All You Need is Love

国沢柊青

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第十章 世界一バカな男

<side-SHINO>

 いよいよボージョレヌーボーの解禁日が来週に迫ってきていた。
 俺は連日、『薫風』のサンプルボトルを配布させてもらえる店への打ち合わせを繰り返す日々だった。
 今回は幸いにも大手の百貨店が賛同してくれて、サンプルボトルの2/3をデパ地下で配布することが決定していた。
 ただ、薫風以外の商品の売り込みもやらなければならなかったから、連日外回りが続く日々で、俺は今期何回目かの新しい革靴をおろした。
 靴は営業マンの俺にとって消耗品だから、島津さんのところで買った上等の革靴は大事に仕舞ってある。
 それでも、島津さんのところで買った靴の形が俺に似合うことは学習したので、最近ではそれに近い形の革靴を買うように心がけている。
 俺は一頻り店舗周りをした後、休憩のためにコーヒーショップに入った。
 ブラックコーヒーを頼んで窓際の席に座ると、ハァーと息を吐いた。
 ちょっと疲れが溜まっていて、ぼうっとしてしまう。
 外回りもそうだけど、ここしばらく聡子ちゃんを仕事帰りに家まで送っていってるから、余計に歩く距離が長くなっている。
 俺は、何気なしに通りを眺めた。
 いろんな人が通りを行き交う。
 そんな光景を見ていたら、自然によからぬ思いが頭の中に浮かぶんだ。
  ── あの人もこの人も、誰かとセックスしたことあるんだよなぁ・・・って。
 本当に馬鹿げたこと考えてると自分でも思うけど、ついつい浮かんでしまう。千春から、初体験のことを聞いて以来。
 だって千春は、同性同士という高いハードルがあったにもかかわらず、14歳で経験したわけだ。
 それだったら、普通の恋愛してる人達なら、もっと簡単に経験なんて済ませてしまえそうじゃないか。
 それなのに俺ったら。
 俺は、完全に世の中から取り残されてる・・・・。
 千春はそんなの重要じゃないって言ってたけど、経験してない俺にとっては、充分重要なことで。
 確かに見てくれは千春のおかげで随分よくなったし、現にあのクラブでの夜では、いとも簡単にそのチャンスも訪れたわけで。
 俺がその気になればきっと、今の俺なら、普通の人並みにすぐ経験ができそうだって思う。
 でも、とてもじゃないけど、あのクラブの女の子と知り合った感じみたいに初体験を迎えるなんて、俺にはちょっと無理だ。
 あんなどこの誰かも分からない人と裸になって抱き合うなんて、とても想像ができない。
 俺って、ロマンチスト過ぎるのかな? それとも、ただの臆病者?
 俺だって男としての欲望はあるから自分でそれなりに処理をするけど、だからってその手の店に行ってまでしようとは思わない。
 世の中の男達って、そんな店で初体験を済ませる人も多いのかな。
 俺は高校を中退してしまったから、そこら辺、疎いんだ。
 同僚の川島は、どうやら大学時代に友達同士で店に行って済ませたようだけど。
 何だか、一生独りで過ごしていくかもしれないという孤独感がまた沸き起こってきて、黒くて重い空気が頭の上にどんよりと覆い被さってくるような感覚を覚えた。
「はぁ・・・、ヘコむ・・・」
 俺は溜息をついた。
 もしここに千春がいたら、確実にブラック・チハル降臨ってとこだろうな。
 俺は、千春の氷のように冷たい目を思い出して、クスクスと笑った。
 千春はあんなにツンとしてるけど、俺のことをからかって爆笑している千春とか、俺が千春の作った料理を食べ始める時に上目遣いで俺の顔色を窺っている時の表情とかは、本当に甘いんだよな。
 ここ数ヶ月、俺がそんな千春を独占しているかと思うと、千春の将来の恋人に申し訳ないような気がする。
 千春は本当に、全力で俺をサポートしてくれてるから・・・。
 そんなことをつらつらと思いながらコーヒーを飲んでいると、「あれ? もしかして、俊ちゃん?」と横から声をかけられた。
 俺が右に顔を向けると、見覚えのない男性が、2歳ぐらいの子どもを小脇に抱きながら、俺をガン見していた。
「やっぱり、俊ちゃんだ! うわ~、懐かしいなぁ!」
「ええと・・・」
「弘樹だよぉ! 小さい頃、隣の家に住んでた」
「え?! 弘樹!!」
 俺はしこたま驚いて、指差してしまった。
 佐藤弘樹は、両親が亡くなって俺と美優が引っ越しするまで、隣の家に住んでいた幼馴染みだった。
「弘樹、随分変わったなぁ・・・。大きくなったっていうか、なんていうか・・・」
 小さな頃の弘樹は本当に小さくって丸刈りで、いかにもマルコメくんって感じだったが、目の前の弘樹は随分ガタイもがっちりしていて、下手したら俺より老けて見えた。
 弘樹は、ハハハと笑う。
「そりゃそうだよ。俊ちゃんと最後に会ったの、俺が8つの時だもん。小学生だよ。俊ちゃんは高校生の頃だろ。俊ちゃんは、あんまり変わってないねぇ」
「そうか? で、今何してる? 仕事。今日は休み?」
 弘樹は子ども連れでラフな格好をしていたから、俺はそう訊いた。
 すると弘樹は子どもの世話をしながら、「仕事は事務用品を扱ってる会社に勤めてるけど、今はかみさんと交代して育休を取り始めたところなんだ」と言った。
  ── なに? 育休、だって???
「え? その子・・・」
 俺が心底驚いて子どもを見ると、弘樹は「そうだよぉ。俺の子だよぉ」と言った。
  ── まっ、マジで?!!
 俺は凄い勢いで子どもと弘樹を見比べた。
 確かに、顔はそっくりだ。
「いやぁ、最近イクメンなんて流行ってるけど、正直大変だよぉ・・・」
 弘樹はそうグチを零し始めたが、正直ろくすっぽ耳に入ってこなかった。
 弘樹なんて、てっきりまだ子どもだとばかり思っていたのに・・・。しかもちょっと大仏に顔が似てて、到底女の子と話が弾むタイプでもなさそうだったのに、もう子持ちだなんて。 ── ってことは、確実に童貞じゃないじゃん。てか、全然俺、追い抜かされてんじゃん!!! 10歳も年下の幼馴染みに!!!
「どうしたの、俊ちゃん。顔、真っ青だぜ」
「あ~・・・、うん。外回りばっかで疲れてるのかな・・・」
「大丈夫かよ? 俊ちゃん、前から頑張り屋だからな。あんまり無理しない方がいいよ。あ、ねぇ、携帯教えてくれよ。今度家に招待するからさぁ。かみさん、料理美味いんだよ・・・」
 その後の記憶は、朦朧としてない。
 そこからどうやって会社に帰ったのかも、記憶がすべて飛んでいた。
 それほど、俺にとっては衝撃的な出来事だった。
 

<side-CHIHARU> 

 僕の小説を元にして作られた映画が封切られ、僕は初日の舞台挨拶に駆り出された。
 本当はそんな面倒くさいこと断りたかったのだけれど、本の売り上げに響くからと岡崎さんに懇願されて、しかたなく参加した。
 僕としては、映画化される段階で脚色家の手がかなり入っていたから、もう僕の作品という感覚はなかったのだけれど。
 映画はミニシアター系の小品だったので規模はそれほど大きくはなかったが、映画館の中は映画製作関係者と報道陣、抽選で当たった一般客でごった返していた。
 映画公開後の舞台挨拶で、監督・俳優陣に続き、僕は最後に舞台に上がった。
 歓声と拍手とともに、フラッシュがたかれる。
 僕はその眩しさに、少し顔を顰めた。
 司会進行役が、監督にマイクを渡す。
 極々当たり前な挨拶が始まった。
 僕は、ぼんやりと客席を眺めた。
  ── 今夜の夕食は、どうしよう・・・。最近シノさん疲れてるようだから、疲れが取れる献立がいいよなぁ・・・。となると豚肉か、はたまた酢を使った料理か・・・。
 そんなことを考えていたら、隣に立つ主演女優の中田真紀が僕の袖をクイクイと引いた。
 僕がそちらに視線をやると「澤先生、質問されてますよ」と言われ、マイクを渡される。 
「え?」
 彼女越しに右手を見やると、舞台上の人間の目が、僕に向いていた。
 舞台ばかりか、客席中の視線もだ。
「ええと・・・。すみません。質問、なんですか? こういうのは初めてなので、緊張してしまって」
 僕が胸元を押さえ、眉を八の字にして苦笑いすると、会場中の張りつめた空気が和んだ。
「監督が、澤先生にもぜひスクリーンに登場してほしかったと仰ってますが」
 司会の女性が質問を繰り返す。
 それを聞いて、僕は苦笑いした。その瞬間、またフラッシュがバシバシとたかれる。
「僕は物書きですから、演技は無理です」
「いやいや。演技なんかしなくても、そこに立っているだけで絵になりますから。彼は」
「なんか、オーラがありますものね」
 監督と司会者で僕をヨイショしようと躍起になっている。
 それに隣の中田真紀までもが「私たちよりも澤先生の方がよっぽど色気があるので、ヒロイン役は澤先生が一番適任じゃないかって、現場でも冗談になっていたぐらいなんですよ」と言い出した。会場が湧く。
  ── 僕がヒロイン役をしたら、まんまゲイ映画になってしまうじゃないか。
「いや。僕は女性ではないですから。ヒロイン役は無理ですよ。主演の時田さんが困るんじゃないですか」
 僕がそう返すと、今はやりの若手俳優・時田任が、「澤先生となら、ちょっと間違いを犯してしまうかもしれませんね」と言ったので、会場中が笑いに包まれた。
  ── ・・・よし。今夜の献立、黒酢の酢豚にしよう。あ~・・・、早く帰って夕食の準備がしたい。
「澤先生は、最近創作活動から遠のいていらっしゃいますけど、新作のご予定はないんですか?」
「ないです」
 僕がバッサリと質問を切り捨てると、司会者が「あ、あぁ、そうなんですか」と若干ビビり気味に答えた。
 その司会者の向こう、舞台袖で岡崎さんが物凄い顔をして×印を両手で作っていた。
  ── はいはい。分かりましたよ。
 僕は、満面の微笑みを司会者の女性に向けると、「でもそのうちにまた、皆さんが映画化したいと思ってくださるような作品を生み出せたらいいなと思います」と付け加えた。
 女性司会者は頬を赤くして、「まぁ、そうなったら素敵ですね!」と焦り気味に答えた。
 僕は、司会者が「では、この辺で舞台挨拶を終わりたいと・・・」と言ってる最中からステージをさっさと降りた。
 腕時計を見る。
 どうしよう。予想以上に時間がかかってしまった。
 シノさん、今日何時頃帰ってくるだろう・・・。
 近頃シノさんは残業続きで、いつもよりは遅くに帰ってきているけど、それにしても予想外にスケジュールが押してしまった。
 その後、集合写真のお願いもされたが、そこまで応じていたらいよいよ時間がヤバかったので、あっさり断って僕は家路を急いだ。
 帰りの車の中では、岡崎さんに「ホント、そろそろ新作、書いてもいい時期だと思うのよね」とさんざん言われたが、僕が相変わらずろくに話を聞いていないことを悟ると、彼女はそれ以上何も言わなかった。
 僕は月島で一番大きなスーパーの前で降ろしてもらうと、不足している食材を手早く買いそろえて、タクシーに乗った。
 歩いて帰れる距離ではあったが、今は一分でも一秒でも時間が惜しい。
 家の前でタクシーを降りると、バス停から歩いて帰ってきているシノさんに遭遇した。
  ── あ~・・・やっぱり帰ってきちゃった・・・。
 僕は右の眉の下をカリカリと掻きながら、まだ少し遠くに見えるシノさんの姿を見つめた。
 シノさんは、まだ僕に気付いていない。何だかぼんやりと伏し目がちに歩いている。
「元気、ないなぁ・・・。なんかあったのかな?」
 僕は誰に言うでもなく、呟いた。
 まるで初めて会った時のシノさんを思い出す。
 あの時シノさんは泣いていて、今は泣いてはいなかったけど、雰囲気はまるで同じで。
  ── 本当に、何だろう。シノさんのそんな顔を見ると、僕も不安になる。
「シノさん」
 声の届く距離までシノさんが来たのを見計らって僕が声をかけると、シノさんが顔を上げた。
 僕の姿を見た瞬間に、笑顔を浮かべる。 
「千春」
 そして彼は、手を振って走ってくる。
 僕も笑顔を浮かべたけど、内心は複雑だった。
 人には決して弱いところを見せようとしない彼が、いじらしかった。
 そりゃ、時々ネガティブな発言を僕の前ですることはあっても、それは弱音を吐くのとはちょっと雰囲気が違っていて。
 多分この人は、他の人間の前で弱音を吐くということがないんだ。
 それは職場でもきっとそうなんだろう。
 そんなに頑張りすぎないでほしいと思うのは、いけないことなのだろうか。
 シノさん、もっと自分を大切にしてほしいよ。
「今、帰り?」
「ええ。意外に仕事が手間取ってしまって。夕食、これから作ることになりますけど、いいですか? それとも、外に出ますか?」
「いや。今日は、家で食べたい。千春が大変でなけりゃ・・・」
 シノさんが肩を竦めながらそう言う。
 僕は、脱力した笑顔を浮かべてしまった。
「まったく、自分が疲れてるのに、僕の心配なんてやめてくださいよ。今日は黒酢で酢豚作りますから」
「ホントに? 俺、酢豚好き」
「そうですか。よかったです」
 二人して、マンションに入る。エレベーターに乗り込むと、シノさんが3階のボタンを押した。
 僕はちょっと後ろに身体を引いて、斜め後ろからシノさんの姿を見つめた。
 面と向かってシノさんを見ると、なんだか照れてしまうから。
 シノさんはいつも僕の視線に気がつくと、あの黒目がちな瞳でジッと真っ直ぐ僕を見つめてくるから、照れくさくて直視していられないんだ、ホント。
 広い背中。
 島津さんのところで買ったシルバーのピンストライプスーツが、本当によく似合っている。
 僕は買い物袋を持っていない左手で、シノさんの肩に手を置いた。
「ん?」
 シノさんが少し振り返る。僕はそのまま、手に力を入れてシノさんの肩を揉んだ。
「凄く凝ってる・・・」
「・・・あぁ・・・」
 シノさんが少し気怠げに返事を返してきた。
 本当に疲れてる、シノさん。口には出さないけど。
「僕が食事を準備している間に、シノさん風呂に入ってください。この間の温泉の元がまだ残ってるから」
「ああ。そうさせてもらうよ」
「シノさん、長風呂だから。風呂の中で寝ないでくださいよ」
「腹が減ってるから、絶対に寝ないよ」
 シノさんの横顔に白い歯が浮かぶ。大人っぽくて高い鼻梁と八重歯のギャップがたまらない。
 僕がシノさんに見惚れていたら、チンと音を立てて扉が開いたのだった。


 食事の後、シノさんは食器を洗うのを手伝ってくれた。
 僕はソファーに座っててと言ったんだけど、最近はこうしてシノさんが食器を洗うことが多くなってきた。
 僕は食器の水気を布巾で拭いつつ、戸棚にそれを片付けながら、さり気なくシノさんに訊く。
「シノさん、肩、解しましょうか?」
 誓って言うけれど、そこに邪な意味はまったくなかった。
 さっき触れた肩は、可哀想なほどガチガチだったから。
 シノさんは少し躊躇いを見せたが、「痛くはしませんよ」と僕がふざけて肩を竦めながらそう言うと、ふふふと笑って「じゃ、お願いしようかな」と言った。
 二人してラグの上に腰を下ろすと。僕はシノさんの背中に向き合った。
 僕はまず肩より少し下の肩甲骨の間の背をゆっくりと撫でる。
 以前僕はスポーツ整体師と付き合ったことがあって、凝った筋を解すならその周囲を緩めないとダメだという事をその時に教わっていたから。
 でもシノさん、肩甲骨の間の筋肉からこんなに凝ってるのは、何か悲しいことがあったってこと?
 東洋医学で肺は悲しみと深い関係がある臓器だというから、肺の後ろに当たるこの部分がこんなに固くなってしまっているのは、何か悲しいことがあったせいかもしれないと、僕は思った。
 本当は胸板の方からも解した方がよさそうだったが、さすがにそれはシノさん的に抵抗があるだろうと思って、それはやめた。シノさんに性的興味で触ってると思われたくない。
 僕が数回背中の筋を背骨のラインに沿って少し強めに撫でると、シノさんは、ほぉーと長い吐息をついた。
 よかった。ちょっとリラックスしてきたみたいだ。
 両肩をそっと掴むと、シノさんがぴくりと身体を震わせた。
 ゆっくりと肩を揉む。
「・・・あぁ、気持ちいいよ。千春、上手だな」
「そう?」
「うん・・・」
 両肩の一番固い芯のある部分をゆっくりと強めに押すと、「んん・・・」と小さく吐息を吐いて、シノさんが顔を上向けた。
 目を閉じて吐息をつくその横顔。エラから顎のライン、首の筋。
  ── シノさん、綺麗だね。とても。
 本当なら、欲望に薄汚れた僕なんて人間が触れてはいけないぐらい、神々しいよ。
 僕は肩から二の腕に向かってグッグッと掴みながら揉み解していく。
「 ── シノさん・・・」
「ん?」
「今日、何かあった?」
 さり気なく訊いたつもりだったけど。
 僕の手のひらから伝わるシノさんの身体が、また少し強ばってしまった。
 僕は再び、背中を強く擦った。
「言いたくないなら、別に構わないけど・・・」
 そう言いながら、中心から肩甲骨に向かって優しく撫でる。
 シノさんはまた俯いて、でも彼自身率先してリラックスするためにか、大きく深呼吸をした。
「随分前に会わなくなった幼馴染みがいてさ。10歳年下の」
「へぇ」
「弘樹って言うんだけど、今日街で偶然会ったんだ」
「ええ・・・。それで?」
「もう子持ちだったよ。別れた時は、まだ小学生だったのにさ。俺、こうしてどんどん追い抜かされていくんだなぁと思ったら、なんだか・・・・ちょっと複雑な気持ちになって」
  ── ちょっと、複雑な・・・か。
 本当は、かなり辛くなっちゃんたんだね、シノさん。
「ひょっとしてまた、世界の中で俺だけが独りぼっちのままじゃないかって、思っちゃった?」
 沈黙。
 ということは、肯定の返事だね、シノさん。
 僕は、鼻の奥がツンとなるのを感じた。
 何かしてあげたいけど、僕では何の役にも立たない苛立ち。
 僕は、シノさんの背中に置いた自分の両手の上に額を押し付けた。
 どうすればいいんだろう、シノさん。
 僕は、どうすれば。
「 ── 千春?」
 突如手を止めた僕を訝しんで、シノさんが身体ごと振り返る。
 純粋に輝く黒い瞳。心配げに僕を見つめる表情。
 ああ、シノさん。好きだよ、こんなにも。
 僕は、シノさんの両手を握った。
 意を決して、僕は言う。
「僕が最も信頼を置いている女性となら、してみようと思いますか? できるって、思う?」
「千春・・・」
 シノさんの瞳がぐらつく。
「それは・・・、分からないよ、その状況になってみないと・・・」
 シノさんは、不安げに言った。
 あの夜のことを思い出している顔つき。
 僕は安心させるように言った。
「シノさん。ようは、一回経験をしてしまえばいいんですよ。そしたら、セックスするのはそれほど難しいことじゃないって、分かるから。大丈夫。安心して。この間のクラブのようなことにはならないし、相手はあんな軽薄な子じゃないです。ちゃんとシノさんのことを理解して、認めてくれる女性。そういう女性となら、チャレンジできそうじゃありませんか?」
「そんな人、いるの?」
 僕は頷いた。
「葵さん。ほら、ジムで一度会った事があるでしょう? ベリーダンサーの」
 シノさんは、少し考えた後、「ああ」と瞳を瞬かせた。
「千春のことを、“成澤くん”って呼んでいた人だ」
「そう、その人です。彼女は僕の古くからの友人で、僕が最も大切にしている女性の友達です。シノさんより年上だけど、その方がシノさんも安心して身を委ねやすいと思うから」
「でも、葵さんがそんなお願い、了承するとは思えないけど・・・」
「僕が説得します。必ず。だからシノさん、僕のためだと思って、葵さんとデートしてみてください」
 シノさんは考え込んでいたけれど、もう一度「僕のために」と念を押すと、やがてコクリと頷いたのだった。
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