知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆の如し~武田家異聞~

氷室龍

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陰の章

策を弄した女狐の末路

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十一月に入り、虎昌ら親今川派による信玄暗殺計画が未然に防がれたことが伝わる。それに伴う処分が下された。

「飯富兵部虎昌。義信の傅役もりやくの任を解き、国外追放とする。計画に加担したものらも皆国外追放といたす」

躑躅ヶ崎つつじがさきやかた・大広間に信繁の声が響く。場にざわめきが広がる。武田最強の【赤備え】を率いる飯富虎昌が首謀者であったことへの驚きが強い。

「本来ならば即刻成敗であるが、長年の功績もあるゆえ追放に止めることといたした。有り難く思え!」

信繁の怒りの籠もった声に虎昌はただ黙って頭を垂れる。末席では囁きあう声が聞こえてくる。

「あの、飯富殿が御館様にやいばを向けるとは……」
「だが、先日の駿河侵攻を本気でお考えならば仕方ないことかもしれぬ」
「追放とはいえ、命があるだけ儲けものよ」
「そうだな……」

こうして、信玄暗殺計画はさしたる問題にもならず解決したのであった。



同じ頃、諏訪の高遠城では婚礼の支度で大わらわであった。

「奥方となられる姫は織田殿の養女。どのような方であろうか?」
「遠山直廉様のご息女で織田殿にとっては姪になるそうで……」

そんな声があちこちで聞かれる。花婿である勝頼はうんざりしていた。

「そんなに気になるものなのか?」
「何がでございますか?」
「俺の嫁のことだ」
「それは気になりましょう。何せ【尾張の大うつけ】の養女ですぞ」

楽しげに笑って答えるのは源五郎改め真田昌幸だ。勝頼はそれが癪に障るのか、そっぽをむいてしまう。

「勝頼様、如何なされました?」
「飯富兵部の件、聞いたか?」
「御館様の暗殺を企てたが発覚し、国外追放になった。とだけ聞き及んでおります」
「父上が駿河侵攻に興味を示したことと俺の縁組が原因だと聞いた」
「まさか!」

この発言にはさすがの昌幸も驚く。だが、勝頼は驚く素振りを見せず、ただため息をつく。

「誰かが馬鹿げた噂を流したせいだ」
「馬鹿げた噂?」
「織田と同盟するのは大兄上を廃嫡し、更に兄上方を差し置いて俺を跡取りに考えている、と……」
「馬鹿馬鹿しい!! 飯富殿ほどのかたがそのような噂を鵜呑みにされるとは……」
「今回の縁組は極秘裏にすすめられていたからな」
「なるほど」

昌幸が納得する。信玄は織田との同盟は交渉役の秋山虎繁に全て任せていた。そして、確実なものになるまでその多くが伏せられていたのだ。

「織田は松平が独立してすぐに同盟を結んだ。松平と親密にある織田との同盟を模索するということは今川との同盟を破棄することに繋がる」
「そう考えてもおかしくないと?」
「昔から親今川派というのはいるらしいからな。しかも、その連中の拠り所の飯富は大兄上の傅役。そこをついたのだろう」
「なかなかにずる賢い輩ですな」

昌幸が眉間に皺を寄せて考え込む。勝頼は肩をすくめ、苦笑いを浮かべるのだった。

「勝頼様。織田の姫が到着されました」
「ああ、わかった」

妻となる姫が到着したと知り、勝頼は立ち上がった。

「俺は俺の成すべき事をするまでだ」

その呟きに昌幸は黙って頷いたのだった。



勝頼が向かったのは高遠城の入り口だった。ちょうど織田の姫が腰から降りるところだった。その姿に番兵たちも息を飲む。それほどまでに美しかった。
姫は名をたつといい、父は遠山直廉なおかどで母は信長の妹である。此度の縁組では信長の養女となり、勝頼の元に嫁いできたのだ。

「織田殿の妹御は皆綺麗どころと聞いていたが、姪御までその美しいとは……」
「その美しい姫を娶ることが得きる勝頼様は果報者にございますな」

茶化すように耳打ちしてきた昌幸を睨みつける勝頼。大きな咳払いをして姫に声をかけたのだった。

「わざわざお出迎えいただけるとは、身に余る光栄でございます」
「そう、かしこまられずに。これからは夫婦となるのです。まずは旅の疲れを癒やされると良いでしょう」

勝頼は自分の妻となる姫を奥に案内するように侍女に命じたのだった。



祝言の日には諏訪惣領家から頼貞も駆けつけ、盛大に行われた。

「あのような美しい姫を迎えて、勝頼様は果報者じゃ」

皆が口々にそう囃し立てるので勝頼はなんともむずがゆかい。だが、自分の婚礼で皆が笑顔になれるのであれば、それも良いだろうと思い直す。
城下ではまさしくお祭り騒ぎとなっていた。飲めや歌えやと大騒ぎだった。
そこへ現れたのは例の異国の戦士二人。コナーとユアンだった。二人は祖国から持ってきたという伝統装束に身を包んでいた。

「ノブユキの弟の婚礼ならば祝いをせねばなるまいと思ってな」

そう言ってコナーが持ってきたのは猪だった。

「大変だったぜ。いきなり狩りに行くとか言い出して……」
「それは大変でございましたな」

ユアンのぼやきを聞いて昌幸が道場の声を上げる。

「この地方の犬はなかなかに勇敢だ。おかげで難なく仕留めることが出来た」
「あんなにちっこいのに物怖じすることない犬など見たことない。おかげでコイツも仕留められたよ」

ユアンは山鳥を二羽掲げてみせる。どうやら二人の狩りは予想以上の成果を上げたようだ。
コナーはそれらの成功が虎毛の黒犬のおかげだといっている。この虎毛の犬は身延から連れてきた犬だ。
優秀な狩人でもある彼らは狩りの供として犬が欲しいと頼貞に願い出た時のこと。
主人に忠実で、勇猛果敢。更には急峻な山も駆け回れる体力もある犬。それを満たす犬を頼貞は見つけられなかった。それを助けてくれたのは頼貞の従姉・佐保の夫である穴山信君だ。身延にその条件にあう犬がいるといって贈ったのが二人が連れている犬だった。

「さぁ、コイツを料理して皆に振る舞おう!!」

異国の戦士の東上に最初はおっかなびっくりだった領民らも彼らの飲みっぷりに歓声を上げる。いつしか二人のことを受け入れたのであった。



「ここは良いところですね」
「気に入ってくれたか?」
「はい」

勝頼の妻となった龍は優しげな笑みを浮かべる。勝頼はホッと胸を撫で下ろした。

「ここは皆の顔が明るうございます」
「八幡原での戦以来、大きな戦がないからな。先頃、父上が飛騨へ出兵なさったくらいか……」
「羨ましい限りです」

龍の顔が陰ったのを勝頼は見逃さなかった。何かあると思い、そっと抱き寄せる。

「この高遠は安心だ。諏訪下社もすぐ側にあり、神仏の加護もある。心配することはない」
「そうですか」
「美濃はそれほどまでに荒れているのか?」

勝頼の問いに龍は顔を伏せる。膝の上に置いた領の拳が強く握られた。その姿に勝頼は更に強く抱き寄せる。

「稲葉山の殿はお若く、おまけに凡庸ぼんようで……」
「それは如何ともしがたいな」
「伯父……、養父上ちちうえが攻め取るのも時間の問題と思われています。父上も含め東美濃は既に織田についております」
「そういえば、遠山家は織田と元々縁戚であったな」
「はい。景任かげとう伯父上の妻が養父上ちちうえの叔母になります」

龍の話では美濃が織田のものになるまでに二年もかからないという。恐らく、父・信玄も同じように見ており、此度の縁組は美濃を獲った後、信濃に侵入させないためのものであろう。

「それより、甲府の方は大丈夫なのでしょうか?」
「大兄上のことか……」

龍は頷いた。勝頼はため息を漏らす。
飯富たち親今川派が国外追放となり一掃された。飯富が義信の傅役ということもあり、関与を疑われた。だが、結局一切関わりが無いとされた。にも拘わらず、義信は東光寺に幽閉されたままだ。

「あの父のことだ。敢えてそうしておるのかもしれんな」
「また、どうして……」
「【知り難きこと陰の如く】といったところであろうか」
「それはどういう意味でございますか?」
「どのような動きに出るか分からない雰囲気は陰のように、ということらしい」
「勝頼様は今がその状況だと考えていらっしゃるのですか?」
「そう思っている」

勝頼は確信を持って答える。龍はその姿に頼もしさを感じたのか、寄り添い体を預けた。

「ならば、私たちは私たちの成すべき事をいたしましょう」

龍の言葉に勝頼は頷き、笑みを浮かべた。



一方、躑躅ヶ崎館では三条の発案で茶会が催された。参加するのは側室の絵里と直見。それに、三条の侍女である多重だった。

「富士の御山もすっかり雪化粧をいたしました」
「日ごと寒さが厳しゅうなっております」
「今年は旱魃かんばつが酷かったと聞き及んでいますので、雪が少なければ宜しいのですが……」

三条は平静を装い、茶を点てる。場には妙な緊張感が走っている。その証拠に互いを牽制し合うような会話が続く。それをまるで気にかけていないかの如く多重は動くのであった。

「多重」
「何でございましょう?」
「この茶はそなたに……」

差し出された茶碗には小さな白い包みが添えられていた。それを見て多重の顔から血の気が引いていく。その包みがなんなのか、多重には分かったのだ。

「お方様、これは一体」
「分からぬと申すか?」

その声はいつになく鋭かった。絵里も直見も口を挟まない。二人ともその包みの中身は分かっている。そして、何故それが多重に差し出されたのかも……。

「そなたは出しゃばりすぎたのです」
「お方様、わたくしは!!」
「お黙りなさい!」

三条はスッと立ち上がると多重を睨みつけた。その怒りを漲らせた声に多重ばかりでなく、絵里も直見も身をすくめる。

「これに見覚えがあろう」

三条が多重の目の前に一通の文を投げ落とす。多重は手を震わせながら手に取った。それは飯富虎昌に信玄が義信を廃嫡せんとしている証拠だといって見せた密書だった。

「直見、例の者をこれへ」

直見はスッと戸を開けた。黒装束の男たちに引っ立てられるように連れてこられたのは一組の男女。その姿を見て、多重は背中に冷たいものが流れるのを感じる。

「この者たちの話によれば、その密書はねつ造された物であると……」
「何をバカな!!」

多重は笑みを貼り付けようとするが上手くはいかなかった。何故なら、三条は既に自分のことを信用していないことが明らかだったから。

「多重、そなたの忠義は間違っておるのです」
「お方様……」
「信繁殿はそなたを成敗せよとおっしゃった。わたくしもやむなしと思うたが、御館様の温情で京へ返すなら不問に処すとおっしゃった」

その言葉に多重は呆然と聞き流していた。

「正直、わたくしはそれではまた同じ事が起きるのではと」

三条の瞳に悲しげな色が浮かんだ。そして、その視線が例の包みに向けられる。

「それで、それを用意したのです」
「わたくしめにそれを飲めと……」
「飯富殿は切腹させられたかもしれぬというに、そなたがのうのうと生きておられるとでも思うておるのですか?」

多重は返す言葉がない。ただ、崩れ落ち涙を流すだけだった。

「三日の猶予を与えます。それまでに支度し、京へお帰りなさい」

それだけ言い置き、三条は部屋を出て行った。後に続く絵里も直見も同情はしない。むしろ、当然の報いだと言わんばかりの表情で出て行ったのだった。

三日後。多重は失意の中、館を出て京へと帰って行った。その様子は長年三条を支えてきた侍女としては寂しいものであったのは言うまでもない。


「そうか……」
「わたくしが決断出来ぬばかりにご迷惑をおかけしました」
「いや、乳母として侍女として長年仕えてくれたのだ。踏ん切りがつかなくて当然だ」

三条は多重を京に送り返したことを信玄に伝える。妻の葛藤を考え、信玄はそれ以上攻めることはしなかった。

これにより一連の事件は幕を閉じた。そして、これより上洛へ向けて行動を起こすことになるのである。


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