思う?」
 ミニバスを始めるときにパパにプレゼントされて、いつも持ち歩いている、ごうの好きな赤と俺の好きな青と、二人とも別になんともない白のラインが入ったバスケットボールをドリブルしながら、ごうがはずんだ声で言う。
「……パパの好きなやつじゃない?」
 おれはごうの二、三歩後ろを歩きながら、答える。校門を出て、学校のヤツらの声が聞こえないか、ムカンケイに通りすぎるだけのものになって、ごうと話すとき、ようやくおれはふかく息ができる気がする。
「ステーキ!」
「キッシュ」
「ゆ、……ーりんちー」
「チーズハンバーグ」
「グ……らたん、あっ」
「ふふ、ごうのまけ」
「や、しりとりしてないから!」
「ちゃんとぜんぶパパのこうぶつだったね」
 ごうはしりとりといっしょにドリブルにも失ぱいして、ころがっていくボールを追いかける。そのせなかがずんずん遠くなっていくのがさみしくて、「ごうっ」おれは学校では出さない大きな声を出す。するとごうは「ん?」とボールを追うのをやめて、「あ、危ないね。あそこよく車出てくるトコだ。イオありがと」ともどってきておれの手をとる。持ち歩くのはいいけど、ドリブルしながら帰るのはやめなさい、ごうは集中したら一つのものしか見えなくなるんだから。ママの言葉を思い出したみたいだ。ちょうどボールは電柱の横に立っている相ぼうみたいな黄色いやつ(アレってなんなんだろうね、っておれとごうはよく話している)に当たって止まり、おれたちが歩いている道と交さしている向こうの道から赤い車がぬ、と出てきた。ごうがあのままびゅんと走ってたら、と思うとゾクッとするおれをよそに、ごうはこうふんぎみに言う。
「すごいね、イオって。先のことが読めるみたい」
 その〝先〟で車にひかれたかもしれない、なんておびえることなく、おれの手がらをよろこんでいる。ちいさな手のふるえも、ごうにブンブンふり回されているうちにすっかりおさまった。
  
     ◆       
 ごうがおれを初めて呼んだときのことは覚えているのに、自分がごうを呼んだ日のことは覚えていない。ただ、「おにいちゃん、って何度教えようとしても豪が『イオ、ごうだよ、わかる? ご、お』って教えるから困ったわ」ってママが笑ってたから、仕込んだのはごうらしい。子どもの頃のごうは、おれが弟らしからぬ呼び捨てで自分を呼ぶと、いつもうれしそうに返事をしてくれた。「おれ、イオにごうってよばれるのすき」。内気で兄にべったりな弟が、名前を呼びながら活発な兄にチョロチョロついていくのがおかしかったのか、周りの大人も折に触れておれがごうを呼ぶことで笑顔になっていた。
 たとえ――今思えば頻度は極めて少なかった――夫婦喧嘩でもしたのか家の空気が多少ピリッとしていても、おれが「……ごうは?」と呼ぶと両親の表情も和らいだ。「コートに行ったわよ」。おれは、「ごう」を魔法の言葉のように思っていた。
     

「え、あめりか」
 ごうの声に、パパは眉を下げてちょっとすまなそうに、ママはいっそうやさしげにほほえむ。
「いつから?」
「向こうは九月が新学期の始まりだから、一学期が終わったらできればすぐに、がいいと思う」
「そんなすぐに? もうすぐリーグ戦もあるのに?」
 ばんごはんは、ごうの好きな焼肉だった。テーブルの上にのったホットプレートから、パパが「ほら、これ好きだろ」と明るい声でおれとごうに一本ずつウインナーをくれた。
 ウインナーはうれしいけど、おさらに入れられたピーマンをどうにかごうのに入れられないかとチャンスをうかがっていたおれは、ごうの目にみるみるなみだがたまっていくのを見てギョッとする。かんじょーひょーげんがゆたか(とオトナたちはよく言う)、なごうがなくのは別にめずらしくはないけど、こんな、こみあげてくる何かをぐっとがまんするみたいな、おこったようなしんけんな顔でなみだをうかべるごうは見たことがなかった。アメリカならバスケももっとホンカクテキにできるし、ごうならきっとどこでだって人気者になれる。
 それはまちがいない。ごうがそこまで今のチームや大会にこだわる理由なんてないようにおれには思えた。し、おれはべつにごうがいるならどこに住んだっていいけど、ごうはちがうんだな、と思ったら口の中のお肉をかんでもかんでも、えいえんにのみこめないような感じがした。
「おれ……、行きたくない」
「豪」
 聞いたことないごうの声と、こまったようなパパの声。パパ似だってよく言われるごうが、大きな目でちょっとだけパパをにらむように見つめる。
「だって、……チームのみんなもなかよくて、いっしょに優勝しよう、って。去年は負けちゃったけど、今年はぜったい勝とう、って」
「豪の気持ちも分かる。突然でびっくりしたよな?豪が今のチームで頑張ってきたことも知ってるし、パパも豪の試合見に行けるの楽しみにしてた。でもどうしても、向こうのお仕事の人がパパに来て欲しいって、言ってくれるんだ。庵も……ごめんな。でもパパは、豪と庵とママがいればもっと頑張れるし、できればついてきてほしい。ワガママなパパでごめん」
「ママも、家族はいっしょがいいと思う。それにバスケットってアメリカで生まれたのよ?そういうところでプレイするの、ちょっとワクワクしない?」
 おれはほんのちょっとだけ、やさしげな二人の声をずるいなと思う。だらんとたれた、となりのごうの左手をおはしをおいてそっとにぎる。とくんとくんと、指からごうの心ぞうの音を感じる。その音にならない音に合わせるように、「思う……けど」ほろりとごうのなみだが落ちた。つないだところから、ごうのかなしみが流れこむみたいで、おれはにぎる手に力をこめる。
 それきりだまってしまったごうは、さいごまでおさらの上のウインナーを食べなかった。おれはごうにピーマンを食べてもらうことができなくて、鼻をつまんで水といっしょに流しこんだ。
 パパの仕事、ママの気持ち、ごうのなみだ。おれが大人だったら、ごうといっしょに日本にいられるのに。と思う。でもおれが大人ならごうだって大人で、そしたらごうは一人でもいられるんだ。きっと大人になったごうにも、いっしょにたたかいたいなかまがたくさんいるから。それをイヤだなと思う自分が、パパとママのやさしい声よりもっとイヤだった。
  
 今日は朝から雨で、おれはごうとならんでかさをさして学校に行った。あれから一週間がたった。ごうは何かを考えてるみたいにだまることがときどきあって、道ばたでけっこう大きいアマガエルがはねたのにも今日は反応しなかった。いつもなら、「うわカエルだっ」ってうれしそうにしゃがみこんで、「雨うれしいねぇ」「ひとり? 家どのへん?」「あじさいの上のってみる?」とかぜったい話しかけるのに。
「じいちゃんに……たのんでみる?」
 きのうごうがおふろに入る前にわりと長い時間、四国のじいちゃんと電話で話してたのを知っているおれは、ごうと色ちがいの青いかさの下、その顔をのぞきこんで言う。じいちゃんはパパのパパで、高知ってとこでお米や野菜を作っている。おれもだけど、ごうはパパみたいに元気にいっぱいしゃべる感じじゃないけど、山や草花や動物のことをたくさん知ってるじいちゃんのことが好きだ。何の話か言わなかったけど、ごうはおれの言いたいことがわかったのか地めんのあたりを見ながら、だまって首をふる。
「じいちゃん、高知のおうち好きだし。高知にはばあちゃんのおはかもあるし。どっちにしろ引っこしはしないと」
「そうか」
「それに、パパとママもかわいそうだしね」
 ごめんね、イオ。心配かけて。そう言いながら、ごうが長ぐつでパチャンと水たまりをける。今いちばんつらいのはぜったいごうなのに。じいちゃんとパパとママとおれの気持ちまで考えているごうを、すごいなと思うし、そんなにすごくなくていいのに、とも思う。 
 もっとごうがもっとワガママで、どうしようもないやつだとしても、おれはごうの味方なのに。ぐるぐる考えていると、すう、とごうがいきをすう音がした。ごうがじいちゃんと何を話したのかしらないけど、目をつむって、そのときのことを思い出してるのかな。
 ごうのまっすぐな長いまつ毛は、だいじょうぶ、だいじょうぶと言い聞かせるようにごうの目の下にやさしいかげを作る。
「イオ、スマイル」
 さっきまでとなりにいたのに、いつのまにかおれの前に立っていたごうがそう言って、かさを持っていないほうの手でおれのほっぺをやさしくつまむ。ぜんぜんいたくないやりかたで。前にクラスのイヤなやつにつねられたことがあるけど、ごうのさわりかたとあまりにちがって、おれはいたさよりもそっちのほうにびっくりしてしまった。ごうのさわりかた。公園とかにさいてる、クローバーの上の白いほわほわの花でもつむような、ふんわりしたやりかた。そんなふうにおれにさわるのは、きっとママにだってむずかしい。
「できる?イオ。スマイル」
 わらうといいんだよ、とごうはよく言う。つらいとき、イヤな気分のとき。どよーんとしたときにとにかく一回思いっきりわらってみると、どよーんはずいぶん軽くなる、って。でもおれにはできない。いつだって、どよーんに負けてしまう。とくにごうにかんすることで、どよーんを自分の力でどうにかするのはむずかしい。ごうが見かねたように、「じゃあよんでみて、ハイこれはだれ?」と自分を指さす。目をまるくしてまんなかによせた、ちょっとおどけたサルみたいな顔で。「……ごう」それはまほうみたいに、ごうをえがおにする。それでごうのえがおは、たいがいの場合、ほとんどかならずおれにうつる。
「なにわらってんの」
「イオだって。さっきまでこーんな顔してたくせに」
「そんなへんな顔してない」
「ひどっ」
「青田くん!」
 二人でえがおを引っこめてパッと声のするほうを見ると、ごうが四年になってからよく話しかけてくるごうのクラスの女子が、かさをさして校門で手をふっていた。ママがやるふわっとしたやつとはちがう、まっすぐなかみを高いところでしばった、きっちりした感じのポニーテール。それを見ていると、なんとなくごうといっしょにわらってた時間をよく切れるはさみでスパッと切られたような気分になった。
「おれ先行くね」
 ごうに言って長ぐつの先で水たまりを少しだけはじく。「うん、じゃあねイオ!」横を通るとき、「……ブラコン」おれにだけ聞こえる声で、ポニーテールが言った。聞いたことのない言葉だったけど、バカにされたことはなんとなくわかった。かってに耳があつくなるのがヤで、ちょっとだけそいつをにらんでかさをたたんで走ると、ごうが「イオ、かさちゃんとさしな!」と言うのがせなかで聞こえた。
 ごうがアメリカに行くと知ったら、あのポニーテールもかなしむだろうな。手紙書くね、なんて言ってめそめそなくんだろうか。ないててもあのまっすぐなポニーテールはピシッとしてそうだな。そういうところを想ぞうして、ちょっとだけすっきりしてる自分がバカみたいだと思う。でもやめられなかった。おれは、ごうの弟だから。ごうはおれのお兄ちゃんだから。おれはずっと、どこにいたってごうといっしょ。日本をはなれるのもちっともイヤじゃない。ごうがいるなら、そこがどこだっていいんだ。
  
 それから、週に三回にカテイキョーシの人が家にきて、おれたちはえい会話を教わることになった。学校で教わるのとはちがう、アメリカでくらすためのえい語。でもごうはアメリカに行くギリギリまでミニバスの練習に出たいと言って、パパもママもそれはいいよ、と言ったからおれが一人でレッスンを受けることも多かった。えい語はふしぎな音のひびきで、なんだか耳にやわらかくひびいた。学校では当てられないとほとんど口にしたことないコトバを、ふだんぎの、あんまり先生っぽくない金ぱつの先生の前で話す。カナダって国からのリューガクセーだという先生はおれの発音がとてもキレイだとほめてくれた。先生に教えられて家でする勉強はあんまり勉強っぽくなくて、きょーちょーせいもなくていいし、スラスラ頭に入ってくる。何より、練習がおわって帰ってきたごうにその日教えてもらったことを教えるのがたのしい。
「『このバスに乗るには何番のりばに行けばいいですか?』」
「わ、すごいイオ外国のひとみたい」
「ごう、あっち行ったらおれたちが外国のひとになるんだよ」
「あ、そか。かしこいねイオ」
 二だんベッドの上のほうで、ごうと二人ならんでねっころがって話す。おふろにはいったあとのごうのかたはあったかくて、サラサラのかみからはおれと同じシャンプーのにおいがする。だけど休み時間に太陽の光をいっぱいあびてるせいか、ごうの体のにおいはおれのとちょっとちがう。そのちがいはイヤな感じじゃない、どっちかというとうれしいちがいだ。
「くすぐったいよイオ」かたに鼻をつけたおれにごうがわらう。ごうがわらうと鼻の先がしんどうして、それが少しくすぐったい。ほめてもらえたてれかくしだと思ったのか、ごうはやさしい目をしておれの頭をなでた。ごうが毎回目をまるくしてびっくりするのがうれしくて、おれはたくさんえい語をおぼえた。
「ぜったい勝とうね、って何て言うの?」
「……先生に聞いとく」
「ん、おねがいね」
 ごうがおれの頭をもう一度なでてごろんところがる。
「なんか楽しみになってきたね~」
 大きなあくびをしながらも、その手はボールをシュートするときみたいに、天じょうにむかってのびる。おれはごうにならぶようにあおむけになってごうに聞く。
「……ホントに?」
「ん?」
「いいの?アメリカ行っちゃって」
 さいきんのごうは、道ばたのカエルに話しかけるいつものごうにちゃんともどってる。チームのみんなにも話して、ごうが出るさいごの試合はぜったい勝とうってみんなはりきってるらしい。
「ん。イオがいるしね。みんな上手だし、モンダイない。だいじょうぶでしょ」
 何もつかんでないはずの手が、シュッとボールをなげるように動く。ごうの打ったシュートが、リングのどこにも当たらずにスパッとここちよくネットを通りすぎていくのを、何回も見たそのしゅんかんを、おれは思いうかべる。ごうも同じだったのか、何かをたしかめるようにぐ、と手をにぎって「イオ」とおれの方を見る。
「イオもあっち行ったらやる? バスケ」
「やんない」
「えー楽しいのに」
「ごうの見てるだけでいい」
「見てるだけで、楽しい?」
 わかってないなぁ、とおれは思う。さっきまでゴールの下にいたと思ったら、びゅん、っていつの間にか前を走ってるせなか。「ヘイ!」ボールをよぶ、たのもしい目。ごうがボールを持つと、みんながきたいして、てきのチームは「ああ……」ってなって、息をのんでごうを見つめるのがわかる。そのときの、どうだおれのごうはすごいんだぞ、って言いたくなる気持ち。ごうが投げたボールが、まるで手品みたいにゴールにすいこまれていく、あのスローモーション。
「楽しいよ、ごう見てるの」
「……ふぅん。ポケモンより?」
「それはどうかなぁ」
「なにぃ、くらえ、ごうのこうげき!!」
「ひゃ、はっ……、やめっ、ばかっ」
 わきをくすぐられて、けらけらわらうおれをごうがいたずらっぽい目でのぞきこむ。「こうさん?」って。「こう、さん……っ、しない!」「じゃあパワーアップだ!」
 そうやって、下の階からママの「もう寝なさい」がとんでくるまで、おれたちはいろんな体せいになって、ぐったりするまでわらった。
  

     ◆
 ごうの日本での最後の試合を、おれたちはもちろん家族で観に行った。まだ二回戦だというのに、決勝かよってくらいの気迫を見せてボールを奪い、追うごうのチームメイトたちに、高学年ばかりの敵チームは明らかに戸惑い、飲まれていた。結局大差で試合が終わったあと、『イオ!』ごうがおれに向けてくれた拳に、少し遅れてそっと拳を合わせる。 
 客席にいるおれとコートにいるごうのそれは触れ合うことはないけれど、おれはやっぱり、どこにだって行ける、と思うのだった。ごうとなら。ごうを、こうして、ずっとそばで見ていられるなら。
 ごうは結局、ほとんど英語を覚えないまま渡米した。編入した公立の小学校には日本人はおれたちしかいなくて。英語を母国語としない子ども向けのESLの授業もあったけど、それなりに準備して行ったはずのおれでも最初は何言ってるんだかさっぱりわからなくて苦労した。ごうはもっとちんぷんかんぷんだったと思う。
 それでも、臆することなく身振り手振りでコミュニケーションをとり、どうしても通じないときはおれを頼った。『助けてイオ~』チャーミングに眉をハの字にして。
 ごうに頼られるのがうれしくて、またどこか窮屈だった日本と違うおおらかな空気に感化されて、おれはどんどん英語を覚えて、言葉数も増えていった。父親の会社のある街は世界の企業の研究機関が連なる都市圏にあって、そこから車で数十分の街に暮らし始めたおれたちの通う学校には多様な国の子どもがいて、日本でからかわれたような言葉をかけられることはほとんどなかった、というのも大きいかもしれない。
『庵は明るくなったよね』両親はうれしそうに目尻を下げた。もちろん、全てが順調だったわけじゃない。おれたちは学年は別だったし、スクールバスを降りてしまえば一人で何とかするしかない。聞き取れない単語も、たまにあるおれたち個人への、というよりはニホンジン、への揶揄みたいなものへの対処も。
 夜、ベッド(アメリカでの一軒家で、おれたちは個別の部屋を与えられた。眠れない夜はしょっちゅうごうの方に侵入してたけど)に入ってから泣いたのか、朝起きてきたごうの目が赤くなっていることだってあった。たぶん、おれも。それでもおれたちは、子どもらしいやわらかい適応能力と、互いがいることへの絶対的な安心感をもって、新しい世界に急速に馴染んでいった。つないだ手は、離さないまま。
  

「イオー? じゅんびできたー? もうバスくるよ~」
「まって、今行く!」
 おれがくつをはくのをまって、ごうがげんかんのドアを開ける。太陽がまぶしい。夜に雨がふっていたせいか、にわの緑が、キラキラと光っている。思わず目をほそくすると、太陽の光の中で「ほら、行くよ」とごうがおれに手をのばした。たぶん目をつむってても、おれはその手を、空ぶりしたりしないで、ちゃんとつかめると思う。
「……Go!!」
 そう言ってごうがおれの手をつないだまま走りだす。げんかんから一歩足をふみだしたら、えい語で話すルールだ。ごうの足が速くて、ころびそうになるスリルに声を出してわらって、おれはひっしについていく。走るのはつかれるしあんまり好きじゃないけど、ごうとなら走れる。多分、どこまででも。
 黄色いスクールバスは、もういつもの場所にとまって、走るおれたちを待っている。

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