釦を外すは夢の中

しち

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釦を外すは夢の中

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 繋がったまま、一枚一枚、剥いでいく。

『く……ぁ……っ、ケイ……っ』

 誰だこんなに着込ませたのは。俺か。と思わず苦笑するほど幾重にも重なった素材。それはどれも別々のもので、当然だけど素材が違えば同じ黒でも見え方は全然違う。

『も、っと……きて……』

 剥いでも剥いでも現れ出ないイオの肌。あの白が見たいのに。なんてどうかしていると思いながら、釦を外す手の動きが止まらない。イオの中は切なげに俺を締めつけ、『け、い……』俺は喘ぐように俺を呼ぶ唇に自分のそれを合わせる。
 
 結局イオを脱がすことはできないまま、その柔らかな感触に促されるように吐精していた。夢の、中の、俺は。




「あ、せった……」

 起きてすぐ、バッと布団を剥いで下半身を確認した。昂ってはいるけれども、濡れてはいなかった。後頭部を掻きながらホッと息を吐く。この年で無精なんて洒落にならない。しかも病院で。ブラインドを上げている窓からは冬の灰色がかった空が見える。昨日は寝ないでデザイン画を描いて朝から昼までWEBで打ち合わせをしていたから、妙な時間に眠ってしまったんだろう。妙な夢も、そのせいということにしておく。

「……何だ生きてんじゃん」
 
 ふいに掛けられた声にベッドに腰掛けたまま飛び上がりそうになって、入り口の方を向く。見舞いの第一声でこんなセリフを口にする奴は一人しかいない。

「イオ」
「しかも骨折で個室って生意気~」
「仕事してーから。大部屋だと迷惑だろ」
「骨折ったくらいじゃ治んないか」

 ワーカーホリック。小さく呟いて、ベッドの傍にある小さなテーブルに「お土産」と紙袋を置く。

「足、どう?」

 さりげなく訊きながら、イオはベットの隅に腰掛けた。座るトコそこかよ。パイプ椅子使えよ、と思いながらギブスを指差して言う。

「折れてる」
「知ってるよ」
「手は無事だからデザイン画も書けるし、頭も目も打ってねーから打ち合わせもできるし、良し悪しも判断できる。問題ない」

 白に近いシルバー、ふわふわ、と表現するのが一番近いと感じる頭に安心しろ、というように手を置くと入ってきたときはどこか緊張感を孕んでいた瞳が緩むように揺れた。

「しんぱい、してないし……」

 尖った唇から洩れる決まり悪そうな声に子どもかよ、と苦笑しつつ、「朝イチで撮影だったんだろ」と言うと「なんでおれのスケジュール知ってんの。事務所のひと?」減らず口は忘れず、ベッドを見下ろして「海撮りだったからさぁ……三時起き。真っ暗で……ねむかったぁ」と肩に凭れかかるようにずるずる身を預けてくる。

「おい、俺怪我人」
「ベッド見たら気が緩んだ」
「せめて俺見て緩めよ」
「ちょっとねていい……?ちょっとだけ……」
 
 そう言って靴を脱ぎもそもそと布団に入ってきて、ものの数分もしないうちに寝息を立てる。

「マジかよ……」

 小さな顔を覆うつるりと白い肌に少し紅潮した頬。あどけない、と言っていい寝顔に、小さく溜息を吐く。俺がこのベッドでさっきまでどんな夢を見てたかなんて知らないで、外撮りを終えたモデルはすやすやと寝息を立てている。どこでも寝られる、休むべきときに休める、ってのはハードな業界を生きる上でアドバンテージになるのは間違いないとして、よこしまな感情を抱えている身としてはこの警戒心のなさはどうか、と思わざるを得ない。もちろん、気を許していない相手にこうなるタイプでは断じてないが。はらりと落ちた前髪に伸ばしかけた手が、空を掴む。

 手放しの信頼。そういうものを向けられて喜ぶのは、枯れたジジイだけじゃないか――。いや、コイツなら枯れたもんにも水を注ぎそうだ。危ない。

「煙草吸いてぇ……」

 撮影があるからかシンプルなコーディネイト――白いタートルネックにロングコート。別に気遣ったワケじゃないだろうがコートはうちのだ。ていうか寝るならコートぐらい脱げよ――のイオを見下ろす。一瞬、これなら簡単に脱がせられるな、と思ってしまって小さく舌を打った。


 松葉杖を突いて喫煙所まで行き煙草を吸って、ベッドに腰掛けてイオの寝顔を見ながら仕事に関係のない絵を描いた。描き始めるうちにノってきて夢中で鉛筆を滑らせるうち、窓の外はすっかり黒に塗り潰され、廊下で夕飯が配膳される音がし始める。イオはパッと目を開けて、「ごぉ」と呟いた。起き抜けからそれかよ。

「試合」
「あ?」
「テレビつけていい?」
「いいけど……あ、世界戦か」
 
 日本代表のエースであるお兄ちゃんの試合。確か今日が日本での緒戦のはずだ。観に行かなかったんだな、と思う。まあ外撮りはケツが見えないとこがあるから仕方ないか、と考えてると、俺の思考を読んだのか、「ココ来れんの今日しかなかったから」と視線をテレビにやったまま、何でもないように言う。

「お前さぁ……」
「うわ、始まってる。あ、そろそろごはん?いいよ食べてて」

 おれにベッドを譲り、また端に腰掛けてテレビを見る。ベッドの占有権を取り戻した俺は、片肘をついてテレビを見るイオの横顔と画面を交互に見た。夕飯を運んできた看護士が、イオの姿に少し驚いたような顔をする。そりゃそうだ、等身からして一般人とは違うし、個室とはいえ特に特徴があるワケでもない、無機質な病室にいていいルックスじゃない。イオは「お邪魔してます」と小さく頭を下げて、また画面に顔を目を向けた。「ごゆっくり」謎の言葉を残して、看護士が立ち去る。今夜のナースステーションは湧くだろうな、と思いながら、またイオを見る。

 病室でスポーツ観戦なんて一番向いてないだろ、と思うが、イオは「いけ」「やった」微かに唇を動かすだけで、静かに、真剣な表情で画面を見守っている。太腿に置かれた白い握りこぶしががやけに健気に見えて、きっと子どもの頃からこんなふうに見守ってきたんだろうな、と思うと同時に喉の、というか咥内の渇きを覚える。昼間見た夢、の指の腹に触れた布の感触が、やけに鮮明に思い出せた。思わずイオの首元のそれを摘まむ。ふわりと軽い、化繊ではないニットの感触。「……なに?」“な”、と“に”、の間に小さい“あ”の入った、柔らかな声。

 そのまま後ろから抱き締めると、細い肩が跳ねた。

「なに」

 声に、今度は少し硬さが入る。それでもまだ、欲を抱えた男と密室に二人きりで抱き付かれているにしては呑気な声だ。

「いいよ見てて」

 さっきのイオの声色を真似して、抱き締めたまま手を前に回して仮想の釦を外す仕草をする。細い肩に鼻を寄せると、当然にイオの匂いがする。香水と、冬の朝の空気に似た清潔な体臭。イオは微かに身体を強張らせながらも、視線を外すことはしない。取材じゃ「人に触られるのニガテなんで」なんてモデルらしからぬことをのたまっておいて、気を許したらとことんパーソナルスペースの狭まる男だ。まだ許容されている、入院生活に退屈した友人が人肌恋しさにじゃれてきている、くらいに思っているんだろう。しっとりとした頬を撫でる。「くすぐったい」短く、でも笑い声に近い空気を含んだ声で言って、「やった」と小さく喜びの声を上げる。もちろん触れられたことにじゃなくて、画面の向こうのお兄ちゃんの得点にだ。
 狭い画面に、スリーポイントを決めた青田豪の精悍としか言いようのない顔が大写しになる。簡易テーブルの上、お世辞にも美味そうとは言い難い病院食がますます熱を失っていく。茶だけを飲んで、イオの頬に触れた手に軽く力を入れて振り向かせる。案外簡単に振り向いてくれたのは、CMに入ったからだ。メイクを落とした、自然な薄桃色の、とはいってもやっぱり生身の人間の身体としては若干不自然なほど汚れのない唇が「ケイ」と象る。やっとこっちを見た。仮想の釦が、指先で外れる。

「――っ!?」

 騒々しいSEのあと快活そうなアナウンサーの声が聴こえて、試合放送が再開したことを知る。イオの身体が我に返ったように身じろぐが、骨を折って、座った状態で、腕力だけでもその抵抗を抑えることができた。非難の言葉を吐くために開けられた口に舌を挿入して、固まるそれを絡め取る。後ろ手に殴ろうとでもしたのか、イオがやみくもに振り回した拳――さっき太腿の上で硬く握られていたそれ――を掌で覆い、ぎゅ、と握る。

 お兄ちゃんの得点数と成功率を称えるアナウンサーの誇らしげな声と、「ふ……っ、う、ぁ……」息継ぎにしては甘すぎる声が混じって、倒錯感に酔いしれる。最初は驚きに固まっていたが、今や我に返ったように逃げ惑っている小さな魚にも似た薄い舌は、やみくもに動き回るせいでかえって俺の舌に刺激をもたらして、下半身に熱を集める。
 強く抱き寄せたイオの背中に、欲望を明示するそれが当たっているのを感じながら、唾液を吸って、送り込み、また吸う。しつこく何度もそれを繰り返すうち、暴れていた身体から、舌から、力が抜けていく。コート越しに欲望を押し付けるたびに、弛緩した身体が微かに震えて舌なめずりをする。

 最後にじゅ、と焼き印をつけるように舌の根本から強めに吸うと、ほとんど瞼に覆われていた瞳から甘そうな雫が零れた。当然のようにそれも舐め取り、力の抜けた身体をベッドに縫い付け――。


「なに。もう、近いって」
「いって……っ!お前何でわざわざこっちの足叩く?!」

 よこしまな妄想は、冷めた声と現実的な痛みで突然に終わりを告げた。イオは俺の腕を振りほどき、「やっぱ帰って見るわ、ココじゃ集中できない」と当たり前のことを言ってひらりとベッドから降りる。
 それを惜しく思う自分と、ホッとしている自分を感じながら「そうしてくれ。タクシー乗れよ。なるべく枯れたオッサンのやつ。水は注がないように」といらぬ世話を焼いてしまう。
 半勃ちの自身を隠すように乱れた布団をかけ、箸を持つ。まずい飯でも食って気を紛らわせて、また仕事に戻らなければ。機械的に手を合わせて箸を伸ばせば、入り口のところに立っているイオの視線を感じる。

「なに、早く帰れよ」
「野菜も食べなよ」
「お前に言われたくないよ」

 確かに、と軽く笑ったあと、イオは真剣な顔で俺を見て、ほんの少し何かを考えるような間をおいたあと、やがて諦めたように小さな声で言った。

「はやく元気になってね。現場……、いないとつまんないから」


 まいった。
 思わず声が洩れる。でももうそれを受け止める相手はいない。驚くような無駄のなさで扉の向こうに消えたイオは、廊下を歩いて去って行った。看護師や他の入院患者の注目を集めながら、多分、セーターに隠れた首も耳も赤くして――。

 さっきの言葉で完勃ちになったモノを「どうするよこれ……」と布団越しに睨む。再び興奮したような実況と歓声が聴こえてつけっぱなしの画面に目をやると、競りどころでまた点を決めたらしいお兄ちゃんが強い、挑発するような視線でこっちを見ていた。


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