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六十四、杉野清飛
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ソファに座ったまま少し待っていると、プリンとココアを持ってきてくれた。プリンだけだと思っていたから、わざわざココアまでいれてくれたことに驚いた。
テーブルに置いて、仁さんが言う。
「ホテルで出してる、懇意にしてる洋菓子屋のプリン。急にキャンセルが出て余ったから」
「なるほど……ありがとうございます」
なんでいきなりプリンなんて買ってきたのだろうと不思議だったのだが、貰ってきたのなら遠慮なくいただこう。ソファに並んで座って、プリンを手に取る。一口分スプーンで掬ってみると、なめらかというより固めのしっかりとしたプリンだった。口に含んで、目を丸くする。
「美味しい」
たまごの風味の強いプリンで、とても美味しかった。こういうプリンは初めて食べた。ホテルで出してるくらいだから高いのかな?と物思いに耽っていると、隣からふっ笑うように息を吐き出す音が聞こえた。
「良かった」
と仁さんが言ったので、気になって視線を向ける。初めて見る、仁さんの笑顔だった。少し口角があがっただけだが、目の色が優しくて体に入っていた力が抜けていった。
「二個しか無いから美恵子と大翔には内緒な」
「え、俺が食べて良かったんですか?」
「……俺も食べたかったから」
仁さんの手にもしっかりとプリンとスプーンが握られている。
「……ふふ」
静かな仁さんがそんなこと言うと思わなくて、つい笑ってしまった。
「笑ってくれて嬉しい」
「え?」
「あまり緊張しなくて良い」
発せられた言葉に、俺の普段の様子のことを言ってるのだと気づいてドキリと心臓が脈打った。腕が伸びてきて頭を撫でられる。幼い子をあやすような動作に、安心感を抱いた。
「不安になるのは仕方ないと思う。顔も性格も、万人に好かれるようなものでは無いし。だけど、清飛のこと大事に思ってるから、それだけは知っておいてくれたら少しは楽に過ごしてくれるかなって思って」
「大事……」
「美恵子が大事にしてる子なら、大事だろう」
そんなこと言われるとは思ってもみなかった。そりゃ美恵子さんにとって俺は姉の息子だし、少なからず情を向けてくれてると思う。だけど仁さんからしたら俺は他人だ。しかも、祖父母からしてみても一度家を出た娘が連れてきた訳ありの子供である。そんな厄介な俺がいきなり一緒に住み始めて、仁さんはもしかしたら迷惑してるんじゃないかと思っていた。嫌われる要素こそあれど、好かれる要素など無いと。だけどそれよりも、美恵子さんが大事にしてる子だから、大事に思っているという、その考え方が嬉しかった。仁さんが美恵子さんを大切にしているのは分かってたし、その大切の中に俺を入れてくれているのだと知って、仁さんの言葉は素直に受け取ることができた。
それに、仁さんの言葉は何よりも俺の気持ちに寄り添ってくれていた。「不安に思うのは仕方ないけど、少しでも楽になってほしい」好かれたいでは無く、暮らしやすいようにという意味を持って発せられた言葉に仁さんの優しさを感じ取れた。
「そうですか……ありがとうございます」
「敬語じゃなくていい」
「……うん、ありがとう」
仁さんは恐らく、感情があまり表に出ないだけ。それを今日、知ることができた。
この日以来、仁さん相手に過剰に緊張することは無くなった。俺一人にプリンをくれたのはこの日だけで、何かくれる時は美恵子さんも大翔も一緒に貰ったし、プリンをくれることはそれ以降無かった。残念だったけど、もしかしたらあの日も貰ってきたのでは無くて、話す口実に買ってきたのでは無いかと暫くして思った。実際のところは分からないが、聞くなんて野暮だし「食べる」って言って良かったなと、同時に思った。
唯一の気がかりだった仁さんとのわだかまりが解け、杉野家での生活はとても穏やかに過ぎていった。仁さんは分かりにくいけど、結構甘やかしてくれるし、大翔も懐いてくれて一緒にゲームするようになって、中学では一応友達もできて不満なく生活できていた。
……そう、不満は無いはずだった。みんな何も無理強いはしない、こうしなさいとも言われない。だけど、ほんの少しの違和感が積もり積もって次第に苦しくなっていった。
最初に感じた違和感は、中学二年生の二学期の期末テストが返却された時だった。
「え!清飛、テスト百点!?」
「あ、うん。今回簡単だったし」
返却されたテストの答案用紙を見て、美恵子さんは驚いた声をあげた。今回の理科のテストは殆どがテスト前に渡された復習プリントから出題されていて、クラスの平均点も高かったので言う程すごい点でも無かったけど、美恵子さんは喜んでくれた。
「えー!簡単って言ってもすごいわね!ケアレスミスなんて普通にやっちゃうし」
「見返す時間もあったから」
「そっか!でも鼻が高いわ!」
(……あれ?)
美恵子さんの笑顔と喜んでいる姿を見て、不意にお母さんの姿が重なって見えた。美恵子さんとお母さんは双子かと言うほど顔も声もよく似ていた。だから、そのように感じるのは今更のことで、これまでも重なって見えることは何度かあった。
だけど、テストの点数で喜んでいる姿を見て不思議な違和感を覚えてしまった。
(お母さんは、テストで良い点数をとってもこんなに全身全霊で喜んではいなかった。)
別に押し付けるようなことはされなかったが、どちらかと言うとお母さんは「子供は風の子!ちまちま机に向かってないで外で遊んでおいで!」と言うような破天荒なタイプだった。テストで良い点数をとっても「まあ!すごい!すごいけど、ちゃんと遊んでる?大丈夫?無理してない?」と妙な心配をするような人で、子供ながら変な親だなぁと思っていた。
(まあ、そっか。美恵子さんの方が真面目だから。)
ただ、母と同じ見た目なのに、こうも反応が違うことに俺は少し戸惑ってしまった。美恵子さんは美恵子さんだと、その時の俺はそれ以上深刻に思うはずもなく、まあいいかと自室に引き上げた。
まさか、このことが発端となって、今後苦しむようになるなんてこの時の俺は思いもしなかった。
テーブルに置いて、仁さんが言う。
「ホテルで出してる、懇意にしてる洋菓子屋のプリン。急にキャンセルが出て余ったから」
「なるほど……ありがとうございます」
なんでいきなりプリンなんて買ってきたのだろうと不思議だったのだが、貰ってきたのなら遠慮なくいただこう。ソファに並んで座って、プリンを手に取る。一口分スプーンで掬ってみると、なめらかというより固めのしっかりとしたプリンだった。口に含んで、目を丸くする。
「美味しい」
たまごの風味の強いプリンで、とても美味しかった。こういうプリンは初めて食べた。ホテルで出してるくらいだから高いのかな?と物思いに耽っていると、隣からふっ笑うように息を吐き出す音が聞こえた。
「良かった」
と仁さんが言ったので、気になって視線を向ける。初めて見る、仁さんの笑顔だった。少し口角があがっただけだが、目の色が優しくて体に入っていた力が抜けていった。
「二個しか無いから美恵子と大翔には内緒な」
「え、俺が食べて良かったんですか?」
「……俺も食べたかったから」
仁さんの手にもしっかりとプリンとスプーンが握られている。
「……ふふ」
静かな仁さんがそんなこと言うと思わなくて、つい笑ってしまった。
「笑ってくれて嬉しい」
「え?」
「あまり緊張しなくて良い」
発せられた言葉に、俺の普段の様子のことを言ってるのだと気づいてドキリと心臓が脈打った。腕が伸びてきて頭を撫でられる。幼い子をあやすような動作に、安心感を抱いた。
「不安になるのは仕方ないと思う。顔も性格も、万人に好かれるようなものでは無いし。だけど、清飛のこと大事に思ってるから、それだけは知っておいてくれたら少しは楽に過ごしてくれるかなって思って」
「大事……」
「美恵子が大事にしてる子なら、大事だろう」
そんなこと言われるとは思ってもみなかった。そりゃ美恵子さんにとって俺は姉の息子だし、少なからず情を向けてくれてると思う。だけど仁さんからしたら俺は他人だ。しかも、祖父母からしてみても一度家を出た娘が連れてきた訳ありの子供である。そんな厄介な俺がいきなり一緒に住み始めて、仁さんはもしかしたら迷惑してるんじゃないかと思っていた。嫌われる要素こそあれど、好かれる要素など無いと。だけどそれよりも、美恵子さんが大事にしてる子だから、大事に思っているという、その考え方が嬉しかった。仁さんが美恵子さんを大切にしているのは分かってたし、その大切の中に俺を入れてくれているのだと知って、仁さんの言葉は素直に受け取ることができた。
それに、仁さんの言葉は何よりも俺の気持ちに寄り添ってくれていた。「不安に思うのは仕方ないけど、少しでも楽になってほしい」好かれたいでは無く、暮らしやすいようにという意味を持って発せられた言葉に仁さんの優しさを感じ取れた。
「そうですか……ありがとうございます」
「敬語じゃなくていい」
「……うん、ありがとう」
仁さんは恐らく、感情があまり表に出ないだけ。それを今日、知ることができた。
この日以来、仁さん相手に過剰に緊張することは無くなった。俺一人にプリンをくれたのはこの日だけで、何かくれる時は美恵子さんも大翔も一緒に貰ったし、プリンをくれることはそれ以降無かった。残念だったけど、もしかしたらあの日も貰ってきたのでは無くて、話す口実に買ってきたのでは無いかと暫くして思った。実際のところは分からないが、聞くなんて野暮だし「食べる」って言って良かったなと、同時に思った。
唯一の気がかりだった仁さんとのわだかまりが解け、杉野家での生活はとても穏やかに過ぎていった。仁さんは分かりにくいけど、結構甘やかしてくれるし、大翔も懐いてくれて一緒にゲームするようになって、中学では一応友達もできて不満なく生活できていた。
……そう、不満は無いはずだった。みんな何も無理強いはしない、こうしなさいとも言われない。だけど、ほんの少しの違和感が積もり積もって次第に苦しくなっていった。
最初に感じた違和感は、中学二年生の二学期の期末テストが返却された時だった。
「え!清飛、テスト百点!?」
「あ、うん。今回簡単だったし」
返却されたテストの答案用紙を見て、美恵子さんは驚いた声をあげた。今回の理科のテストは殆どがテスト前に渡された復習プリントから出題されていて、クラスの平均点も高かったので言う程すごい点でも無かったけど、美恵子さんは喜んでくれた。
「えー!簡単って言ってもすごいわね!ケアレスミスなんて普通にやっちゃうし」
「見返す時間もあったから」
「そっか!でも鼻が高いわ!」
(……あれ?)
美恵子さんの笑顔と喜んでいる姿を見て、不意にお母さんの姿が重なって見えた。美恵子さんとお母さんは双子かと言うほど顔も声もよく似ていた。だから、そのように感じるのは今更のことで、これまでも重なって見えることは何度かあった。
だけど、テストの点数で喜んでいる姿を見て不思議な違和感を覚えてしまった。
(お母さんは、テストで良い点数をとってもこんなに全身全霊で喜んではいなかった。)
別に押し付けるようなことはされなかったが、どちらかと言うとお母さんは「子供は風の子!ちまちま机に向かってないで外で遊んでおいで!」と言うような破天荒なタイプだった。テストで良い点数をとっても「まあ!すごい!すごいけど、ちゃんと遊んでる?大丈夫?無理してない?」と妙な心配をするような人で、子供ながら変な親だなぁと思っていた。
(まあ、そっか。美恵子さんの方が真面目だから。)
ただ、母と同じ見た目なのに、こうも反応が違うことに俺は少し戸惑ってしまった。美恵子さんは美恵子さんだと、その時の俺はそれ以上深刻に思うはずもなく、まあいいかと自室に引き上げた。
まさか、このことが発端となって、今後苦しむようになるなんてこの時の俺は思いもしなかった。
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