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雅之視点
その男、『今元春』につき~其の四~
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まだまだ続く雅之視点。
でも、時は確実に進みます。
********************************************
その男、『今元春』につき… ~其の四~
結局、それから俺は一度も佳織と話し合えないままだった。
夏季休暇に葉山にある兄の別荘でバーベキューパーティーをするからと誘ってみたが…。
「すみません。
両親に代わって母方の祖父の新盆のお参りをしなくてはならないので…。」
と、きっぱりバッサリ断られた。
聞けば、佳織の母親は北海道の白老出身だという。
そう言われては引き下がるしかない。
やがて季節は巡り、秋が過ぎ小雪舞い散る冬となった。
「ホントに全然進展しないのね。」
「…………。」
「もう、どうすんのよ!」
「どうしようもない…。」
「なら、課長のことを諦める?」
「それは…、無理…。」
「じゃ、行動しなさいよ。」
毎度のことながら、終業後の執務室での春香とのやり取り。
毎回発破をかけられるが俺は二の足を踏んでいた。
霞との裁判がなかなか結審しないことも要因の一つだった。
気が付けばクリスマスが目前に迫った12月中旬。
街はイルミネーションに彩られ幻想的な雰囲気を醸し出し、恋人たちに甘いひと時を与えていた。
そんな中、俺はただひたすらに仕事をこなす。
当然クリスマスも仕事で埋めていた。
「ホントにいいの?」
「何がだ?」
「折角なんだからディナーくらい誘っても…。」
「俺とは飲まないそうだ。」
「え?」
「クリスマスディナーともなればワインかシャンパンが付いてくるだろ?」
「あ…。」
「だからと言って他に誘う相手もいないから仕事。
第一、今年のクリスマスは平日だ。」
「まぁ、そうだけど…。」
「そういう訳で、これ以上は口を挟むな。」
俺は春香を追い出し、仕事に集中する。
窓の外に目をやると白いものがチラチラと舞っていた。
どうやら今年はホワイトクリスマスになりそうだ。
でも、今の俺には関係ない。
ただひたすらに仕事をこなす。
そうして、何事もなくクリスマスが過ぎた翌日春香から1本の電話が入る。
「何だこんな朝早くから…。」
『あ、うん…。 ちょっと聞いてみるんだけど、明日って予定ある?』
「この俺にあると思うか?」
『そう、だよねぇ…。』
「用がないんなら切るぞ。」
『ちょ、ちょっと待って!!
明日、明日さぁ、幸久さんに有馬記念見に行こうって誘われてるの。
よかったら、伯父さんおどうかなぁって思って…。』
「もしかして、野田専務の誘いか?」
『うっ。』
「はぁ、俺はあの御仁は好きになれん。 だから、断る。」
『そんなこと言わないでよぉ。
可愛い姪っ子の頼みだと思って!!』
「何がかわいい姪っ子だ。」
『野田専務に仲人頼むことになってるから断れないの。
でも、私もあの人のこと苦手だし、心細いから…。
だから、お願い!!!』
「仕方ないな。」
『恩に着ます。 今度、課長の…。』
俺は春香が何を言いだそうとしたのかわかって電話を切った。
その先はどうしても聞きたくなかったから…。
****************************************************************
――――――――翌日・中山競馬場――――――――
「梶原常務、申し訳ありません。」
「いや、君が気にすることじゃないよ。」
「ですが、春香が無理矢理頼んだんでしょう?」
「そうだが、実際予定はなかったし。」
「そうですか…。」
俺は幸久君に席に案内された。
そこには野田専務が既に席に着いており、春香は嫌々ながら彼の会話に相槌を打っていた。
「おお、山中。 遅かったじゃないか?」
「専務、申し訳ありません。
梶原常務と合流していたので…。」
「ああ、そういうことなら仕方ない。」
幸久君が春香の隣に座り、ようやく野田専務の相手から解放された春香。
それに代わって俺が専務の相手をする格好になった。
「野田専務、お誘いいただき感謝します。」
「梶原常務、そんなに堅苦しい挨拶はいいから。
今日は儂のことは逸郎と名前で呼んでくれ。」
「はぁ…。」
「実は今日のレースには兄の育てた馬が出走するんだよ。
姉夫婦が欧州で見つけた種馬の産駒でね。」
「野田専務、あ、いや、逸郎さんにはお姉さまがいらっしゃるんですか?」
「ああ、今はルクセンブルグに住んでいるだが、馬を見る目は兄よりも上だ。
その姉が義兄と一緒に東奔西走して見つけた種馬にうちの牝馬を種付けしてもらったんだよ。
生まれた時の姿を見て、皆で喜び合ったもんだ。
『この仔ならグランプリも夢じゃない』ってね。
その仔がついに出走するんだ。
できれば親父にも見せてやりたかった…。」
野田専務は少し遠い目をしている。
5月のあの日、俺を見下そうとしたのと同じ人物とは思えないくらいの表情だった。
聞けば、専務の父は昨年他界したとか。
『グランプリで口取り写真を撮りたかった』と言い残して息を引き取られたという。
「スマン、スマン。
つまらぬ話をしてしまった。」
「いえ…。」
「梶原くん、とお呼びしていいかな?」
「はい、構いません。」
「今日は今年最後の大一番だ。 大いに楽しもう!!」
野田専務は俺の肩に手を置き、満面の笑みを向けてくれた。
俺は苦笑するしかなかった。
それから、何レースかみて、気づくと昼が過ぎていた。
「腹減ったから何か食ってくる。」
「じゃ、僕たちも一緒に…。」
「いや、一人でいいよ。」
「ですが…。」
「ちょっと、雰囲気を楽しみたくなったんだ。」
「そうですか…。」
俺は幸久君の申し出を断り一人でフードコートに向かった。
その途中、今度は野田専務の兄・哲郎氏と出くわした。
「梶原常務?」
「あ…。」
「いつぞやは弟が大変失礼なことを…。」
「いえ、お気になさらずに。 過ぎたことです。」
「そう言っていただけると有り難いです。
弟は感情がすぐに顔に出てしまうようで…。
いい年して子供っぽいところが抜けず申し訳ない。
ところで、どうされたのですか?」
「昼食をフードコートで摂ろうと思いまして…。」
「フードコートで、ですか…。」
「ええ、折角なんで場内の雰囲気を楽しんでみようかと…。」
「そうですか。 なら、パドックを見られるといいですよ。」
「パドック?」
「いわゆる下見場で、出走馬を身近で見れる場所なんです。
体の出来具合を見て馬券購入の参考にするのが本来の目的なのですが。
最近は写真を撮る場になってますね。
プロ顔負けの素人さんもいますから。」
「へぇ…。 飯食ったら行ってみます。」
「ええ、ぜひ見てやってください。
あ、レーシングプログラムはお持ちですか?」
「レーシングプログラム?」
「これですよ。 お持ちでなかったらどうぞ。」
哲郎氏が差し出したのは1冊の冊子。
それを受け取りめくってみる。
今日のレースに出走する馬たちのデータが載っていた。
「ちなみに表紙は昨年の有馬記念を制した馬ですよ。」
哲郎氏はそう一言添えてその場を立ち去った。
その後、俺はフードコートでうどんとおにぎりを買って食べる。
「おい、次のレースはどうする?」
「う~ん、俺はぁこいつがいいと思ってたんだがなぁ…。」
「ああ、こいつか。 さっきパドック見たけどよぉ。
トモの張りがいまいちじゃねぇ?」
「ああ、おまけに-15キロだろ?」
「やっぱ、このレースは順当に決まっちまうか。」
そんな話が聞こえてきた。
哲郎氏の言っていた通り、パドックを見るのは必須のようだ。
「俺も見に行ってみるか…。」
別に馬券を買うわけではないから行く必要はない。
何故かそのとき俺は行かなくてはと思ってしまった。
もしかしたら野田兄弟の熱意に充てられたのかもしれない。
昼飯を食べ終わった俺はパドックへ足を向けた。
「え?」
俺はそこで意外なものを見てしまった。
それは一人の女性だった。
黒のダウンベストに紺のスキニーパンツ。
どこかの牧場か馬名の入ったキャップを被り、望遠レンズを取り付けた一眼レフカメラを構えるその女性。
彼女は一心不乱に馬たちを撮り続けていた。
その女性は俺のよく知っている人物で、恋い焦がれている人だった。
「佳織…。」
俺は呆然と立ち尽くし、彼女を見ることしかできなかった。
なんで、彼女がここにいるんだ?
訳が分からない。
俺はふらふらと彼女のほうへ歩いて行った。
彼女に声を掛けようとしたところで、持っていたスマホが鳴動し始める。
「くっ、誰だ?」
俺は呟きスマホを確認する。
春香からだった。
仕方なく、俺はその場から離れ、電話に出る。
『伯父さん、どこにいるのよ?』
「すまん、一人でパドックに来てるんだ。」
『もう、せっかくみんなでランチしようと思ったのに…。』
「悪い。 ちょっと雰囲気を味わいたくなったんだ。」
『まぁ、いいけど。 早く戻ってきてね。
野田専務の相手しなきゃいけなくなるから…。』
「わかった。 すぐに戻る。」
俺は電話を切る。
そして、佳織のほうに視線をやる。
彼女はまだ写真を撮り続けていた。
俺はもう一度彼女のもとに駆け寄ろうとした。
だが、俺は一歩踏み出したところで足を止め、それ以上踏み出せなかった。
その時すでに彼女は一人の男に声をかけられていたから。
その男に声をかけられ、一瞬驚いていたようだったがすぐに笑顔を見せる。
俺には見せてはくれない笑顔。
そのことに俺は酷く打ちのめされる。
拳を握り締めると、逃げるようにしてパドックを後にした。
「あ、やっと帰ってきた。」
「……………。」
「伯父さん?」
「……………。」
「なんかあったの?」
「あ、い、いや、何でもない…。」
「ほんとに?」
「ああ……。」
「ならいいけど…。」
それから俺はレースをボーっと見つめていた。
周りが興奮に包まれる中、俺一人だけ音のない世界にいた。
気づけば、最終レースも終わっていた。
「オーナー代理が慰労会をと言ってまして…。
良かったら一緒に来ませんか?」
哲郎氏のその申し出を俺はやんわりと断り、一人帰宅の途に就いた。
帰り着いた自宅は静寂に包まれた寒い部屋だった。
そして、一人で暮らすには広すぎる部屋。
俺は弁護士に連絡を取り、この部屋を霞に引き渡すことにしたのでそのように話を進めてほしいと伝える。
こうして、俺の年末はただただ寂しいだけのものになった。
****************************************************************
――――――――正月――――――――
年が明けても俺は一人で部屋に閉じこもっていた。
それを心配したのか春香が訪ねてきた。
「伯父さん、どうしたの? この前からずっと変だよ。」
「大したことじゃない。」
「ほんとに?」
「ああ、ただ…。」
「ただ?」
「今の俺は佳織に相応しくないと思い知っただけだ。」
「何、それ…。」
「結局、俺は何事も中途半端なんだ。」
「中途半端?」
「そうだろう? 霞とのケリがつかないからって指輪を外さない。
そのくせ佳織に近づこうとしてる。」
「でも、それは『虫除け』でしょ?」
「だとしても、佳織にしてみたら不誠実以外の何物でもない。」
「伯父さん…。」
「だから、霞とのことが終わるまでは佳織には近づかない。
あと、ここを明け渡すことにしたから合鍵を返してくれないか?」
「え!」
「ワンルームマンションを借りようと思ってな。
ここは一人で暮らすには広すぎるし、霞との思い出もある。」
「いいの?」
「どのみち、仕事を辞めたら田舎に引っ込むつもりだったしな。」
「お、伯父さん?」
「今進めているプロジェクトが軌道に乗ったら辞職しようと思う。」
「えぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「そんなに驚くことか?」
「いや、だって…。」
「心配するな。 すぐに辞めるわけじゃない。
そうだな…、2~3年後かな?」
「そ、そっか…。 で、課長とのことは?」
「そのことなんだが、ちょっとお前に頼みたいことがあるんだ。」
俺は春香にある頼みごとをした。
それは佳織に男の気配があったらすぐに知らせてほしいと。
その頼みごとを訝しんだ春香だったが、俺の真剣なまなざしに何かを感じたようで引き受けてくれた。
年末年始の冬期休暇が明けてから、俺はプライベートで佳織を誘うことをやめた。
その代わりに霞との裁判を早く終わらせるために弁護士と密に話し合いをした。
だが、一朝一夕で終わる話ではない。
気づけば季節は再び春を迎えようとしていた…。
************************************************
さて、いよいよ次回は本編の時間軸となります。
そして、佳織が知らない雅之の決意を書きたいと思います。
それにしても、野田弟……。
もっと、下種な発言するはずだったのにチョイ悪おやじ(?)な感じになってしまった。
なんでだろう…。
私がおじ様スキーだからか?
どうやら私には素敵なおじ様しか書けないようです。(苦笑)
でも、時は確実に進みます。
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その男、『今元春』につき… ~其の四~
結局、それから俺は一度も佳織と話し合えないままだった。
夏季休暇に葉山にある兄の別荘でバーベキューパーティーをするからと誘ってみたが…。
「すみません。
両親に代わって母方の祖父の新盆のお参りをしなくてはならないので…。」
と、きっぱりバッサリ断られた。
聞けば、佳織の母親は北海道の白老出身だという。
そう言われては引き下がるしかない。
やがて季節は巡り、秋が過ぎ小雪舞い散る冬となった。
「ホントに全然進展しないのね。」
「…………。」
「もう、どうすんのよ!」
「どうしようもない…。」
「なら、課長のことを諦める?」
「それは…、無理…。」
「じゃ、行動しなさいよ。」
毎度のことながら、終業後の執務室での春香とのやり取り。
毎回発破をかけられるが俺は二の足を踏んでいた。
霞との裁判がなかなか結審しないことも要因の一つだった。
気が付けばクリスマスが目前に迫った12月中旬。
街はイルミネーションに彩られ幻想的な雰囲気を醸し出し、恋人たちに甘いひと時を与えていた。
そんな中、俺はただひたすらに仕事をこなす。
当然クリスマスも仕事で埋めていた。
「ホントにいいの?」
「何がだ?」
「折角なんだからディナーくらい誘っても…。」
「俺とは飲まないそうだ。」
「え?」
「クリスマスディナーともなればワインかシャンパンが付いてくるだろ?」
「あ…。」
「だからと言って他に誘う相手もいないから仕事。
第一、今年のクリスマスは平日だ。」
「まぁ、そうだけど…。」
「そういう訳で、これ以上は口を挟むな。」
俺は春香を追い出し、仕事に集中する。
窓の外に目をやると白いものがチラチラと舞っていた。
どうやら今年はホワイトクリスマスになりそうだ。
でも、今の俺には関係ない。
ただひたすらに仕事をこなす。
そうして、何事もなくクリスマスが過ぎた翌日春香から1本の電話が入る。
「何だこんな朝早くから…。」
『あ、うん…。 ちょっと聞いてみるんだけど、明日って予定ある?』
「この俺にあると思うか?」
『そう、だよねぇ…。』
「用がないんなら切るぞ。」
『ちょ、ちょっと待って!!
明日、明日さぁ、幸久さんに有馬記念見に行こうって誘われてるの。
よかったら、伯父さんおどうかなぁって思って…。』
「もしかして、野田専務の誘いか?」
『うっ。』
「はぁ、俺はあの御仁は好きになれん。 だから、断る。」
『そんなこと言わないでよぉ。
可愛い姪っ子の頼みだと思って!!』
「何がかわいい姪っ子だ。」
『野田専務に仲人頼むことになってるから断れないの。
でも、私もあの人のこと苦手だし、心細いから…。
だから、お願い!!!』
「仕方ないな。」
『恩に着ます。 今度、課長の…。』
俺は春香が何を言いだそうとしたのかわかって電話を切った。
その先はどうしても聞きたくなかったから…。
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――――――――翌日・中山競馬場――――――――
「梶原常務、申し訳ありません。」
「いや、君が気にすることじゃないよ。」
「ですが、春香が無理矢理頼んだんでしょう?」
「そうだが、実際予定はなかったし。」
「そうですか…。」
俺は幸久君に席に案内された。
そこには野田専務が既に席に着いており、春香は嫌々ながら彼の会話に相槌を打っていた。
「おお、山中。 遅かったじゃないか?」
「専務、申し訳ありません。
梶原常務と合流していたので…。」
「ああ、そういうことなら仕方ない。」
幸久君が春香の隣に座り、ようやく野田専務の相手から解放された春香。
それに代わって俺が専務の相手をする格好になった。
「野田専務、お誘いいただき感謝します。」
「梶原常務、そんなに堅苦しい挨拶はいいから。
今日は儂のことは逸郎と名前で呼んでくれ。」
「はぁ…。」
「実は今日のレースには兄の育てた馬が出走するんだよ。
姉夫婦が欧州で見つけた種馬の産駒でね。」
「野田専務、あ、いや、逸郎さんにはお姉さまがいらっしゃるんですか?」
「ああ、今はルクセンブルグに住んでいるだが、馬を見る目は兄よりも上だ。
その姉が義兄と一緒に東奔西走して見つけた種馬にうちの牝馬を種付けしてもらったんだよ。
生まれた時の姿を見て、皆で喜び合ったもんだ。
『この仔ならグランプリも夢じゃない』ってね。
その仔がついに出走するんだ。
できれば親父にも見せてやりたかった…。」
野田専務は少し遠い目をしている。
5月のあの日、俺を見下そうとしたのと同じ人物とは思えないくらいの表情だった。
聞けば、専務の父は昨年他界したとか。
『グランプリで口取り写真を撮りたかった』と言い残して息を引き取られたという。
「スマン、スマン。
つまらぬ話をしてしまった。」
「いえ…。」
「梶原くん、とお呼びしていいかな?」
「はい、構いません。」
「今日は今年最後の大一番だ。 大いに楽しもう!!」
野田専務は俺の肩に手を置き、満面の笑みを向けてくれた。
俺は苦笑するしかなかった。
それから、何レースかみて、気づくと昼が過ぎていた。
「腹減ったから何か食ってくる。」
「じゃ、僕たちも一緒に…。」
「いや、一人でいいよ。」
「ですが…。」
「ちょっと、雰囲気を楽しみたくなったんだ。」
「そうですか…。」
俺は幸久君の申し出を断り一人でフードコートに向かった。
その途中、今度は野田専務の兄・哲郎氏と出くわした。
「梶原常務?」
「あ…。」
「いつぞやは弟が大変失礼なことを…。」
「いえ、お気になさらずに。 過ぎたことです。」
「そう言っていただけると有り難いです。
弟は感情がすぐに顔に出てしまうようで…。
いい年して子供っぽいところが抜けず申し訳ない。
ところで、どうされたのですか?」
「昼食をフードコートで摂ろうと思いまして…。」
「フードコートで、ですか…。」
「ええ、折角なんで場内の雰囲気を楽しんでみようかと…。」
「そうですか。 なら、パドックを見られるといいですよ。」
「パドック?」
「いわゆる下見場で、出走馬を身近で見れる場所なんです。
体の出来具合を見て馬券購入の参考にするのが本来の目的なのですが。
最近は写真を撮る場になってますね。
プロ顔負けの素人さんもいますから。」
「へぇ…。 飯食ったら行ってみます。」
「ええ、ぜひ見てやってください。
あ、レーシングプログラムはお持ちですか?」
「レーシングプログラム?」
「これですよ。 お持ちでなかったらどうぞ。」
哲郎氏が差し出したのは1冊の冊子。
それを受け取りめくってみる。
今日のレースに出走する馬たちのデータが載っていた。
「ちなみに表紙は昨年の有馬記念を制した馬ですよ。」
哲郎氏はそう一言添えてその場を立ち去った。
その後、俺はフードコートでうどんとおにぎりを買って食べる。
「おい、次のレースはどうする?」
「う~ん、俺はぁこいつがいいと思ってたんだがなぁ…。」
「ああ、こいつか。 さっきパドック見たけどよぉ。
トモの張りがいまいちじゃねぇ?」
「ああ、おまけに-15キロだろ?」
「やっぱ、このレースは順当に決まっちまうか。」
そんな話が聞こえてきた。
哲郎氏の言っていた通り、パドックを見るのは必須のようだ。
「俺も見に行ってみるか…。」
別に馬券を買うわけではないから行く必要はない。
何故かそのとき俺は行かなくてはと思ってしまった。
もしかしたら野田兄弟の熱意に充てられたのかもしれない。
昼飯を食べ終わった俺はパドックへ足を向けた。
「え?」
俺はそこで意外なものを見てしまった。
それは一人の女性だった。
黒のダウンベストに紺のスキニーパンツ。
どこかの牧場か馬名の入ったキャップを被り、望遠レンズを取り付けた一眼レフカメラを構えるその女性。
彼女は一心不乱に馬たちを撮り続けていた。
その女性は俺のよく知っている人物で、恋い焦がれている人だった。
「佳織…。」
俺は呆然と立ち尽くし、彼女を見ることしかできなかった。
なんで、彼女がここにいるんだ?
訳が分からない。
俺はふらふらと彼女のほうへ歩いて行った。
彼女に声を掛けようとしたところで、持っていたスマホが鳴動し始める。
「くっ、誰だ?」
俺は呟きスマホを確認する。
春香からだった。
仕方なく、俺はその場から離れ、電話に出る。
『伯父さん、どこにいるのよ?』
「すまん、一人でパドックに来てるんだ。」
『もう、せっかくみんなでランチしようと思ったのに…。』
「悪い。 ちょっと雰囲気を味わいたくなったんだ。」
『まぁ、いいけど。 早く戻ってきてね。
野田専務の相手しなきゃいけなくなるから…。』
「わかった。 すぐに戻る。」
俺は電話を切る。
そして、佳織のほうに視線をやる。
彼女はまだ写真を撮り続けていた。
俺はもう一度彼女のもとに駆け寄ろうとした。
だが、俺は一歩踏み出したところで足を止め、それ以上踏み出せなかった。
その時すでに彼女は一人の男に声をかけられていたから。
その男に声をかけられ、一瞬驚いていたようだったがすぐに笑顔を見せる。
俺には見せてはくれない笑顔。
そのことに俺は酷く打ちのめされる。
拳を握り締めると、逃げるようにしてパドックを後にした。
「あ、やっと帰ってきた。」
「……………。」
「伯父さん?」
「……………。」
「なんかあったの?」
「あ、い、いや、何でもない…。」
「ほんとに?」
「ああ……。」
「ならいいけど…。」
それから俺はレースをボーっと見つめていた。
周りが興奮に包まれる中、俺一人だけ音のない世界にいた。
気づけば、最終レースも終わっていた。
「オーナー代理が慰労会をと言ってまして…。
良かったら一緒に来ませんか?」
哲郎氏のその申し出を俺はやんわりと断り、一人帰宅の途に就いた。
帰り着いた自宅は静寂に包まれた寒い部屋だった。
そして、一人で暮らすには広すぎる部屋。
俺は弁護士に連絡を取り、この部屋を霞に引き渡すことにしたのでそのように話を進めてほしいと伝える。
こうして、俺の年末はただただ寂しいだけのものになった。
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――――――――正月――――――――
年が明けても俺は一人で部屋に閉じこもっていた。
それを心配したのか春香が訪ねてきた。
「伯父さん、どうしたの? この前からずっと変だよ。」
「大したことじゃない。」
「ほんとに?」
「ああ、ただ…。」
「ただ?」
「今の俺は佳織に相応しくないと思い知っただけだ。」
「何、それ…。」
「結局、俺は何事も中途半端なんだ。」
「中途半端?」
「そうだろう? 霞とのケリがつかないからって指輪を外さない。
そのくせ佳織に近づこうとしてる。」
「でも、それは『虫除け』でしょ?」
「だとしても、佳織にしてみたら不誠実以外の何物でもない。」
「伯父さん…。」
「だから、霞とのことが終わるまでは佳織には近づかない。
あと、ここを明け渡すことにしたから合鍵を返してくれないか?」
「え!」
「ワンルームマンションを借りようと思ってな。
ここは一人で暮らすには広すぎるし、霞との思い出もある。」
「いいの?」
「どのみち、仕事を辞めたら田舎に引っ込むつもりだったしな。」
「お、伯父さん?」
「今進めているプロジェクトが軌道に乗ったら辞職しようと思う。」
「えぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「そんなに驚くことか?」
「いや、だって…。」
「心配するな。 すぐに辞めるわけじゃない。
そうだな…、2~3年後かな?」
「そ、そっか…。 で、課長とのことは?」
「そのことなんだが、ちょっとお前に頼みたいことがあるんだ。」
俺は春香にある頼みごとをした。
それは佳織に男の気配があったらすぐに知らせてほしいと。
その頼みごとを訝しんだ春香だったが、俺の真剣なまなざしに何かを感じたようで引き受けてくれた。
年末年始の冬期休暇が明けてから、俺はプライベートで佳織を誘うことをやめた。
その代わりに霞との裁判を早く終わらせるために弁護士と密に話し合いをした。
だが、一朝一夕で終わる話ではない。
気づけば季節は再び春を迎えようとしていた…。
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さて、いよいよ次回は本編の時間軸となります。
そして、佳織が知らない雅之の決意を書きたいと思います。
それにしても、野田弟……。
もっと、下種な発言するはずだったのにチョイ悪おやじ(?)な感じになってしまった。
なんでだろう…。
私がおじ様スキーだからか?
どうやら私には素敵なおじ様しか書けないようです。(苦笑)
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