Please Say That

国沢柊青

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 結局、一時間半経ってショーンがマックスを起こそうとしても、マックスは起きる気配を見せなかった。
 ERという苛酷な職務を果たしてから、午後の間中ずっとショーンに付き合っていたのだから、当然と言えば当然だ。
 ショーンはと言えば、勝手に家の中を見て回る訳にも行かず、かといって眠ったままのマックスをおいてこのまま帰ることもできず、ソファーの上で固まったままでいた。
 そうこうしているうちに玄関のドアノブに鍵が差し込まれる音がする。
 家人が帰宅したようだ。
 ショーンの心臓は跳ね上がる。
 ── この状況じゃ、怪しまれるに決まっている。ど、どうしよう・・・。
 ショーンが冷や汗をかいていると、人が入ってくる気配が背後でして、ショーンは振り返った。
「おや?」
 深いチャコールグレイのスーツに身を固めた、『彼』だった。
 写真とは違って、髪もきちっとセットした彼は、本当にジェントルマンと言った風情で、マックスが言っていたことが分かった。
 重厚で、気品に溢れていて、神秘的。深い蒼を湛えた瞳が本当に美しくて・・・。
 ようは、大変魅力的な人物という訳だ。
 ショーンが生の『彼』の迫力に呆気に取られていると、彼はソファーの背後から完全に潰れているマックスを覗き込み、ショーンを見比べ、そしてローテーブルに置いてある黒いアルバムを目に留めた。
「大切なお客様だというのに、マックスは寝ちゃったのかい?」
 そう言って彼は、ショーンに柔らかい笑顔を向けた。
「あああ、あの、初めまして。俺は、別に怪しい者じゃありません」
 ショーンはそう言うのが精一杯だった。
 『彼』はそれを聞いて、右手を口に当てた。思わず吹き出した口元を隠したようだ。
「君がそんな人じゃないのはすぐに分かるよ。だって、その特別なアルバムがそこに出てるんだからね。その写真の存在を知ってる人間は本当に少ないんだよ。マックスがそれを見せたとなれば、君は相当彼と仲良しってことだな」
 理路整然とそう言われる。
 そして大きな手を差し出された。
「初めまして。私はジム・ウォレス。君は・・・ショーン・クーパー君かな? もしかして」
 ショーンはウォレスの手を握りながら、驚いた表情で彼を見た。
 羽柴の時もそう思ったが、自分が『あの』ショーン・クーパーだと分かって、普通に挨拶ができる人間は、非常に少ない。
 大抵の人間は舞い上がり、時には悲鳴を上げ、酷い人間になると媚びたような視線を送り、まともな挨拶なんかできやしない。
 ショーンやバルーンのファンでない人間でも、実際に会うとなると皆年齢に関係なくそうなるのだから、羽柴やマックス、そして目の前のウォレスは特異な存在と言える。
 ウォレスは非常に落ち着いた視線でショーンとマックスを再び交互に見比べると、ボソリと呟く。
「仕事で忙しい筈なのに、どこで君みたいな人と知り合うのかな・・・」
 少し濁りのある声でそういうウォレスを、ショーンは怪訝そうに見た。
 ── 今のって、ひょっとして嫉妬とかっていう・・・???
 その考えが、ウォレスに伝わったらしい。
 彼はニヒルな笑みを浮かべると、「彼は意識してないが、私のライバルは結構多いんだ。だからいつも不安でね。こっちはこんなおじさんだから」とウインクをする。
「ちょっとすまないね。彼をベッドに運ぶから」
 ウォレスはそう言うと、マックスの身体を横抱きにして、リビングを出て行った。すぐに階段を上がる足音がする。
「・・・凄い、あの人・・・」
 思わずショーンは呟いた。
 体格のいいマックスをあの年齢で軽々と抱き上げ、二階にまで運ぶだなんて。
 ウォレスは直に戻ってきた。
 スーツの上着を脱いで、ネクタイを少し緩めている。
「それで、ミスター・クーパー。ひょっとしてマックスは、君を家まで送る約束をしてたのかな?」
「ええ・・・。でも、自分で帰れますから。ただなんか、寝てる先生を放り出して帰るのが申し訳ない気がしただけで。これで俺は失礼します」
 ショーンが立ち上がると、ウォレスに肩を掴まれた。
「もう日も落ちてしまったし、ひとりで帰るのは大変だよ? それを承知でマックスも君をここへ誘ったのだろう。寝言で、『家はどこ?』なんて言ってるぐらいにね」
「え? 先生、そんなこと言ってたんですか?」
 ショーンがクスクス笑うと、ウォレスも同じように笑った。
「さぁ、家には私が送って行こう。マックスは後で臍を曲げるかもしれないが」
 ウォレスはそう行って、玄関先にかけてある革のジャケットを羽織った。
 
 
 ショーンの実家が隣町にあることを聞いて、ウォレスは単純に驚いてみせた。
 彼はビル・タウンゼントの存在も知っていたが、まさかビルの出身地までもその町であることまでは知らなかった。
「すまないね。君のバンドのことはある程度知っているが、正直ロックミュージックは疎くて」
「いえ・・・。別に謝るようなことじゃないです。俺も、ヒステリックに騒がれるよりは、一人の人間として会話をしてもらえる方が嬉しいし」
 ウォレスは車を走らせながら、ちらりとショーンを見た。
「やっぱり大変なのかい? そういう・・・有名税っていうのかな」
「ええ・・・まぁ・・・。大抵は、普通の人間として見てもらえませんね」
 ショーンはそう言って苦笑いをする。
「そういう扱いが気持ちいいって思う人もいるけど、俺の場合はそういうの最初だけで・・・。今は自分の言うことなんてあんまり聞いてもらえないし、いつもトンチンカンなことばかり訊かれたり言われたりするから、凄く疲れる」
「ふーん・・・。以前はマックスも、少し苦労してたな。君も、マックスも、魅力的な容姿をしている人間は大変だね」
 ウォレスの台詞を聞いて、ショーンはギョッとしてウォレスを見つめる。
「え・・・。あなたも十分そういうことがあってもいい人だって思いますけど」
 またウォレスが、ちらりとショーンを見た。
「私の場合は、そういうことはないな。熱狂されることもないし、大抵私の話はすんなり受け入れられるよ」
 ── それは何て言うか・・・存在感の違いだよなぁ、きっと。
 ショーンは腹の中で思った。
 ウォレスも人の目を惹き付けてやまない容姿をしているが、彼の場合は容姿よりもその重厚な存在感で相手を圧倒してしまうのだろう。彼の落ち着いた雰囲気が、まず相手を飲み込んでしまう。熱狂なんてさせる暇なしに。
 これぞ本物の大人の男の人って感じだ。
 ショーンから見ればマックスも羽柴も十分大人の男の人だが、ウォレスを前にすると彼らがまだまだ若く思える。
「でも、少なくともマックス先生は、あなたに対して熱狂的過ぎるほど参っちゃってるみたいですよ」
 ショーンがそう言うと、珍しく彼は、少年じみた笑顔を浮かべた。
「そう? そうだとすると、嬉しいな。私の場合は、彼一人が私に対して熱狂的であれば、それで問題はないよ」
 なんだかすっかり当てられてしまって、ショーンの方が顔を赤らめてしまった。
「本当に愛してるんですね・・・」
 ショーンがそう訊くと、ウォレスは「ああ」と返事をした。
「マックスは、私に掛け替えのないものを与えてくれたから。今、こうして穏やかに暮らしていけるのも彼のお陰だと思ってる」
「昔・・・大切な人を喪ったのに?」
 ショーンがそう訊くと、ウォレスは少し驚いた顔をした。
 ショーンは慌てて謝る。
「ごめんなさい。凄くパーソナルなこと言っちゃって。マックスが、好意で話してくれたんです。俺が似たような状況で今悩んでるから・・・」
「そんなに謝らなくてもいい。確かに、マックスがそこまで君に話しているとは、正直驚いたけどね。余程君は、彼に受け入れられたんだね。マックスは、私と違って交友関係が多いけど、大抵は広く浅くなんだ。マックスの深いところまで入り込める人間は少ないんだよ。きっと彼は、昔私と付き合う前の苦労した自分を君の中に見たんだろうね」
「似てますか? その頃の先生と、俺」
「うん。似てるね。姿形は違うけれどね。何か、モヤモヤとしてグルグル回ってそうな感じとか」
 ── グルグル?!
 ショーンが目を大きく見開く。
 丁度信号待ちで車を停めたウォレスは、そんなショーンの表情をマジマジと見て、益々微笑みを浮かべた。
「そう。そういう風に、表情をころころ変えるところとかね。きっと君の想い人もそういう君を見て、一喜一憂してるんだろうな」
 ショーンはテレくさくなって、鼻の下を擦る。
 そしておずおずと訊いた。
「あの・・・ミスター・ウォレス。思い切ったこと訊いていいですか?」
 ウォレスは再び車をスタートさせながら、「ん? なんだい?」と返してくる。
「あの・・・昔亡くした大切な人と、マックス先生の存在って、どんな関係なんですか? ウォレスさんの中では」
「確かにそれは、思い切った質問だね」
「ごめんなさい」
「いや、そうじゃなくて。自分も最近では、そういうことを考えなくなるぐらいマックスが傍にいることが自然になっていたんでね・・・。でも付き合い始めた頃はよくそれについて考えたよ。でも結論から言えば、全然別物なんだ。リーナ・・・昔、私の妻だった人だが、リーナとマックスは全く違う人間だし、私へのアプローチの仕方も勿論違う。リーナを喪った悲しみはいつまでも心の中にあるが、それを事実として受け入れ、穏やかにそれを思い出すことができるようになったのはマックスのお陰なんだ。彼が私の傍で笑っていてくれる限り、私は過去の苦しかったことや悲しかったことと落ち着いて向き合うことができる。それはつまり、今の安定があるからなんだ。安心して、普通に、健やかに毎日が送れているという証拠なんだよ。それはとても重要なことだ」
 車はいつしかハイウェイに差し掛かっていた。
 いつか羽柴と帰った道だ。
「・・・俺もコウとそういう風に暮らしてみたいな・・・。彼が昔の人のことを思って苦しまないようになるまで、寄り添っていたい・・・」
「ん?」
 ウォレスにはショーンの声が小さくて、よく聞き取れなかったようだ。
 ショーンは、声を少し大きくして言った。
「なんだか自分の気持ちに無理矢理蓋をしようとしてた自分が恥ずかしい。今日、マックス先生やあなたに出会えて、話を聞けて本当によかった。これから俺がどうすべきか、自分で考えられる力を貰えたような気がします」
 ウォレスが前を見たまま、微笑んだ。
「それは私達にとっても光栄なことだ。今日の出会いは、君にも私達にも必要だった運命なのだろうね。だからきっと、君と君の想い人の出会いもそうなんだよ。君が感謝してくれたことに、きっとマックスも喜ぶだろう。マックスはどちらかというとクラシックを好んで聴くが、きっと明日からはバルーンのアルバムを瞬く間にコンプリートしていくだろね。はしゃぎ振りが目に浮かぶよ。賭けたっていい」
 ショーンとウォレスは、二人してしばらく声を出して笑いあったのだった。
 
 
 その晩帰ってきた息子の顔を見て、スコットはおや?と思った。
 「ダッド、ただいま」と言ったショーンの声の調子や表情が、まるで高校生の頃、町を旅立つ直前の彼のものと似ていたからだ。
「ショーン、待って」
 二階に駆け上がろうとするショーンにスコットが声を掛けると、ショーンは階段の途中で立ち止まり、振り返った。
 少し上気した頬がピンク色に染まり、顔色も昼前に家を出ていった時より格段によかった。外で少し泣いてきたのだろうか、多少瞳が充血して目の周りが赤く染まっていたが、それを差し引いてもショーンの顔つきは艶やかに輝いていた。
 茜色の瞳、それを彩る長い睫、口角の上がったチャーミングな唇。どれもが活き活きとしている。
 きっとクリスなら、その場で押し倒しそうなぐらい魅力的で。
 スコットはまじまじと見入ってしまった。
「── 何? ダッド」
 スコットは、大きな瞳を更に大きく見開いて見る息子を見て、思わず微笑んだ。
 父はその時、確信したのだ。
 息子は、やっと闇の中を抜けたのだ、と。
 スコットは首を緩く横に振った。
「ううん。何でもないよ。もうすぐ晩ご飯できるから、降りてきなさい」
「分かった。今日いろいろあって、もうお腹ペコペコなんだ」
「了解。お前の分、少し多めにしておくよ」
 スコットはそう言って、階段を再び駆け上がっていく息子の姿を笑顔で見送った。
 
 
 その日の晩、夕食後、ショーンはある人に電話をした。
 ひとつの決意を持って。
 今自分ができる最高の表現法を模索するために。
 それをすることで自分が窮地に立たされることは十二分に分かっていたが、そんなことは随分ちっぽけなことのように思えた。
 大切なのは、自分を素直に表現すること。
 嘘偽りなく、自分がしたいように、したいことをすること。
 ── 今は未熟でできないかもしれないけれど、いつかコウに対して、してあげられたら。
 そういう思いを、すべて込めて。
 ── 自分の起こす行動で、また新たな傷ができてしまうかもしれないけれど、きっとそれはかすり傷だ。だから俺は・・・・。
「ハロー? あ、俺だけど・・・分かる? うん。そう。お願いがあるんだ。今、忙しいと思うけど・・・聞いてくれる?」
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